第十二話
深夜零時。
学園は一見ひっそりと静かで。
しかしトラムで降りていく地下深くは、じわりと熱を感じる。そこは生物の内臓みたいに熱くて、激しい脈動を繰り返すみたいだ。
海ちゃんがゆらゆら揺れているのが目に入る。どこか遠くの波を感じてるんだろうか。
「ねーぶちょー、今日も観戦の人っているんですか?」
「多分おるよ。部活バトルはほぼ毎日ありようからね」
つまり、あの場のお客さんは招待客じゃなくて、自分で勝手に来てるのか。いったい何台のトラムがあって、何箇所の入り口から地下に潜れるんだろう。
トラムの戸が開く。案内役の生徒たちは特に何も言わず、空いたドアから勝手に出ていって闇の奥に消える。
やっぱり広い。外周が完全な暗黒のために広さが分からないが、ここは本当にドー厶なんだろうか。
あるいはここは広大な夜の砂漠で、そこに高架道路のように観客席を作っているだけ、そんな風にも思える。
『はーい良い子のみなさーん!!! 今日も今日とてやってきた部活バトルの時間でーす!!』
いきなり超ハスキーボイスのアナウンスが降り注ぐ。
『女神の祝福受ければ至福、お眼鏡かなって生み出す佳作、はりきって割り切って澄み切った夜空の透明感。切って貼って塗って練ってのだいぼーけん! さあ及ばせながらお呼びします! おいでください女神さま!!』
小気味いい節回しをタンギングに乗せるアナウンスだ。かなり慣れてる印象。実況役は何人もいるんだろうか。
ぱあっと中央にスポットライトが生まれ、そこに降りるのは金巻き毛の髪を持つ女性。
そして光の向こうに浮かぶマオカラースーツ。
字森部長だ。同じような姿の部員たちもいる。
「よくぞ逃げずに来た! その度胸だけは褒めてやろう!」
いや申し込んだの私なんだけど……。部活バトルは成立しちゃったら逃げられないのは知ってるはず。この人って「言いたいだけ」が多い気がする。
「よろしくお願いします」
とりあえずそう返す。
字森先輩はコインを取り出した。どこにでもある10円玉だ。
「部活バトルは最初の挑戦のみ後攻となる! 経験はあるか」
「はい、あります、これが二度目です」
「そうか、ならば先行後攻はコイントスで決めるぞ!」
コインを指ではじく。スポットライトを受けてきらきらと回転する銅の板。やがて白い手袋に抑えられる。
「知ってるとは思うが平等院鳳凰堂が描かれてる方が表だ。さあ!」
「じゃあ裏」
日本の硬貨は年号の描かれてる方が「裏」だ。図柄が変化しない側のほうが品質が安定しているので表になるらしい。
そして開く。平等院鳳凰堂だ。
「では我々が先攻をやらせてもらおう!」
「分かりました」
一見すると相手の出方を見てから対応できる後攻の方が良さそうだけど、最初にインパクトのあるものを創れば後攻にプレッシャーがかけられるとか、いろいろ戦術がありそうだ。
司会者の人はずっと喋り続けている。私達のこと、かつて連戦連勝だった字森先輩のこと。そして女神を称えるポエミーでポップな言葉遊び。
『さあ女神のお題かもーん!』
女神は目を閉じていた。水中のように揺らめく髪。その黄金の流れに目を奪われる。
やがてその目が開き、エメラルドの瞳に意志の光が宿るように見えて――。
「正面衝突」
女神はふわりと浮き上がり、光の輪の端へ下がる。
正面衝突……? そのお題、もしかして字森先輩が創るとすれば。
『はーい! 女神さまのお題はちょこっと変化球でもでも難易度最下級。ローディングの遠吠えオーディエンスは目が肥え肥え。果たして今夜のビッグゲーム語り継ぎますネットミーム。いざいざれっつごー!』
あまり意味のない言葉も多いけど聞いてて気持ちいい。声も芯が通ってるけど声楽科の人だろうか。
「ふふふ……正面衝突とは無慈悲なお題だな。我ら架空鉄道部の鉄の結束の力、見せてやろう!」
そして背後を向き、両手を後ろに回したまま応援団のように檄を飛ばす。
「言うまでもなく我らが創るは列車同士の正面衝突! 最高の精度で最上のものを創る! 各自、参考資料を出して分担せよ! 田口と蜷腹は背景を! 鐙金と花山は車体を! カメラワークとエフェクトは」
字森先輩が引き連れてたのは十五人あまり、それをてきぱきと五つの班に分ける。
「うわっ何あれ! 向こうは協力アリなの!?」
海ちゃんが言う。
私も疑問に感じたけど、少し考えて思い直す。
「たぶん……部活バトルってそれは最初からアリなんじゃないかな」
複数人で取り組むと審査員が点を目減りさせる?
それとも、人材を揃えるところから勝負が始まってる?
ううん、違う。
きっと、複数人が協力してもそこまで有利にならないんだ。この勝負の本質はそんなとこにはない。
それよりも驚くことは、部員さんたちの前に本が積まれてることだ。
鉄道事故についての本。車両の構造についての本。装丁がしっかりしてるから、おそらく実在の本だ。
周囲には無数のウインドウが浮かび、鉄道事故を扱った映画やニュース映像が流れている。
情報を呼び出せる。あれも女神の力なんだ。
どんな書籍も、映画も、あるいは過去のニュース映像までも。
組み上がっていくのは私達の周囲。それは深山幽谷の眺め。
とても巨大な河。さざなみの立つ水面からは円筒形の山が何本も突き出している。一つ一つが大木を頭髪のように生やした山。ここは中国の桂林だろうか。
そこに橋脚が降り注ぐ。天変地異のような勢いで水面から地盤まで突き刺さり、その上に並ぶ枕木とレール。二組四本のレールが風景の彼方まで伸びる。
山が突き出したような独特の地形はカルスト地形。もしスロベニアのカルストより先にこの地が知られていたなら、似たような場所は桂林地形と呼ばれただろう、と言われる世界有数の絶景だ。
「20XX年! 中国は新型の高速鉄道を開発した! だが国内の政治争いにより営業計画が頓挫。路線とその車両は当てつけのように衝突実験に使われることとなった!」
それは史実ではなく先輩の創作のようだ。実際にそんな実験をやったら世界中から非難されそうだし。
「それはリニアを用いた時速650キロの正面衝突! さあ見るがいい! 後にも先にも二度とはない究極の衝突実験を!」
見れば離れた場所に漁船なども浮かび、双眼鏡を構えた観光客がいる。山の上にも、空にもいくつかの飛行船が。
これを娯楽として楽しむ人たちだろう。しかし何て映像の精度だろう。しっかりと床を踏みしめてるのに、眼下の眺めは映像とは思えない。
そして風景は遥か遠くまで描画されている。壁への投射であそこまで自然になるのだろうか。
この真っ暗だった空間はいったいどんな形状なのか、どんな技術でこの映像を……。
電車が来る。
私たちは線路から数メートル離れて浮いている。観客席の真下を突っ切って走る線路。遥か向こうに影が。
鋭角の先頭車両が見えた瞬間、すべての描画がスローになる。
カモノハシのくちばしを模した先端。それが紙細工のようにひしゃげ、コンマ以下2桁の世界で内部の部品を弾けさせ、車両本体の質量がぶつかり合い、車体同士を削り合いながら一瞬すれ違うように見えて、片方は線路から弾かれ、もう片方はつんのめるように後部から立ち上がり、そこに後続の車両が次々と殺到。
衝撃によって先頭車両はちぎれ飛び、きりもみ回転しながら湖に落下していく。さらに混沌は深まり、落ちていく車両が高波を立て、あるいは橋脚に当たって粉々に砕かんとする。
すべてが終わるまではほんの10秒。しかし3分ほどに引き伸ばされた強烈な映像体験。悔しいけど、手のひらにじっとり汗をかく迫力があった。
『はーい! すごい映像美エモい景勝地、派手派手はてさてみにのべ部、二人はどう立ち向かうでしょーかー!』
「うーん、どうしよっかな。別に車とか乗り物じゃなくても、お相撲さんとか……」
「言問さん」
白釘部長に呼ばれる。振り返るとメモ紙を渡された。
パイ投げのドッキリを仕掛けた男がいた。
しかしぶつけられる相手も、ちょうどパイ投げを仕掛けようとしていた。
互いにパイを振りかぶる。その時二人はすべてを察した。
全力で振られる腕。空中でぶつかり合うパイ。
その時、宇宙に新しいスポーツが生まれた。(120字)
「これは……オチで何となく成立してるだけで、いまいちな気がします」
「うん……いま思いついたとやけど、どうもしっくり来んとよ」
私は少し考えてから答える。
「偶然ドッキリがカブったって設定だと、パイ同士をぶつけてることに結びつかないんです。クリームの飛び散り方で占いをしてるとか、相手のパイをパイで受けるのが礼儀だとか、その辺でマナーへの風刺を入れるとかできそうです」
「なるほど、練り直してみるばい」
「二人とも何やってんの!」
海ちゃんが頬を膨らます。
「ヒトコト、こっちの番だよ、大丈夫なの」
「大丈夫だよ」
私があっさりと答えたので、海ちゃんは目を点にした。
「そ、そうなの? じゃ、じゃあ頑張ってね」
「うん」
私は察していた、今のは部長からの手助けだ。
白釘部長は部活バトル禁止だから、さり気なくヒントを出してくれたのだろう。
でも強がりを言えば、あの人たちの手番を見てる時から負ける気はしなかった。
「女神さま」
呼びかける。地面からほんの数センチ浮かんだ乙女は、私を見てあるかなしかの微笑みを見せた。
「今の作品をリピート」
「なっ!?」
字森部長が驚愕する、私はぱちりと指を鳴らす。
「車体で置換可能な部分をすべてクリスタルガラスで、プレイ」
再び描画される湖と線路。
見物人は先程よりずっと多い。設定の変更が影響しているのか。
電車が来る。機関部のわずかな機械以外はきらきらと輝き、太陽の光を受けて七色に変化する。
衝突。やはり世界はスローとなり、車体は細かく砕けて広範囲に散らばる。速度がゆるやかなために液体のふるまいにも似ている。
球体を描いて拡散するガラス。光の乱反射が二階席ごと私達を包み込む。遠くからフラッシュの明滅が届く。
湖に降り注ぐガラス、その雨音がずっと響き続けて、今見たものの美しさを語っているかのようだった。
投票。赤が7割青が3割、赤が私達の側だ。
『はい出ました。赤419対青175、みにのべ部の勝利です!』
散発的な拍手。称賛の気配は感じるが、諸手を挙げての喝采とはいかない。やっぱり今の勝ち方は変則的だったかな。
「な……なぜだ!」
だん、と床を踏みつける音。
私達が視線を向けると、字森部長が白手袋を震わせていた。
「なぜ我々が負ける! ガラスの列車は確かに美しかったかもしれんが、我々の用意したリニアも迫力で負けていたとは思えん! 誰も見たことのない超弩級の映像だったはずだ!」
それは私に言うと同時に、観客席の面々にも言っているようだった。背中から気炎が上がっている。
「納得いかん! さては観客に手を回したか! この部活バトルを汚す不正をしたな!」
「違います」
何となくムキになって言い返す。そんな言われようは心外だし、放置していい言葉じゃないように思えた。
「字森部長、あなたが負けた原因は気配です」
「け……気配?」
「そうです。列車の正面衝突は、人身事故でなければ確かに娯楽として楽しめるかもしれない。でも列車好きにはどうでしょう。車体が折れて、部品がちぎれて、水の底へ落ちていく。それが嫌な人もいるはず。なによりも造り手が楽しんでいない。そんな風に、苦々しく差し出された料理を楽しめるでしょうか」
「し、しかし俺は……別に……」
困惑に彩られていた字森部長の目が。
ある瞬間、はっと見開かれて背後に向く。
そこには、架空鉄道部の部員さんたち。
鉄道関係の部からかき集めた部員たちが、ただじっと立ち尽くしていた……。