第九十話 ドラコ・ファブニル将軍
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何百人もの兵士たちがビヴロストの東門から入って来た後、都市のすべての門は厳重に閉ざされた。
市壁の上から東の街道を監視する人員も増えて、都市内は俄に緊迫した空気を帯び始める。
俺たちはその様子を何となく見守っていた。
兵士や町の人々が交わす会話の端々から、やはりやって来た兵士たちがカラド要塞に詰めていた兵士たちだったこと、要塞は教国の手に落ちてしまったことなどが聞こえてくる。
兵士たちの雰囲気からは、俺の想像以上に事態が深刻であるらしいと伝わってきた。
『……とりあえず、プロンのところに戻ろうか』
「……そう、ですね。そういたしましょう」
おそらく最も事態を把握しているだろうソルが、険しい顔をして頷いた。
遊びを中断することになったが、セフィもコーラルも文句を言うこともなく従った。コーラルなどは不安そうな表情でぎゅっとソルに掴まり、セフィはそんなコーラルを心配そうに見ていた。
ともかく、兵士たちが行き交う大通りを通って、俺たちはリザント商会まで戻った――のだが。
『ぬ? どちら様?』
商談をしていた応接室に通されると、なぜか見知らぬ人物が一人、椅子に座っていたのだ。
プロンは質問に答えるよりも先に、コーラルを抱き抱えたソルに目配せした。
「ソル、コーラルを奥へ」
「かしこまりました」
そうしてコーラルが奥へ連れていかれると、ようやくこちらに向き直り、椅子に座った見知らぬ人物を紹介してくれたのだ。
「森神様、精霊様、ご紹介させてください。こちら、我が国の将軍のお一人で、ドラコ・ファブニル将軍です」
ドラコ・ファブニル将軍は、砂蜥蜴族ではなかった。
一言で表現するならば、人の形をしたドラゴンだ。
全身が硬質そうな砂色の鱗に覆われ、腰の後ろからは尻尾が、背中からは皮膜のある翼が生えている。頭部、こめかみの辺りからは後ろへ向かって流れるように一対の黒い角が生えていた。前にせり出した顎と口の奥に垣間見える鋭そうな牙は、見る者に獰猛そうな印象を与える。
身に纏った革製の鎧は一際豪奢で、大柄な体格とも相俟って周囲を威圧するような風格を感じさせた。
ファブニル将軍はプロンに紹介されると、立ち上がってこちらに近づいて来る。
その姿はとにかくデカイ。
身長は2メートルを超えているだろう。だが、そんなこと以上に全身から発される覇気みたいなものが、本人を大きく思わせるのだろう。並みの人物ならば萎縮してまともに会話することさえ難しいかもしれない。
「紹介にあずかった、我はドラコ・ファブニルである。ずいぶんと小さいが、貴殿らが新たなる森神と精霊であるか……。どうやらアルヴヘイムを失って、エルフはだいぶ力を落としたようだな――ん?」
声は太く、そして重い。
俺たちを見下ろしてくる瞳は金色で縦に割れた虹彩をしており、外見の印象に反してこちらを値踏みするような静かな視線だった。
だが、発言の途中で視線がずれる。
「控えていただきましょうか」
「なんだ、お前は?」
ファブニル将軍の視線を遮るように俺とセフィの前に進み出てきたのは、今まで背後で静かに控えていたメープルだった。
見れば、メープルは一目で冷笑と解る攻撃的な笑みを浮かべている。
「いかにヴァナヘイムの王族とはいえ、我らが神と精霊様に対して、あまりにも不躾でしょう」
どうやら、メープルさんとしてはファブニル将軍のセフィへの態度が気に入らなかったようだ。ってか、将軍ってば王族だったのかよ。
いや、確かに威圧感たっぷりの態度で、幼いセフィや可愛らしい俺に向けるには厳しすぎる視線だったけども。
それにしても、だ。
「……ふむ?」
ファブニル将軍が室内を見回す。
メープルだけではなかった。
ウォルナットもローレルも立ち上がり、少しだけ腰を落として膝を曲げた姿で、臨戦態勢を取っている。その表情、というか雰囲気からすると不快感や怒りを覚えているようだ。ゴルド老だけはいつも通りだけど。
珍しい、と思った。
メープルたちがここまで怒りを覚えるなんて、地味に初めて見たんじゃないか? 山賊どもが攻めて来た時には、教国の騎士が混ざっていてそれどころじゃなかったし。
「ふむ……?」
ファブニル将軍は再度室内を見回して――はあ、と深いため息を吐いた。プロンが。
「だから言ったでしょう、将軍。私が説明いたしますから、できる限り黙っていてくださいと」
「ふむ……プロンよ。こやつらはなぜ、怒っているのだ?」
ファブニル将軍は首を傾げた。
え?
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プロンの取り成しで全員が席に着く。
それからファブニル将軍の言動について謝罪された。
聞けば、将軍の態度も言葉にも特に他意はないらしかった。というのも、将軍の種族は竜人と言い、ナチュラルに威圧的で空気を読まない発言をするのが竜人に多い特徴なのだとか。
先の発言もエルフを見下す意図はない、という説明だった。
っていうかプロンさん? 本人を前に結構ズバズバ言うね。その人、一応王族なんじゃなかったっけ?
対する将軍の方は、表情こそ読み取り難いが気にする様子はなさそうだけど。
「そうだったのですか……。それは、大変失礼をいたしました」
メープルが敵対的な態度を取ったことを素直に謝罪すると、プロンが慌てたように手を振った。
「いやいや、謝らないでくださいメープルさん! 悪いのはこちらですから」
「うむ、謝る必要はないぞ、そこなエルフよ。我は他人から誤解されることには慣れている」
なぜか得意気な口調で将軍も追随する。
……何だろう? この人、ちょっとバカっぽいのかもしれんね。
「将軍、もう少し、黙っていてください」
「うむ。もう少し、黙っていよう」
プロンの失礼なお願いにも、将軍は鷹揚に頷いた。
『んで、ヴァナヘイムの将軍が、なんでここにいるんだ?』
気になるのはそれだ。
カラド要塞から先ほどの兵たちと一緒にやって来たことは想像できるのだが、普通、将軍ともなればビヴロストを治める代官(ビヴロストには領主の代わりに代官がいる)の屋敷に向かうのではなかろうか?
それがなぜ、商人であるプロンのところに来たのか。
少なくとも、立場的なものから判断しても代官に会うのが最初だと思うが。
「それは――」
と答えたのは、もちろんプロンだ。
将軍は言われた通りに黙っている。
「将軍が皆様にお礼を申し上げたい、と言われたからです」
『お礼……』
「はい、皆様からお売りいただいたワイバーンの防具や精霊樹の葉などが、大変役に立ちまして。それらのことについて一度、お礼を申し上げたいと」
先ほどまでの言動を振り返ると少々信じがたいが、たぶん、本当のことなのだろう。
お礼を言う相手に対して「ずいぶん小さい」とか「力を落としたようだな」とか言うのは解せないが、たぶんただのバカの人っぽいし、他意はないというのも本当だろう。
『そっか』
俺はツッコミの全てを飲み込んで、先を促した。
いや、一つだけは聞いておかねばなるまい。
『でも、なんで俺たちがいるって分かったんだ?』




