第九十六話 開戦の演説はセフィに
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翌日。
教国と戦うための全ての準備を整えると、俺たちはビヴロストへ向けて転移した。
ビヴロストで戦うために移動するのは、精霊体姿の俺、セフィ、そしてエルフ、狼人族、ドワーフたちから戦士として戦える者たちを、それからグラムたちゴー君部隊とヴァルキリー三姉妹だ。
全体の人数としては150人もいないだろう。
援軍としては少ない数に思えるが、そもそもエルフや狼人族たちは霊峰周辺での狩りによって一人一人が高レベルだし、ドワーフだって洞窟の奥にずっと隠れ潜んでいたわけじゃない。俺たちが合流して一緒に暮らすようになる以前には、食料や鉱物を探したり、武器防具の素材になる魔物を危険を冒しながらもちまちまと狩っていたらしい。なので意外と高レベルだ。
そして、グラムたちやヴァルキリーたちは言うに及ばない。
実はこの数ヵ月の間に、ゴー君部隊は全員が進化しているのだ。その結果、誰もが単体ならば霊峰周辺の大抵の魔物を狩れるほどの強さを身につけている。
ゴー君たち1体1体が、普通の兵士何十人分もの活躍をしてくれるだろう――と、期待したい。
このように、人数は心許ないが戦力としてはなかなかのものではないかと自負している。
さすがに俺の本体が転移装置で転移することはできないが。というか、隠れ里のある洞窟に入ることもできない。
なので、俺の本体を管理するガングレリには幾つかの指示を出しておいた。
そんなわけで全ての準備を整えると、俺たちはビヴロストへ転移したわけだ。
一回の転移で十人ちょっとが転移する。それを十数回繰り返し、全員が転移した俺たちは、転移陣のある小屋の前に集合し、それから大通りを進んでビヴロスト東門の方へと進んで行った。
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街中は閑散としていた。
どうやら住民たちの多く――非戦闘員は今は代官が住まう領主館やオアシス周辺へと、教国が攻めて来るだろう東門から離れる形で避難しているようだ。
まるで廃墟のように寒々しくなった大通りを、俺を先頭として皆で進んでいくと、東門に近づくにつれてビヴロスト側の兵士たちが集まり、忙しく走り回っているのが見えて来た。
今も東の大門は閉じられ、その前の開けた場所には一際多くの兵士たちが集まっていて、お立ち台――と言って良いのかは分からないが、何やら台のような物の上に立ったファブニル将軍が兵士たちを指揮しているのが見えた。
――と、ちょうど向こうもこちらに気づいたらしい。
ファブニル将軍が俺たちの方を向き、手でこいこいと呼んでいる。
「よんでるよー?」
『何だろうな?』
首を傾げる俺とセフィに、すぐ後ろを歩いているウォルナットが推測を口にする。
「まさか、俺たちにも持ち場を指示するつもりじゃないっすかね?」
なるほど、一糸乱れぬ防衛戦を演じるつもりなら、それもありそうなことだった。
しかし、だ。
『そうだとしたら断らんとならんな』
残念だが俺たちは「防衛戦」をするつもりはさらさらない。
俺たちは教国軍を少なくとも撤退まで追い込まねばならないし、そのためにも遊撃隊……あるいは斬り込み隊として働くつもりだからである。
ともかく、呼ばれているなら実際に話してみないと分からない。
俺たちは将軍の手招きに応じる形で、東門前に近づいていく。集まっていた兵士たちは俺たちが来たことに気づくと道を開けるために左右へ避けてくれたのだが、それだけでもなく、
『何だ何だ?』
「おっ、おおう……何か照れるっすね……」
まさに万雷、とでも言うべき勢いで拍手の音が鳴り響いたのだ。
見れば、どの兵士たちも俺たちを歓迎するように勢い良く手を叩いている。俺たちはまるで都会に初めて来たおのぼりさんのように周囲をきょろきょろしながら兵士たちの間を進んでいく。
いや、セフィだけはふんすっふんすっと鼻息を荒くしながらも、欠片も動揺することなく歩いていたのだが。
やがて将軍の下に辿り着くと、将軍はドラゴン顔でも分かるほどに満面の笑みを浮かべ、
「良く来てくれた! 森の同胞たちよ! 援軍、まことに感謝である!」
周囲一帯に響き渡るような大声で言ったのである。
拍手の音に掻き消されないように大声を出した、というよりは、周囲の兵士たちに聞かせるのが目的だろう、明らかにセリフを読み上げるような口調であった。いつから俺らは同胞になったんだよ。
「きたよー!」
『お、おう……何のつもりだ、将軍?』
セフィが元気良く手を挙げ、俺は何を企んでいるのかと訝しげな視線を向けた。
将軍はふっと悪戯が成功した子供のように笑うと、
「何のつもりも何も、心強い援軍が訪れたのだ、皆に紹介するのは当然であろう?」
と言ってから、俺とセフィをお立ち台の上に誘導した。
「森神殿、精霊殿、こちらへ」
「かしこまり!」
『え、なに……?』
誘われるがままにお立ち台の上にあがった俺たちだが、大勢の兵士たちの視線が集中しているのを感じると、途端に緊張してしまった。
いや、こういう皆の前で何か言えっていう雰囲気、苦手なんだよな。自分でも初めて知ったけど。
なので超絶嫌な予感を覚えつつ、将軍をちらりと見やる。
「さっ、ここで皆の士気が上がるような演説を頼むぞ?」
案の定だった。
将軍は小声でそんなことを言いやがったのだ。
『はえ!? え、えーっと……ほ、本日は、お日柄も良く……』
ふええ……頭が真っ白で何も考えられないよぉ……。
とりあえず喋り始めてはみたものの、声が小さすぎて全然届いていないし、兵士たちはポカンとしているし、それが余計に緊張を加速させるし、何の拷問だこれ。
だが、テンパりまくる俺とは、生粋の姫たるセフィは器が違った。
「――みんな!」
晴天の空に響き渡るような大声。
全員の注目がセフィに集中する。
ざわめいていた者たちも自然と静まり返り、何を言うのかとセフィを見守っている。
「セフィ、コーラルちゃんのことがだいすき!」
全員の顔が、再びポカンとした。
大商会たるリザント商会会長の愛娘を知らない者は少ないだろうが、いきなり何のことかと思ったに違いない。
だが、セフィは怖じ気づくこともなく続けるのだ。
「プロンのこともおいしージュースくれるからすき!」
あまりにも子供らしい言葉に、今度は小さな笑いが湧き起こる。
「ソルもおいしーごはんやにつれていってくれるからすきだし! かべのうえであそんでくれるへいたいさんたちもすきだし!」
苦笑の気配が強かった笑いが、徐々に心の底からのそれに変わっていく。
「まちであったらたまにおかしをくれるおばちゃんもすきだし! おまけでおおもりにしてくれるごはんやのおじさんもすきだし! オアシスであそんでるときにおおきなかさをもってきてくれたおねえさんもすきだし! コーラルちゃんとあそんでるときにぶつかっちゃっても、わらってゆるしてくれるみんながすきだし! てんいしてきたときに、いつもあいさつしてくれるへいたいさんもすきだし! おいしーすなねずみをとってきてくれるおにいさんもすきだし!」
この数ヵ月、毎日ビヴロストを訪れていたわけじゃない。
それでも来る度に小さな親切を自分に与えてくれた人たちのことを、セフィは覚えていた。
何人分もの「すき」を告げる間に、兵士たちは面映ゆいような笑みを浮かべ、声をあげて笑い、それからいつしか笑いは静まり、ただセフィの声に耳を傾けた。
「かべのうえにのぼると、きもちいーかぜがふくし! オアシスはつめたくてきもちいーし! たかいところからのながめはいーし! このまえたべたサボテンのステーキもおいしかった!」
まったく何て子供っぽい感想だよ。
だけど。
「だから!」
セフィの言葉は間違いなく人々の心を打ったと思う。
「だからセフィは! みんなをたすけたい! みんなにいなくなってほしくないし! このまちもなくなってほしくない!」
言葉を装飾することを知らない、純粋な子供の言葉だから、それが心からの気持ちであると、兵士たちには伝わったんだと思うのだ。
「だから! このまちをまもるために、みんなちからをかしてくださいっ!!」
それは逆じゃない? とは思ったよ?
力を貸すのは俺たちであって、ヴァナヘイムの兵士たちじゃない。
しかし、最後にまたしてもポカンとした兵士たちの顔を、頭を下げてお願いしているセフィは見えていないのだろう。
くっ、ふっ――と、笑いを噴き出す音がした。すぐ横から。
「ふははははははは!!」
堪えきれない、というように、ファブニル将軍が大口を開けて笑う。
すると見守っていた兵士たちも大爆笑した。
セフィが笑い声に顔を上げ、目を丸くして周囲を見回していると――今度は将軍の番になった。
「精強なるヴァナヘイムの兵士諸君ッ!」
ドンッと、一際大きな足音を立てて、ファブニル将軍が一歩前に踏み出した。
「諸君らはここまで言われて奮い立たない弱兵か!? 助力に駆けつけてくれた森の同胞たちに全てを任せ、後ろで震えている臆病者かッ!?」
「「「否ッ!!」」」
自然、兵士たちの声が綺麗に唱和した。
応じるように、先に倍する声でファブニル将軍が叫ぶように放つ。
「そうだ! その通り! 断じて否だ! 我々は臆病者でも卑怯者でもないッ! 精強無比たるヴァナヘイム軍だッ! ならば護れ! 自分達の手で! この町を! そして森の同胞たちに、我らの強さを証明するのだッ!!」
「「「応ッ!!」」」
突如として叫び、唱和し、気勢をあげ始めた兵士たちに、顔を上げたセフィは何が何だか理解できない、というような表情を浮かべて戸惑っていた。
そんな彼女に、俺はにやりと笑って告げる。
『さすがの演説だったな、セフィ。どうやらみんな、やる気出たみたいだぞ?』
徐々に事情を理解したセフィは、むふーっと鼻息を漏らし、それからいつものようにドヤ顔した。




