焔の残穢2
「今日は人多いですね」
「金曜の夜だからね~」
座敷が広がる居酒屋の隅っこ。
ゆったりした空間でのんびりと酒を飲んでいると、ファイリング作業で生じた体の疲れが抜けていくようだ。
陣のつまみは枝豆、銀杏、ピスタチオ。
花は焼き鳥盛り合わせ。
「銀杏貰っていいです?」
「えぇ~、自分で頼みなよ」
「焼き鳥一本あげますから」
「じゃカシラちょうだい」
「えぇ~」
「ちょっと!そりゃないよ……」
おつまみ争奪戦が起きて間もなく追加の酒が運ばれてくる。
梅酒ロック二杯。
「生ビール飲むんだと思ってましたよ」
「僕かい?いやいや飲まないよ。だってアレ苦いし。
お酒はやっぱり甘くないと、ね」
「……似合わなっ」
「聞こえてんのよ」
2人の勤め先からは少々離れた古い居酒屋。
店員の威勢のいい声もなく、客同士の馬鹿笑いもない、それでいて静かすぎないとても雰囲気のいい場所だ。
隅の天井付近に設置されたテレビからは垂れ流しのニュース番組が聞こえてくる。
これも良いポイントのひとつだ。
「食堂みたいで良いとこですよね、ここ。
五月蝿くないし、料理も美味しいし」
「でしょ。今はこういうとこ殆ど無いからね」
「それに、飲み代も帰りのタクシー代も”全部経費”ですし」
「まぁ、こういうところでお金使わないと”僕達”の予算溢れちゃうから」
「お金ってどんだけあってもいいと思うんですけど?
貯めておくと何か良くないことでも起きるんですか?そういう掟か何かとか……」
「藍さんの賭博癖が再発する」
「えっ」
「あれは30年前……」
御使笠の収入源は様々だが、その中でも一番の収入を得ているのは門外不出の養殖技術だ。
海が黒くなったその日、海産物は回復不能なまでの打撃を受けた。
元々は自前で食料を調達するために、術式で様々な種類の魚を養殖していたわけだが。
そこにとんでもない需要が来たことになる。
御使笠の年間経費は一千万程度。
御使笠衆総員二千五百人、一人頭年四千円のお布施で賄えてしまう。
養殖マグロの取引価格一尾”四十億円”。
量産出来ないにしても売れた場合四十年の経費を稼いだことになるのだ。
「まぁそれで資金がどえらいことになってね。
あまりに現実感の無い金額になってきたもんだから、どうしようかと皆で悩んでいたのさ。
そこにご当主藍さん登場」
「うわ出た」
「『全体の資金確認したいから一箇所の口座に金を全部集めな』って言って自分の口座に資金全部集めさせてね……。
そして藍さんは消えたのさ……」
「どこに行ったんです!?」
「……ラスベガス」
「終わったわこれ」
いきなり行方を眩ませるなんてあの人にはよくあること、皆そう思いただ帰りを待っていた。
一週間後。
見たこともないぐらい老け込んだご当主様の姿がそこにはあった。
使用人たちに介抱されてわざとらしく咳き込んだり、頭が痛い”ふり”をしながら。
「何かとんでもない目にあったに違いないって皆思ってたよ、この僕を除いてね。
床に伏せる藍さんに何したんですか!!?って詰め寄ってさぁ……、やっとのことで絞り出してきた言葉が……」
「なんて!なんて言ったんです!?」
「『擦った』って」
「……擦った?」
「そう。ちょっと人には言えない金額を全部ね」
「全部ぅ!!?……やってんねあの人……、ちなみに幾らぐらい?」
「言えない言えない!とても言えない」
「い~じゃないですか~!私だってもう一員なんですし~ちょっとだけちょっとだけ!」
「じゃ耳貸して」
「はーい……、……んんッーー!!??」
「ね?言えないでしょ?」
「……言えない言えない……とてもじゃないけど……あの当主様ほんと……」
「仮病のために目の下に墨でクマまで書いてさ……あ~、いい機会だからこれ渡しておくよ」
陣が懐から取り出したのはパッと見小分けにされた化粧品だった。
黒から肌色、白に近いものもある。
「ファンデーション……?」
「これはね、重い染料と書いて”重染”。
目の下に塗って隈取するためのものだよ」
「……仮病に使ってねってことですか?」
「はっはっ、違う違う。
重染で隈取することを”威取”といって、
その状態で相手を睨むと拘束することが出来るんだ」
威取。
両目の下瞼に特殊な染料で施す隈取。
こちらを視認した相手を睨みつける事で萎縮させ身動きを許さない。
この染料成分を含んだ空気を嗅ぐと重苦しい匂いを感じ取れる。
この重い匂いは霊的な、又はそれに準ずる者には苦手な匂いとなるので塗るだけで魔除けとなる。
余談だが近年従来の紺色からカラーバリエーションが増え、化粧に合わせた威取を取る女性術師も増えてきている。
威取は、あくまでも相手に視認させないと術の効力が発揮出来ないため、目立たない色では術式の効力、射程距離は落ちる。
「黒スーツに番傘に威取、場合によっては刀……いよいよですね」
「……そうだね」
遠ざかっていく日常。
心の切り替えはそうそう上手くいくものではない。
何度も覚悟と自覚を繰り返して、その過程で盤石となっていくもの。
重い空気の中つけっぱなしのテレビからニュース速報が流れる。
『現場の松本さんと中継がつながっています、松本さん!』
『――はい、こちら松本です!
山奥での火事ということもあり消火活動には時間がかかっている模様で、その間にも火の勢いは増していくばかりです!
周辺の山林に燃え移るかどうかというところで――……あ、たった今隣接する山にも燃え移ったという報告が入りました!
出火元とされている寺ですが、周辺の駐車場に車があることから生存者の安否が不安視されています』
ヘリコプターなどから中継される映像には、燃え上がる山と出火元とみられる寺が見て取れる。
だが、その燃え方がどこか妙だ。
ゆらゆらと立ち昇る炎ではなく、一本の柱のように炎が昇っている。
尋常ではない火力だ。
「変な燃え方……」
そう呟いて陣に向き直ると険しい表情をしている。
その目は本業のそれだった。
「……あれが見えるかい花ちゃん」
もう一度、今度は目に力を込めて中継の映像を見つめた。
「何か……動いて……」
「束ねられた九本の炎、最悪中の最悪を招いた愚か者が居るらしい……」
程なくして緊急招集がかかる。
タクシーに飛び乗り御使笠本家道場までの道すがら、
体内のアルコールを素早く分解する方法を編み出さなくてはいけなくなったのは言うまでもない。
滅びを目前に控えた世界に、最初の火が着いた。




