第八十五話 ファイア・メイカー
他者視点です。
本編とは時間が前後してます。ちょっと前の話です。
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神聖イコー教国、北部大司教区、聖都シンカ。
柔らかな日差しをキラキラと反射する純白の建物が立ち並び、人々は異教徒にも異種族にも、そして魔物の脅威にも怯える必要なく、心穏やかな平和を享受している。
人族という立場のみから聖都シンカを眺めた時、そこは多くの他国人や他種族にとって意外なことに、実に平和な国に見えた。それどころか白い漆喰を塗られた家々が建ち並ぶ様子は、美しくどこか神聖な印象さえ抱かせるだろう。
そんな都市の中央に聳える巨大な白亜の神殿は、しかし教国という名に反して宗教施設ではなかった。
この大神殿では、如何なる宗教的儀式も行事も行われることはない。
では何のためにあるのか?
答えは非常に単純だ。
神殿――その言葉通り、ここは神の家だ。
教国が誇る七柱の偉大なる神々、その一柱である炎神ファイア・メイカーが住まう場所。
そんな畏れ多い建物の一画を、葬炎騎士団団長たるディラン・ウォルターは歩いていた。
美しくも表情のない男である。その無表情がそう思わせるのか、20代のようにも30代のようにも見える年齢不詳な男だ。
後ろへ撫で付けた金髪と氷のような冷たさを宿す青い瞳。
どこか人間離れした美貌の騎士団長は、しかしその外面に反して重苦しい緊張に襲われていた。
自分で理由も分かっている。
文字通り、彼の「主」である炎神との謁見が待っているからだ。
いや、待っているという表現は正しくないだろう。何しろ今回の謁見は、ディランから望んだことだからだ。
事の始まりは、直属の部下である葬炎騎士カイ・ビッカースに任務を与えたことだ。
北部開拓に際して異教徒を「浄化」した際、その異教徒――狼人族が一様に北へ逃げて行ったのに不審を覚えたディランは、カイに狼人族が逃げ込む先を確認するよう任務を言い渡した。
狼人族の避難先に、エルフたちの隠れ里、ないしはハイエルフがいる可能性があったからである。
本来、このような調査任務を葬炎騎士が行うことはない。それでも異教の神であるハイエルフが存在する可能性を考慮すれば、捨て置くことも、また下手な者に調査させることもできない。
カイ・ビッカースは若く精神的に未熟なところはあるが、このような変則的な任務ならば他の騎士団員よりも、余程上手くこなせるだろうと思った。
それゆえにカイに任務を言い渡した――その日から、すでに三ヶ月が経っている。
狼人族の避難先を確認し、報告のために戻って来る。
場所によっては数ヵ月かかる可能性はあるだろう。しかし、ヴァラス大樹海は魔物の巣窟であり、いくら強いとはいえ、人間である以上ただの魔物に不覚を取る可能性も否めない。
カイの状況がどうあれ、生存確認ができるならばした方が良い。
そして、カイがどこに居ようとも生存を知ることができる存在が、聖都にはいる。
聖炎騎士団員ならびに葬炎騎士団員の「主」たる炎神のことである。
両騎士団員は例外なく炎神の「眷属」であり、主とは特別な繋がりがある。その繋がりを意識すれば、自らの眷属が生きているか死んでいるかを確認することができるのだ。
そういった理由で炎神へ謁見を願い出てから三日目の今日、ようやく謁見することが叶う。
大神殿の廊下を案内役の神官について歩きながら進んでいく。神殿の中は静かだが、それは神聖な場所であるから、というような理由ではない。単に広さに対して中にいる人の数が少ないからだ。
「ウォルター卿、到着いたしました。中で我らが神がお待ちです」
(着いてしまったか)
程なくして、木製の扉の前に辿り着く。
両開きの大きな扉だが、中に続くのは謁見のための広間などではない。
ディランは憂鬱な感情を隠しながらも、扉の脇に控える神官に頷きを返す。
「承知した。案内、感謝する」
それから意を決して扉の前に立ち、扉をノックした。
すると僅かに扉が開き、中から側仕えの女神官が姿を現す。肌が透けそうなほどに薄い神官衣を纏った、若い女である。
用向きはすでに伝わっているはずだが、それでも儀礼的に謁見の許可を請う。
「葬炎騎士団団長、および眷属第三位、ディラン・ウォルター、我が神に謁見の許可を願いたい」
「確認して参ります……少々お待ちください」
一度扉が閉められ、少しの時間を置いて再び開けられる。先ほどの女神官は頷きと共に入室を許可した。
大きく開けられた扉から静かに入室する。毛足の長い絨毯がディランの靴底を包む。何となく頼りないような感覚を無視して、ディランはすぐさまその場に跪き、頭を垂れた。
室内に充満する甘ったるい香の匂いを極力吸い込まないように意識しながら口を開いた。
「御前に失礼いたします、我が神よ」
返答は意外にもすぐだった。
神という言葉から連想される神聖さはない。
平凡ではないものの、自信と覇気に満ち溢れたような男の声。
「おう、久しぶりだな、ディラン」
「ハッ、本日は貴重なお時間を割いていただき、誠に――」
「ああ、良い良い。そういう堅っ苦しいのは面倒くせぇから。さっさと顔上げて立てよ」
「……ハッ、それでは、失礼いたします」
何度も同じようなやり取りは経験したことがある。
それゆえに宮廷作法のような面倒な恐縮の仕方をすることもなく、ディランはすぐに顔を上げて立ち上がった。
そこは全面に絨毯が敷かれた広い部屋だった。
だが調度品の類いは少なく、目立つのは部屋の中央にある特注の巨大なベッドだけだ。
その上に、彼の主たる炎神はいた。
辛うじて下半身はシーツで隠されているが、上半身は裸だ。
神とはいえ異形というわけではない。
姿形は完全に人と同じだった。それも当然で、今の姿は本来肉体を持たない炎神がこの世に安定して存在するための依り代に過ぎない。
炎神の姿は2メートル近い筋骨隆々とした大男のもので、褐色の肌に炎のような形のアザが全身に走っている。墨を入れたわけではなく、反対に白色をしたそれは入れ墨ではない。
髪の色は燃え尽きたような灰色で、野性味溢れる精悍な顔立ちをしている。瞳は紅玉のように鮮烈な紅色をしていた。
そんな炎神は両隣どころか巨大なベッドの上に、肌も露な女たちを何人も侍らせていた。
手にした煙管を吸い、ぷかりと煙を吐き出す。
吸っているのは単なる煙草などではないだろう。室内に焚かれた香のように、精神に強く作用する類いの麻薬だ。
「で?」
炎神が問う。
「今日は何の用だ? もしかして、遂に俺に抱かれに来たか?」
「お戯れを」
「別に冗談じゃねぇが、違うのか。そりゃ残念」
ディランにそんな趣味はないと分かっているので、炎神の誘いもおざなりだ。
炎神は元々肉体を持たない。そして神としては非常に若く、生まれたばかりと言っても過言ではない。まだこの世に生じて30年も経っていないだろう。
仮初めとはいえ肉体を持つようになったのは更に最近のことで、イコー教の属性を司る六神は誰も彼もが肉の快楽に溺れている――のは、教国でも一部の者たちの秘密だ。
彼の主たる炎神は、肉の快楽の中でも性に関することに奔放な性格で、気に入った者は女でも男でも抱こうとする。今でこそ肉体に引き摺られて男性よりの価値観に近づいているが、元々の神に性別はないからだ。
「本日は、我が神に御伺いしたきことがあり、参じました」
見ていると退廃的な気分になりそうなベッドの上を極力見ないように視線を下げながら、ディランは発言する。
「ふぅ~ん……なんだ?」
「ハッ、御身が眷属第四十七位、カイ・ビッカースの生存の有無について、御伺いしたく」
「ん? 俺の眷属? カイ・ビッカースねぇ……ちょっと待てよ。……ん~と、そんな奴いたっけ?」
「ハッ、葬炎騎士団の団員であります」
「はぁ~ん……ああ、駄目だ。やっぱりわかんねぇわ。俺、そいつ覚えてねぇし」
何かを探るように視線を宙に彷徨わせながらも、すぐに諦めたのか、炎神は至極どうでも良さそうに言った。
ディランとしても予想していた事ではある。
炎神は自らの眷属とはいえ、気に入った者しか覚えない。入団時の眷属化の儀式の折、たった一度会っただけのカイを覚えているはずがなかった。
ゆえに、ディランは別の問い方をする。
「では、ここ三ヶ月で消滅した眷属がいないか、お教え願えないでしょうか?」
カイが任務に旅立った日から、両騎士団で人死にが出ていないことは確認済みだ。
つまり、この三ヶ月で眷属の数が減っているならば、それはカイに他ならない。
「ああ、それなら分かるぜ」
果たして、ディランの想像は当たっていた。
「二ヶ月くらい前か? 一人、俺の力を使って死んだ奴がいるな」
「……お教えいただき、感謝いたします」
「おう、良いってことよ」
主に向かって感謝を述べながら、やはり死んでいたか、と納得する。
胸中の衝撃は少ない。それでも二ヶ月も前に死んでいたというのは、少しだけ予想外だったが。
「……では、私はこれにて」
「え? もう帰んの?」
「はい、申し訳ございません」
早々に退室しようとするディランに、炎神は残念そうな顔をする。
ここで気のある素振りなど見せてはいけない。
「御前、失礼いたします」
「まあ良いか。んじゃ、次は抱かれに来いよな」
「……」
ディランは何も答えず、深々と一礼すると神の居室を後にした。
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閉じられた扉に背を向けて神殿の外へ向かって歩く間にも、ディランはこれからのことを思案する。
思い出すのは炎神の「俺の力を使って死んだ」という言葉だ。
眷属は代償を支払うことで主の力の一部を、一時的に借り受けることができる。その代償は多くの場合、魔力や生命力である。しかし最も代償の大きいものとして、命そのものを対価に大きな力を借り受ける術がある。
炎神の言い方からして、カイが使ったのは恐らく命を対価にする術。
(強大な魔物という線もあるが……)
葬炎騎士がそこまで本気を出さねばならない事態。
ヴァラス大樹海が如何に魔境とはいえ、そこまでの強敵がいるとは思えない。魔物という可能性は低いように思えた。
(森で暮らす狼人族に、カイを超える強者はいない)
ガーランドを始め、強者と呼ばれる狼人族は傭兵として世界中に散っている者に多い。
森に引きこもっている狼人族と、傭兵として戦いの経験を積み上げている狼人族では、後者の方が強い。カイが追跡していた、あるいは滅ぼした集落の中に、カイを追い詰めるほどの強者がいるとは考え難かった。
(となると、やはり……これは当たりか?)
相手がハイエルフならば、本気を出したカイであろうとも勝てないだろう。
(少し、本気で調査させてみるべきだな)
内心でヴァラス大樹海を調査することを決めたディランは、誰を調査メンバーとして派遣するか人員をリストアップしながら、神の家を後にした。




