《妻の提案》
ある日、子供たちが就職、大学生になったのを機に妻から離婚を提案された。
「子供も大きくなったし、夫婦という形を取らなくてもよいのではないか、これからは自分の好きな様に生きていかないか?」 という提案だった。
俺は了承した。
俺たちはいつからかお互いに向き合う事をしなくなっていた。
喧嘩をする訳でもなく、何となくの会話と何となくの報告、子供も大きくなって話す事が少なくなった。
特に居心地が悪い訳でもなく……ただ共存する……そんな感じだった。
さえが好きだが、25年連れ添った妻、感謝や情はある。
子供たちにもこれからの事を説明する事にした。
2人の子供たちは既に家を離れ、一人暮らしをしていた。
2人を呼び寄せ、いつも食卓を囲んだテーブルに座ってもらった。
2人はいつもとは違う雰囲気を察していた様だ。
妻から話を切り出した。
子供たちは静かにそれを聞いていた。
「父さんと母さんがそれでいいなら俺たちはそれでいいよ」
それが彼らの答えだった。
形は変わっても親である事には変わりない。
ただ、約束を何個かお願いされた。
所在地は確認できる様にしておく事。
携帯番号を変える時は連絡する事。
自分たちの結婚式には両親揃って出席する事。
子供たちの了承を得て離婚手続きに入る。
家からは俺が出る事にした。
子供たちが、【実家】として帰ってくる場所を保っておく事と、そこにはやはり母親がいた方がいいという理由だった。
俺は住むアパートを探した。
何軒か内覧し、その一つに決めた。
今より少しだけ職場までが近くなる。
無事住む場所も決まり、新居で必要なものの買い出しが必要になった。
最後に夫婦で買い物に出かけた。
家を出る俺に必要なものを一緒に買いに行く事にした。
そういうのは女の人の方がよくわかってるものだ。
必要最低限、あとは自分で買い揃える。
ただ、カーテンだけはあった方がいいと妻に言われた。
住むアパートの窓の大きさを不動産屋に聞いてカーテンを見に行った。
窓の大きさに合うカーテンを見つけられたのでオーダーしなくて済んだ。
これで、新しいところで不安なく暮らせる。
買い物を終えた俺たちは近くのカフェで休憩することにした。
一緒にカフェで休憩なんて……いつぶりだ?
思い出せないくらい随分前……。
そんな俺たちももうすぐ夫婦が終わる。
「今までありがとう」
俺は感謝の気持ちを言った。
「なに? 改まって……」
妻は笑った。
「もうすぐ夫婦じゃなくなるけどさ、あなたを嫌いになったり憎んで別れる訳じゃないから。 お互い、そんな感じでしょ?」
「子供たちも大きくなったし、これからは自分の事を考えてもいいんじゃない? もう長くないし……」
「いや、長生きしようよ……」
「それが大前提なんだけどね! 残りの人生、自分の好きな様に使いたいかな……」
「その提案をされた時、俺もそう思ったから……。 25年間、ありがとう」
「こちらこそ、ありがとう。 あなたのおかげで子供たちも大きくなれました。 これからもあの子たちの親である事は変わらないから、連絡は取れる様にはしとかないとね」
「そうだね……。 で、仕事どうするの?」
「フルで働ける様にしてもらったのよ」
妻は看護師で時間を決めて働いていた。
「これからは夜勤もするよ!」
パワフルな妻だ……。
「そっかーー。 体には気を付けないとな。 そんなに若くないんだし……」
「そうだね。 体、壊したら何の為に離婚したかわからないね!」
「自分のしたい事しなきゃ。 旅行とかさ恋愛とかさ」
「それもいいね! あなたは? そんな人いるの?」
「え? 何で?」
「いや、思いふけてるのかなぁと思った事があったから。 あれ、恋煩い?」
「どれだよ……」
俺ははっきりとは言わなかった。
最後の妻とのデートは楽しく終わった。
離婚したからすぐにさえと……という気にはならなかった。
もちろん、恋愛は自由になった。
さえに会ったとしても俺にはとがめられる相手はいない。
人目を気にして会わなくてもよくなった。
でも、さえは違う。
さえには家族がいる。
俺とは違う。
同じ様にはいかない……。
会いたい……。
ふいにそう思った。
離婚というその言葉が寂しく感じたのか、さえを思い出した。
さえ、何してるんだろう……。
元気なのかな……。
ずいぶん会ってないな……。
笑った顔が見たいな……。
どう思ってもどうにもならない気持ちを妻を目の前に静かにかき消した。
帰って、家の中の自分の荷物を段ボールに詰め始めた。
あまりたくさん持って行きたくなくて、大事な物だけ、必要な物だけ段ボールに詰めた。
それでも段ボール箱は結構な量になった。
休みの日にはその段ボール箱を少しずつ、アパートへ持っていく。
ガランとした部屋が少しずつ色づき始めた。
家電の搬入も終え、いつでも暮らせる様になった。
家の俺の部屋には破棄するものだけが残った。
妻に捨てれる日を聞いてその日にゴミステーションへ持って行く。
こんな事もこれからしなきゃいけないんだな……。
ゴミもいつ捨てれるのかもわからない。
妻が当たり前の様にやってくれていた事で俺が知らない事はたくさんあった。
今更ながら、それに気付いた。
感謝の気持ちと、これからは楽しく自分の人生を生きて欲しい、そう思った。
しばらくして俺は家を出た。




