第八十六話 石棺騎士
次から主人公視点に戻ります。
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「我が栄えある教国軍がなんたる様だッ!!」
辺境都市ロカセナ。
その元領主の館の一室では西部教国軍の司令である男が荒れていた。
今回のヴァナヘイム侵攻――否、異種族および異教徒どもに弾圧される同胞たる人族の解放戦争において、全ての指揮権を委ねられた男である。
年齢は五十を超えていて髪や髭には白い物が混じり始めている。
しかし老化による衰えは感じさせず、上背も高い筋骨隆々とした偉丈夫だ。ぴっしりとした軍服を纏う姿にも威圧的ながら貫禄があった。
だが、常ならば綺麗に撫で付けられた髪も口髭も荒れており、余裕のある表情を浮かべていた顔は憤怒に覆われていた。
部下も誰も彼も下がらせた私室ゆえに、気が緩んでか、ここ最近の不満が一気に噴出してしまったのだ。
悪しき異種族による国家、ヴァナヘイムの国土解放は順調だった。
確かに一時、辺境都市ロカセナの解放には手を焼かせられた。しかしそれも、北部での動きを利用した情報戦略によって邪魔な存在を追いやることで、結果としては無事にロカセナを解放することに成功している。
大悪魔たる魔獣バジリスクが護るカラド要塞も、あと少しで陥落――解放できるはずだったのだ。
いや、そもそも――、
「あの犬ッコロどもが地神様から御借りした石棺騎士の方々を殺さねば、すでにカラド要塞どころかビヴロストまで解放できていたはず……!」
石棺騎士団。
異種族や異教徒の浄滅において活躍する騎士団の名前だ。
西部大司教区においては、聖壁騎士団とならんで圧倒的な力を持つ集団である。
最初に借り受けた石棺騎士団の人数は六人。
何も知らない者であれば、少ないと思うだろう。たった六人増えたところで何ができるのかと。
しかし、その考えは間違いだ。
石棺騎士団も聖壁騎士団も、抱える団員の数は百人に満たない。それでもなお、西部大司教区において両騎士団を超える戦力というものは存在しない。
なぜならば、これに所属する騎士というのは例外なく偉大なる地神――その眷属だからだ。
ただの人間と同列に考えるのが間違いだ。
騎士一人一人が、まさに一騎当千の力を持つ。
さらに石棺騎士団は、東部の霧冥騎士団と並んで対多数、対軍団でこそ力を発揮する騎士たちだった。それが六人も揃えば、下等な異種族の軍勢など一蹴することすら可能なはずだったのだ。
それをこともあろうに罠に嵌めるなどという下劣な方法で、大罪人ガーランド率いる傭兵団が殺してしまった。
自らを囮にして石棺騎士の方々を戦場に引きずり出し、大多数で囲んで封殺したのだ。
格上の戦力を相手にするには至極真っ当な方法ではあるが、そんなことは関係ない。世界の平和と全ての人族の解放という崇高な理念を掲げて戦う教国に対し、異種族どもは大人しく浄化を受け入れることこそが罪を償う方法なのだ。
何より、彼が一番許せないのは、六人もの石棺騎士を喪ったことで責任を取らされるかもしれない、ということである。
これまでだって幾つもの戦果をあげてきたが、それ以上の大戦果をあげないことには安心して本国に戻ることもできない。それほどまでに石棺騎士六人の命は大きい。
せめてカラド要塞さえ落とせばヴァナヘイム東部地域の解放は成ったも同然だから、その功績をもって失態は挽回できる。それを目指していたというのに。
そしてそれは目前だった。
カラド要塞の消耗は大きく、「タイムリミット」までに己の力だけで要塞を落とせるところまで来ていたのだ。それがなぜかある日を境に敵補給線が強化されたばかりか、こちらの新兵器に対応するような防具や奇妙な閃光を発する兵器(?)などが次々と用意され、おまけに徹底的に潰した敵陣の高レベル者が復活してきた。
人族以外に、治癒術を使える者は稀である。
基本的に獣人は身体能力や生命力に優れる代わり、魔力が劣るという特徴があるからだ。
だからこそ、例外的な異種族であるエルフを、その神を教国は数多いる自然神の中で最初の標的とした。高い治癒効果を持つ霊薬は、アルヴヘイムにある精霊森樹の葉を主な原材料としていたからだ。
ゆえにアルヴヘイムを滅ぼし数年、霊薬の保存期間を考慮すれば、敵に霊薬など残っていないはずであった。そして高レベルの治癒術師がいないことも、これまでの戦いで確認していたのだ。
それなのに、なぜ?
いったい誰が悪いのか。
少なくとも自分ではないことだけが確かだ。
「糞ッ! 屑がッ! 畜生がッ! 罪人のッ! 分際でッ! 蜥蜴ッ! 悪魔ッ! あああッ!!」
言葉を発する度にテーブルに拳を叩きつける。
琥珀色のウイスキーが注がれたグラスが何度も跳ねては、中身を卓上に撒き散らした。
どうしようもない苛立ち。
戦線を維持できずにロカセナまで後退したことで、「タイムリミット」に間に合わなくなったのはもはや決定的だった。
その「タイムリミット」とは?
大罪人ガーランドが北部から戻って来ること――ではない。
コンコンコンッ――と、部屋のドアがノックされた。
ロカセナに戻って来てから数日、彼が考えるよりも残されていた時間は少なかったらしい。
それでも一軍を任せられた身として、部下たちに無様な姿を晒すわけにはいかない。彼は急いで乱れた髪を手櫛で整え髭を撫で付けると、軍服に汚れや皺がないかを確認してから声を出す――いや、その前に、ウイスキーが零れた卓上をささっと拭いた。
「――入れ」
「ハッ、失礼いたします」
入室の許可にドアが開き、部下が入って来る。
「お休み中のところ、申し訳ありません、閣下」
「良い」
重々しく頷きつつ、先を促す。
「して、何用だ?」
「ハッ、先程、石棺騎士団の方々が到着されました。閣下との面会をご希望されております」
キリィッ! と、胃が痛む。
タイムリミット――それは、新たに石棺騎士が派遣されて来ることだった。断じてこちらの不手際ではないが、それでも石棺騎士六名を喪ってしまったのは事実。騎士団から何を言われるか、あるいは何をされるか分かったものではない。
それに、失態を挽回する機会も失われることを意味している。
激しい胃痛を何とか堪え、彼は頷いた。
「では、応接室にお通しせよ」
「あ、いえ、それが……」
なぜか言い淀む部下の姿に嫌な予感を覚えながら、それでも平然とした顔で問い返す。
「ん? なんだ、どうした?」
「騎士様方は十二名いらっしゃるのですが……」
「十二名? ずいぶんと多いな」
石棺騎士団員十二名を動員するなど、ただごとではなかった。
しかしなるほど、それならば応接室では少し狭いだろう。
「ふむ、ならば会議室の方に――」
「い、いえ、それが……」
さらに言い淀む部下。
しかし意を決したように口を開く。
「まずは閣下に御見せしたいものがあるので、訓練場まで足を運んでいただきたい、と」
「ふむ……」
石棺騎士団と聖壁騎士団は地神の眷属であり、西部大司教区において両騎士団に対して命令権を持つのは地神、あるいは西部大司教猊下のみである。
ゆえに本来は騎士団員の方が地位的には上位だ。しかしそれでも、今回の戦争における最高指揮権は彼にあり、戦場においては彼の方が上位とみることもできる。少なくとも石棺騎士とはいえ命令する権限はない。そのはずだ。
(私は……殺されるのか……?)
それをあえて呼びつけるとは、団員六名を喪った騎士団の怒りを言外に示しているのではないか?
(おこなのか? 激おこなのか?)
それが問題だ。
だが、今の彼に拒否することなどできるはずもない。
「分かった、訓練場に出向こうではないか」
「ありがとうございます、閣下」
どこかほっとした様子の部下に向かって、彼は頷いて行動を開始する。
「だがその前に、ちょっとトイレに行って来る」
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トイレに行った隙に脱走――などということができるはずもなく、彼は訓練場に向かった。
騎士たちが待っているという訓練場は、元はロカセナに詰めていた兵士たちが使用していたもので、領主の館の敷地内にあった。
その訓練場に近づくに連れて、彼の鼻に強烈な異臭が届き始めた。
近づけば近づくほどに臭いは強くなっていくことから、異臭の元は訓練場にあるらしい。
「なッ!?」
本来は広々とした訓練場に足を踏み入れた時、彼はそこに広がる光景に言葉を失った。
広い広い空間を埋め尽くすように、数百、いや、数千にもおよぶ人々が整然と並んでいたのだ。
整列する者たちは一言も無駄口を発することはなく、身動ぎ一つしない。それが兵士であったならば、その練度の高さに感嘆したことだろう。
しかして、それは教国の兵士などではなかった。
着ている衣服から推察される身分は様々だ。ただの平民から旅人のような旅装束、富裕層の着る豪奢な衣服、貧民のような襤褸を纏った者、一番多いのは傭兵や兵士の格好をした者たちであろうか。
だが、そこに教国の民は一人もいない。
少数ではあるが人族は混じっている。しかしそれは砂漠の民らしき服装だし、大部分は体の所々に鱗があり、尻尾の生えた砂蜥蜴族だ。
加えて、それら全ての者たちは――死んでいた。
激しい出血のあとがある者、肉体を大きく損壊させている者、腹から内臓を溢れさせている者。
一見して無傷のように見える者もあるが、全身から漂わせる腐臭と青白い皮膚、白く濁った眼球から、生者ではないのは明らかだ。
そんな死者たちの最前列で、こちらは確実に生きているだろう者たちがいる。
全身を覆うフード付きの黒いローブは銀糸の刺繍が施され、手には木製ではない金属製の長杖が握られている。深く被ったフードの下は口元しか見えない。一様に同じ格好をした者たちが――十二名。
「閣下、我ら石棺騎士団十二名、団長および西部大司教猊下のご命令により、西部教国軍に助力するため馳せ参じました」
石棺騎士を名乗ったローブ姿の一人が、彼の前まで進み出て胸に手を当てる敬礼をした。
「あ、お、おお……。ご助力、感謝いたす」
それに答礼しながら、何とか声を絞り出す。
石棺騎士――声からして男だろう――には、怒りは見えない。騎士六名を喪った責任を追及するためにやって来たのではなさそうだ。何しろ大司教猊下の命令という言葉に、彼はほっと安堵した。少なくとも今すぐに罰せられることはないだろう、と。
「し、して……後ろの者たちは?」
それからようやく、気になっていたことを問う。
その大量の死体たちは何なのか、と。
石棺騎士の代表の男は、「ああ、これですか」と大したことではなさそうに答える。
「ロカセナまでの道中、ヴァナヘイムの廃村、廃集落、戦場跡などを巡って来まして、素材を集めて来たのですよ。勿体無いですからねぇ」
「は、はぁ……」
「幸い、まだ地に還っていないものも、新鮮に動いているものもいました。我らが神のお導きでしょう、隠れているのを見つけましてね。これらは、そうして集めた素材で作ったゴーレムですよ」
「な、なるほど」
「カラド要塞攻略の折には、役に立ってくれるはずです」
「さ、流石ですな……」
「閣下には、これらを都市の外に駐留させる許可をいただきたいと思いまして。ほら、何しろ臭うでしょう? 一応、聞いておいた方が良いかと思いまして」
そんな気遣いを見せるくらいなら、そもそもここまで連れて来ないで欲しい、というのが彼の本心だった。
「お気遣い、感謝いたす。……都市の外であれば、構いませんぞ」
「おお、ありがとうございます」
石棺騎士は大仰に礼をして、さらなる要求を告げる。
「それからついでと言ってはなんですが、閣下に一つお願いが」
「何でしょう?」
「このロカセナにも、まだ異教徒や異種族がいるのですよね?」
「う、うむ? そうですな、奴隷にした者たちがおりますな」
ロカセナを占領――もとい解放した時、ほとんどの住人は逃げていたが、応戦していた兵士や自らの財産(家や土地など)を捨てられなかった一部の者たちが残っており、教国軍に捕まった彼らは奴隷身分に落とされていた。
「ほら、我らが騎士団員たちが六名も殉教してしまったでしょう? なので、私たちもカラド要塞攻略については出来る限り万全の状態で望みたいと思っているのです」
「ふむ、それは道理ですな」
答えつつも、石棺騎士の要求が何か、なんとなく察する。
異教徒や異種族相手に人道が云々などと言うつもりはないが、それでも平然と要求してくる眼前の騎士には、畏怖とも嫌悪ともつかない感情が浮かんでくる。
「閣下におかれましては貴重な戦利品と心得ておりますが、教国の完全なる勝利のため、どうか私どもに奴隷たちを素材として供出してはいただけないでしょうか?」
六名も殉教した、などと言われては、彼に拒否することなど出来るはずもなかった。




