第八十四話 教国軍、撤退?
プロン視点。
本編と多少時間がずれています。
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「――教国軍が撤退した?」
ビヴロストに拠点を置く大商会の主、プロン・リザントはその報告に両目を見開いて驚いた。
報告を持って来たのはリザント家の家令を務めるソルという男だ。幼馴染みで代々リザント家に仕える家系の出であり、腹心と呼べる存在で気心も知れている。
だが、執務室にて報告を聞いたプロンはそんなソルの言葉を易々と信じることはできなかった。
「はい、カラド要塞前に布陣していた教国軍が、辺境都市ロカセナまで後退したのは確かなようです」
「なぜだ?」
教国軍はカラド要塞を攻略するため、すでに何ヵ月もかけて戦闘を繰り返している。
隠れる場所などない荒野で、堅牢な要塞に籠るヴァナヘイム国軍を相手にし、聖獣バジリスクを警戒しなければならない。
普通ならば過酷で無謀な侵攻だ。
教国軍が奇策を弄することはなく正攻法で侵攻する以上、攻略には年単位の時間が掛かるであろう。ここまで快進撃を続けてきたとはいえ、教国の消耗も馬鹿にならないはず。
それでもなお、真正面から力押しで戦えるのが教国だ。
国土という点ではそれほどの差はないが、治める土地の違いは大きすぎる。教国の国土は大半が肥沃な土地であり、ヴァナヘイムの国土は大半が枯れた荒野か砂漠。
両者の国力には無視できない差があった。
実のところ、戦争において教国が奇策を弄することは「ほとんど」ない。
そんな必要がないからだ。
それでも、ヴァナヘイムへの侵攻は何年も苦戦していた。
特に辺境都市ロカセナは数年にわたって教国の侵攻を跳ね返し続けていたのだ。
その理由は少数の戦士たちにあった。
多くの戦いを経てレベルを上げ、スキルを獲得し、技術を磨いた戦士たちは、時に正真正銘一騎当千の英雄となる。
戦いの途中で命を落とすこともなく、ひたすら強さを積み上げてきた奇跡のような存在だが、世界中を探せばいないこともない。
そんな戦士の一人であるガーランド。
彼率いる狼人族の傭兵団が、ロカセナ防衛戦において活躍し続けていたのだ。かの英雄は教国に対する個人的な恨みから、積極的にヴァナヘイムに味方してくれた。傭兵という立場からは考えられないほど献身的に。
プロンは以前、ガーランド個人と知己を得る機会に恵まれ、その事情を聞いたことがあった。
だが、教国も煮え湯を飲まされて黙っているわけがなかったのだ。
イコー教国北部大司教区と接するヴァラス大樹海。その深い森に住まう狼人族たちに対して、迫害と虐殺が行われたという情報が入った。
これにより、ガーランド率いる傭兵団は同胞を救うためにロカセナを離れる決断をした。
狼人族たちに対する虐殺が、必ずしもガーランドをロカセナから離れさせるための工作だとは断言できないが、その可能性は非常に高いとプロンは思っている。
なぜならば、遠く離れているはずのロカセナまで、その情報が届くのが早すぎたのだ。情報はあまりにも詳細で裏付けもあった。確実にガーランドを誘き出すため、教国側が故意に情報を流したとしか思えなかった。
情報の真偽はともかくとしても、そうしてガーランド率いる傭兵団がロカセナを去った後、教国は一気呵成に侵攻してきた。その結果、ロカセナは陥落し、教国によって占領された。
それが数ヵ月前の出来事。
教国がガーランドたちがいなくなった好機を逃すはずもない。
ガーランドたちを個別に仕留めるための策略を巡らしているのかは分からないが、教国はこの好機に即座に動き出し、まだロカセナ攻略による消耗の回復も十分ではないというのにカラド要塞の攻略に取りかかった。それには邪魔な者がいない内にカラド要塞を攻略したいという焦りのようなものも、プロンには感じられていたのだ。
だからこそ。
いつガーランドたちが帰って来るかも分からない現在、攻略の手を止めるというのが信じがたい。何か罠でも張っているのではないかという疑念を払拭できない。
「後退した教国の動きはどうなっている?」
問えば、優秀な腹心は即座に答えた。
「目立った動きは何も。本国からの補給により、徐々に戦力を回復しているだけですね」
「ふむ……カラド要塞攻略を諦めたわけではない、か」
「それはもちろんです」
消耗が無視できない段階に入ったのか。
それとも――急ぐ必要がなくなったのか?
(ガーランド殿……)
あの男が易々と倒される光景というのは想像できない。しかし、教国が後退した理由が後者だとしたら、かの御仁に何かがあったとも考えられる。
「む? 待て」
そこでプロンは、ふと教国が後退した理由を聞いていないことに思い当たった。
「教国の撤退の理由、掴んでいるか?」
「正確なところは不明ですが……」
さすがのソルも、正確な敵の内情を知ることはできなかったようだ。しかし、一応は理由らしきものを掴んでいる様子で、ここ最近のカラド要塞攻防戦に纏わる報告を上げてくれる。
「我々が送った物資が殊の外、役に立ってくれたようです。特にワイバーン素材の防具と閃光マリモ、それから霊薬の力が大きいでしょうか。ドラコ将軍は攻勢に転じる決断をなさり、敵陣地へ夜襲をしかけたと聞いております。これにより教国軍へ大打撃を与え、撤退へ追い込んだと」
教国との戦争は長い。
すでに何年も前から国軍がこの辺境の地に派遣されており、カラド要塞で指揮を取っているのはヴァナヘイムの将軍の一人であるドラコ・ファブニル将軍だ。
「なんだと!? ……さすが、剛胆だな……王族の一人であろうに」
プロンはソルの報告に、驚きつつも呆れの感情を隠せない。
ファブニル家はヴァナヘイムにおける王族であり、ドラコ将軍はその末席にある。防戦一方だった現状で攻勢に転じるなど、下手をすれば自らの命も落としかねない決断だ。
「まあ、王族の方ですからねぇ」
「……そうだな、王族だからな」
しかし、ファブニル王家は数多の獣人種を束ねるだけあり、血の気が多いことでも有名だ。正直、臣民としては止めてもらいたいが、時に自ら戦場の最前線で敵と斬り結ぶ選択をするのがファブニル王家である。
まあ、それはともかく、
「エルフとドワーフの方々から頂いた物資が役に立ったのか。これは、本当に頭が上がらないな」
頂いた、というか正当な値段で買った物ではあるが、実際的には彼らからの支援物資に近いとプロンは判断していた。
何しろほんの少し前までは食うにも困るドワーフたちに食料を売らねばならなかったのである。それがエルフたちと和解し、合流したからと言って、すぐさま食料やその他物資を逆に売れるくらいに生活が楽になるとは思えない。
(いや、そもそも)
本当ならば、ほとんど売る必要もないのだ。
彼らが食料を自給できるというのなら、そもそも金銭を得る必要性がないのだから。彼らが住んでいるのは、金など何の価値も持たない山奥の秘境なのだ。
ゆえに、プロンは彼らがマジックバッグその他を売買する目的が、金銭ではなくヴァナヘイムへの支援であると見抜いていた。
度々商会を訪れる森神と精霊の姿を思い浮かべて、プロンは軽く感謝の念を捧げる。
「で? 何がどのように役立ったのだ?」
「そうですね……閃光マリモについては、報告の必要がありますか?」
「いや、それについてはまあ分かる」
実際にプロンも、森神が手ずから生み出したとされる新しい植物、閃光マリモの性能については確認している。極少量の魔力を起爆剤に、凄まじい閃光を生み出す消耗品――アイテム、と言って良いだろう。その光量は、直視すれば失明の恐れすらあるほどだった。
ドラコ将軍が夜襲を仕掛けたというのなら、その使い道は一つだ。
「ワイバーンの防具については?」
「はい。こちらは生物素材だからでしょうか? 衝撃を吸収する力が非常に強く、教国の新兵器に対して有効なようでした。少なくとも鎧や盾に当たれば、酷くても骨折程度で済んだようです」
「ほう、それは凄いな。まさかワイバーン素材にそのような特性があるとは……」
教国の新兵器の内の一つ。
魔法の力で鉛の玉を高速で撃ち出す魔道具だ。
ヴァナヘイムでも幾つか鹵獲し解析を進めているが、再現にはまだ至っていない。その理由は教国の持つルーン技術の解析が難しいこと。現行の魔法技術で代用すると大型化してしまうこと。魔法技術だけでなく、高い冶金技術が必要とされること。そして、多くの獣人たちにしてみれば、その兵器が金ばかり掛かって「弱い」こと――などが挙げられる。
教国の新兵器は強力な武器だが、その威力は一律だ。
たとえば新兵であれば撃ち出される鉛の玉には為す術もないが、レベルの上がった練達の兵士ならば向けられる武器の方向からタイミングを見計らって回避したり、魔法で防いだりということも難しくない。
ガーランドのような人外に一歩踏み込んだような強者ならば、鉛の玉を見てから回避したり、そもそも当たったところで大したダメージにならないまである。
弱者からすれば、とてつもなく強力な兵器であるが、強者からすれば、どうということもない兵器。
しかし、量産できれば弱兵に持たせることによって途端に強兵にできるし、戦力の均一化も図れる。人族しかいない教国にとっては、なるほど有用な兵器であろう。
この兵器に長年苦しめられて来たヴァナヘイムだからこそ、この兵器の厄介さも理解できるというものだ。
しかし、それをワイバーン素材の防具である程度とはいえ対抗できるようになるとは……、
(まさか、知っていたのだろうか?)
ワイバーン素材が教国の新兵器に対して有効だと。
であるならば、あれほどのワイバーン素材を売ってくれたのも納得だ。
なぜこれほどワイバーンばかり? と不思議に思っていたが、まさかこのためだったとは。
(だとすれば、いったい誰が知っていたんだ?)
森神様……は、ないだろう。
代替わりしたばかりであまりにも幼く、そのような知識をお持ちとは思えない。
ならばエルフの誰か、あるいはドワーフだろうか?
いや、それもないとプロンは思う。ドワーフだったならば、今までその事実を教えてくれなかったわけがないし、エルフが知っていたならば、アルヴヘイムでの戦争で活用されたはずだ。
ゆえに、プロンは直感する。
(やはり、あの精霊様か……)
自身のことを森の精霊だと言っていた。
加えて、プロンは買い取った精霊樹の葉を解析することで、かの精霊の位階が「精霊森樹」であることも掴んでいる。
通常、樹木がその位階に至るために必要とされる年月は、途方もなく長い。エルフの助力なければ、その位階に至る前に枯れてしまうのが当然である。
(あのようなお姿の精霊様は噂にも聞いたことはないが、凄まじい年月を生きられているのは確かなはず。ならばその知性、知識はわたしごときが測れるものではない……)
そもそもアルヴヘイム以外に「精霊森樹」が存在するということ自体、初耳だったのだ。
おそらくはエルフたちが故意に隠し通していたのだろう。
まさにアルヴヘイムが滅ぶというような、緊急の事態に備えて。
「精霊森樹」があるならば、アルヴヘイムの復興は想像以上に早いのかもしれない。
「――旦那様?」
「ああ、すまん。何でもない」
ソルに呼ばれて、考え事を中断する。
「ワイバーン素材については分かった。それで、霊薬の効果はどうだったのだ?」
霊薬。
精霊森樹の葉を素材に、ヴァナヘイムの錬金術師たちが作り出した魔法薬だ。
桁違いに多くの素材を必要とするために現状ではまだ貴重過ぎて、プロンも実際に使用した場面は見ていない。解析の結果から、その効果のほどは予想しているが……。
「はい、部位欠損再生レベルの魔法薬になったみたいですね」
「やはり、そうか」
予想通りの答えに頷きつつも、興奮は抑え切れない。
教国の馬鹿どもがアルヴヘイムを滅ぼしたお陰で、この数年、辛うじて精霊樹の葉は手に入っても、精霊森樹の葉は手に入らなくなっていたのだ。
精霊樹の葉と精霊森樹の葉では、素材が秘める力が大きく違う。
部位欠損を治療する魔法薬の素材には精霊森樹の葉が必要不可欠であり、部位欠損の治療には高位の治癒魔法に頼るしかないのが現状だった。
そして、部位欠損を癒せる治癒術師などそうそういる者ではない。
「重傷兵に投与したところ、翌日には戦線への復帰が可能になったようです。これにより高レベルの兵士を中心に霊薬を与えていき、次々と戦線へ復帰させて夜襲を強行したようですね」
「ふむ……霊薬がなかった場合、夜襲は実行できたか?」
「それは不可能だったでしょうね。我々が霊薬をカラド要塞に納品した時点で、かなり戦力を消耗していましたから」
「なるほど。となると……自らの葉を我々に売ってくださったのも、要塞の実情を推測してのこと、なのか」
ワイバーン素材。閃光マリモ。精霊森樹の葉。
すべてが教国へ打撃を与えるために繋がっているような気がする。それがすべて精霊様の思惑通りでもおかしくはない、とプロンは思った。
「教国軍が大打撃を受けて撤退したというのは、どうやら嘘や罠ではなさそうだな……」
「そうですね。そう思います」
ソルも同意見だったのか、深々と頷く。
それでも教国の脅威はいまだ国内にあり、奴らが諦めたわけではないのは確実だ。
「これで、ガーランド殿がお戻りくだされば良いのだが……」
わずかな期待を込めて、プロンは呟いた。
プロンの中ではそうなっています。
推測が正しい情報とは限りません(;^ω^)
 




