第六十三話 転移陣
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ドワーフたちと共に暮らし始めて、はや一月が経過した。
ゴルド老に頼んでマジックバッグを出来るだけ量産してもらった俺たちは、遂に里の外部と交易に出る事にしたのである。
とはいっても、長い距離を歩いて旅するわけではない。
日帰りだ。
元々ドワーフたちは狼人族以外とも交易をしていた。
それはヴァナヘイムと呼ばれる多種族国家の一都市と、である。
当然、ヴァナヘイムとは距離的に大きく隔てており、おまけに間には広大なヴァラス大樹海が広がっている。
間には整備された道などあるはずもなく、真っ当な手段では交易など不可能だ。
では、ドワーフたちはどのようにしてヴァナヘイムと交易をしていたのか?
その答えはドワーフたちが暮らす里、そのものにある。
ここへやって来た時、ゴルド老は俺たちに向かってこう言った。
「人造異界へようこそ」と。
人造異界――別な言い方をすれば「迷宮」とも呼ばれる。
迷宮には大別して二種類存在するらしい。
すなわち人造の迷宮と、天然の迷宮だ。
どちらの迷宮であっても、共通する特徴というものがある。
それは不可思議な空間の広がりを持つ、という事。
天然迷宮であれば、これに加えて魔物の発生という特徴が加わる。
人造迷宮であっても魔物が発生する場所はあるらしいし、俺たちが今も暮らすこの洞窟を含んだ迷宮も同様に魔物が発生するらしいが、少しばかり天然迷宮とは事情が異なる。
それはここが、人造の迷宮である、という事。
人造であるという事は、迷宮の環境や構造が、造った者にとって都合の良い形に造られている――場合もあるのだ。
俺たちが暮らす人造迷宮は、先に住んでいたドワーフたちにも定かではないらしいが、おそらくはラグナロク以前に作られた迷宮らしい。
――というより、今の技術では人造迷宮は造れないらしく、人造迷宮は全てラグナロク以前の産物であると考えて間違いないようだ。
ともかく。
この迷宮を造った先史文明の人々が何を目的にしていたのかは分からないが、この迷宮にはドワーフたちにとって都合の良い二つの特徴があったのだ。
一つは、迷宮へ入ってすぐの第一階層が、一切魔物の発生しない安全な場所であった事。
そしてもう一つが、その安全な洞窟型の階層の奥に、先史時代に造られた高度な魔道具――今ではアーティファクトと呼ばれる遺物があった事である。
ドワーフの里の奥に残っていたアーティファクトが、ヴァナヘイムとの交易を可能にしたのだ。
それは『転移陣』と呼ばれる、非常に貴重なアーティファクトであった。
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『これが転移陣か、近くで見るのは初めてだな』
「つるつるしてるね。ねたらきもちよさそー」
広大な空間を備えた洞窟の奥へ向かうと、壁際近くにそれは姿を現す。
直径にして10メートルくらいの円形をした、金属製の台座。
そう表現するのが適切だろう。
余計な装飾の類いは一切存在せず、これが転移陣だと言われなければ何であるのか分からないほどだ。
明らかな人工物で、セフィの言った通り表面は鏡の如く磨かれていた。
ドワーフの里で暮らし始めて一月経つが、実は転移陣を間近に見るのは初めてだ。
転移陣があるというのは聞いていたのだが、食料生産やら移住やら狩りやらルーン文字解析の手伝いやらと意外に忙しい日々が続いていて、それどころではなかったのだ。
しかし今日は、久しぶりに転移陣を起動させてヴァナヘイムとの交易を行うという。
転移先は固定されているらしく、行き先はヴァナヘイムの一都市であるビヴロストという都市なのだとか。
俺などはエルフとドワーフの里以外に人間の暮らす都市というのを見た事がないし、幼いセフィもほぼ同様だと言う。
ゆえに。
他の都市とかめっちゃ行ってみたい、という純粋なる好奇心を抑えきれなかったのである。
まあ、今となっては唯一の交易相手であるビヴロストがどういう都市か、把握しておくのも重要であるという真面目な理由も、もちろんある。
そんなわけで俺とセフィと御付きにメープル、ウォル、ローレルと、護衛としてブリュンヒルドとエイルを加えた面々で、ドワーフたちに付いて行くことになった。
ちなみにドワーフ側はゴルド老と二人の男性ドワーフのみ。
交易品となる荷物は複製したマジックバッグに収納しており、背中にバッグを背負っている以外はほぼ手ぶらにも見える軽装だ。
ちなみにマジックバッグは全部で六つで、俺とセフィ、ブリュンヒルドとエイル以外の面々が背負っている。
俺とセフィはともかく、ブリュンヒルドたちは護衛役なので身軽にしてもらっている。
「おう、んじゃあそろそろ行くからの。準備はええか?」
とのゴルド老の確認に、それぞれが頷いて答える。
「良し、それじゃあ台の上に乗るんじゃ」
「セフィ、いちばんのり~!」
言われた瞬間、セフィが勢い良くダッシュする。
台へ登るための小さな階段を駆け上がり、ツルツルな装置の上へと誰よりも早く到着した。
そんなセフィを追ってメープルやゴルド老たちも台の上へ登る。
「すごい、きらきらひかってる……!!」
すると、変化はセフィが装置の上に乗った瞬間から始まっていた。
金属製で鏡のように研磨された装置の表面に、幾つもの光が生まれる。
それは円と曲線が幾つも組み合わさったような複雑な形を浮かべているのだが、良く見てみれば、その光の紋様を構成するのは――、
『これは、ルーン文字か』
極小のルーン文字が、数えるのも馬鹿らしいほどの夥しい数集まって、全体としてはまるで紋様を描いているように見えたのだった。
「アーティファクトじゃからのう、陣の術式にルーン文字が使われているのは当たり前じゃろう」
『そういや、ラグナロク前の魔道具は全部そうなんだったな』
ゴルド老の言葉に納得して頷く。
アーティファクトはラグナロク以前、つまりルーン技術が栄えていた頃に造られた魔道具の事であり、それにルーン文字が使われているのは至極当然だった。
『んで、これはステータス画面に似てるな……』
俺たち全員が台の上に乗ると、今度は宙空にステータス画面を彷彿とさせるような、枠組みの画像が浮かび上がったのである。
そしてそこには、俺たちにも読める文字で文章が浮かんでいた。
その文章を、セフィが辿々しく読み上げていく。
「えーとぉ、ひみんびょるぐ、にかいそう、いき……びぶろすと、いき……」
「まあ、姫様! 読めるのですか!」
かと思ったら、すかさずメープルが褒め始めた。
「まあね!」
「流石は姫様! 素晴らしいです!」
「ふへへぇ……!」
どうやら文字が読める事にメープルは感激しているようだ。
ちなみに画面にはこう書いてある。
転移先を選択して下さい。
ヒミンビョルグ二階層行き。
ビヴロスト行き。
『ん? 転移できる場所はビヴロストって所じゃなかったのか? 何か二ヶ所あるみたいだけど』
転移先は固定されていると説明されていたから、問答無用でビヴロストに転移するのかと思っていたのだが、画面には転移先候補は二ヶ所表示されていた。
「あー、確かに転移できるのは二ヶ所なんじゃが、ヒミンビョルグ二階層の方は行かない方がええからの」
『どゆこと?』
困ったような顔で頭を掻くゴルド老に、説明を要求する。
「ヒミンビョルグってのは、ここの事なんじゃが」
ここ――と言いつつ、ゴルド老は地面を指差すような仕草をした。
ここがヒミンビョルグ。そして転移先はヒミンビョルグの二階層。それらの情報を加味した上で、この洞窟がどんな場所であるかを思い返せば、ゴルド老が言わんとしているところは推測できた。
『つまり、この洞窟を含む迷宮の名前がヒミンビョルグって事か?』
「そうじゃ」
と、ゴルド老が俺の推測を肯定する。
「んで、この転移陣から迷宮の下層である二階層へ転移できるんじゃが、二階層からは魔物が出よるからのう。しかも里の外に生息している魔物よりも強さは上じゃから、危険過ぎて儂らもロクに調査しておらん場所なんじゃよ」
『里の外より危険って……ワイバーンの群とかより強い魔物が出るって事か? なにそのラストダンジョン』
俺たちが普通に暮らしている場所の下(座標的に下の位置なのかは不明)に、そんな危険な場所があったとは……。
戦慄してしまうような事実だが、まあ、下の階層に出現する魔物がここまで上がって来る事はないようだし、自ら二階層へ行かない限りは危険もなさそうなのが救いか。
しかし――と、俺は考える。
『迷宮か……』
「ふおー! めーきゅーかぁ……!!」
俺が思わず呟くと、横でセフィも同じような言葉を呟いた。
見れば、セフィは瞳をキラキラと輝かせている。
良し、言いたい事は分かった。
『ダメだぞセフィ』
「ダメですよ、姫様」
「流石に危険すぎますからね」
「勝手に入っちゃダメっすよ!」
俺、メープル、ローレル、ウォルナットの順で流れるように釘を刺す。
正直、俺にも迷宮と聞いてワクワクする気持ちはあるが、敢えて危険を侵して迷宮を探索する理由もないのだ。
残念だが、今はそれよりもやるべき事は多くある。
「セフィ、まだなにもゆってない……」
『いや、勝手に入るつもりだったろ?』
表情で丸分かりである。
『まあ、暇が出来たら探索する機会もあるかもしれないし、それまでは我慢してくれ』
「んー……わかった」
不承不承といった表情ながら、セフィは意外にも素直に頷いた。
「話は纏まったかの? なら、そろそろ行くぞい」
『ああ、待たせてすまん』
ゴルド老の言葉に頷きつつ、俺たちは転移に備えて身構えた。
準備が整った事を確認すると、ゴルド老は宙空に浮かぶ画面へ向き直り、行き先を告げた。
「ビヴロストへ転移してくれい」
その言葉を受けて、画面の中の文章が変化する。
――転移先、ビヴロスト。
――5秒後に転移します。
表示される秒数がきっかり5秒かけてゼロになり、
――転移開始。
そんな言葉が表示された直後、視界の全てが歪み、奇妙な浮遊感が全身を包んだ。




