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ぬすっと 時代を創る  作者: 宮本夢生
9/16

9 夜討ち

 ■文治元年(一一八五年)十月二日

 義経殿からの指示を広元殿に伝えるため、昨夜鎌倉に戻って来た。館に伺いたい旨を伝えると、今日の酉の刻(午後五時ころ)に来て欲しいとのこと。

 夕闇の中に、広元殿の館が見えてきた。この辺りはいつもと変わらず静まり返えっている。近くの木の上に烏のねぐらでもあるのだろうか、時々鳴き声が聞こえる。館の門に到着すると、いつもの門番が笑みを浮かべながら俺を迎えてくれた。俺は軽く会釈をしながら、門番に京土産の一つも持ってこなかった自分を悔いた。この門番、歳は俺より十歳ほど上だろうか。お内儀もいるだろう。もしかしたら年頃の娘もいるかも知れない。この次には、気の利いた京土産でも手に入れてこよう。

 いつもの間に入ると、そこには酒肴(しゅこう)が準備されていた。程なくして広元殿が現れて、俺に微笑みながら、

「重長、鎌倉と京を何度も往復させて済まぬ。まずは飲んでくれ。」

 と、酒を勧めてきた。広元殿は下戸で、酒飲みの気持ちが判らないかと思っていたが、そうでもなさそうだ。以前に比べて、俺への酒の勧め方が上手くなったように思える。最近、酒宴の場に出る機会が多くなった為かも知れない。俺が遠慮せずに酒に口をつけるのを見て、広元殿が本題を切り出した。

「ところで重長、叔父行家殿を誅殺せよと命じられた義経殿の

 反応はどうであったか?」

 広元殿も義経殿の様子が気になっているようだ。俺も、大事な仕事は先に済ませたい。

「義経殿は行家殿誅殺の命令を聞いて、

『鎌倉はその程度しか思い付かないのか』

 と失望しておりました。」

 俺の話を聞いた広元殿は苦笑いした。

「そうか。やはり失望していたか。

 で、義経殿からは何か頼み事でも有ったのか?」

 俺は念のため周りを(うかが)ってから、声を落として応えた。

「義経殿は凄いことを申されました。

 まず、義経殿に暗殺団をよこせと。

 時期としては、今月の十七日か十八日が良いと。

 暗殺団の規模は四~五十騎ほどにして欲しいとのこと。」

 驚いている広元殿を見ながら、俺は更に続けた。

「そんなことをして、何をされる積りかと尋ねると、

 義経殿は

 『朝廷から頼朝様討伐の宣旨(せんじ)を頂く』

 と、いとも簡単に申されました。」

 広元殿は最早開いた口が塞がらないという感じで、俺の顔を凝視している。

「更に義経殿は

 『南堂の御供養の次の日に、自分に討伐軍を差し向けろ』

 と命じられました。」

 俺を見る広元殿の顔からは、既に血の気が引いている。俺は構わずに続けた。

「最後に義経殿は、

 『朝廷が、頼朝様討伐宣旨という大失態をやらかしたら、

 必ず、朝廷の非をしっかり責めて、武家政権の確立を目指せ』

 と念を押されました。」


 茫然自失の広元殿は、やっとの思いで声を絞り出した。

「で、詳しい筋書きを聞く事ができたのか?」

「詳細は話されませんでした。

 ただし、『武家政権確立』のためには、朝廷もさることながら、

 豊後国の武士団と平泉の藤原氏が大きな障害であることを、

 義経殿も十分に理解しておりました。」

 最後に、俺は義経殿に抱いた不安を付け加えた。

「義経殿は、自身の命と引き換えに『武家政権の実現』を

 目指しているのでないかと思われてなりませぬ。」


 広元殿は長い間、目を閉じたまま黙り込んでいる。

 どのくらい経ったであろうか。広元殿がようやく口を開いた。

「今や、頼朝様は憎き平家から日本国を救い、武士の頂点に立たれたお方だ。

 その頼朝様の討伐宣旨を下したとなれば、

 朝廷にとって前代未聞の大失態となろう。

 頼朝様討伐宣旨が下された際には、機を逃さずに朝廷を責めて、

 義経殿の御苦労に報いねばならぬな!」

 広元殿が最後に自身に言い聞かすようにつぶやいた。

「義経殿の望み通りに、事が運ぶよう、

 早速、頼朝様にお願いしてみよう。」


 ■文治元年(一一八五年)十月九日

 この数日、広元殿に毎日のように会って、義経殿の要求に対する俺なりの考えや対応策を述べてきた。また、広元殿は頼朝様に何度かお願いし、ようやく頼朝様に義経殿の要求を受け入れていただくことが出来た。そもそも頼朝様としては、近々予定されている御尊父義朝様の法要を前にして、一切の殺戮を拒んだらしい。特に、血の繋がった義経殿の暗殺など、到底容認できるものでは無かったようだ。ただ、広元殿の度重なる説得と義経殿の必死の覚悟を理解され、しぶしぶ承知されたという。

 一旦決まると、頼朝様の行動は素早い。先日、梶原景季(かげすえ)殿が京から戻り、義経殿の近況や叔父行家殿の殺害命令への反応などを伝えた際、頼朝様は義経殿の誅殺やむなしと判断され、暗殺団を送り込む事が即座に決まった。


 先ほど広元殿から、館に再度来るようにとの連絡があった。今回はいつもと違い、午の刻(正午ころ)の呼び出しである。俺は急いで広元殿の館に出向いた。

 広元殿は俺の顔を見るなり、直ぐに本題に入った。

「重長、例の義経殿の襲撃を、土佐坊(とさのぼう)という御家人が引き受ける事になった。

 先ほど、郎党らを伴って京に向けて出立したところだ。」


 ついに、前代未聞の大それた企てが動き出した! もはや後戻りは許されない。覚悟を新たにしている俺に、広元殿が尋ねた。

「お前は土佐坊(とさのぼう)昌俊(しょうしゅん)殿に会った事があるか?」

 会ったことが無いと答えると、

「前回の戦いで土佐坊殿は範頼(のりより)殿の軍に加わり、西国に従軍していた御家人だ。」

 土佐坊殿の出立に際し、頼朝様から

『九日後くらいに暗殺を実行するように』

 とのご指示が有った。」


 今日から九日後というと、十月十七日頃に当たる。義経殿が要求した襲撃日に合致する。義経殿の企てを知っているのは、俺と広元殿、それに頼朝様の三人だけだ。何も知らされていない土佐坊殿は、必死の覚悟で義経殿を攻め、手柄を挙げようとするに違いない。今回の襲撃者の選定に際しては、多くの御家人が辞退する中、土佐坊殿だけが進んで引き受けたらしい。その背景に何が有ったか知らないが、土佐坊殿には命を無駄にせず無事に鎌倉に戻って欲しいと願いばかりだ。

 それにしても、義経殿が自身への襲撃を命じた日『十月十七日』とは、一体何を意味するのだろうか。その真意を俺の眼で直に確認したい。

 考え込んでいる俺に広元殿が命じた。

「重長、済まぬが至急義経殿の元に行き、鎌倉側の動きを伝えてくれ。

 義経殿としても、いろいろ準備が有ろうから。」


 広元殿に言われるまでも無い。俺は直ぐに京に向かう旨を告げ、館を出た。

 義経殿は朝廷から頼朝様討伐宣旨を貰うと言ったが、義経殿の暗殺計画が討伐宣旨にどう関係するというのか? 義経殿には強力な郎党方が大勢おられる。手勢も数百は下るまい。その強力な義経部隊に、土佐坊殿が高々四~五十騎で襲撃しても、勝てる見込みは全く無い。こんな見え透いた下手な芝居で、義経殿はどうやって後白河様から頼朝様討伐宣旨を貰おうというのか? 『武家政権樹立』に障害となる豊後国の武士団や平泉の藤原氏を、どうやって取り除こうというのか? 朝廷から政権を奪うことなど、本当にできるのであろうか?

 半信半疑ながらも、一大事変を目の当たりに出来るかも知れぬと思うと、身体中の武者震いが止まらない。俺は居ても立ってもいられず、旅支度も程々に鎌倉を出立した。


 ■文治元年(一一八五年)十月十三日

 申の刻(午後四時前)、六条室町の義経殿の館に到着した。一刻も早く、義経殿に鎌倉側の状況を伝えたくて、今回ばかりは旅程を可能な限り詰めた。長い間馬に乗った為に、身体中の筋肉が悲鳴を上げている。

 俺は館に着いて直ぐに、身体を引きずりながら義経殿の元に出向いた。至急の話がある旨を伝えると、義経殿も俺の異様さを察したようで、今直ぐ話を聞きたいという。俺は周りにいた静殿らが引き下がるのを待ってから、小声で話しだした。

「義経殿、ついに頼朝様が決断されましたぞ。

 義経殿を襲撃するために、

 御家人の土佐坊殿が郎党らを引き連れ、先日の九日に鎌倉を出立しました。

 出立に際して頼朝様から、十月十七日頃に襲撃を実行するように

 との指示も出されております。」

 黙って話を聞いている義経殿を見ながら、俺は続けた。

「今のところ、義経殿の筋書き通りに事が運んでおりますぞ。

 これから、いかがされるおつもりか?」

 俺の話に笑みを浮かべた義経殿が、済まなそうに応えた。

「お前には悪いが、今は全てを話すことは出来ぬ。」

 落胆の色を隠せない俺を見かねたのであろう。義経殿が付け加えた。

「ただし、これだけは約束する。

 第一に、朝廷から兄者追討の宣旨を必ず貰う。

 第二に、俺は宣旨を盾に、鎌倉に対して蜂起するが、必ず失敗してみせる。

 第三に、兄者にとって、今後の障害となるであろう

 豊後武士団と平泉藤原氏を、必ず骨抜きにする。」


 義経殿は自信を持って言われたが、本当にそんな事が思惑通りに進むのか? 俺は半信半疑でならない。特に、頼朝様の討伐宣旨など、どうやって手に入れようというのか? 後白河様は煮ても焼いても食えないお方と聞いたことがあるが、いくら何でも、武士の頂点に立たれた頼朝様の討伐を、許されるはずが無かろう。俺は具体的な策を聞きたかったが、義経殿が駄目だと言うなら致し方ない。

 義経殿は、俺が黙っているのが気になったようだ。

「重長、俺がどうやって約束を成し遂げるか、その目で見届けるが良い。

 暫くは俺の脇から離れるでない。

 お前には、頼みたい事も色々出てくるであろうからな。」


 俺は、喜んで義経殿のそばにいる旨を伝え、郎党方がいる別棟に引き下がった。義経殿はこの後、後白河様の元に出向かれたらしい。


 ■文治元年(一一八五年)十月十四日

 酉の刻(午後五時ころ)、主だった郎党方が義経殿の棟に集まった。俺から鎌倉の様子を聞くことが、表向きの目的らしい。いつもの間に、伊勢三郎殿、佐藤殿、弁慶殿他の方々が十名ほど車座になっている。勿論(もちろん)、俺もそのうちの一人だ。各人の前には簡単な酒肴(しゅこう)が準備されている。いつも通りの和やかな雰囲気が漂っている。

 暫くして義経殿が姿を現し、皆を見回しながら座に付いた。宴が始まり、俺は郎党方に聞かれるままに、最近の鎌倉の様子を話した。郎党方の興味は、やはり近々予定されている南御堂の御供養らしい。義経殿が参列しない事が気にかかるようだ。

 俺の話が一段落したのを見計らって、義経殿が口を開いた。

「皆の者、飲むのを止めて聞いてくれ。

 今から話すことは他言無用だ!」

 その場に居た郎党方の顔に緊張が走った。義経殿が更に続ける。

「昨日の重長からの知らせで、

 兄者が俺に暗殺団を送り込んだ事が分かった。」

 その場にいる郎党方の口から溜息が漏れる。御曹司と頼朝様の関係が、思った以上に悪い事への落胆の溜息である。

 伊勢三郎殿が俺に詰め寄ってきた。

「なんで、こんな事になったのだ!

 御曹司が頼朝様に何をしたというのか!」

 その場にいた他の郎党方も、俺を責めるような目で睨んでいる。それを見た義経殿が俺をかばうように言った。

「皆の者、重長を責めるな。重長が悪い訳では無い。」

 少し間を置いてから、義経殿が続けた。

「重長の話によると、

 土佐坊という鎌倉の御家人が郎党らを引き連れて、

 九日に鎌倉を出立したとのことだ。

 俺を襲撃するのが目的らしい。」

 いつもは物静かな佐藤殿が、幾分高ぶった声で尋ねた。

「頼朝様とよりを戻すことは出来ませぬか?」

 暫く黙った後、義経殿が厳しい口調で答える。

「出来ぬ。俺に暗殺団を送ったと聞いて、もはや我慢の限界を超えた。」

 義経殿の表情が険しくなっている。

 佐藤殿が溜息をつきながら、再び尋ねた。

「今後どうされるおつもりか?」

 険しい表情をそのままに、義経殿が答える。

「俺は、後白河様にお願いして、兄者討伐の宣旨をいただくつもりだ。

 そして、鎌倉に不満を持つ武士らを集めて、兄者を攻める。」

 義経殿の話に、周りにいた者全員が仰天し、ざわついた。義経殿は皆を静めながら続けた。

「重長からの話にも有ったように、

 今月の二十四日に、鎌倉で父義朝様の御供養が行われる。

 その場に、全国の御家人衆が参列すると聞いた。

 畿内及び近国の御家人らも参列するらしい。」

 皆の顔を見回しながら、義経殿が更に続ける。

「その間に、畿内の鎌倉に憤懣を持つ武士らや、

 朝廷の息のかかった豊後国の武士団、平泉の藤原氏を味方に取り込み、

 鎌倉討伐の旗揚げをする。」

 興奮を抑えきれない弁慶殿が叫んだ。

「そんなに上手く行きましょうか!」

 義経殿が、変わらぬ厳しい口調で応える。

「行かしてみせる。その為には、どうしても

 兄者討伐の宣旨が必要なのだ。」

 その場に居合わせた郎党方は半信半疑の顔で、義経殿を見つめている。

 そのうち、伊勢三郎殿が我に返ったのであろう。諦めた様子で皆に向かって言った。

「御曹司の言われる事は信じ難いが、良いではないか!」

 三郎殿は渋い顔に笑みを浮かべながら続けた。

「御曹司はいつも、我々が仰天する事ばかり言い張って来られた。

 その度に我々は苦労させられたが、

 最後はいつも、御曹司の言う通りになった。

 今回も、御曹司を信じようではないか。」

 三郎殿の言葉は、他の郎党方も同様に感じていた事だったようだ。結局、皆は義経殿に従うことになった。


 三郎殿が改めて義経殿に聞いた。

「我々は具体的にどうすれば宜しいか?」

 義経殿が全員を見渡しながら答える。

「三日後の十七日夜半に、土佐坊に夜討ちをさせる。

 その為、佐藤以外は、周囲に悟られないように、この館を離れていて欲しい。」

 興奮が未だ冷めやらない弁慶殿が叫んだ。

「さっぱり理解できませぬ!」

 義経殿が笑みを浮かべながら答えた。

「十七日に、土佐坊に間違いなく夜討ちをさせる為には、

 この館内を手薄にする必要がある。

 お前たちが嵯峨野にでも遊びに行って留守だと知れば、

 土佐坊は間違いなく攻めてこよう。

 土佐坊一味には、手引き者を通じて、

 十七日に館内が手薄である事を知らせる。」

 弁慶殿が仰天し、更に大きな声で叫んだ。

「佐藤だけでは心許(こころもと)なくはござらぬか! 

 御曹司の命が幾つ有っても足りませぬぞ!」

 佐藤殿が憤慨した顔で反論した。

「弁慶! 何をほざくか!

 土佐坊一味の四~五十騎くらい、我々だけで十分だ!」

 佐藤殿は言い終わると、義経殿に向かって更に続けた。

「しかし御曹司! 弁慶の言う事にも一理ござる。

 どうして御身を危険に(さら)されるのか?」

 義経殿が笑って答える。

「大丈夫だ。叔父の行家殿が助太刀してくれる手はずになっている。

 明後日には、叔父殿が郎党らとともに、

 北小路東洞院(ひがしのとういん)の館に移る事になっている。」

 北小路東洞院といえば、ここ六条室町からは目と鼻の先、五町(約五百メートル)である。何と手際の良い事か。これなら、手引き者も既に土佐坊一味に送り込んでいるに違いない。行家殿の郎党らが手助けすることになれば、相当な騒ぎとなろう。ここから一町(約百メートル)ほどの六条西洞院(にしのとういん)に居られる後白河様にも、この騒ぎは間違いなく届く。さぞかし、不安に感じられることであろう。

 一瞬、俺の頭に衝撃が走った。

 もしかして、夜討ちを大げさにする事が、義経殿の最初からの狙いだったのではないのか? 大騒ぎにする為に、館の内をわざと手薄にし、機を見て行家殿に助太刀をさせる。真夜中であれば、周りには相当に大きな騒動に聞こえよう。今や、義経殿は朝廷側に不可欠なお方だ。その義経殿が頼朝様に命を狙われ、危うい目に遭ったとなれば、朝廷側としても何等かの手を打たねばなるまい。近場で騒動を目にし、不安を(あお)られる後白河様ならば尚更であろう。ついでに、義経殿が宣旨を貰えなければ、後白河様や朝廷関係者を連れて、都落ちするとでも(おど)せば、頼朝様討伐宣旨も更に現実味を帯びてこよう。

 もしかして、これが義経殿の最初からの狙いではないのか?


 ■文治元年(一一八五年)十月十七日

 ついに、土佐坊一味による襲撃の日がやってきた。

 義経殿の筋書き通りであれば、今夜遅くに土佐坊の一団がこの館を襲ってくるはずだ。先日の打ち合わせ通り、先ほど郎党の方々が部下とともに館を出て行った。今、この館内に残っているのは、俺の他に佐藤殿とその部下三十名ほど、館の従僕らと下女たちだ。念のため、門は全て締めてある。館の内は、いつもの喧騒が嘘のように静まり返っている。館全体に緊張感が漂い、無駄口を叩く者もいない。佐藤殿の部下たちは、緊張をほぐす為だろうか、先ほどから刀や弓の点検に余念がない。

 そろそろ酉の刻(午後五時ころ)だろう。辺りが段々と暗くなってきた。俺もそろそろ武具を身に付けるとしよう。


 俺が武具を付け終わったのを見て、佐藤殿が近寄ってきた。

「重長、弓の達者な者を五人ほど、お前に預ける。

 土佐坊らの襲撃が始まったら、築地塀(ついじべい)によじ登って、やつらに射掛けてくれ。」

 俺は承知した。

 その後も暫く、佐藤殿と夜討ちへの策などを立ち話していると、義経殿が

「お前たちに頼みがある。」

 と言いながらやって来た。見ると、義経殿は未だ武具を付けておられない。多少小柄な義経殿が、我々を見上げながら小声で言った。

「お前たちなら、敵の四~五十騎を殺すくらい、たやすいであろう。

 しかし、今回だけは手を抜いてくれ。

 出来るだけ、事を大袈裟(おおげさ)にしたい。」


 一瞬、俺は歓喜で小躍りしそうになった。やはり俺の思った通りだ。義経殿は、今夜の夜討ちを出来るだけ大袈裟にしたいのだ。大袈裟にすることで、朝廷側の不安をあおろうとしているのだ。

 俺の顔に浮かんだ一瞬の笑みを、義経殿は見逃さなかった。合点がいった俺の顔を、笑いながら見ている。

 脇にいる佐藤殿が叫ぶように言った。

「御曹司、合点が行きませぬ。なぜ手を抜く必要があるのでござるか?」

 義経殿は困惑顔の佐藤殿に丁寧(ていねい)に答えた。

「佐藤、俺は昨夜も法皇様の元に出向き、

 『兄者の理不尽さには最早耐えられない。

 兄者討伐宣旨を頂きたい。許されないなら、

 法皇様を連れて、西国に下る』

 と脅しをかけた。」

 佐藤殿は驚いた様子で義経殿の顔を見ている。義経殿の口調が多少厳しさを増した。

「しかし、今のままでは、宣旨を頂くのは難しい。

 宣旨が無ければ、味方を集める事も出来ない。

 宣旨を確実に頂くには、この俺が兄者に怒り心頭であることを

 具体的に示さねばならぬ。

 その為には、今夜の土佐坊の襲撃を可能の限り大騒動にして、

 我々が非常に危険な目に遭ったことを、

 朝廷側に見せつける必要があるのだ。」

 佐藤殿は浮かぬ顔をして聞いている。義経殿と頼朝様の関係回復を願っていた佐藤殿にとって、義経殿の話は本末転倒にしか聞こえないのであろう。戦い有りきにしか思えないのであろう。

 困惑の表情を隠せない佐藤殿は、顔をしかめながら言った。

「御曹司には、私などが理解できぬ深いお考えが有るのでござろう。

 御曹司にどこまでも付き従うと約束した身。

 今夜の戦いも、指示通りに、やり遂げるまで。」

「佐藤、済まぬ。

 今夜の戦いは、敵に悟られずに手を抜かねばならぬ。

 難しい戦いとなろう。それが出来るのは、郎党の中でもお前だけだ。

 よろしく頼む。」

 義経殿が我々を見回しながら、更に続けた。

「ただし、俺たちは決して負けはせぬ。

 叔父の行家殿が、途中から助太刀をする手はずになっている。

 万一、苦戦となった時は、重長、お前達の出番だ。

 お前達の弓で、敵を蹴散らしてくれ。」

 俺は承知した。

 佐藤殿は軽く頭を下げ、部下の方に戻っていった。


 俺は、佐藤殿に真の目的を伝えなくて良いのかと、気がかりでならなかった。佐藤殿が向こうで部下らと話し始めたのを見て、義経殿に尋ねてみた。

「佐藤殿に、真実を伝えなくて良いのですか?」

 義経殿は苦笑いしながら、何も言わずに去っていった。多分、義経殿の方が俺以上に悩んでいたのであろう。


 ■同日亥の刻(午後十時ころ)

 義経殿の送り込んだ手引き者が、手はず通りに動いていれば、そろそろ土佐坊一味が襲撃してくる頃だ。

 俺は佐藤殿から預かった、弓の達者な者五人とともに、館内の広場で待機している。先ほど彼らに、我々は待機組であることを伝えると、可哀想なほどの落胆ぶりを示した。本来なら、我々が矢を射掛ければ、四十騎ほどの敵なら簡単に蹴散らすことができるだろうに。

 暫くして、大門の脇にいる門番から、敵が来たとの合図が有った。敵の数は予想していた通り、四十騎ほどらしい。

 やっと始まったか。本来の俺なら、敵と聞けば身体中に武者震いが生じるのだが、今回ばかりは緊張すら感じられない。

 騒ぎを聞きつけた義経殿が(むね)の奥から出てきて、大門の門番に扉を開けろと叫んでいる。義経殿はこんな少人数で外に打って出ようとするのか? 義経殿の大胆さには呆れるばかりだ。

 大門が開かれ、佐藤殿が部下とともに外に飛び出した。義経殿も一緒だ。俺も弓部隊を率いて、その後を追った。

 土佐坊一味と佐藤殿らが大声で言い争っている。そのうちに小競り合いが始まった。必死の覚悟で攻めてきた土佐坊一味は、思った以上に手ごわそうだ。徐々に味方が押し込まれていく。このままでは、味方に死人が出るかも知れない。俺は弓部隊に矢をつがえるように合図した。

 その時、敵の中から武士が一人、味方に向かって切り込んできた。切り込みながら、自分が土佐坊であると大声で叫んでいる。その迫力に押されて、味方が更に下がった。下がる際、二人ほどが痛手を負ったようだ。このままでは、味方に思った以上の死傷者が出る。もはや矢を射るしかない。

 俺が矢を射るように合図しようとした時、四辻の遥か先から、五~六十騎の武士が駆けてくるのが見えた。口々に大声を上げながら、どんどん近づいてくる。彼らの発する叫び声が、静まり返った洛中の夜空に響き渡り、大軍が攻め寄せたかと思うほどに騒がしい。

 彼らはあっという間に、土佐坊一味の後方を取り囲んだ。源行家殿とその郎党らが約束通り、助太刀にやって来たのだ。前後を挟まれた土佐坊一味はひとたまりもない。直ぐに半分程が切り殺され、土佐坊を含む残りの敵は、散り散りになって逃げ去ってしまった。

 結局、俺たち弓部隊の出番が無いまま、戦いは予定通りの勝利で終わった。先ほどの騒ぎは、この近くに居を構える後白河様に、間違いなく届いているはずだ。夜中の突然起こった争いに、後白河様は恐れおののき、洛中の治安が未だ不安定である事を、身をもって実感されたに違いない。


 義経殿が向こうの篝火(かがりび)の脇で、助太刀してくれた行家殿やその郎党らに、(ねぎら)いの言葉をかけている。時々、楽しそうな笑い声も聞こえてくる。

 暫くして義経殿が、俺と佐藤殿の立ち話の場にやってきて、

「今から、後白河様の居所に出向く。誰か、俺に付いてこい!」

 と命じた。先ほどの騒ぎの結末を知らせる事が目的のようだ。

 佐藤殿がすかさず、

「後白河様もご就寝であり、明朝にされては?」

 と応えたが、義経殿は今が良いと言って譲らない。結局、佐藤殿と数名の部下が、義経殿に同行することになった。

 俺も佐藤殿と同様、こんな夜更けに行く必要が有るのかと不審に思ったが、これも全て、後白河様に『頼もしい義経』を印象付ける狙いであろう。


 全てが、義経殿の筋書き通りに進んでいる。このままだと、『頼朝様討伐の宣旨』が本当に現実の物となりそうだ。義経殿の底知れぬ力量に、俺は空恐ろしさを覚えて背筋が凍えた。


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