第六十四話 ビヴロスト
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浮遊感が収まり、視界の歪みが晴れると、そこは既に別の場所だった。
広大な空間を持つ隠れ里の洞窟から、少し狭い感じのする小部屋へと変わっている。
室内の壁面や天井などは石組みで、もちろん天然の洞窟ではなく人工物だろう。
『ここがビヴロストか?』
と言っても、室内に窓などはないため外の光景を見る事はできず、実感は湧かないのだが。
「なんかあったかいねー」
セフィの言うように、先ほどまでいた洞窟と比べて明らかに周囲の温度が上昇しているのが分かる。
しかし、暖かいというよりは……、
「あったかいって言うか、暑いっすね、これは」
ウォルの感想が適切だろう。
ろくに日差しもなく薄暗い室内なのに、既に暑く感じるのだ(ちなみに光源は、壁面に備え付けられたランプのような物で、火は使っていないから魔道具っぽい)。
唯一の救いは湿度はそこまで高くなさそうな事だろうか。
俺たちの感想というか疑問に、ゴルド老が答えを返す。
「ここは砂漠の中にある都市じゃからの、暑いのは当然じゃわい。それより、さっさと行くぞ」
言うなりゴルド老が先頭になって歩き出す。
洞窟側にあった転移陣と全く同じ見た目の装置から床へ降りると、部屋から出るための扉を開けた。
その先には上へ続く階段がある。
慣れた様子で階段を上っていくゴルド老に続くと、さほど進まずに階段は終わり、下の小部屋よりもさらに小さい部屋に出る。
階段を上ったすぐ先に外へ出るための出入り口があり、こちらはドアなどもなく吹き抜けになっていた。
「うー、ここめっちゃあついよ?」
「こりゃあ、俺らみたいな繊細なエルフにはキツい環境っすねぇ」
ゴルド老に続いて外へ出ると、途端に肌を焼くような強い日差しを感じた。
気のせいか、周囲の空気も少し埃っぽいというか、土っぽい気がする。
どうやら転移してきた小部屋は半地下のようになっており、外と比べるとまだまだ温度は低いようだった。砂漠の中にある都市という言葉は嘘ではなかったらしく、外気温は室内の比ではない。
薄暗い場所から外へ出たためか、ゴルド老やセフィたちは目の上に手で庇を作っている。
少しして強い日差しにも目が慣れたのか、ようやく周囲を見渡してエルフ組は感嘆の声をあげた。
「すごぉー! つち? いし? で、おうちできてるー!」
「姫様、あれはレンガですよ」
「緑が少ないですね」
「そうだな。ってか、流石はヴァナヘイムだな。色んな種族がいるぜ」
外に広がるのは、日干しレンガか何かで建てられたと思わしき茶色の建物が無数に立ち並ぶ街中の光景だった。
ローレルの言うように視界の中に緑は少なく、地面もヴァラス大樹海などに比べれば、ずいぶんと乾いている。
通りは広めの幅があり、そこを多くの人々が行き交っていた。
ざっと見渡しただけでも複数の獣人種や、あるいは体の所々に鱗を生やし、腰の後ろからは太い尻尾を垂らす見た事もない種族もいる。彼らも何かの獣人なのだろうか。
そして意外だったのは、獣人よりはずっと数が少ないが人族らしき者たちも普通に暮らしている事だ。
多種族国家のヴァナヘイムで暮らしているという事は、イコー教を信仰しているわけではないのだろう。
どうやら人族だからといって、皆がイコー教徒というわけではないらしい。
『ここがビヴロストか……なんか、物々しいな』
活気がある――というよりは、何だか道行く人々からは物々しい雰囲気を感じる。
その原因は何かと目を凝らせば、武装している人々が妙に多い事に気づいた。面に浮かぶ表情もどこか緊張しているというか、気を張っているみたいに強張っている感じもするのだ。
「お主ら……恥ずかしいからそうキョロキョロするでない。田舎モンだと思われるじゃろうが」
周囲を物珍しげに見渡していると、ゴルド老が呆れた顔で注意してくる。
『いや、だって田舎者だから仕方ないだろ』
これだけの人々、これだけの建物なのだ。
ついつい見入ってしまうのは仕方がない。それに残念ながら、俺たちは本物の田舎者である。住んでいる場所は秘境みたいな場所だし、むしろ田舎者の前に「ド」を付けるべきかもしれない。
――と、そんなふうに立ち止まっていると、
「ゴルド殿! お久しぶりです」
すぐ近くから声をかけられた。
気がつかなかったが、見れば今俺たちが出てきた出入り口の横に人が立っていたらしい。
頬や首筋、手や腕などに鱗が生え、同じく鱗のある太く長い尻尾を伸ばした種族の男性だ。
革鎧と槍を装備した兵士らしき人物で、彼は面に苦笑を浮かべていた。どうやら俺たちのおのぼりさん的言動を見ていたらしい。
「おお! 久しぶりじゃの」
と、慣れた様子でゴルド老が対応する。
おそらく顔見知りなのだろう。というか、もしかすると彼はこの出入り口で見張りをしている人物なのかもしれない。
考えてみれば転移陣を誰の監視もなく放置していたら、よからぬ者が勝手に使用する可能性もあるし、見張りを置かないはずがなかった。
「今日は交易目的でやって来られたのですか?」
「うむ、そうじゃ」
見張り……たぶん、この都市の兵士だろうか。
ゴルド老の言葉に納得の表情を浮かべた彼は、次に俺たちの方へ視線を向けた。
「そちらの方々は、エルフ……ですか? エルフと……えっと……」
俺へと視線を固定したまま固まる兵士の人。
まあ、普通は分からないよな。どうも精霊という存在は簡単に人前に姿を現したりしないようだし。
『はじめまして。俺はユグ。森の精霊みたいなもんだ』
「精霊様、ですか。なるほど……これは失礼いたしました」
『いや、構わないよ。それからあっちのエルフじゃない二人も精霊だ』
と言って、ブリュンヒルドとエイルの二人を紹介する。
「うふふ、よろしくお願いいたしますわね」
「よろしく」
「なんと! 精霊様が三柱も……これは驚きました。こちらこそ、よろしくお願いいたします。それからようこそ、ビヴロストへ」
見た目は美女な二人に、やたらと畏まる兵士の人。
しかし、俺の時はそんな感じじゃなかったよね?
そこはかとなくもやっとするが、広い心で気づかなかった事にしてあげよう。
「しかしゴルド殿、エルフの方々と一緒に暮らしていたのですか? そういった話は聞いておりませんでしたが」
そう言う顔には、意外を通り越して驚きの表情が浮かんでいる。
そりゃまあ、仲が悪いとされるエルフとドワーフが一緒に行動していたら驚きもするだろうが。
「最近一緒に暮らし始めたんじゃよ。まあ、時代が変わった……ちゅうことかの」
「はあ、なるほど?」
ゴルド老は遠くを見つめながら説明するが、酒に釣られて和解した事は言うつもりがないようだ。
「そんで、今はわけあって一緒に暮らしているからの、色々見せるために今回は連れて来たんじゃ」
「そうだったのですか。……時に、エルフの方々と一緒に暮らしているという事は、里の人口が増えたという事でしょうか?」
今度はなぜか、眉間に皺を寄せながらそんな事を聞いてきた。
厄介な事が起きた、というより、どこか申し訳なさそうな顔にも見える。
「む? そうじゃの」
「やはりそうですか……。ゴルド殿、せっかく来ていただいたのに心苦しいのですが、現在、教国との戦線がかなり後退していまして、このビヴロストも危うい状況なのです」
「なに? たしか前来た時もどこぞの砦が落とされたとか言っていなかったかの?」
「はい。その後、さらに前線の砦が一つ陥落しました。ビヴロストも今では、軍の補給線上にある都市では一番前線に近い場所になり、前線に物資を送る都合上、都市全体で色々な物が不足している状況なのです……」
「ふむ……」
色々な物、と言葉を濁してはいるが、要は食料などが不足している――もしくは、ドワーフたちに売るほどの余裕がない、という事だろう。
ドワーフたちが交易によって仕入れていたのは、今まで酒と食料がほとんどであったらしいから、それを売る事ができないかもしれず、申し訳なく感じているらしい。
ゴルド老たちから聞いた話では、ここ最近ずっと取引量が減っていたらしいし(それが理由でドワーフたちは困窮していた)、それからさらに減るとなればドワーフたちに餓死者が出てしまうかもしれず、面と向かっては言いづらい――といったところか。
しかし、当のゴルド老は神妙な顔で頷きつつも髭を撫でるばかりで何も言わずにいる。
たぶんだけど、兵士の人が何を言いたいのか分かってないな、これは。
『あー、安心してくれ。今回は食料を仕入れに来たんじゃないんだ』
「そうなのですか!?」
このままじゃ話が進まないので、代わりに俺が対応する事にした。
『ああ、っていうか、食料の問題はほぼ解決したからな。足りない塩や調味料なんかは欲しいけど』
「あと酒じゃな」
酒は俺たちが作った品質の高い物があるけど、それはそれとして色々な酒が飲みたい、というのがドワーフたちの総意らしい。
そんなわけで酒だけはこれからも仕入れ続ける事に決まってしまったのだ。
「それは、こう言っては何ですが、良かった。我々としてもゴルド殿たちに満足な食料をお渡しできず、心苦しかったものですから」
俺の推測は間違っていなかったらしく、兵士の人は安心したように微笑んだ。
『しかし、教国と戦争してるとは聞いてたけど、随分と前線が近いんだな』
ドワーフたちが食料を満足に仕入れられず、困窮していたのは教国との戦争が激化した事が一因だとは聞いていた。
しかし、交易先の都市が前線に近い場所だとは知らなかったのである。
「いえ、以前はこの先にもう一つ大きな都市があり、ここも前線からは離れていたのですが、その都市が落ちてからは前線は日に日に後退する一方でして……。ここももう、安全とは言えませんね」
そう言う彼の表情は悲壮さを漂わせていた。




