8 鎌倉側の愚策、義経の奇策
■文治元年(一一八五年)八月二十八日
昨夜遅く鎌倉に戻った俺は、早速に広元殿の館を訪れた。顔見知りの門番に挨拶し、いつもの間に案内してもらった。
義経殿が別れ際に言った『後白河様の懐に入り込む』の言葉が頭から離れず、早く広元殿に伝えて意見を伺いたかった。それに、『義経殿は信じるに値する男』という俺の心証が薄れぬうちに、広元殿に会いたいとの思いもあった。
多少の思い上がりも有ろうが、この半年程の義経殿との付き合いで、俺と義経殿は互いに親近の情が増したと感じている。俺には、義経殿の心の動きを多少なりとも感じ取る技量が身に付いたようだ。義経殿も俺の事を信用おける男と感じているに違いない。
暫くして広元殿が現れた。俺は挨拶も程々に本題に入った。
「義経殿が時忠殿の娘婿になった事も、叔父の行家殿に接近している事も、
全て事実でございました。
義経殿本人から直接に伺いましたので、間違いございませぬ。」
広元殿が落胆の色を浮かべた。
「で、そんな愚かな事をした理由は何だというのか?」
俺は義経殿に確認した事を、頭に思い描きながら話した。
「義経殿は
『自分を苦境に陥れてくれ。それによって、
後白河様の懐に入り込む』
と言われました。
義経殿が時忠殿の娘婿になったのも、叔父の行家殿に近づいているのも、
全て、鎌倉側が義経殿を糾弾し、窮地に追い込み易くするための
下地作りではないかと。」
思ってもいなかった俺の答えに、広元殿は黙り込んでしまった。暫くして、厳しい口調で問いただした。
「義経殿は後白河様の懐に入り込んで、何をするつもりであろうか?」
「定かな事は分かりませぬが、
以前、広元殿が義経殿に頼まれた、例の『朝廷側に汚点を残さす』
為かと存じます。」
広元殿は暫く考えた後、大きなため息をついた。
「義経殿は、後白河様の懐に入り込んで、
そのまま寝返る可能性もあるな。」
「まさに、その通りでございます。 ただし、我々としては、
義経殿が寝返った場合も想定し、対応策を練っておけば良いかと。」
広元殿がすぐさま俺に聞き返した。
「お前は義経殿が朝廷側に寝返ると思うか?」
俺は自信をもって答えた。
「義経殿が鎌倉側を裏切ることは、まず無いと存じます。」
広元殿は再び考え込んだ後、意を決したようにつぶやいた。
「頼朝様に相談してみよう。」
■文治元年(一一八五年)九月三日
夕方、急に広元殿に呼ばれ、館に出向いた。
広元殿は最近頼朝様の信頼が一段と増し、今まで以上に多忙になったようだ。今も俺の顔を見るや否や、挨拶抜きで本題を話し始めた。
「お前も知っていようが、南御堂の御供養が十月二十四日に予定されている。
全国の御家人に参列を命じているが、今のところ
義経殿と行家殿からは返事が無い。
既に他の御家人から、参加の返事が届いているというのに。」
広元殿は渋い顔をしながら続けた。
「義経殿からの返事が未だに無いのは、
我々が義経殿を糾弾し、窮地に陥れ易くする為に、
意識的にやっている事とは思うが。」
俺も南御堂の供養の話は聞いている。南御堂とは最近完成したばかりの寺院で、御所の南に位置することから、便宜的にそう呼ばれている。広元殿の館からも近い。そこで十月二十四日、頼朝様の御尊父義朝様の供養が行われることになっている。先日、義朝様の御骨が京の墓地から掘り出され、鎌倉に運ばれて南堂に埋葬された。その御供養には、全国から二千人を超える御家人衆が参加するとのもっぱらの噂だ。その重要な法要の場に、義朝様の血を引く義経殿が参列しないとなれば、非難の的となろう。義経殿の狙いはそこにあるに違いない。自らを窮地に追い込むための策なのだ。
黙って考え込んでいる俺に、広元殿が声を落として言った。
「昨日、梶原景季(梶原景時の息子)他を京に行かせた。
表向きには、南御堂の供養準備の為だが、
実は義経殿に会って、
源行家殿を誅殺するように命じる狙いもある。
最近の行家殿には、良からぬ動きが有るとの知らせが入ったのでな。」
俺は、広元殿の話に耳を疑った。源氏一族の叔父を殺せと、義経殿に命じるのか!
だが、俺の驚きは直ぐに消し飛んだ。広元殿も頼朝様も、義経殿を苦境に陥れるために、この非情とも思える策をひねり出したに違いない。
行家殿といえば、以仁王の平家討伐宣旨を携えて諸国を周ったお方。今は亡き木曽義仲殿や頼朝様が挙兵するきっかけを作った、源氏一族にとって大功ある御方だ。その方を誅殺する理由がどこに有るというのか。身内同士の殺し合いとは、忌まわし過ぎて何ともやり切れない。義経殿を窮地に追い込むだけなら、他に策が有るだろうに。
広元殿は俺の納得いかない様子が気になったようだ。
「重長、お前の気持ちも分かる。しかし、
義経殿を窮地に追い込むには、叔父の殺害命令も必要なのだ。
もしかしたら、これでも足りないかも知れぬ。」
割り切れない顔をしている俺に、広元殿が命じた。
「重長、再度義経殿の元に行ってくれ。そして
行家殿誅殺の命令が、義経殿を苦境に追い込むのに、
十分か否かを、お前自身の目と耳で確認してきて欲しい。
お前と義経殿の仲なら、不可能では有るまい。」
広元殿は最後につぶやいた。
「義経殿には、行家殿殺害命令でも不満足かも知れぬ。」
俺も、義経殿の反応が気になる。再度の上洛は望むところだ。しかし、義経殿が俺に真意を見せるだろうか。
■文治元年(一一八五年)九月十日
広元殿に再度の上洛を命じられ、早速鎌倉を出立した。京に着いて直ぐに義経殿の館に出向き、館内におられた伊勢三郎殿や弁慶殿他に先ほど挨拶を終えたところだ。義経殿は生憎外出されており、未だ会えていない。
ちなみに、今回が俺にとって三度目の京になる。最初の時は、御所から南に延びる巾三十丈(約九十メートル)の朱雀大路に圧倒されたり、石畳で覆われた整然とした路に感動したものだったが、今回は新鮮さも薄れ、心が揺さぶられる事も無い。過去二回で、洛中の有名處には殆ど行ってみたので、大体の土地勘はある。それに、京の街自体が碁盤の目のように整然としており、道に迷うこともない。今回は、落ち着いて京の街と向き合えそうだ。あずま言葉さえ使わなければ、俺もいっぱしの都人に見えるに違いない。
俺は三郎殿に念のため聞いてみた。
「鎌倉の梶原景季という者が、義経殿を訪ねておりませぬか?」
三郎殿は、そんな男は来ていないと答えた。ということは、義経殿は未だ景季殿の用向きをご存知ないようだ。俺の方から先に伝えておいた方が良さそうだ。義経殿が戻られたら、挨拶を兼ねて話すとしよう。
三郎殿が笑みを浮かべながら言った。
「御曹司が
『そろそろお前が現れる頃だ』
と楽しみにしていたぞ。
御曹司は、何でお前みたいな者に、そんなに会いたいのかの?」
酉の刻(午後五時半ころ)に義経殿が館に戻られた。早速出向いて挨拶すると、義経殿は喜んで俺を迎えてくれ、変わらぬ元気な声で言った。
「重長、待っていたぞ。
お前に色々話したいことがある。」
続けて、脇にいた静殿に酒を用意するように命じた。
酒肴が準備されるまでの間、俺は最近の鎌倉の様子などを、土産代わりに義経殿に話した。いつの間にか奥から戻って、義経殿と共に傍で聞いていた静殿が、突然口元を抑えて笑いだした。
「ほんに、重長殿と義経殿はよく似ておられますこと。
顔も話し方も瓜二つ。重長殿のあずま言葉さえ無ければ。」
言い終わった後も、相当に面白いらしく笑い続けている。
以前、広元殿から同じ事を言われ、俺も義経殿に似ているようだとは感じていた。俺の方が背は高いが、座っていたら中々見分けが付かぬかも知れない。義経殿に似ていると言われて、俺も嫌な気はしない。
暫くして、下女らが酒を運んできた。静殿は俺に酌をした後、気を使って奥の間に下がっていった。それを見届け、早速本題を切り出した。
「梶原景時殿の子息、景季殿が今京に来ております。
そのうち、ある願い事のために、
義経殿を訪ねる事になっております。」
義経殿はすかさず俺に聞き返した。
「俺への願い事とは何だ? 難題か?」
義経殿は以前、『自身を窮地に落とし込むように鎌倉に頼め』と、俺に命じられた事を思い出しているのであろう。義経殿の目がぎらぎらと輝いている。
俺は声を細めて答えた。
「鎌倉側は義経殿に『叔父行家殿の誅殺』をお命じになるはず。」
俺の返事を聞いた義経殿が失望した表情を浮かべた。
「俺への難題とはその程度のことか。」
俺は愕然とした。やはり広元殿の不安が的中したようだ。義経殿にとっては、目的の為に叔父を殺すくらい、苦も無い事なのだ。義経殿は何を考えているのか? 何をしようというのだ! 俺にはさっぱり検討が付かない。同族の行家殿を殺せと命じられ、顔色一つ変えない義経殿に、そら恐ろしささえ感じる。
暫くの沈黙の後、義経殿が俺に尋ねた。
「南御堂の御供養は、確か十月二十四日であったな?
御供養に、御家人らは何人くらい集まるのだ?」
「十月二十四日で間違いござらぬ。
二千人を超える御家人衆が集まる予定とのこと。」
俺の答えに、義経殿は楽しそうに笑った。
「そんなに集まるのか!
参列しないのは、俺と叔父殿くらいのものか!」
その後、義経殿と暫く酒を飲み交わしながら、世の中の様子や庶民の暮らしぶりなどを語り合った。最後に義経殿が俺に命じてきた。
「重長、今回はお前に重要なことを頼みたい。
俺が良いと言うまで、この館に留まってくれ。」
■文治元年(一一八五年)九月二十日
先日義経殿に会ってから、早いもので十日ほどが経った。この間、俺は伊勢三郎殿他の方々の手伝いや京見物など、比較的のんびりと過ごしている。先ほど久々に、今夜来るようにと、義経殿からの指示があった。
戌の刻(午後八時ころ)、義経殿の元に出向くと、多少難しそうな顔をして、俺を待っていた。今夜は酒肴は無さそうだ。
俺が挨拶を終えるやいなや、義経殿が本題を切り出した。
「昨日、梶原景季が俺の元にやって来た。
お前が先日教えてくれたように、景季は俺に
『叔父殿を殺せ』
と命じてきた。兄者の命令とのことだ。」
「で、義経殿は何と応えられたのでござるか?」
「適当にあしらっておいた。」
多少の沈黙の後、義経殿が急に話題を変えた。
「ところで、重長は鎌倉にとって、今一番大変な事は何だと思うか?」
俺は戸惑った。義経殿は思いもしない質問を突然に投げかける事がある。義経殿本人の頭の中では、緻密な考えに基づく事であろうが、内容が多岐に渡り我々凡人の理解を超える場合がある。この質問がそうだ。
俺は暫く考えた末、義経殿は例の『武家政権実現』のための障害を聞きたいのだと合点した。この問は鎌倉の広元殿にも散々に聞き、議論した話題である。もしかして、義経殿はそれを見越した上で、俺の意見というよりは、広元殿の意見を聞きたいのではないのか。
俺は広元殿と話し合った内容を、頭の中に思い出しながら答えた。
「一番の障害は、後白河様とそれを取り巻く公家衆でござろう。
このままでは、いつまでも愚鈍な治世が続きましょう。」
俺の答えに、つまらなそうな表情を浮かべた義経殿が更に聞いた。
「それは、俺も感じている。それ以外に無いか?」
俺は急いで先を続けた。
「次の問題は、平泉藤原氏の動きでござる。
義経殿にとって大恩ある藤原殿を、問題視して申し訳ありませぬが。」
義経殿の顔色を窺いながら、更に付け加えた。
「豊後国の武士団も気になりますな。
平家討伐に多大な力を発揮してくれましたが、
朝廷の息がかかっており、いざとなったら朝廷側に味方しましょう。
敵に回したら、手強い相手でござろう。」
俺の話に、義経殿は嬉しそうに頷いた。
「お前や広元殿もそう思うか。」
義経殿は、自身の思いが俺というより広元殿と同じ事に、満足したようだ。
■文治元年(一一八五年)九月二十五日
俺がこの館に来てから、義経殿の外出が急に増えたと、郎党方が言っていた。その中には、かなりの遠出も含まれているらしい。何か、画策でもされているのであろうか。
先ほど久々に、義経殿から今夜来るようにとの指示があった
戌の刻(午後八時ころ)に義経殿のもとに出向くと、俺の顔を見るやいなや、声を細めて話し出した。
「重長、今から俺が言うことは極秘だ。
鎌倉の広元殿にだけ伝えてくれ。」
いつもと違う真剣な表情に、俺は多少戸惑いながら頷いた。義経殿は俺に近づくように言い、声を更に細めた。
「まず、鎌倉の適当な御家人に俺を襲わせろ。
襲う日は来月、十月の十七か十八日辺りにしてくれ。」
義経殿の話は本来なら驚くべき内容だが、なぜか俺の頭は冷静さを保ったまま聞いている。これまでの義経殿の突拍子ない話に、俺もそろそろ慣れてきたようだ。
「で、義経殿は何をされるおつもりか?」
「俺への襲撃を理由に、後白河様から『兄者頼朝殿を討伐する宣旨』を頂く。」
これには、俺もさすがに驚いた。そんなことが本当に出来るのか? 今や頼朝様は朝廷にとって不可欠のお方だ。いくら日和見の後白河様でも、そんな宣旨を発布する訳がない。万一、発布したら、朝廷にとって取り返しの付かない事態になり兼ねない。
俺は驚きをそのまま口にした。
「そんな朝廷にとって危険な事を、あの法皇様でもやりますまい。」
義経殿は静かに応えた。
「大丈夫だ。必ず後白河様から頂いてみせる。必ず!」
義経殿の落ち着いた声には、並々ならぬ自信が覗える。また、驚くような奇策を思いつかれたのであろう。具体的な策を聞いても、話してもらえない事は重々承知している。義経殿が『頼朝様の討伐宣旨を貰う』と言ったら、必ずやり遂げるに違いない。今の俺や広元殿にとって、策の詳細は必要ない。我々は義経殿を信じて、言われた通りに動けば良いだけだ。
義経殿は淡々と話を続ける。
「俺を襲う連中は四~五十騎ほどが良い。本気で攻めさせろ。
それから、十月二十四日の南堂の御法要の次の日にでも、
鎌倉の大軍を俺に差し向けろ。
以上だ。今言った事の一つでも欠けたら、
俺の策は成功しない。
必ず、兄者頼朝殿に実行してもらってくれ!」
暫く間をおいて、義経殿が思い出したように付け加えた。
「広元殿のことだから、敢えて言う事もないとは思うが、
朝廷が取り返しの付かない大失態をやらかした後には、
朝廷の非を厳しく責めて、武家政権確立を目指せ
と伝えてくれ。」
義経殿の話を聞いて、俺は背筋が凍るような恐怖に襲われた。計画通りに事が運んだら、義経殿は朝廷を裏切った張本人として、悪人の汚名を着せられてしまう。そうなれば、朝廷がこの国に存在する限り、義経殿の居場所はこの国から消えて無くなる。もしかして、義経殿は自身の命と引き換えに、事を起こそうとしているのではないのか!
俺はいたたまれなくなり、叫んだ。
「義経殿は死ぬおつもりか!」
俺の問いに、義経殿は変わらぬ静かな表情で応えた。
「大丈夫だ。『武士政権』をこの眼で見るまでは、俺は絶対に死なぬ。」
俺は確信した。義経殿は自身の命と引換えに、目標を達成しようとされていると。義経殿にとって、自身の生死は二の次なのだ。朝廷から政権を奪う為なら、自身の命も一つの道具でしかないのだ。俺は、いつか義経殿の死に際を、この眼で見る事になるのであろうか。こんな快活で一本気なお方の死など、見るのは嫌だ。
もはや一刻の猶予もない。明日、鎌倉に下ろう。俺は静かに頭を下げて、その場を後にした。