焔の残穢4
妬み、とは。
深く食い込みその奥で熱く燻るもの。
一度抱けばどのような過程を辿ろうと最期には燃え尽きるのみである。
そんな妬みを煌々と燃え上がらせ、まさに最期を迎えんとしている男が居た。
男の名は鬼洞 一器。
とある村の寺で代々住職を務めていたが、その役目も終わった。
淡すぎて、遠すぎて。
小さすぎて、少なすぎた。
砂粒一つにさえ満たない極小の縁。
我らが憤怒を炎にて顕わす千載一遇、絶好の機会を得た。
今こそあの怨敵を焼き払う刻である。
鬼洞の縁など露知らず。
故に見えず、邪魔されず。
粛々と、ただ粛々と。
必要なのは既に忍耐に非ず、遂行の意志のみ。
「悲願のときは近いですぞ、"灰火"様……」
発展を止めた文明の足元に幾重にも重ねられた空間。
決して陽の光届かぬ底で邪悪が嗤う。
否、当の本人はそれを至って正常と認識し、正義を全うしようとしている。
ただその正義とは彼ら鬼洞家だけが抱くもの。
その他万人にとっては不義であり不幸であり不運な代物であった。
彼らが抱く正義、信条はたったひとつ。
"炎に因る万物の浄化"である。
古くから炎を神聖視してきた鬼洞家は、炎あるところに赴いては祈りを捧げた。
噴火、山火事、家屋火災、別け隔てなく。
とある年。
大規模な山火事が発生した。
一族総出で麓へ赴き、どうかこの炎が世界を包むようにと祈る。
鬼洞伝統の儀式の最中、灰となった山から転び出たのは年端も行かぬ少女。
そのモノこそ最初の九尾憑きの忌み子であった。
名を灰火と定め、保護、育ての親となる。
九本の尾を持つ故に尾有りの奇形、忌み子として山に捨てられていたのだろう。
神聖な炎から生まれた御子として、一族の中で特別な存在へと昇華していく。
そこには確かな慈愛のみが在った。
排斥人たちの集い、それが鬼洞家の起源だったから。
物心着いた頃からしきりに「帰りたい」と繰り返すようになる灰火。
家に居ても「帰りたい」、元いた山のことかと連れていくも変わらず「帰りたい」。
成長するにつれ収まっていくも、齢十九を越えたあたりから超常の力を振るうようになる。
自在に炎を操り、森や大地が瞬く間に焦土と化す光景を見て、鬼洞家は悟った。
『このモノこそ我らが求め、探究してきた全てである』
だから殺した。
慈愛など元から無かったかのように。
山で灰火を拾い上げた者でさえ嬉々として。
共に育った友人でさえ。
母代わり、父代わり、兄弟姉妹として共に過ごした者たちでさえ。
力の全てを自らが振るうために。
この世の全てを灰燼に帰すために。
満面の笑顔で。
「宿れ、宿れ」
剝いだ皮で柄を編み。
「宿れ、宿れ、宿れ」
抉り取った恥骨で鍔を型取り。
「宿れ、宿れ、宿れ、宿れ」
刳り貫いた眼球を突き刺し鎺とし。
「宿れ、宿れ、宿れ、宿れ、宿れ」
掻き集めた血肉は鞘と拵えとなり。
「宿れ!宿れ!宿れ!!宿れッ!!!宿れッ!!!!宿れぇええッ!!!!!」
一心不乱の祈りと狂気が、忌み子の魂を犯しきる。
果てに打たれた刀身は炎の全てを宿していた。
一度振るえば 森 が消え。
二度振るえば 河 が消え。
三度振るえば 獣 が消え。
四度振るえば 風 が消え。
五度振るえば 地 が消え。
六度振るえば 人 が消え。
七度振るえば 空 が消え。
八度振るえば 海 が消え。
九度振るって 全 が消えようとしたとき。
完膚無き迄にそれは阻止された。
振り上がった炎を水が縛り。
一心不乱の祈りと狂気は波濤に砕け。
掻き集めた血肉は水鉢に溶け入り。
刳り貫いた眼球は水磨きされ。
抉り取った恥骨は神酒で清められ。
剝いだ皮は神の河にて洗い流され、身体の全てが出生の御山に還された。
魂の浄化、祓いの儀にて穢れ切った忌み子の魂は一時の覚醒を果たす。
自分を消し去ろうとする者の区別などつくはずもなく。
皮肉なことに、忌み子の呪い全てを被ったのは御使笠のみであった。
その折から、御使笠に生まれ落ちる赤子は時偶呪われるようになり。
腰に痣を持って生まれる者。
獣の耳を生やす者。
母の腹を食い破って生まれる者。
監禁、束縛、封印。
そのどれを持ってして育てても、九のつく齢に特大の災厄が襲い来る。
故に。
「九呪九胚、身女供祓へ」
どれだけ苦心しようとも、血涙を流そうとも結果が変わらない――。
そんな無慈悲を産まないために。
我が子が育ち、愛に溢れ、かけがえのない思い出を構築する前に――。
有無を言わさぬ絶対の掟のみを書き残した。
生き残った少数の鬼洞家は復興を遂げるため忌み子を探した。
もう一度あの力を我が手に。
だが探せど探せど見つからなかった。
それもそのはず。
九尾憑きの忌み子は既に御使笠のみに発生する呪いに変じていたのだから。
守り神を盗られたと鬼洞は狂い、羨望の邪視、嫉妬の炎に焼かれる。
復讐しようにも力もなく数もない。
必死に耐える千年が始まった。
片時も忘れること無く。
血筋絶えようとも心を受け継ぎ。
燃え尽き、燻り、炭化して、灰になっても。
その炎が消えることは終ぞ無く。
何色も写さぬ刀身を振り上げ、二度目の炎が振るわれた――。




