第六十六話 これが夢オチってやつか
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むにむに。
ぷにぷに。
びよーん。びよーん。
俺の愛らしい精霊ボディに、そんな擬音を当てたくなる刺激があった。
抱き枕代わりにセフィに抱えられながら眠っていた俺は、その度重なる刺激に意識が浮上する。
犯人は考えるまでもないだろうと、俺は眠たげな声音で心地よい眠りを妨げる悪戯を止めるよう言った。
『う、う、セフィ……俺はまだ眠いんだから、揉むのはやめてくれ』
「あら、まだ寝るつもりなの?」
その声に意識は急速に覚醒する。
知らない声だった。
『えっ……誰?』
思わず目を開けて視線を向けて見れば、俺を抱き抱えてぷにぷにしていたのは見たことのない人物であったのだ。
年の頃は二十代前半といったところだろうか。
しかし、外見年齢が実際の年齢ではないだろうと、すぐに分かった。
というのも、その人物の耳は長く伸びていたのだ。俺にとっては見慣れたエルフ耳である。
そう、その人物というのはエルフの女性であったのだ。
陽光を紡いだような綺麗な金髪に、宝石のような輝きを宿す碧眼。透き通るように白い肌に、エルフとしても飛び抜けて整った美しい顔立ち。
身に纏っているのも神聖さを感じるような純白のトーガ(という単語が思い浮かんだ)みたいな衣服で、どこぞの女神様かという感想が浮かぶ。
しかし不思議にも、非人間的な印象はない。
整った容姿の人物を指して「人形みたいな」という形容詞があるが、彼女の面に浮かんでいるのは、どこか悪戯っ子めいた稚気に溢れた表情だった。
外見はともかくとして、中身は「悪戯好きのお茶目なお姉さん」みたいな感じだ。
『んで、ここ何処?』
そこまで確認したところで、俺は周囲の光景も見覚えのないものだと気づいた。
そこは床から壁から天井から、すべてに木目模様が描かれた――というか、木目模様そのものが浮かぶ広い部屋だった。
室内に置かれた幾つもの調度品は、その全てが高級品だと一目で解るような品質で、テーブルも椅子もソファもベッドもタンスも絨毯も、まるでどこぞの王族が使っているのかという高品質な品々だ。
そんな室内の一面はバルコニーに面しているらしく、そちらに視線を向ければ鬱蒼と生い茂る巨大な木々の姿が「遥か眼下」に見下ろせた。
しかも、その木々の隙間からは幾つもの建物が樹上に築かれ、木と木の間を幾つもの「橋」が繋いでいる様子も見える。
俺が暮らしていたエルフの里の少し前までの姿に似ている。
しかしながら、セフィが住んでいた――つまりブリュンヒルドが宿っていた大樹にしても、ここまでの高さはなかったはずだし、何より「里」と呼ぶには規模が大きすぎる。
森と一体となりながら多くの人々が暮らす活気に溢れた光景は、森林都市という表現の似合う場所だった。
「ここはあなたの夢の中よ」
『そう、なのか?』
椅子に座りながら、俺を膝の上に乗せた女性があっけらかんと告げる。
俄には信じがたい言葉であるが、俺はなぜかあっさりと納得してしまった。
俺の記憶が確かなら、俺はセフィと一緒に眠っていたはずで、その後どこかに移動した記憶はないし、そもそも起きた記憶もない。
ならばこの世界が俺の夢の中だという言葉は理に適っているように思われたのだ。
だが、それにしてはおかしな点も多々見受けられる。
夢だと言うならば、それは俺の記憶をもとに作られたものであるはずだ。
しかし、俺を膝に乗せた女性にしても見覚えはないし、バルコニーの外に広がる広大な森林都市も見た事はない。
まあ、エルフの里の光景を俺の意識が勝手に加工した光景が森林都市なのかもしれない。
そう考えて見れば、目の前の女性の姿にも納得いく理由を付けられそうだ。
というのも、女性の姿はどこか見覚えのある姿であったのだ。何というか、セフィが大人になったらこんな姿になるのではないか、という外見をしているのである。
『……もしかして、セフィ?』
と、思わず言葉が零れてしまった。
それに対して、女性はどこか得意気に胸を張る。
「ふふん! 良く分かったわね。私はセフィーリアちゃんよ!」
セフィーリアちゃん……。
これは、どう突っ込めば良いんだ?
ちなみにセフィの名前はセフィであって、セフィーリアではない。
「それにしても」
と、自称セフィーリアちゃんはマジマジと俺を見つめた。
「あなた、随分と可愛らしくなったわねぇ。凄いぷにぷにだし」
ぷにぷに、と俺の精霊体を揉みまくる。
それからおもむろにつば広帽に手をかけて、
「帽子の下はどうなってるのかしら?」
言いながら、ぐいーっと帽子を取ろうと引っ張り始めた。
『あだだだ! 止めんか! 取れねぇし!』
「どうやらそうみたいね」
納得したように頷いて手を離す。
こいつ、自由か。
俺は呆れつつも、一向に覚める様子のない夢に疑問を覚える。
『というか、なんだって俺はこんな夢を見てるんだ?』
理由などなく、夢というのは不思議なものであろう。
だから俺も回答を期待していたわけではない。
「それは私がユグの夢に干渉したから」
『――はえ?』
それは本当の事なのか、それとも俺の意識が夢という形で作り出した戯れ言に過ぎないのか。
まあ、常識的に考えれば単なる夢なのだから、真に受ける必要もないと思うのだが。
っていうか今気づいたけど、これって明晰夢ってやつ?
俺、明晰夢を見るのは初めてだわ。
『え、なに? セフィーリアちゃんは夢魔か何かなの?』
とは思いつつ、念のために聞いておこう。
夢魔と呼ばれる魔物が実在するならば、俺の夢に干渉してよからぬ事を企んでいる可能性もゼロではない。
目の前のセフィーリアちゃん(今さらだがこの年齢の女性に「ちゃん付け」はキツいものがあるな)は邪悪な感じには見えないが、注意するに越した事はない。
「まあ、似たようなものかもしれないわ」
『……マジで?』
この返答も真実なのか、それとも夢特有の支離滅裂な回答なのか。
判断材料がないから、何を信じれば良いのか分からなくなってきたぞ。
とは言うものの、なぜか俺はセフィーリアちゃんの言葉を疑う気にはなれないでいる。
なぜか彼女には、セフィに感じるものにも似た親しみとか、信頼感とか、そういった感情を覚えるのだ。外見が似ているから、かもしれないが。
『それで、何で俺の夢に干渉? したの?』
「今のユグはちょっとお間抜けさんっぽいから、助言してあげようと思ってね」
『失敬な』
得意気な顔を浮かべる様子を見ていると、益々セフィっぽいと感じてくるな。
『というか、助言って何だよ? 特に助言されるような事に心当たりはないが』
「それがあるんだよねー。ユグったら、しばらくは迷宮を放っておくつもりでしょ?」
まったく予想外な事を言われた。
確かに迷宮はいつか探索してみたいと思っていたが、それはもう少し後になって色々な事が落ち着いてからと考えていたのだ。
然りとて迷宮の探索を優先するような事情もないと思うのだが。
『別に急ぐ必要もないからな』
「ううん、急いだ方が良いわよ」
しかし、セフィーリアちゃんは俄に真剣な表情をして言った。
それは戯れ言と放置するには気にかかるほど真剣な表情で。
「ヒミンビョルグを攻略すると、迷宮の管理者権限が手に入るわ。そして権限がなければ転移陣は停止できない」
『転移陣? 停止? そんな事する必要あるか?』
管理者権限うんぬんの知識は俺にはない。
にも関わらず、夢の存在であるはずのセフィーリアちゃんが当然のように口にしている事には違和感を覚える。
しかしそんな事はさておき、それはなぜだか気にかかる情報だった。
「あなたがセフィたちを大切に想えるなら、必要よ」
『それは、どういう……?』
無視できないのは、セフィーリアの表情がどこか悲しげだったからだ。
脈絡ない表情の変化に戸惑いながらも、なぜか胸の奥がざわつく。
「セフィたちを大切に想えるなら」とは、どういう意味か。まるで俺が誰かを大切に想えるような存在ではないと言われているようで、けれど誰かを大切に想えるような、そういう存在であって欲しいと懇願するかのような表情でもあって。
「私は、今のあなたの方が好きだわ」
悲しげな微笑を浮かべる彼女の姿に、何も言えなくなってしまった。
そんなセフィーリアちゃんは、何かを誤魔化すように一転してにやりと笑うと、再び俺をぷにぷにし出すのだ。
「その姿、可愛いしね」
そして俺が何かを言う前に、視界は白く染まっていって――。
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『――ハッ!?』
俺は目覚めた。
そこはヒミンビョルグ一階層に造られたセフィの住居、そのベッドの上だ。
見慣れた天井を視界に収めながら、俺はぷにぷにされていた。
「ユグ、おはよー」
『お? おう、おはようセフィ』
どうやら少しだけ先に目覚めたセフィが、手慰みに俺の精霊ボディをぷにぷにしていたようだ。
その刺激で俺も起きてしまったらしい。
俺は宙に浮かび上がってセフィへ視線を向けると、その姿をじっと眺める。
どこからどう見ても、寝起きのぼんやりした幼女である。
しかし、夢の中の記憶は鮮明に残っていた。自称セフィーリアちゃんの助言は、今もはっきりと覚えている。
果たしてあれは、ただの夢だったのか。
もしもただの夢でないのなら、彼女は……。
『セフィ、夢を見たこと、覚えてるか?』
確信などない。
だから歯切れ悪く、それでも念のために聞いてみた。
「ゆめ……?」
最初は何の事かと不思議そうに首を傾げていたセフィであるが、思い当たることがあったのか、ハッとして真剣な表情を浮かべると、頷いたのである。
「うん、おぼえてる」
『マジか? じゃあ、あれは……』
あれはセフィだったのか?
そう聞こうとして、
「セフィ、ゆめのなかでさいきょーのけんしになって、ゆびさきひとつでどらごんさんをばくさつしてた。それで、かれいなけんぎだって、みんなからいっぱいほめられた!」
ドヤァっと、得意気な笑みを浮かべてみせる。
指先一つでドラゴンを爆殺し、華麗な剣技だと褒められた……か。
『そっかぁ……。せめて剣を使おう?』
どうやら俺の夢とセフィに関連はないようだ。
セフィは今日も平常運転である。
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