6 義経 鎌倉に入れず
■元暦二年(一一八五年)五月五日
昨夜、鎌倉の西八里ほど(約三十キロメートル)にある酒匂宿(現神奈川県小田原市)に泊まり、今朝宿を発って、申の刻(午後四時過ぎ)に鎌倉に入った。一ヶ月ほど見ぬ間に、街の中は打って変わって賑やかになっている。特に、由比ガ浜から八幡宮に通ずる若宮大路は、日が傾こうとしているのに、大勢の人々が忙しそうに行き交っている。人々の顔が生き生きとしており、平家を滅ぼした源氏のお膝元に住めることを誇りに感じているようだ。
そろそろ、広元殿に約束した戌の刻(午後八時ころ)だ。辺りは真っ暗になり、人通りも無くなった。俺はさほど遠くない広元殿の館に向かって歩きだした。海から吹いてくる気持ち良い風が顔をかすめ、夕方までの蒸し暑さが嘘のようだ。
広元殿の館は以前と変わらず、暗闇の中に静まり返っている。門には篝火が焚かれ、門番が立っている。俺が要件を話すと、門番は前回のように直ぐに通してくれた。
奥の間に入ると、既に広元殿は上座に座って、俺を待ち兼ねておられた。酒膳が二つ用意されている。俺と広元殿のものらしい。広元殿は酒を飲まないと聞いていたが、今夜は俺に付き合うつもりのようだ。
案内してくれた従者が去り、部屋には我々二人だけになった。俺が挨拶を終えると直ぐに、広元殿が近づいてきて俺の盃に酒を注ぎながら、最近の鎌倉の様子を話しだした。
広元殿の話によると、義経殿からの戦勝の報せが鎌倉に届いたのは、先月の十一日だとのこと。頼朝様は、父義朝様の御供養の為に建立中の南堂で、柱立・棟上に臨んでおられ、周りには広元殿を含めて四~五人の重鎮がおられたようだ。義経殿からの書状を側近の一人が代読したところ、平家滅亡という余りにも衝撃的な内容であったため、驚いた頼朝様も書状を読み返された戸のこと。そして、鶴岡八幡宮の方向に書状を捧げたまま感涙し、暫く身動きも出来なかったという。
翌日、早速に幕内の軍議が開かれ、第一功労者の義経殿には、捕虜を連れて凱旋するように、また義弟の範頼殿には、西国の戦後処理をするようにとの決定が下され、知らせを持った飛脚は、その日のうちに鎌倉を発ったという。
広元殿が笑みを浮かべながら俺に聞いた。
「飛脚からの知らせが届いた際、西国の義経殿は大変に喜ばれたであろう。」
広元殿に隠すことは何もない。俺は有りのままを答えた。
「実は、義経殿が飛脚の書状を受け取ったのは、
捕虜を連れて帰洛する途中でした。
側近の御家人らが義経殿に、頼朝様からの指示を待つように進言したのですが、
義経殿はそれを聞き入れず、飛脚の到着前に西国を発った次第でござる。」
俺の返事に、広元殿は顔をしかめながらつぶやいた。
「義経殿には、もう少し頼朝様の御気持ちや御立場を理解いただくと
良いのだが。」
更に、広元殿がため息交じりに続けた。
「先月の二十二日、西国に軍師として出向いている梶原景時殿から書状が届いた。
景時殿が言うには、御家人の皆が義経殿の独断専行的な態度に
難渋しているらしい。
この一ヶ月、義経殿と行動を共にしたお前も、同じ思いか?」
広元殿に突然問われて、俺は悩んだ。酒を一口飲みながら、どう説明すれば、真の義経殿を理解いただけるかを暫く考えた。広元殿も俺の沈黙の意味を察したようで、黙って見つめている。暫く考えた後、俺は言葉を選びながら話し出した。
「景時殿の訴えは、もっともな言い分と存じます。
ただ、義経殿は誰よりも純粋で無垢な御方とお見受けしました。
これまでの義経殿にとって、最大の目標は『平家討伐』。
目標達成の最善策を見極めると、一気に突き進まれます。
しばしば独断専行が過ぎて、周りを混乱させますが、義経殿はお構いなし。
義経殿には、勝利への筋道が見えているのでござる。
義経殿ほど純粋で無垢な御方は見たことがありませぬ。
義経殿は邪心とは程遠い御方とお見受けいたしました。」
広元殿は俺の話に頷いた。
「私もお前と同じ考えだ。
頼朝様も同じ思いでおられる。
ただし、頼朝様のお立場は難しいのだ。
御家人の方々を取りまとめて行かねばならぬ。」
暫く間を置いた広元殿は、渋い顔をしながら言った。
「実は、頼朝様は既に西国の武将らに書状を送っており、それには
『義経に従ってはならぬ』
と書かれている。」
俺は驚きのあまり叫んでしまった。
「そんな酷なことを、なぜ頼朝様はされたのでござるか!
他に良策がいくらでも有りましょう!」
俺の言い分を最もと思ったのであろう。広元殿が言いづらそうに応えた。
「頼朝様にとって、
御家人らの造反を抑えるための苦肉の策であったのだ。」
広元殿は、暫く間をおいて付け加えた。
「それに、平家が滅んだ今、
義経殿を大将とする討伐軍の必要が無くなった事も確かだ。
この機会に討伐軍を解体する狙いも有ったのだ。」
広元殿にそこまで言われると、納得せざるを得ない。久々の酒で上気した俺だったが、多少落ち着きを取り戻す事ができたようだ。同時に、もう一つの重要な件に、話題を変えることにした。先日から気になっている、義経殿の意気消沈した様子の件である。俺は盃を空けると、おもむろに話し始めた。
「義経殿に関して、もう一つお伝えしたい事がござる。」
広元殿は肴に伸ばした箸を止め、俺の顔を見つめている。
「最近の義経殿は、気が抜けたような感じで、全く生気が感じられませぬ。
心に大きな穴が空いたような。
多分、平家討伐という大偉業を成し遂げられ、
これからの生きがいを一瞬見失われたのではないかと。」
広元殿は特に驚いた様子もなく、つぶやいた。
「そうかも知れぬな。
義経殿の心境は分からぬでもない。」
思い掛けない返答に驚いている俺に、広元殿は更に言った。
「以前、私も似たような事が有った。」
そう言いながら、飲み慣れない酒を口に含むと、黙り込んだ。昔の事でも思い出しているのであろう。暫くして、再び話し始めた。
「鎌倉に来る前、私は朝廷内で下級官吏として働いていた。
世の中を少しでも良くしたいと、大志を抱いて役所に入ったのだが、
上の連中の庶民を顧みない愚鈍な統治や、世襲的な人事の横行に
絶望してしまった。
なかなか活躍の場を見出せず、希望を失い、空虚な日々を送っていたのだ。
程度は違うが、今の義経殿と似たような心境であった。」
広元殿の話に興味が湧き、俺はすかさず問い返した。
「で、どのようにして悲惨な状況から脱しられたのですか?」
広元殿の顔に笑みが浮かんだ。
「ちょうどその頃、幸運にも頼朝様からのお誘いが有ったのだ。
朝廷に絶望していた私は、新たな活躍の場を求めて、この鎌倉にやって来た。
今では、毎日が楽しくて堪らない。
頼朝様の下で、世の中を改革できる事が嬉しい。
今の私があるのは頼朝様のお陰なのだ。」
広元殿が自身の昔話をされるとは、飲み慣れぬ酒で酔が回られたようだ。だが、俺みたいな者を信用している証拠でもあり、悪い気はしない。
今では広元殿は、頼朝様に最も信頼されている御方だ。朝廷の不甲斐なさに相当に嫌気がさしているようで、まるで武士による支配体制を実現したいかのように、日々鎌倉の為に奔走されている。
広元殿が再び自分に言い聞かせるようにつぶやいた。
「生気の無い義経殿は、鎌倉にとっても大きな痛手だ。
何等かの策を考えねばならぬな。」
暫く広元殿とたわい無い話をした後、俺は館を出た。
たわい無い話といえば、広元殿が言うには、俺と義経殿は風貌が似ているらしい。これまで、自分の顔をじっくり眺めたことが無いので分からないが、俺はそんなに義経殿に似ているのだろうか。歳は同じくらいだが。
■元暦二年(一一八五年)五月十二日
鎌倉に戻ってから、再び侍所の仕事に追われる日々が続いた。別当の義盛殿は未だ西国から戻られていない。そんな時、また広元殿から会いたいとの連絡が入った。義経殿に関して、何か新しい話でも入ったのであろうか。
いつものように、暗くなってから広元殿の館に出向くと、既に顔見知りになった門番が、笑顔で俺を迎えてくれた。
いつもの間に通されると、すぐに広元殿が現れ、挨拶もそこそこに話し出した。
「義経殿に関するお前からの話を、先日頼朝様にお伝えした。」
多少間をおいた後、広元殿は更に続けた。
「義経殿の意気消沈した状況をお話したところ、頼朝様は非常に驚かれた様子だった。
頼朝様は、義経殿が生気を無くすとは、思いもしなかったようだ。」
俺は気になり、広元殿に尋ねた。
「で、頼朝様は何と?」
俺に焦るなとでも言うように、広元殿はゆっくりした口調で話し出した。
「頼朝様も、義経殿の消沈の理由が、生きる目標を失った為であることを理解された。
そして、義経殿が再び活躍できるような、新たな目標を創るようにと、
私にお命じになったのだ。」
「頼朝様にも納得いただいたからには、何としても
義経殿に壮大な目標を持っていただかねばなりませんな。」
「その通りだ。
それで、義経殿の目標を考えるに当たり、お前の意見をどうしても聞きたくて、
今夜わざわざ来てもらったのだ。
どんな目標だと、元の義経殿に再び戻せるであろうか?
義経殿を歓喜させ、生気を取り戻させるものとは何であろうか?」
俺は暫く考え込んだ。というより、先日から考えていた事が正しいか否かを自問自答してみた。そして、おもむろに口を開いた。
「生半可な事では、義経殿を元に戻せませぬ。
天下を引っくり返すような、大それた目標でないと。」
俺は念のため周りを見回した後、声を更に細めた。
「例えば、国の統治権を朝廷から奪い取るとか。
義経殿としても、今の治世は問題が多いと感じておられるはず。
また、これは広元殿や頼朝様の目標にも通じるのではありませぬか?」
暫く俺を見つめた後、広元殿が呟くように言った。
「お前もそう思うか。
ただ、義経殿は我々の申し入れを受けてくれるであろうか?」
俺も、それが最大の問題だと思っている。この数日、良策を考え続けたが、未だ思い浮かばない。仕方なく、日頃の思いを言葉にした。
「私も、義経殿に納得いただくのは至難の業と存じます。
一番の問題は後白河様ではないかと。」
「どういうことか?」
「義経殿は、昨年九月に五位に叙されて天上人になられました。
後白河様から並々ならぬ引き立てを受けており、大恩を感じているはず。
その義経殿が、後白河様を裏切る事に、簡単に納得するとは思えませぬ。」
「その義経殿を納得させるのが、我々の役目だ。」
俺もそうは思うが、あの純粋無垢の義経殿に、どのように言えば納得頂けるのであろうか。手立てが全く思い浮かばない。
悩んでいる俺に、広元殿は難題をもう一つ持ちかけた。
「実は、先ほどの評議の場で、厄介な事が決まったのだ。」
浮かぬ顔の俺に、広元殿が言いにくそうに続けた。
「平家の捕虜を連れて鎌倉に向かっている義経殿一行の
鎌倉入り差し止めが決まったのだ。」
思いがけない話に、俺は仰天した。
「なぜでござるか!
最も功績の有った義経殿が鎌倉に凱旋できぬとは、納得が行きませぬ!」
憤慨している俺をなだめるかのように、広元殿が静かな口調で応えた。
「お前も聞き及んでいようが、
無断で朝廷から官位を授かった御家人らに、先月の十五日、
朝廷へのご奉公が終わるまで、鎌倉に戻ることを禁ずる旨の通達が出された。
対象となる二十四人の御家人に、義経殿は表向き含まれていないが、
義経殿も無断で任官している。
御家人らに鎌倉に戻るなと厳命した手前、
義経殿お一人を大目に見る訳に行かなくなったのだ。」
理屈は分かるが、どうも腑に落ちない。俺は言い返した。
「そんなことで、義経殿は納得されますまい。
今の精神状態では、一層消沈され、
何をしでかすか、分かったものではありませぬ。
その決定を何とかして取り下げることは出来ませぬか。」
広元殿は冷たく応えた。
「既に決まったこと。ここで撤回したら、却って混乱を招くことになろう。
義経殿に納得頂く良策を考えるのが、我々二人の仕事だ。」
広元殿によると、あと数日の内に、義経殿一行が鎌倉に到着するとのこと。最早一刻の猶予もない。この場で、何らかの良策を見つけ出さねばならぬ。
悩んでいる俺に、広元殿が更に追い打ちを掛けた。
「実は、お前に伝えるべきことが、もう一つ有る。」
「何でございますか?」
「去る七日、義経殿の部下の亀井六郎という者が、書状を私の所に持ってきた。
先日、頼朝様が西国の御家人らに『義経殿に従うな』と命じられた事が
義経殿の耳にも入ったのであろう。
その書状には、義経殿が頼朝様への邪心など毛頭ないことが、
延々と綴られていた。」
亀井六郎殿といえば、弓の上手い義経殿郎党の一人だ。それほど親しくはないが、何度か話したことがある。
広元殿が声を落としながら続けた。
「頼朝様に書状の件を申し上げたところ、頼朝様はあまり快い顔をされなかった。
日頃書状をよこさない義経殿なのに、たまに送ってきた書状の内容が
言い訳がましかったからだ。
本来、細かい事に動じない義経殿が、わざわざ言い訳状をよこすとは、
精神的に相当に参っているようだ。」
俺は、義経殿があまりにも不憫に思え、涙が滲んできた。これほど錯乱している義経殿に、頼朝様は更に『鎌倉に入るな』と命じられるのか。義経殿の純粋さ、異心の無い事を、頼朝様は一番良くご存知のはず。御家人らを鎮め、取りまとめるために致し方ないと、頼朝様は考えられる。頼朝様のお立場も分からぬではないが、これでは義経殿があまりにもお可哀想だ。
ただし、今となっては、義経殿に出来るだけ動揺を与えずに、『鎌倉入りの差し止め』を納得いただくしかない。だが、どうにも方策が思い浮かばない。
俺は、やっとの思いで口を開いた。
「どうすれば、義経殿に鎌倉入りの差し止めを了解頂けましょうか?」
広元殿は俺の言葉を待っていたかのように、即座に応えた。
「義経殿には、ありのままをお話しするしかあるまい。
小細工など通用しないであろうから。」
広元殿は申訳なさそうな顔をしながら、更に続けた。
「まずは、酒匂宿あたりで義経殿一行をお待ちし、お前から話してくれぬか。
必要があれば、私はいつでも義経殿にお会いする。」
■元暦二年(一一八五年)五月十五日
俺は昨日から、鎌倉の西、七~八里の酒匂宿に来ている。広元殿の話では、今日の夕方には義経殿一行がこの酒匂宿に到着するとのことで、よく利用する宿所で一行を待つことにした。伊勢三郎殿や弁慶殿他の愉快な郎党方に、早く会いたいと願う反面、義経殿の事を思うと憂鬱になり、この場から逃げ出したい衝動に駆られる。
頭では解っている。義経殿の心を和らげるのは俺の役だ、と。しかし、どうすれば義経殿に『鎌倉入りの差し止め』を納得いただけるというのか。その真意を理解いただけるというのか。
申の刻(午後四時過ぎ)、急に宿場の大通りが騒がしくなった。宿所の表に出てみると、優に百騎を超える一団が近づいてくるのが見える。義経殿や見知った郎党らの姿も確認できる。俺は表で一行を迎えることにした。
郎党の方々に挨拶しながら、義経殿に近づいていった。
「重長でござる。長旅、ご苦労様でございます。
広元殿の指示で、義経殿をお待ちしておりました。」
義経殿は、俺の出迎えに笑顔で応じてくれた。ただ、その笑顔は弱々しく、本来の生気が覗えない。長旅の疲れもあろうが、無気力さが一層増したようにも見える。
義経殿の様子を気にしながら、俺は続けた。
「広元殿の指示により、内々にお伝えしたいことがございます。」
義経殿は相当に疲れているのであろう。眉をしかめて、面倒くさそうな顔をしながら応えた。
「広元殿の指示か。難しそうな話か?
まあ、よかろう。夕飯が終わってから、俺の処に来い。」
戌の刻(午後八時ころ)、俺は義経殿が泊まっている宿所に出向いた。義経殿の居られる間に入ると、一人で酒を飲んでおり、周りには誰もいない。以前に比べて、義経殿の酒の飲み方が荒くなったように見える。この様子だと、酒量も増えているに違いない。
俺は勧められた酒を一口飲みながら、挨拶替わりに最近の鎌倉の様子を話した。その後、暫く黙っている俺を見て、義経殿が急に怒り出した。
「重長! お前が頼んだから待っていたのだぞ!
今夜は疲れているんだ。用件が有るなら早く言え!」
驚いた俺は、腹を決めて本題を切り出した。
「実は、義経殿は鎌倉に入る事が出来ませぬ。
頼朝様より、『鎌倉入り差し止め』の指示が出されております。
明日、北条時政殿(頼朝の義父)が捕虜を引き取りに来られますが、その際に
『義経殿一行は暫く、この地に留まるように』
との指示を伝えるはず。
その理由は・・」
話を続けようとした俺は、愕然とした。義経殿の盃を持った手が、小刻みに震えている。両の眉は歪み、眉間に縦皺が寄っている。これまで見た事のない悲痛な顔をしている。義経殿は今まで、こんなに悲しく寂しい顔を他人に見せたことは無いであろう。義経殿の苦悩はもはや限界を超えている。早く鎮めなければ、義経殿が廃人になってしまう。俺は焦った。
「ご存知と思いますが、
先日、頼朝様に断り無く、朝廷より官位を授かった二十四人の御家人に対し、
『朝廷への御奉公を終えるまで、鎌倉入りを禁じる』
との通達が出されました。
義経殿も昨年、無断で任官されています。」
俺は義経殿の状態を気にしながら、話を続けた。
「二十四人の御家人らに、鎌倉入りを厳禁した手前、
義経殿お一人を特別に優遇することが出来ませぬ。
御家人衆を取りまとめる為の、頼朝様の苦渋の決断と存じます。
どうか、頼朝様の苦境をお察しくだされ。」
義経殿は盃を持った手を震わせたまま叫んだ。
「俺は他の御家人らと同じ扱いを受けねばならんのか!」
俺は返す言葉が無かった。義経殿は酒をこぼしながら飲み干すと、暫く沈黙した。
少し落ち着かれたのであろう。多少穏やかな口調で続けた。
「兄者の苦労も分からぬでは無いが、厳し過ぎると思わぬか。
俺は、平家討伐の褒美が欲しいとは言わぬ。
ただ、兄者に『良くやった』と一言褒めてもらえれば、
それで十分満足なのだ。」
俺は即座に応えた。
「今日、私が義経殿の元に伺った事は、頼朝様もご了解しております。
頼朝様は、義経殿の功績を誰よりも高く評価し、褒めておられます。
それとともに、義経殿の事を非常に気にもされております。」
義経殿の顔から苦悩の色が多少消えたように見える。かなり、落ち着きを取り戻されたようだ。俺は酒を飲み干すと、話題を変えることにした。どうしても、義経殿に確認しておきたい事が有ったからだ。
「失礼ですが、身体のどこか、悪い所でもお有りでしょうか?」
面倒くさそうに顔を俺に向けて、義経殿が応えた。
「お前も俺のことをそう感じるか?」
暫く沈黙した後、義経殿が弱々しい声で続けた。
「郎党達からも、
で沈鬱そうな顔をしているのかと聞かれた。
先日は、静にも、
『自分だけ不幸みたいな顔をしないで!
天下一の英雄なんだから、しっかりしなさい!』
と怒られてしまった。」
そう言うと気だるそうに笑った。
「平家を滅ぼした後、どうも腹に力が入らないのだ。
理由は大体分かっている。」
俺はすかさず聞き返した。
「やはり、生きる目標を無くしたからでござるか?」
義経殿は、俺の言葉に多少驚いた様子を見せながら、応えた。
「そう思う。」
酒を飲み干すと、義経殿は呟くように続けた。
「俺は今まで、難しい目標に立ち向かう事を、全く苦に思わなかった。
難しければ難しいほど、俺は嬉しくて奮い立った。
難題を乗り越えるために、他人が思いもしない奇策を考えることが楽しかった。
平家討伐は、俺にとって最高に困難で面白い目標だった。
それを達成した今、俺の心が更に困難な目標を欲しがっている。」
暫く黙り込んだ後、義経殿が更に付け加えた。
「俺は、中途半端な目標では、もはや満足できないらしい。
平家討伐と同じくらい面白くて面倒な目標が出てくるまで、
俺の沈んだ心が晴れることは無いかも知れぬ。」
想像していた通りの返答を聞き、俺は間髪入れずに言った。
「広元殿も同様の事を言っておられました。
義経殿は難題を目の前にしないと、生きていけないお方だと。」
俺は暫く悩んだ末、義経殿が怒るのを覚悟で聞いてみた。
「義経殿は、今後も朝廷がこの国を統治できるとお考えでしょうか?」
義経殿は表情を強ばらせながら、俺をにらんだ。
「お前は何を言いたいのか?」
もはや後戻りは出来ない。俺は続けた。
「例えば、この国の支配権を、
朝廷から武士の手に移し替えるべきとは思いませぬか?
その実現の為に、手腕を発揮したいとは思いませぬか?」
義経殿は俺を睨みつけながら怒鳴った。
「俺に、大恩ある後白河様を裏切れと言うのか!」
義経殿が怒るのは覚悟の上だ。俺は臆せずに言った。
「広元殿は、朝廷には最早この国を治める力は無いと見ております。
一度、広元殿の意見を聞かれてみてはいかがでしょうか。」
義経殿は黙ったまま、酒を飲み始めた。酒量が明らかに増えている。
俺は盃を空けると礼をして、その場を後にした。
■元暦二年(一一八五年)五月十六日
今、義経殿が泊まっている酒匂の宿所に来ている。先ほど、北条時政殿の一団が宗盛父子他の平家の捕虜を引き取り、鎌倉に戻って行った。
英雄として鎌倉に凱旋できると信じ切っていた伊勢三郎殿、弁慶殿他の郎党方は、思いもしなかった鎌倉側の冷遇に憤りを抑えられず、今も口々に喚き散らしている。平家討伐の最大の功労者は、義経殿を初めとする彼らなのに、頼朝様はそれを認めず、鎌倉入りを禁止された。郎党方が怒り狂うのも至極当然である。義経殿に先ほどから慰められているが、郎党方の憤りは中々収まる気配を見せない。
義経殿はといえば、俺が昨夜のうちに内情を話しておいたので、捕虜受け渡しの際には、比較的冷静であった。義経殿のこと、事前に事情を聞いていなかったら、時政殿と大騒動になっていたに違いない。
郎党方は、義経殿から何も聞かされていないのであろう。怒りの収まらない数名が、頼朝様に陳情書を出すべきと、義経殿に迫っている。しかし、当の義経殿は陳情書が性格に合わないらしく、あまり乗り気で無いようだ。
俺は一旦鎌倉に引き上げ、広元殿にこの二日間の経緯を申し上げることにした。義経殿にその旨を伝えに行くと、広元殿に一度会ってみたいと求められた。
今の義経殿には、広元殿との話し合いが最善の策であろう。俺は喜んで二人の話し合いの場を設ける事を約束し、鎌倉に戻った。
広元殿に義経殿の様子を一刻も早く伝えたくて、その日の内に館に出向く事にした。
夕方の鎌倉の街中は、北条時政殿が酒匂宿から連行した平家の捕虜を、一目見ようと集まった人々で溢れ返ったらしいが、日がすっかり暮れた今は、その喧騒が嘘のように静まり返っている。
広元殿の館もいつもと変わらぬ静けさの中に建っていた。門番に用件を伝えると、すぐに奥に取り次いでくれた。
いつもの間で待っている俺に、現れた広元殿が嬉しそうに声をかけてきた。
「時政殿から聞いたぞ。
大きな騒動もなく、義経殿は捕虜を引き渡してくれたそうだな。
全てお前のお陰だ。ご苦労であった。」
俺は、捕虜引渡しの際の様子をかいつまんで話した後、更に続けた。
「鎌倉入りの差し止めについては、義経殿には納得頂きましたが、
郎党方の怒りは尋常なものではありませぬ。
頼朝様に陳情書を出すべきと、義経殿に詰め寄っておりました。」
広元殿は気になったのか、俺に聞き返した。
「義経殿は陳情書に前向きなのか?」
「あまり乗り気ではないようです。」
「ならば、陳情書を私宛に出すように、義経殿に伝えてくれ。
いくら義経殿でも、怒り心頭の郎党らに陳情書を出すなとは言い難かろう。
私から頼朝様に内容を説明しよう。」
俺は了解した。それと共に、話題を例の『義経殿の生気の無さ』に変えることにした。この件は、広元殿も気になっているようで、俺が義経殿の様子を話し出すと、直ぐに問い返してきた。
「義経殿の気力の無さは、その後も変わっておらぬか?」
「変わったようには見えませぬ。
ただ、義経殿自身も、意気消沈の根が目標を見失った事にあると
薄々感じておりました。」
俺は更に、義経殿からの願い事を伝えた。
「義経殿が広元殿に会いたいと言っておられます。
この件で、広元殿のご意見を聞きたいのだと存じます。」
広元殿が思った以上の嬉しそうな顔で応えた。
「私も、義経殿と直に話したい。
日取りと場所を、お前に調整してもらいたい。」
■元暦二年(一一八五年)五月二十日
俺は今、鎌倉の外れの古寺の観音堂の前にいる。既に戌の刻を半刻ほど過ぎている(午後九時ころ)。この寺は海の近くの小高い丘の中腹にあり、昼間であれば目の前に綺麗な海が見えるはずだ。残念な事に今は何も見えず、浜に打ち寄せる波の音だけが、時々風に乗って聞こえてくる。昼間降っていた雨は夕方には止み、真っ暗な空の処々に星が見える。木の葉の擦れ合う音もせず、周りはひっそりと静まり返っている。
半刻ほど前から、義経殿と広元殿が観音堂の中で話し合いをされている。先日、義経殿より広元殿に会いたいと頼まれ、今夜の密会となった。観音堂の外には俺の他に、義経殿に付き従って来た伊勢三郎殿が待機している。この寺の住職は広元殿の知り合いとのこと。俺が寺に場所の提供を求めると、住職は深くを聞かずに快く観音堂を貸してくれた。
観音堂の扉の隙間から漏れる光りが、辺りを一段と暗く染めている。俺と三郎殿は先ほどから一言も話さず、周りに気を配っている。時折、観音堂の中から義経殿のものと思われる溜息が聞こえるが、話の内容までは聞き取れない。
突然、観音堂の扉が開いて二人が出てきた。逆光で、二人の顔の表情を覗う事ができない。義経殿は壇ノ浦合戦の後、周りの者が驚く程に生気を失われていたが、この半刻ほどの話し合いで、多少なりとも回復されただろうか。俺には、それが一番の気がかりであり、広元殿との今夜の密談も、そこに目的が有った。我々に近づいて来た義経殿の顔の表情は、逆光の性でやはり覗い知れない。
義経殿は無言で広元殿に礼をすると、山門に向かって歩きだした。三郎殿が慌てて義経殿の後を追う。広元殿と俺は無言のまま、その場で義経殿らを見送った。
山門に下りてくると、外で広元殿の家人が二頭の馬を見張りながら、心配そうに待っていた。こから広元殿の館までは半里は優に有ろう。広元殿と俺は馬に乗り、館に向かった。家人が広元殿の馬を引いている。いつの間にか、雲の切れ間から月が顔を出し、辺りを明るく照らしている。この月明かりだと、警護にあまり気を使わないで済みそうだ。
広元殿は、観音堂の前で義経殿と別れた後、一言も話さず黙り続けている。義経殿との話し合いが上手く運ばなかったのであろうか。
日頃から広元殿は、朝廷の無能さを嘆いておられる。特に、後白河様やその側近達の余りにも日和見的な態度に、我慢がならないらしい。それとともに、能力ある人材が活躍の場を得られない朝廷や貴族社会に、失望しているようだ。
最近、急に勢力を伸ばしてきた頼朝様に新たな可能性を感じ、自分を掛けてみる気になったとの事。鎌倉に下られて未だ数年だが、既に頼朝様も一目を置く存在となっている。広元殿は聡明で、日頃の行動にも卒がない。ちなみに、今夜の義経殿との密会も、頼朝様に事前に申し上げて、了解を頂いているようだ。
それにしても、先ほどの話し合いで、広元殿は何を義経殿に話されたのであろうか。先日から広元殿は、『義経殿に武家政権確立に尽力してもらいたい』と繰り返されているが、今夜の密談では、具体的に何をどこまで話され、義経殿はどこまで納得されたのであろうか。
遠くの方に、広元殿の館が見えてきた。門には、いつものように篝火が焚かれている。門に近づくと、我々一行に気付いた門番が駆け寄ってきた。主人の帰りが遅いのを心配していたようだ。
門の中に入る前に、広元殿がやっと口を開いた。
「済まぬが、義経殿に会う機会をもう一度設けてくれ。」
「数日のうちに、今夜と同じ場所にいたします。」
俺は即座に応えた。
やはり、今夜の話し合いは思ったように進まなかったようだ。このまま終わっては、義経殿はいつまでも浮かばれない。忙しい広元殿には申し訳ないが、義経殿に一度と言わず何度でも会って頂かないと困る。今は広元殿だけが頼りなのだ。
■元暦二年(一一八五年)五月二十四日
義経殿と郎党方が、数日前に腰越の寺に移ったとの知らせが入った。腰越といえば鎌倉の目と鼻の先、一里ほどの地である。鎌倉入りを差し止められているのに、義経殿も大胆な事をなさるものだ。
昨日、伊勢三郎殿から、来て欲しいとの依頼が有り、午の刻(十二時ころ)に腰越に向かった。義経殿に会いたいと思っていた俺にとっても、都合が良い。
寺に着くと、三郎殿初め、何人かの郎党方が集まって騒いでいるのが見える。祐筆の中原信康殿が皆に囲まれながら、何かを書いているようだ。聞いてみると、例の陳情書を作成しているとのこと。先日、平宗盛親子他の捕虜を北条殿に横取りされた事や、鎌倉入りの差し止めなどへの憤懣が、この陳情書に形を変えたのだった。
陳情書の内容は、義経殿を昔から良く知っている三郎殿が主体となり、弁慶殿や祐筆の中原信康殿が加わって考えたらしい。今まさに、中原殿が清書を終わるところだった。宛先は大江広元殿となっている。義経殿からは、宛先を広元殿にするようにとの指示が有っただけで、それ以外は郎党方の気の済むようにさせるために、内容に一切目を通していないようだ。三郎殿が俺を呼んだ理由は、この陳情書を広元殿に届けさせる為だった。
俺は傍にあった陳情書の下書きを見せてもらい、驚いた。結構長い文章で、幼少時代からの義経殿の苦労話なども含まれており、義経殿が見たら、郎党方と一悶着起こしかねない内容だ。それを分かっているから、義経殿は敢えて口を挟まなかったのであろう。
陳情書を預かった後、義経殿のもとに行った。例の広元殿との二回目の密会の日程と場所を伝えるためである。
義経殿は、俺が広元殿宛の陳情書を預かったことを知って、楽しげに笑った。思えば、義経殿の笑顔を見たのは久々である。憂鬱な気持ちは、少しは晴れたのであろうか。俺は二回目の密会の日取りと場所の了解を得て、義経殿のもとを後にした。
その日の夕方、郎党方から預かった陳情書を広元殿宛に持参すると、陳情書に目を通した広元殿が、笑いながら俺に尋ねた。
「この書状に、義経殿は目を通されたのか?」
俺も笑いながら答えた。
「義経殿は、内容に一切目を通しておりませぬ。
郎党方の憤りを鎮めるために、好きに書かせたと思われます。」
広元殿は俺の言葉に頷いた。
「さもあろう。義経殿の性格からして、有り得ない内容だ。
頼朝様にお見せする必要は無かろう。」
俺も同感だ。最後に、義経殿との二度目の密会の日程と場所を伝え、館を後にした。
■元暦二年(一一八五年)五月二十九日
義経殿と広元殿の二回目の密会が、今日の戌の刻(午後八時ころ)から、前回と同じ鎌倉の外れの古寺で行われる事になった。俺は前回と同様、警護のために広元殿に付き従い、古寺に向かっている。
先ほど、広元殿が自身に確認でもするかのようにつぶやいた。
「義経殿との話し合いは今夜が最後だ。
義経殿には、鎌倉のために更に働いていただかねばならぬ。」
鎌倉のためにとは、広元殿が常々言われている『朝廷に代わる武家政権の樹立』に関わることであろう。しかし、後白河様に恩義のある義経殿を、どうやって説得する気なのであろうか。具体的に何をせよと、義経殿に言われるつもりなのか。
義経殿にとっても、武士が朝廷から政権を奪い、新たな世を実現する事は、十分過ぎるほどに壮大な目標のはずだ。平家討伐など、足元にも及ばない。義経殿がこの目標に真剣に取り組むことが出来れば、沈鬱さなど瞬時に吹き飛び、生気を取り戻すに違いない。しかし、これは後白河様への反逆でもある。あの純粋な義経殿を納得させるなど、到底無理な話ではないのか。
俺は広元殿に確認したい事が多々有ったが、今は止めた。広元殿の気持ちを掻き乱すだけである。これから始まる義経殿との話し合いの前に、出来るだけ冷静さを保っていただく必要がある。
先ほどから、義経殿と広元殿の話し合いが、観音堂の中で行われている。
外には、前回と同様に俺と伊勢三郎殿が待機している。今日は梅雨の晴れ間で、昼間から天気が良かった。夜空には無数の星がちらついている。心地よい海風が吹いており、木々の葉がサワサワと小さく音を立てる。既に寝静まっているのであろう。鳥の鳴き声は全く聞こえない。眠気を催すほどに静かで気持ちの良い夜だ。脇を見ると、三郎殿の頭が時々大きく前に傾くのが分かる。三郎殿も眠気に襲われているようだ。勝手を知った警護の為であろう。俺も時々眠たくなる。
半刻ほどして、観音堂の扉が開いた。義経殿の笑い声が聞こえ、広元殿も笑顔で応えている。話し合いが上手くいったのであろうか? 義経殿の苦悩に満ちた心は晴れやかになったのであろうか?
義経殿は、俺と三郎殿を見て、一言
「ご苦労!」
と言った。前回と同様、観音堂の扉から漏れる光が逆光となり、義経殿の表情を窺い知ることができない。ただ、声には壇ノ浦合戦での義経殿を彷彿とさせる張りと明るさがある。ついに、心に気概が戻ったのか。後で広元殿に話を聞くのが楽しみになってきた。
広元殿の館に戻る途中で、俺は我慢できずに尋ねた。
「成果はございましたか?」
広元殿は嬉しそうに応えた。
「首尾は上々だ。思った以上の成果だった。」
「で、広元殿は何と言われ、義経殿は何を了解されたのでござるか?」
広元殿は笑いながら応えた。
「そう焦るな。重長。」
暫く間を置いて、広元殿は楽しそうに続けた。
「私は、前回と同じことを義経殿に話した。
武家政権を実現するために、もう一働きをお願いしたいと。」
俺は一番の疑問を投げかけた。
「義経殿は、後白河様に大恩を感じておられるはず。
その義経殿に、何と言って納得いただいたのでござるか?」
笑みを浮かべながら、広元殿が答える。
「簡単な事を言っただけだ。
このまま朝廷が政権を握り続けても、世の中は何も良くならない。
民の暮らしが良くなる当てが無いと。」
今夜の広元殿は言葉数が多い。
「義経殿に小細工は通用しない。
私は、真実を簡単な言葉で言っただけだ。」
そう聞いても、俺の疑問は晴れない。
「それだけでは、義経殿の後白河様への気持ちは変わりますまい。」
広元殿が楽しそうに応えた。
「それが変わったのだ。
私が『民の暮らし』に言及した事が、義経殿の琴線に触れたようだ。
義経殿は昔の苦労を思い出されたのであろう。」
中々信じられない俺に、広元殿は更に続けた。
「それと、武士が朝廷から政権を奪い、新たな時代を創ることに、
ようやく興味を持たれたようだ。
武家政権の樹立という難題が、義経殿の心に火を付けたのだ。
これからの人生を捧げるに相応しい目標と、感じ取られたのだ。」
義経殿は、目指す目標が難しいほど、血湧き肉躍るお方だ。広元殿の言われるように、武家政権樹立という難題が、義経殿の心を再び奮い立たせたのかも知れない。
俺は更に、先ほどから気になっていた事を尋ねてみた。
「義経殿に、どのような具体策を言われたのでござるか?」
広元殿は笑った。
「そんな必要はあるまい。
義経殿は日の本一の戦略家だ。私よりも素晴らしい策を思い付かれるはずだ。」
今夜の広元殿は、これまで見たことの無いような饒舌ぶりだ。
「ただし、
『朝廷が鎌倉に対して、取り返しのつかない汚点を残すように
謀ってくだされ。
あとは我々が何とでも致します。』
とお願いした。」
広元殿はそんな事を考えておられたのか。もしかすると、義経殿以上の策士ではないのか。なんとも不気味なお方だ。
義経殿は広元殿の申し入れに納得されたようで、先ほど元気に帰っていかれた。義経殿のこと、朝廷が大失態をやらかすような奇策を必ず考え付くに違いない。今頃は満面の笑みを浮かべながら、あれやこれや思い巡らしておられるに違いない。
朝廷に代わって、武士が世の中を支配する。そんな馬鹿げた事が本当に実現するのだろうか。いや、広元殿の才覚と義経殿の秘策が噛み合ったら、もしかして天地をひっくり返す一大事が起こるかも知れない。
考えてみれば、俺も相当の果報者だ。武士が朝廷から政権を奪うという一大事変に立ち会えるかも知れないのだから。義経殿がどんな秘策を打つのか、最後まで見届けたい。俺まで何やら愉快になってきた。嬉しさのあまり、なかなか身体の震えが止まらない。
■元暦二年(一一八五年)六月九日
今日、義経殿一行が平宗盛父子らを伴って、京に戻る事になった。俺は一行を見送るために、酒匂宿に出向いた。
一行は、酒匂宿や腰越などの鎌倉近郊に一ヶ月ほど滞在したが、その間に鎌倉に入ることを許されず、ましてや頼朝様に会うことも出来なかった。京を出立して鎌倉に向かった頃は、頼朝様に歓待されるものと信じて疑わなかったが、実際は歓迎とは程遠い扱いを受け続けた。思い余った郎党方は、陳情書を広元殿に送ったが、その甲斐も無く鎌倉入りを許されなかった。
冷遇を受ける理由が、『無断任官した御家人の手前、義経殿だけを特別扱いできない』という頼朝様の苦境から生じた事を、郎党方は薄々承知しているようだ。しかし、平家を滅ぼした英雄武士団としての自負心が邪魔をしているようで、郎党方は帰洛の時になっても、未だ頼朝様の冷遇に納得がいかない様子だ。
義経殿は、落胆の色を隠そうとしない郎党方を見兼ねたのであろう。先ほど、
「こんな鎌倉に見切りをつけて、みんな一緒に京に戻ろう!」
と、大声で、郎党方を元気付けていた。
俺は驚いた。義経殿の大声を聞いたのが久しかったからだ。壇ノ浦の戦い以来であろう。義経殿が昔の元気な姿に戻っている。郎党方も、生気溢れる義経殿を久々に見たことが嬉しかったのであろう。彼らの顔にも笑いが見られる。
それにしても、義経殿は武家政権実現に向けて、どんな動きをされるのであろうか。既に秘策を思いつかれたのであろうか。一度じっくり伺ってみたいものだ。
一行の帰洛の準備が全て整った。義経殿の顔が明るい。それを取り巻く郎党方も嬉しそうだ。頼朝様に冷遇された一団とは到底思えない。今更ながら、彼らの結束の強さには驚かされるばかりだ。
先ほど伊勢三郎殿に、京に一緒に来いと誘われた。頼まれずとも付いて行きたい。そして、義経殿の秘策をこの眼でじっくり見届けたい。しかし、今回は止めた。今はその時ではない。やらねばならぬ侍所の勤めもある。京に行く機会は、近いうちに必ずやって来よう。俺は、影が見えなくなるまで一行を見送った。
■元暦二年(一一八五年)六月三十日
この日、先日帰洛した義経殿一行のその後の様子が鎌倉に届いた。広元殿から伺った話では、去る六月二十一日、平宗盛父子を京の手前で誅殺したとのこと。その首の扱いについては、頼朝様からの事前の指示により、朝廷に問合わせたようだ。二人の首は、朝廷からの指示に従って、二十三日に京の六条河原に晒されたらしい。
また、広元殿の話では、義経殿が一時的に所有していた平家からの没収領地が、先日の戦いで功労のあった御家人らに、恩賞として与えられる事が決まったという。代わりに義経殿には、どこかの国守の職が準備されているようだ。
■元暦二年(一一八五年)七月二十日
今年の二月から、義経殿に代わって畿内の武士らを取り締まっていた中原久経殿と近藤国平殿が、義経殿が京に戻ったのを機に、鎮西に赴いた。目的は、御家人らの帰還で手薄になった西国の取り締まり強化とのこと。二人に代って、京に戻った義経殿が、以前のように畿内の狼藉を取り締まることになった。
先日入った知らせでは、七月九日、京で相当大きな地震があったという。多くの神社仏閣や家々が崩壊したり傾いたりし、その被害は大変なものらしい。義経殿の館は大丈夫だったのだろうか。