【短編】星ノ花園
「響子くん、ぼくと〈花の姉妹〉になってくれないか」
そう言って御神楽先輩は自身の胸に手を伸ばしたけれど、そこに花はあるはずもなかった。失くした花を思い出したのだろう、先輩は少しだけ表情に陰りを見せた。だけど、足元でひっそりと咲いていたシロツメクサに目をとめて。そっとしゃがみこみ、花に手を伸ばして。まるで救いでも受けたかのような晴れやかな顔で、先輩は花の傍らのクローバーを優しく手折った。
「これを、ぼくの〈花〉の代わりに……。――〈姉妹〉には、なってくれなくてもいい。だけど、どうか。押し花にでもして、これを持っていてはくれないだろうか」
先輩は、まるでガラス細工のようだった。繊細で、儚げで。だけど、光を当てると七色に光って綺麗で。私はそんな先輩から四つ葉のクローバーを受け取ると、自分の胸元についている花のブローチを差し出したのだった。
***
私、上田響子はこの春、聖エトワール女学院の高等学部に入学した。幼稚舎からのエスカレーター制で上級してくる人がほとんどの、超お嬢様学校である。外部から編入してくるのは、大体が事業が成功した成金のご家庭。もしくは、優秀な成績であると認められて奨学金を得た人である。なお、私は、後者のほうだ。家が貧乏のため、私は働きながら夜学か通信かと悩んでいた。その折に、中学の担任がエトワールに推薦してくれて今に至っている。――だから、私は知らなかったのだ。この学校の伝統である〈儀式〉と、〈花なしの君〉と呼ばれる先輩の存在のことを。
そのとき、私の頭の中は華道や茶道の授業のことでいっぱいだった。さすがはお嬢様学校、そういう部活でやりそうなことも授業にねじ込んできてくれる。どの授業でも一定以上の成績を修めないことには奨学金が打ち切られてしまうから、このみやびな授業たちが私にとってはネックだった。そのため、ろくに前を見ることもなく、次の授業(茶道)の内容を念仏のように唱えていた私は、思いきり誰かとぶつかってしまったのだ。
「大丈夫かい? ちゃんと前を見ないと、その可愛らしい膝に傷をつけてしまうよ。――あと、〈わ〉は継ぎ目のない部分であっているよ」
手を差し伸べてくれたのは、凛とした雰囲気が爽やかなボーイッシュの先輩だった。いきなりぶつかられて、自分もよろめいただろうに。先輩はそんな素振りなど一切見せずに、尻もちをついた私を引っ張り起した。正直「わたくしの制服が汚れてしまうじゃないの」と罵られるかと勝手なイメージを想像していたから、本物の淑女は違うんだなと感心した。先輩にとっては、とても失礼な話である。
だけど、私よりも失礼な態度の人たちが周囲にたくさんいらっしゃった。彼女たちは私に淑女の対応をしてくれた先輩のことを遠巻きにじろじろと眺めながら、ひそひそと「〈花なしの君〉だわ」とうわさしていた。時おり「奨学金の子」というのも聞こえてきたけれど、私はそういう他人からの同情や尊大な態度に慣れている。だから、自分がうわさのタネにされていることよりも、この素敵な先輩を揶揄するような態度が許せないと思った。
しかしながら、先輩もこういうことには慣れっこのようで。
「茶道、頑張ってね」
そう言って、先輩は颯爽と私の前から消えていった。
「やあ、君。また会ったね。ぼくは御神楽。君の名前は?」
「やあ、響子くん。これから、華道の授業なのかい? その花、とても綺麗だね」
こんな感じで、翌日から、先輩は私の目の前にちょこちょこと現れた。私は、挨拶されれば普通に挨拶し返して、手を振られれば遠慮がちではあるけれど会釈を返した。そんな日々が数日続き、とうとうクラスメイトのひとりに心配されてしまった。
「あなた、〈花なしの君〉と仲良くなさっているみたいだけれど、奨学生でい続けたいのなら、やめておいたほうがいいと思うわよ」
聞けば、先輩は学校内の禁忌、不浄として扱われているという。
この学校には〈花の姉妹〉という伝統の儀式があるらしい。入学の際に自身の誕生花を模したブローチを支給されるんだけれど、それを〈姉妹〉の誓いを立てた相手と交換するのだそうだ。そしてブローチを交換したふたりは、運命のお相手と出会うまで切磋琢磨し合い、お互いがその相手と結ばれたときに交換したブローチを返却するそうなんだけれど。ぶっちゃけて言ってしまえば、お互いが心も体も清いまま許婚のもとに嫁げるようにと見はり合うというわけだ。
個が重んじられ、何事もがグローバルに移り変わっていくこの現代で、そんな儀式があるというのが信じられなかった。しかも、これまたぶっちゃけて言えば、そんな現代だから、裏で誰が何をしているかなんて分からない。体の接触がないとひはいえ、ネット上で恋愛ごっこなんていくらでもできるのだから。
そして、何故先輩が不浄の存在として扱われているのかというと。かつて、先輩にも〈花の姉妹〉の儀式を行った相手がいたそうなんだけれど、その人が外部の一般男性と駆け落ちしてしまったのが理由らしい。〈姉妹〉として、先輩には彼女を思いとどまらせる義務があった。それができなかったのは、先輩も彼女と同じように汚れてしまったからだ、と。そして〈姉妹〉とブローチを失った先輩は〈花なしの君〉と呼ばれるようになったのだそうだ。
その話を聞いて、私は心底、馬鹿馬鹿しいと思った。彼女が駆け落ちしたのは、彼女の問題ではないか。先輩は、一切関係のないことじゃないか。学生の身空で駆け落ちをした彼女は、たしかに大胆で考えなしだったかもしれないけれど。でも、家柄に縛られて運命を感じた相手と思いを成就できないから、そんな行動に出たわけでしょう? それのどこが、汚らわしいことなんだろうか。先輩も、彼女も、誰も汚らわしくなんかない。とても、潔く生きている。でなければ、私に対して、先輩はあんな淑女然とした態度をとることなんかできなかったはずだ。彼女たちのことを禁忌だ不浄だと言って、こそこそと陰口をたたいている人のほうが、よっぽど汚らわしい。――そう思ったことを、おくびにもださないで、私はクラスメイトにただ一言「心配してくれてありがとう」とだけ言っておいた。
次の日、私は先輩に話しかけられて、いつも通り普通に返事をした。その様子を見たクラスメイトが白んだ顔で「昨日、言ったばかりじゃないの」と耳打ちをしてきた。先輩は心なしか寂しそうな顔をして、私の前から去ろうとした。私は、この人をこれ以上傷つけてはいけないと思って、思わずお昼ご飯の約束を取り付けてしまった。
「ぼくの過去話をお友達から聞いたんだね。それだというのに、君は臆することもない。――初めて会ったときも、君はぼくを忌諱の目では見なかった。それ以降も、ぼくが周りにいろいろと言われているのを耳にしているだろうに、態度を変えることがなかったね」
お昼ご飯を食べ終わって、中庭でのんびりと話をしているときに。先輩は少し俯いて、ぽつりぽつりとそう言った。私は、しれっと「あほらしい」と返した。
「それに、私が知っている御神楽先輩は誰よりも高潔で、そして淑女ですから」
「……そう思ってくれる君が、ぼくにはとてもまぶしくて、美しく見えるんだ」
顔をあげてはにかんだ先輩は、とても美しくて。思わず呼吸も忘れそうなほどで。私が何も言えないでいると、先輩は申し訳なさそうに心なしか俯いた。
「こういうことを言ったら、また不浄と思われるかもしれないね。でも、本当に君のことを美しいと思うし、愛しいと思うんだ。これが、恋というものなのかなあ? ――私は、許婚のことをきちんと尊敬しているし、大切に思っているのに。おかしいね」
私は、小さな声で「おかしくないです」としか言えなかった。私は別に、同性愛者というわけではないのだけれど。でも、先輩が私に対して感じてくれている想いを、気持ち悪いとは思えなかったのだ。むしろ、貴いとさえ思った。
先輩は嬉しそうにほほ笑むと、立ち上がって言った。
「響子くん、ぼくと〈花の姉妹〉になってくれないか。この短い学生生活を、愛しい君と一緒に送れたらとても幸せだと思うんだ」
そう言って輩は自身の胸に手を伸ばしたけれど、そこに花はあるはずもなく。少しだけ表情に陰りを見せたけれど、足元でひっそりと咲いていたシロツメクサに目をとめて。まるで救いでも受けたかのような晴れやかな顔で、先輩は花の傍らのクローバーを優しく手折った。
「これを、ぼくの〈花〉の代わりに……。――〈姉妹〉には、なってくれなくてもいい。だけど、どうか。押し花にでもして、これを持っていてはくれないだろうか」
先輩は、まるでガラス細工のようだった。繊細で、儚げで。だけど、光を当てると七色に光って綺麗で。まるで、宵闇に浮かぶ星のように燦然と輝いていた。私はそんな先輩から四つ葉のクローバーを受け取ると、自分の胸元についている花のブローチを差し出した。
先輩は、大学部を卒業してすぐに許婚と結婚した。私もお式に呼んでもらって、ささやかながらお祝いをさせていただいた。それから数年経つけれど、私はいまだに独身。普段使いの手帳には、先輩からもらったクローバーを使って作ったしおりが挟まれている。
(先輩、もう少しだけ。先輩のことを思っていてもいいですか。私の、清く美しく、そして愛しい先輩……)
そう心の中で呟きながら、私はクローバーに唇を寄せたのだった。