第六十七話 迷宮攻略隊
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セフィーリアちゃんの助言について、俺は深く考えてみた。
彼女は現在俺たちが住んでいる迷宮、ヒミンビョルグを攻略した方が良いと言っていた。
その目的はヒミンビョルグの管理者権限なるものを獲得する事。
その理由は転移陣を停止できるようにする事。
なぜ、転移陣を停止させた方が良いのか?
セフィーリアちゃんは、セフィたちが大切ならそうした方が良いと言った。
それはつまり、このまま放置しておけばセフィたちに危険が及ぶという事ではあるまいか。
それは何かと考えてみる。
転移陣を停止させる事が危険を防ぐ理由となるはずだ。
ならば危険は、転移陣からやって来る。
それは何か? 迷宮の魔物?
いや、下の階層に生息する魔物が階層を越えてやって来る事はないと聞いている。それよりももっと、身近に迫る危険がある。
転移陣はビヴロストからも自由に使えるのだ。
そしてビヴロストの近くでは今、教国が攻めて来ている。
もしも教国が勝利を重ねてビヴロストまで進軍し、都市を占拠したらどうなるか?
当然、ビヴロストの中にある転移陣は発見されるだろう。
その転移陣がどこに繋がっているか、教国が確かめないと考えるのは楽観的過ぎる。
そしてそうなれば、転移先にいるドワーフたちを、エルフたちを何もせずに見逃すだろうか?
全ては教国がビヴロストを占拠したらという仮定に基づく懸念に過ぎない。
杞憂に終わる可能性も大いにあるだろう。
けれど。
その万が一の可能性に気づいてしまったからには、何もしない事など出来ないのだ。
だから俺は迷宮ヒミンビョルグを攻略する事にした。
――とはいってもだ。
ヒミンビョルグを攻略するのにどれほどの時間がかかるのか、見当もつかないのが現状だ。
それに俺としても色々とやらなければならない事も多い。
ゴルド老にルーン文字の意味を教える作業は、その全てが完了したわけではない。ルーン技術を使った様々な道具や武器などの開発には、まだまだ協力しなければならないのだ。
それにガングに任せた食料生産にしても、暇があれば手伝わなければならないだろう。
最初は主食や野菜類の生産に力を入れていたが、今では多少余裕も出来てきたから香辛料となる作物も栽培しているところだ。
この間――というか昨日の事だが、ビヴロストで香辛料などを買ったのは当座の必要分である。
考えてみれば香辛料は大抵植物なのだから、俺が作れば良いだけだった。
それでも塩だけは作れないので、これからも買う必要があるだろうが。それか近くに岩塩が採れる場所があれば別だが、ドワーフたちもそんな場所は知らないとの事だった。
ちなみに、香辛料は主にドワーフたちに大人気である。
エルフたちは基本薄味か甘味の類いが好みのようで、狼人族は肉が好き、そしてドワーフたちは肉でも穀物でも木の実でも何でも食べるが、その全てが濃い味付けになる傾向がある。
まあ、酒の肴だよね。
閑話休題として。
他にも戦力の充実を図るためにもミストルティン以外の武器などの開発も必要で、現在もローレルやエムブラと共同で開発中の道具もある。
このように色々とやるべき事は山積している状態で、そんな中、俺が率先して迷宮攻略などしていればセフィが黙っているはずもない。
絶対ついて来ようとするはずだ。何やらセフィは迷宮に対して思い入れがあるようだからな。
いやたぶん、少年的な冒険に対する憧れとか、そういうやつだけど。
なので迷宮攻略は迷宮攻略で、専門部隊を用意しようと考えたのである。
それはヴァルキリーたちと狂戦士たちだ。
食料生産に使う肥料としての魔物狩りならば、グラムたちで十分だとこれまでの経験で判っている。
ならば、ヴァルキリーたちを迷宮攻略に専念させても人手は足りるだろう。
狂戦士たちはそもそも使っていなかったし、有効活用する良い機会だと思う事にする。
そんなわけで俺は、ブリュンヒルドたちに200体くらいの狂戦士たちを率いてもらい、迷宮の攻略を命じる事に決めた。
残る100体近くの狂戦士は、もしものための戦力として残しておく事にする。
――なのだが。
迷宮に出現する魔物は隠れ里周辺より強いらしいのだ。
元々住んでいた旧エルフの里周辺ならば、ブリュンヒルドたちに200体の狂戦士など過剰戦力も良いところだが、前の俺の知識には「迷宮とは進むに従って出現するモンスターは強くなるものである」という根拠不明な知識もある。
ならば迷宮下層でどんな強敵が現れるかも分からない。
それに戦力が多い分には困らないはずだし、迷宮攻略の速度も上がってくれるはずだ。
ゆえに、俺はさらにちょっとだけ戦力を強化する事に決めたのである。
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そんなわけで今、俺はヒミンビョルグの外にある広大な畑の真ん中、つまりは俺の本体やエルフの里となっていた大樹たちが集まっている場所にいる。
というか、本体に意識を戻していた。
何をするのかと言えば、分霊たるガングレリを作ってもなお100を超える【神性値】を使って、新たなる眷属と分霊を生み出すためである。
『さて、じゃあ始めるぞ』
「おー!」
言うと、セフィが元気良く拳を突き上げた。
ちなみに、その片腕には俺の精霊体(抜け殻)を預かってもらっている。
その傍にはブリュンヒルドとエイルが集まっていた。
グラムたちは狩りへ行っていて不在だ。
「ついに私たちの姉妹が増えるのですね」
「私もようやくお姉ちゃんになる」
ブリュンヒルドとエイルがそれぞれに言うが、君たちまだヴァルキリーになってから三ヶ月も経ってないからね?
人間であればこんなにもポンポンと姉妹が増える事などあり得ないのだが。
というか、「姉妹」なのは確定しているのだろうか?
生まれる眷属がヴァルキリーであれば、女性の姿になるのだとは思うが。
『ま、まあ、ともかくだ』
俺は突っ込みを我慢しつつ、現在の【神性値】がどれくらいあるか確認するために、ステータス画面を開いた。
【固有名称】『ユグ』
【種族】精霊森樹・エレメンタルフォレスト
【レベル】18/80
【生命力】2813/2813
【魔力】4647/4647
【スキル】『光合成』『魔力感知』『エナジードレイン』『地下茎生成』『種子生成』『地脈改善』『変異』『結界』『同化侵食』『精霊化身』『分霊生成』『精霊ノ揺リ籠』『魂無キ狂戦士ノ館』
【属性】地 水 光
【称号】『賢者』『ハイエルフの友』『エルフの里の守護精霊』『人気者』『武器製造の匠』『精霊の友』『酒精霊』
【神性値】106
進化してから二ヶ月ほど経っているのだが、俺のレベルはまだ18なのである。
二回も特殊進化を経験した身であるからだろうか、流石に前までのようにポンポンとレベルが上がっていくような事もない。
これでもドラシル形態で旅をしている時はそれなりの数の魔物を倒したし、そもそもブリュンヒルドやグラムたちが得た経験値の一部が俺にも入って来ているはずである。
おまけに『光合成』や『エナジードレイン』『同化侵食』などで手に入るエネルギーの総量も増加していて、そういった地味な生命活動でも得られる経験値は増えている感触がある。だが、それでもなおレベルアップの頻度は格段に低下しているような感じであった。
種族的には上位の種族になるだろうから、必要な経験値もその分増加しているのだろう。
しかしそうなると、レベルが上がれば上がるほどレベルアップに必要な経験値が増える事も相俟って、次の進化に辿り着くまでにはだいぶ長い時間を要しそうだ。
まあ、それはともかくとして。
今ある【神性値】は「106」だ。
分霊を一体作ると、ギリギリで眷属も一体しか作れない量である。
なので、どちらも一体ずつ作る事にした。
まずはブリュンヒルドたちの要望に応えて、里の大樹に宿る微小精霊を眷属化する事にする。
ちなみに、どの大樹の精霊を眷属化するかは、ブリュンヒルドたちによってすでに選定済みだ。エイルに次いで大きな大樹で、ブリュンヒルドの宿っていた大樹――つまりセフィの暮らしていた大樹からの距離もエイルの宿っていた大樹に次いで近い。
その対象となる大樹の近くにセフィたちが集まったところで、俺は『精霊ノ揺リ籠』の能力の一つ――眷属化を発動した。
瞬間、俺の視界にステータスとは別の文字が表示される。
『【固有名称】『――』に対して【神性値】の譲渡による眷属化を提案しました』
『【固有名称】『――』は、眷属化を受諾しました』
『【固有名称】『――』が、進化および位階上昇します』
文章が次々と流れていき、やがて変化は訪れる。
セフィたちが見守る中、眷属化する精霊が宿った大樹が淡い緑色の光を発したかと思うと、大樹の幹、その表面に波紋のような揺らめきが起こったのである。
その波紋の中心から、まるで水中にいた者が水面へ現れるかのようにして、彼女は姿を現した。
外見としては十代前半くらいの、まだ幼さが残る少女といった見た目だった。
髪と瞳の色は当然のように緑で、白く透き通るような肌をしている。
軽鎧に身を包み、腰には装飾の施された剣を差しているのもブリュンヒルドたちと同じだ。
長女であるブリュンヒルドは、落ち着いた大人の女性を思わせる。
次女であるエイルは、短めのボーイッシュな髪型ながら無表情が多く、どこか静かそうな印象がある。
対する三女である彼女は、幼げな顔に好戦的な笑みを浮かべていた。
なのだが、幼い顔立ちも相俟って小生意気そうな少女といった印象が強い。
彼女は静かに地面に降り立つと、セフィに抱えられていた精霊体に意識を戻した俺に向かって、ふふんっという感じで胸を張る。
「眷属化してくれて感謝するぜ、主殿! これからはアタシが皆の敵をぶち殺してやんよ!」
にやりと笑い、びっと自分を親指で示す。
そんな彼女の背後へ、ブリュンヒルドは音もなく近づくと徐に拳を彼女の頭へと振り下ろした。
ごづんっと、なんとも痛そうな音が響く。
「ってぇー! あにすんだよ姉貴!」
「何ではありません。主様に向かって何て口を聞いているのです。敬意を示しなさい」
涙を浮かべながら頭を押さえて振り向く彼女に、ブリュンヒルドが静かに言う。
っていうか、ブリュンヒルドの事を「姉貴」って呼ぶのか。
ちなみにエイルは「ヒルド姉」と呼んでいる。
「別に良いじゃんか。ちゃんと命令は聞くし、主殿の事はソンケーしてるぜ? なー?」
なー? と聞かれても困るのだが。
別に口調くらい、それぞれの個性だし気にする事でもない。
今にもオーガもかくやといった形相で拳を振りかぶっているブリュンヒルドを止めるために、俺は慌てて口を開いた。
『まあ、俺は別に構わないから、ブリュンヒルド、その辺で』
「さっすが主殿! 話が分かるぜ!」
「主様は甘すぎますわ」
ため息を吐きながらも俺の言葉だからだろうか、ブリュンヒルドはこれ以上怒るつもりはないようであった。
そんな姉の横をすり抜けて彼女はセフィの傍へと駆け寄ると、今度は小生意気そうな笑顔ではなく、屈託ない笑みを浮かべてセフィを抱き締めた。
「それからセフィちゃんもよろしくな! 今日からはアタシが守ってやるからな!」
「おー……」
すりすりと頬を合わせて来る相手に、珍しくセフィも戸惑い気味であった。
テンションが高い相手は苦手なのであろうか?
「セフィ、わりとさいきょーだからだいじょぶだよ?」
と返すが、彼女は気にした様子もない。
「んじゃあ、セフィちゃんが気に入らない奴がいたら、アタシがぶっ飛ばしてやるよ」
「お、おー……」
間髪入れずに返された言葉に、さすがのセフィも咄嗟に言葉を返せないようだ。
っていうか、君とセフィの間に、俺、挟まってるんで。君がセフィを正面から抱き締めてギュウギュウと密着してくるもんだから、間にいる俺ってば延ばしたパイ生地みたいになってますから。
さっさと離れてもらうためではないが、話を先に進めるために二人の間から俺は言った。
『そういや、名前とか決めてやんないとな』
生まれたばかりのヴァルキリー三女に名前はまだない。
なので名前を付けてあげるべくそう言った瞬間、彼女はバッとセフィから体を離すと、怖いほど真剣な表情で言うのだ。
「セフィちゃん、アタシに名前付けてくれ!」
「お、おー……」
『いや、俺の眷属だし、俺が付けてあげようと思ってたんだが? っていうか、実はもう考えてあるんだよ。ヴァル――』
「セフィちゃんッ! アタシに名前を付けてくれッ!!」
「うんー……いいよ?」
『――江とかどう?』
あれ?
どうやら俺の声が聞こえていなかったみたいだ。
仕方ないのでもう一度告げようとした時、俺の目の前に画面が現れて文章が表示された。
『【固有名称】『――』は、命名を拒否しました』
命名って、拒否できるんだ……。




