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ぬすっと 時代を創る  作者: 宮本夢生
7/16

7 義経の愚行

 ■元暦二年(一一八五年)八月三日

 久しぶりに広元殿に呼ばれ、(いぬ)の刻(午後八時ころ)館に出向いた。以前から顔見知りの門番に用件を告げると、すぐに館内に通してくれた。いつもの間で待っていると、程なくして広元殿が現れ、俺の顔を見るなり小さくニヤリと笑った。いつも無愛想な顔をしている広元殿としては、この小さな笑みが俺への最大のもてなしなのであろう。広元殿は取っ付きにくい感があるが、物腰が柔らかく穏やかな性格をお持ちだ。他人にびへつらう事もしない。無駄なことは一切言わず、要件を単刀直入に切り出す。その態度は、相手が俺であろうと頼朝様であろうと、変わらないに違いない。こういうお方は信頼できて、付き合っていて安心できる。


 広元殿は、座りながら話し出した。

「重長、久しぶりだ。元気にしておったか。」

 俺は挨拶代わりに、最近の侍所での仕事の様子などをかいつまんで話した。

 広元殿は、俺の話を聞き終わると、おもむろに要件を切り出した。

「お前に、また義経殿の元に出向いてもらいたい。」

 ここ暫く、侍所での忙しい日々が続いており、息抜きをしたいと思っていた所だ。京の義経殿のもとに行けるとは有り難い。俺の嬉しそうな顔を見ながら、広元殿が続けた。

「最近の義経殿は、私にも理解できない動きをしている。

 その動きが例の『武家政権実現』に関わる物なのか、

 お前に確認してもらいたい。」

 先日広元殿は義経殿に、武士が政権を握る世の中を一緒に創ろうと提案された。義経殿も了解して京に戻られたが、最近の動きがあまりに奇妙で、広元殿としても不安を感じ出しているようだ。

 あの義経殿が心変わりするとは思えないが、広元殿を不安がらせる義経殿の動きとは、俺も気になる。

「広元殿にも理解できない動きとは、一体どのようなものでござるか?」

「義経殿が最近、叔父の源行家殿に急接近しているらしいのだ。

 お前も聞いていようが、行家殿は我々鎌倉側の嫌われ者だ。

 特に頼朝様は、行家殿の調子良くて図々しい態度を毛嫌いしておられる。」

 暫く間をおいた後、広元殿が声を落として言った。

「お前に、義経殿が行家殿に接近した理由を調べてもらいたい。」


 源行家殿といえば、五年ほど前に以仁王の書状を持って、諸国の源氏に挙兵するように触れ回ったお方だ。それに呼応して、木曽の義仲殿が旗揚げしたと聞いた事がある。その点では、源家にとって重要な働きをされた。ただし、戦いで勝利したことが一度も無く、行家殿のことを『実の伴わない目立ちたがり屋』と非難する御家人も多いらしい。一本気の義経殿が最も嫌いな(たぐい)のはずなのに、なぜ接近したのであろうか。俺が京に行くことを即座に承知すると、笑みを浮かべながら広元殿が続けた。

「実はもう一つ、お前に頼みがある。」

「何でしょうか?」

「お前は平時忠という名前を聞いたことがあるか?」


 平時忠殿といえば、先きの壇ノ浦合戦で生け捕りになった平家側の高貴なお方だ。文官のために極刑を免れ、どこかに流罪になったと聞いている。知っていると答えると、広元殿が話を続けた。

「実は、時忠殿はまだ流罪にならず、洛中にいる。

 それに加えて、流罪を沙汰すべき義経殿が、

 時忠殿の娘を嫁にしたとの知らせが入った。」

 驚いている俺を見ながら、広元殿は続けた。

「頼朝様も、この件だけは我慢ならないようだ。

 この私にも、義経殿が何を考えているのか、さっぱり見当が付かぬ。

 お前に、義経殿が時忠殿の娘を嫁にした真意も、併せて探って欲しい。」


 義経殿といえば、正室の他に静という絶世の美人を愛妾(あいしょう)にしており、男なら誰もが羨ましがる存在だ。その義経殿が更に貴族の娘を(めと)るとは、俺など到底真似のできる事ではない。静殿には義経殿の館で会ったことがある。あれは確か、壇ノ浦合戦の後に催された祝宴の場であった。京一番の美人との噂どおりに美しく、身のこなしに品があった。それに、明るくて唄も上手く、文句の付けようの無い良い女だった。俺は未だ義経殿の正室に会ったことは無いが、正室も素晴らしい女に違いない。そんな女に恵まれた義経殿が、更に敵だった貴族の娘に手を出すとは、一体どうしたというのか?


 義経殿は平家を討伐した英雄であり、源氏の御曹司だ。俺などの一介の下級武士とは格が違いすぎて、比較するのもおこがましい。しかし、同じ年頃の男として、義経殿に嫉妬(しっと)を覚えるのは俺だけではあるまい。

 俺の気持ちを察したのだろう。広元殿が笑みを浮かべながら言った。

「お前は未だ独り者であったな。

 今回の務めが一段落したら、嫁をもらった方が良かろう。

 私が良い娘を探しておこう。」

 笑っていた広元殿の顔が急に厳しくなった。

「今回の仕事は危険を伴うかも知れぬ。

 義経殿が『武家政権の実現』を今も目指していると、私は信じているが、

 朝廷側に寝返えらないとは言い切れない。

 義経殿がお前を(あや)めることは無いと思うが、

 心してかかるように。」


 広元殿が言うように、今回の仕事はかなり危険を伴いそうだ。義経殿は、先日の広元殿との密談で、『武家政権の実現』に感銘を受け、今後の人生の目標として相応しいと感激されたはずだ。それは今も変わっていないと、俺は信じる。しかし、最近の義経殿は行家殿への接近や平時忠殿の娘婿(むすめむこ)になるなど、理解しがたい動きをされている。万一、義経殿が『武家政権樹立』の夢を捨て、頼朝様や広元殿を裏切っているとしたら・・・。

 その可能性も無くはない。俺は今から敵の真只中に入いろうとしているのかも知れない。だが、義経殿も馬鹿ではないはずだ。俺が無事に鎌倉に戻らなければ、即ち『義経殿の裏切り』を意味する。俺が義経殿の館で殺されることは無いだろうが、万一の時は義経殿と刺し違えよう。

 そう思うと、自分でも不思議なくらい、気持ちが落ち着いてきた。


 帰り際に、広元殿が念を押した。

「今後 書状等を一切書いてはならぬ。

 全て、お前の頭に入れ、私に直に伝えるように。

 我々の動きが朝廷側に知れたら、世の中が再び大混乱となり、

 取り返しが付かなくなる。

 この一連の儀は、お前と私、それと頼朝様だけの極秘事項である。

 鎌倉側の内部にも決して漏らしてはならない。

 どこから朝廷側に伝わるか、分からぬからな。」


 京にまた上ることになり、本来なら高鳴るはずの俺の心が、まるで重石に押しつぶされたように落ち込んでいる。今回ばかりは、物見遊山という訳にはいかない。危険を覚悟して当たらねば。


 ■元暦二年(一一八五年)八月十一日

 鎌倉を発って七日目、(うま)の刻(昼の十二時ころ)に洛中に入った。先月九日に京で大地震があったとは聞いていたが、一ヶ月経った今も地震の爪痕(つめあと)があちらこちらに残っており、地震が如何に大きかったかを物語っている。特に洛中に入った途端、壊れた町屋やひび割れした石畳路が急に目に付くようになった。ほとんどの家屋は応急修理が施されているが、中には廃屋のまま放置されたものも見える。寺院や貴族の館を囲んでいる築地塀(ついじべい)も、かなりが傾いたり、ひび割れしており、中には大きく崩れ落ちたものもある。築地塀の修理までは中々手が回らないのであろう。

 俺は急いで義経殿の館に向かった。他の家々同様、義経殿の館も大損害を被っているに違いない。ところが、館のある六条室町に近づくに連れ、地震の痕跡が徐々に見られなくなってきた。館に着いて、俺は驚いた。館を取り囲んでいる築地塀や門に、何の破損も見られないからだ。門番に挨拶して敷地内に入って、更に驚いた。屋敷のどこにも壊れた跡が見られない。母屋も離れ家も以前と全く変わらずに建っている。まるで、地震など無かったかのようだ。この辺りは地盤が強いのであろうか。


 暫くして、義経殿が郎党方とともに館に戻ってこられた。洛中の見回りをしていたとのこと。地震で壊れた家屋に押し入る盗人が、一ヶ月以上経った今もなかなか減らないらしい。

 義経殿が落ち着かれた頃を見計らって、挨拶に出向くと、俺の顔を見るなり張りのある声で叫んだ。

「重長、良いところに来た!

 暫くこの館に留まって、京の見回りを手伝ってくれ!

 ついでに、京見物でもして行くが良い!」

 俺も一瞬本来の務めを忘れて、応えてしまった。

「京見物、良いですな!

 良い処を案内してくだされ。」

 義経殿が笑いながら返してくる。

「俺は駄目だ。暇が無い。三郎にでも頼め。」


 以前の義経殿に完全に戻っている。顔色が良く身体の動きも軽快で、気力が漲っている。二ヶ月前に、鎌倉でお会いした義経殿とは全くの別人だ。

 俺がその場を立とうとすると、義経殿がささやいた。

「重長。お前は俺を調べに来たのであろう。

 明日の夜、もう一度俺の元に来い。」

 俺は顔に苦笑いを浮かべながら、礼を述べた。


 別棟に戻ると、郎党方が大声で笑いながら、夕飯を食べている。俺もその笑いの中に入れてもらう事にした。

 それにしても、義経殿の郎党には面白い方が多い。煮ても焼いても食えない糞坊主や元山賊など、素性も色々で、武士とは程遠い方々ばかりだ。それを、義経殿はいつも上手く纏められ、郎党方も常に義経殿と行動を共にする。傍で見ていて、羨ましいと心底から思えてくる。以前から三郎殿に『義経殿の郎党になれ』と誘われているが、今回の務めが一段落したら、真剣に考えてみるとしよう。

 今夜は、久しぶりに会った郎党方と、夜更けまで馬鹿話でもしようか。


 ■元暦二年(一一八五年)八月十二日

 戌の刻(午後八時ころ)、義経殿の居られる棟に出向いた。義経殿は酒を飲みながら、俺を待っていた。

 俺の今回の目的は、義経殿が叔父の源行家殿に接近したことや、平時忠殿の娘婿になったことの真偽や理由を確認することだ。昨夜、三郎殿他の郎党方に、それとなく探りを入れてみたが、俺の知りたい話は聞けなかった。行家殿や平時忠殿の名前を持ち出すと、三郎殿は明らかに話をはぐらかそうとしたので、俺も執拗に聞くのを止めた。義経殿の動きを知られたくなかったようだが、俺のことを鎌倉の手先とでも思ったのであろうか。だとすれば、それは逆に、義経殿の不穏な動きが事実である事を意味するのだが。


 義経殿に小細工は効かない。俺は単刀直入に尋ねた。

「最近鎌倉に、義経殿の不穏な噂が入っております。

 例えば、叔父の行家殿に近づいているとか、

 平時忠殿の娘婿になったとか。

 これらの噂は真実でございましょうか?」

 義経殿は黙って聞いている。俺は声を落として更に尋ねた。

「もし真実としたら、例の『武家政権実現』の一環でありましょうか?」

 暫く間を置いた後、義経殿が厳しい口調で問い返してきた。

「俺が朝廷側に寝返っていたら、お前は何とする?

 俺はお前を殺すかも知れぬぞ!」

 俺は義経殿の気迫に一瞬たじろいだが、出来るだけ冷静さを装って応えた。

「義経殿が仮に頼朝様や広元殿を裏切ったとしても、私を殺すことは

 有りますまい。

 私が広元殿の元に無事に戻らなければ、

 『義経殿の鎌倉に対する謀反』が

 露見したことになりましょう。」

 義経殿は俺を暫く睨んだ後、笑みを浮かべた。

「お前はそこまで覚悟して、俺の処にやって来たのか。」


 義経殿は短い沈黙の後、俺にもっと近づくように命じ、声を落として続けた。

「鎌倉での広元殿との話し合いで、俺は心の底から目が覚めた。

 憂鬱な思いから開放され、完全に昔の俺に戻った。

 安心しろ。今の俺には、大目標の実現しか頭にない。

 実現するための奇策を考えることが楽しくて仕方がない。

 改めて、広元殿とお前に心から感謝する。」

 少し間を置いて、義経殿がはっきりした口調で言い切った。

「俺を信じろ。

 広元殿との約束は確実にやり遂げる。

 ただし、今は詳細を語れぬ。たとえお前であっても。

 時が来れば、広元殿に頼むことも出てこよう。

 その時は、お前の働きが必要となる。」

 人一倍純粋で一本気の義経殿が、これほどまで断言するなら信用できる。少なくとも俺は信じよう。俺も単純な男だ。義経殿の言葉を聞いて、嬉しさのあまり鳥肌が立ってきた。義経殿を敵に回さないで済むことが嬉しい。義経殿への親近の情が身体中に溢れ、一生離れまいと願う自分自身が頼もしく思えた。


 義経殿は、何を考えているのか? どうやって朝廷から政権を奪おうとするつもりなのか? 知りたい衝動に駆られるが、今はこれ以上決して話されまい。俺自身が義経殿から感じ取るしか、方法は無さそうだ。もう暫くこの館に留まる事にしよう。


 そういえば、誰かが数日のうちに元号が変わると言っていた。新しい元号は何んでも文治とかいうらしい。


 ■時忠の娘

 最近、義経殿は時々姿を消すようで、今もどこかに行かれているらしい。郎党方は行き先をあからさまには言わないが、例の平時忠殿の娘の処のようだ。時忠殿といえば、数ヶ月前に流罪が決定したにも関わらず、未だ京に留まっていて、鎌倉側から問題視されているお方だ。そのような罪人の娘と関係を持つことに、郎党方全員が反対したが、義経殿が聞く耳を持たなかったらしい。先ほど、三郎殿に内々に真相を聞いてみたところ、

「その娘に直接会ったことはないが、噂によると

 二十歳をとうに過ぎた相当の美形らしい。」

 とのこと。更に

「好色は義経殿に生気が戻った証拠。

 俺たち郎党には嬉しいことだが、

 問題を抱えた娘を、わざわざ娶らなくとも良かろうに!

 これでは、頼朝様の怒りが増すばかりだ!」

 と嘆いた。俺は念のために聞いてみた。

「義経殿も単なる女好きでは有りますまい。

 何かお考えが有っての事ではありませぬか?」

 三郎殿は溜息をつきながら応える。

「そうであれば良いのだが。

 義経殿が何を考えているのか、さっぱり分からぬ。

 頼朝様をわざと怒らせているとしか思えない。」

 三郎殿も、今回の平時忠殿の娘の件だけは、心底から心配しているらしく、逆に俺に頼み込んできた。

「重長、義経殿の本心を探ってくれぬか。」


 郎党方も、義経殿の本意を計り兼ねているようだ。いくら女好きでも、分別はお有りのはず。その義経殿が、問題を抱えた時忠殿の娘婿になるからには、必ず何らかの理由があるに違い無い。頼朝様をわざと怒らして、一体何をされようというのか。


 ■源行家殿への接近

 鎌倉を出立する前、義経殿が叔父の源行家殿と懇意にしているとの噂が有った。こちらに来てから注意しているが、それらしい動きは見られない。俺が来た事で、行家殿との接触を避けているのか? あるいは単なる噂でしか無かったのか? 行家殿との接触が本当だとしたら、義経殿は何をなさろうとしているのか? 武家政権実現に、どう関係するというのか?


 ■文治元年(一一八五年)八月十六日

 文治という新しい年号に変わって三日目の今日、(さる)の刻(午後四時ころ)、義経殿が郎党の方々全員を招集した。重要な話が有るようだ。俺も皆と一緒に話を聞くために広間に出向いた。全員が集まったのを見届けて、義経殿が話を始めた。

「今日、朝廷で除目(じもく)があり、俺が伊予守(いよのかみ)に任じられる事が決まった。

 これまで通り、検非違使(けびいし)の職も続ける。

 明日から一段と忙しくなる。

 皆の者、今後も宜しく頼む。」


 鎌倉を発つ前に、広元殿から義経殿の褒賞の件は聞いていたが、この事だったのか。誰が見ても、平家討伐の最大功労者は義経殿だ。しかし、他の御家人らが褒美を貰う中、義経殿には一切与えられなかった。それどころか、これまで義経殿の管理下にあった平家からの没収領地まで、戦功の有った御家人らに配分されてしまった。巷では、頼朝様と義経殿の関係悪化を噂する(やから)まで出てくる始末だ。

 伊予守(いよのかみ)といえば、平家の重鎮だった平重盛殿やあの木曽義仲殿も就任した由緒有る職で、相当の地位でないと就けないと聞いた事がある。今回の義経殿の伊予守への就任は、もちろん頼朝様の推挙により実現したものだ。これによって、(ちまた)で囁かれているたわい無い噂など、一挙に消し飛んでしまうであろう。それに、今回の義経殿のように、国守が検非違使を兼任するなど、前例の無い珍事らしい。それだけ、朝廷側、特に後白河様が義経殿の実力を評価している証拠であり、義経殿も悪い気はしないに違いない。


 先ほどから館の中で、義経殿の伊予守就任の祝宴が行われている。いつものように、義経殿を囲んだ郎党方が、大声で笑いながら酒を飲み交わしている。勿論(もちろん)、俺もその中の一人だ。郎党方の馬鹿話を聞きながら飲む酒は、格別に美味い。

 以前から感じている事だが、郎党方と一緒にいると、俺の心が(なご)んで非常に心地が良い。郎党方全員が温かくて、互いに信頼し合っている。変な下心が感じられず、安心して付き合える。義経殿の下では皆が平等で、互いにいがみ合う必要がない。それが皆に余裕を与え、穏やかな気持ちにさせているのであろう。これも全て、上に立つ義経殿の大きな包容力の賜物に違いない。

 広元殿から命じられた仕事が一段落したら、

 郎党に加えてもらおう。


 突然、佐藤忠信殿が声を上げた。佐藤殿といえば、兄の継信(つぐのぶ)殿と共に奥州の地から義経殿に付き従って来た従者で、郎党方の中でも一目を置かれる存在である。奥州人らしく朴訥(ぼくとつ)な人柄だが、ここ一番では凄まじい力を発揮する。そういえば、兄の継信殿は今年二月の屋島合戦で亡くなったと聞いた。義経殿を敵の矢から護るために、自身が盾の代わりになったという。兄弟揃って、まさに奥州人らしい強者なのだ。

 日頃から口数が少ない佐藤殿が突然話し始めたので、その場にいた一同は驚いて静まり返った。

「御曹司、平時忠の娘だけは、お止めくだされ。

 頼朝様の怒りが増すだけですぞ。

 折角、頼朝様に伊予守にしていただいたのに、

 これでは元も子もござらぬ。

 それとも、何か深いお考えがお有りか?」

 佐藤殿が一語一語、(しぼ)り出すように低い声で言うと、それを聞いた三郎殿や弁慶殿、他の郎党方が口々に、

「佐藤の言う通り!

 理由があるなら、我々にだけはお話し下され!」

 と、義経殿を責め立てた。

 数ヶ月前まで魂の抜け殻のようだった義経殿が、昔のような女好きに戻ったことは、元の気概を取り戻した証拠であり、郎党方全員も問題とは思っていない。(かえ)って喜んでいるくらいだ。しかし、今回の件だけは誰が見ても度を越えており、郎党方が心配するのも当然である。

 暫くして義経殿が応えた。

「皆には、心配をかけて済まぬ。

 あの姫を人目見た瞬間、自分の物にしたくなった。

 あの姫は年増だが、頭が良くて面白い。それに体も良い。

 俺が元気を取り戻した(あかし)ということで、勘弁してくれ。」


 その場にいた郎党方は、義経殿の言葉から逆に、複雑な理由があることを薄々感じ取ったようだ。自分たちの主が単なる女たらしでは困る。常に天地をひっくり返すような大事に関わっていて欲しい。それでこそ我々の主人であり、源氏の御曹司なのだ。

 その場を取り繕うかのように、佐藤殿が再び低い声で叫んだ。

「御曹司ばかり、世の中の女を独り占めしないで下され!

 わしがいつまでも女に縁が無いのは、御曹司の所為ですぞ!」

 その場にいた郎党方全員が、佐藤殿の言葉につられて笑いこけた。俺も皆に混じって、久しぶりに腹の底から大笑いした。

 佐藤殿は奥州人らしい実直な人柄で、京女に声をかけるのが苦手と聞いたことがある。佐藤殿の先程の言葉は、半分本音も含まれていたのかも知れない。それにしても、良い仲間たちだ。


 ■文治元年(一一八五年)八月二十日

 気が付けば、義経殿の館に来て既に十日程が経っている。楽しいと、時の経つのも早い。この十日で、義経殿が時忠殿の娘婿になった事や、行家殿に接近している事について、詳細や理由を確認することは出来なかった。しかし、義経殿の一見愚行と思える行動が、全て『武家政権実現』の為であることを、俺自身の肌で感じ取る事が出来た。これ以上義経殿の傍にいても、自身の口から話すことは有るまい。そろそろ鎌倉に戻る潮時かも知れぬ。

 俺は、鎌倉に暫く戻る旨を伝えに、義経殿の棟に行った。

 挨拶をし終わると、義経殿が俺に近寄るように命じて、ささやいた。

「俺を苦境に追い込むように、広元殿に伝えよ。」

 俺は意味が分からず、怪訝な顔をしていると、義経殿が続けた。

「俺はこれまで、平時忠殿の流罪の沙汰を引き延ばしてきた。

 時忠殿の娘婿にもなった。それに、

 叔父の源行家殿に近づいたのも嘘ではない。

 これだけ、兄者の嫌がる事をやった俺だ。

 鎌倉側も、俺を窮地(きゅうち)に追い込むのは容易であろう。」

 俺は悩んだ。そして、不安な気持ちを抑えられずに、喚いてしまった。

「苦境に陥って、どうされるおつもりか?

 鎌倉に反逆でもされるおつもりか? 朝廷側に寝返るおつもりか?」

 義経殿は変わらずに落ち着いた口調で応えた。

「後白河様の(ふところ)に入る。

 懐に飛び込まねば、後白河様に鎌倉に対する大失態をさせる事はできぬ。」


 俺は当惑した。先日の義経殿との話し合いで、義経殿を信じようと決めたばかりだが、今の話を聞いて、俺の脳裏に不安がよぎった。義経殿は本当に信じるに値するお方なのか? 信じて後悔はしないのか?

 義経殿の本心が分からなくなった。疑い始めると不信感がどんどん募ってくる。悩んでいた俺は、知らぬうちに義経殿の目を見つめていた。気が付くと、義経殿も俺を見返している。

 どのくらい時が経っただろうか。俺の頭にある思いが(ひらめ)いた。

『要は簡単な事だ。義経殿を信じれば良い。

 ただし、万一の事を考え、準備を怠らなければ!』

 義経殿が突然叫んだ。

「重長、その通りだ。俺を信用できなければ、

 俺が裏切った時の手筈(てはず)を整えておけば良い!」

 俺の心の変化を瞬時に感じ取ったらしい。義経殿とは不気味なお方だ。人の心を読み取る力に()けている。人一倍に純粋無垢(むく)かと思えば、時として何を考えているか判らなくなる。このお方の前で、嘘や言い訳は通用しない。敵に回したら面倒なことになる。


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