2 俺の名は重長
俺の名は重長。河越の豪族の七男坊で、歳は二十五。あの大猪狩りから、早いもので一年以上が経つ。あの事件の後に鎌倉に出て来て、以来侍所で、頼朝様の警護、京や西国に出陣する御家人方の手配、あるいは若手連中の弓や刀、騎馬の教練など、結構忙しい日々を送っている。
故郷の河越では、以前から多くの豪族がいがみ合っており、小競り合いが絶えなかった。親父殿はあまり大きくはない豪族の棟梁で、その七男坊として生まれた俺は、小さい頃から弓や刀、乗馬の訓練をさせられた。
近くの荒野で裸馬にまたがり、弓で鳥や獣を射る日々が続いた。馬で山野を駆け巡るのが好きだった俺は、いつの間にか兄弟の中で一番の弓の使い手になっていた。
俺の母は親父殿の三番目の正室で、河越では珍しく京の公家の出身。といっても、下級公家の出であろうが。ただし、母は公家の血筋だけあって品が良かった。俺は幼い頃、周りの女衆を見る度に、母の上品さを誇らしく感じたものだった。
その母に、物心付いた頃から読み書きを習わされた。親父殿は、武士に読み書きは要らないと言ったが、母は頑として譲らず、嫌がる俺に毎日のように読み書きを教えた。お陰で元服する頃には、親父殿の書状を代筆するまでになっていた。あの厳しかった母は数年前に他界し、今では別の女が親父殿の後添えになっている。
俺が侍所で働き出した切っ掛けは、全くの幸運と言える。河越の田舎でうだつの上がらない日々を送っていた頃、鎌倉の侍所で人を補充するらしいとの噂を聞き、早速侍所の門をたたいた。応対した役人が、紹介状が無いと駄目だと言う。弱小豪族の七男坊に、紹介状を書いてくれる者などいる訳がなく、俺は追い返されそうになった。
突然、どこからか大声が聞こえた。
「おい、お前。弓の腕前を見せてみろ!」
声の主は偉そうな身なりのおやじだ。俺たちのやり取りを棟の奥で見ていたらしい。
小さい頃から山野で鳥や獣を射てきた俺は、弓にはかなりの自信がある。周りを見渡すと、二十間ほど(三十五メートル強)離れた木の枝に手頃な鳥が止っている。その鳥をいとも簡単に射落してみせると、周りにいた連中から響めきが起こった。昔から動いている鳥や獣ばかりを射てきた俺にとって、動かない的は造作無ない。早速、次の日から侍所で働くことになった。後で知ったことだが、俺に弓の腕前を見せろと命じた偉そうなおやじは、侍所別当の和田義盛殿だった。
半年ほど前から、別当の義盛殿は平家討伐のために、頼朝様の義弟である源範頼殿の補佐役として、西国に出向いている。お陰で俺は別当代理殿の下で、同僚等とともに留守を預かりながら、忙しい日々を送っている。特に読み書きが出来る所為で、最近では若手の教練以外の雑務まで増えてきた。