第六話 エルフの里は近かった
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――のぉおおおおおおッッ!? 揺れる! 揺れるぅッ!?
『もうすぐだから、だいじょぶ』
――だいじょばない! 全然だいじょばなぁあいッ!!
俺を右手に握りしめながら、セフィは森の中を駆ける。
ぶんぶんと勢い良く体が上下させられるのは酷い経験であったが、長い時間こうしていなければならないのかという俺の絶望的な予想は、良い意味で裏切られた。
考えてみれば幼いセフィの足でそう遠くまで行けるわけもない。
道なき森の中をそれほども駆けることなく、セフィの足は勢いを弱め、自然、俺の強制的な上下運動も終わりを迎えた。
トコトコと歩きながら、セフィは俺を胸の前に掲げて『ほら!』と前方を指差した。
そこにはなるほど、確かに家があった。
一見するだけで、複数の家屋が建っているのがわかった。
本来ならば、見えないはずなのに、だ。
なぜならば、家は「柵」の向こう側にある。
いや、「柵」というよりもそれは、もしかしたら「壁」なのかもしれない。俺の知識にある遥か昔、人間の国家が都市レベルだった頃、都市一つを丸々囲うような防壁であり市壁。あるいは城壁のような役割を持つ防御施設。
だがそれは、崖から切り出した石材で出来ているわけではなかった。
木目をさらす木材――棒状に切り出されたそれが何本も何本も地面から突き立っているらしいのが、辛うじて「柵」の上部を見れば分かる。棒状の木材の上部分だけが、わずかに覗いているからだ。
そしてその棒に巻き付くように、あるいは棒から棒へ這って行くように、夥しい量の茨が、何者も通さないかのように壁を形成していたのだ。
有刺鉄線――という単語が思い浮かぶ。
しかし浮かび上がったイメージとは違い、鋭そうな棘はあっても鉄線ではなく、茨なので一本一本がそこそこ太い。ゆえに隙間など無いに等しく、向こう側の光景を見る事ができない。まさに「植物の壁」とでも呼ぶべき物に成り果てていた。
その植物の壁は、おそらく幾つもの家々がある空間をぐるりと囲んでいるのだろう。
おそらくは集落や村、里とでも呼ぶべき共同体を。
そしてだからこそ、壁の向こう側にある家をこちらからはっきりと見ることなどできないのだ――その家が、地面の上に建っているのならば。
――ほえー……しゅごぉーい。
我ながら間抜けな感想を漏らしつつ、俺はそれらを見上げる。
茨の壁の向こう側には、樹齢千年を軽く超えるのではないかというほどの、太くて高い木々が何本も生い茂っていた。
そして、それらの枝の上(かなり高い位置にある)に梯子や階段、あるいは枝から枝へ渡された橋のような道が縦横無尽に走っており、所々に小さめの家が何軒も建てられている。
樹上都市――というには些か規模が小さいが、それでも十分に現実離れした光景だった。
しかし、それにしても、と思う。
何だか茨の壁の向こう側にある木々は、森の木々に比べて異様に太くて大きく立派なような気がする。距離的には完全に同じ森を構成する木々だと思うのだが、あちらだけ成長が速いというか。
と――、そこまで観察したところで、妙にセフィが得意気になっているのに気づいた。
何というか、どや顔である。かなりどやってるな、これは。
――どうした?
『ふふーん! すごいでしょー!』
どうやら、先ほどの俺の呟きを聞いていたようだ。
まあ、あえて否定することもないし、素直に同意しておこう。
――ああ、すごいな。エルフの集落なのか、ここは?
まさか住んでいるのが全員ハイエルフというわけでもあるまい。
もしそうだったら、ハイエルフの希少価値が大暴落だ。もう「ハイ」の文字を取った方が良いんじゃないか、とツッコミが入る事だろう。
だが、言外の問いに気づいているのか気づいていないのか、セフィは否定する事なく頷いた。
『うん、そうだよ! セフィがつくった!』
やはりそうか。
ここはエルフの集落らしい。
まあ、考えてみれば当然で、セフィのような幼い子供がこんな森の中に一人で住んでいるわけもないし、少人数だとしても危険だ。それなりの集団を形成するのが自然の成り行きなのだろえええええええええ!?
――はい!? セフィが作ったぁ!?
いやいやあり得ねぇだろ。
幼児に何が作れるというのか。
しかし、ハイエルフの詳しい生態を把握しているわけでもないから、いまいち否定しきれない俺がいる。
『そうだよ! もー! ちょーがんばってつくった!』
頑張って作れるものとは思えないが。
幼児特有の拡大解釈の可能性が大。
――嘘だろ? 何を作ったんだよ?
『うそじゃないよ。あれとか』
と、セフィは茨の壁を指差す。
『セフィがわっさーっ! ってやったの。あと、あれとか』
と、セフィは茨の壁の向こう側に生えている馬鹿デカイ木々を指差す。
『セフィが、がんばれー! って、めっちゃおうえんしてあげた』
わっさー?
おうえん?
良くわからないが、説明するセフィのどや顔には一点の曇りもない。
ハイエルフの魔法か何かで、少しだけ手伝ったとか、そんな感じなのだろう。しかし余計なツッコミを入れてヘソを曲げられても面倒だ。
――……そうなのか、すごいな、セフィは。
『ふふーんっ!』
胸を張るセフィ。
ここは好きなだけドヤらせてあげたいところだが……どうにも、そうはいかないようだ。
――なあ、セフィセフィ。
『ん?』
――あのエルフたち、凄い勢いでこっちに向かって来るけど、お迎えか?
『あ』
前方、エルフの里を囲む茨の壁だが、完全にすべてを閉ざしてしまえば出入りはできない。
当然、こういった構造物には出入り口として門のような物が存在してしかるべきだ。それは茨の壁も例外ではなく、俺たちが向かわんとしているところに、茨がアーチ状になった出入り口らしき物があった。
そこに門兵のように立っているエルフが二人いたのだが、彼らは近づいて来るセフィの存在に気づいたらしい。
その瞬間、凄まじい勢いで走り出して近づいて来たのだ。
おまけに、
「~~!! ~~~ッ!!」
何事かを叫んでいるし、表情は険しい――というか、もしかして怒ってる?
まさかセフィが抱えている俺を魔物か何かと勘違いしているのではあるまいな?
俺のようにプリティな雑草ちゃんに危害を加えるとは思いたくないが、あの形相を見るとその可能性も否定できない。
いざとなればセフィに取り成してもらう他ないのだが、頼るべき相手としては幼女は些か心許ない。
しかし、俺を連れて来たのはセフィだし、何とかしてもらわないと困る――と、件の幼女を見上げてみれば。
『あわわわ』
セフィこそ慌てふためいていた。
あ、うん。
だいたい把握したわ。
――セフィ君? ちょっと聞いても良いかな?
『な、なな、なに? いまちょっとそれどころじゃない。はやくにげないと』
どこへ逃げるんだよ。現実逃避すな。
――君ぃ、もしかしてだけど……内緒で外に出て来たんじゃないか?
『そっ、そんなことない。ちゃんといってきますした。……こころのなかで』
ダメだろ、心の中じゃ。
セフィがガタガタと震えている間に、全力疾走してきたエルフ二人はこの場に到着した。
どちらも男(たぶん。顔が美形過ぎて良くわからない。でも胸無いし)で、年若い青年のような姿をしている。
「~~!! ~~ッッ!!!」
推定エルフ語だから何を言っているのか分からないが、声の調子や表情からして、どうやら叱っているようだ。まあ、当然だけども。
この後セフィは青年エルフ二人にめちゃくちゃ怒られ、
当のセフィはしょんぼりしつつ項垂れ、ごめんなさいをするかと思えばハッと何かを思いついたように顔を上げ、なぜか俺を青年エルフたちの前に差し出して、律儀に俺にも分かるようにしつつ言ったのである。
「『せいれいさんによばれてしかたなかった!』」
――えッ!?
俺のせいにすな!