第五十八話 おいでませ、ドワーフの里
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ドワーフたちとの交渉は、滞りなく終了した。
五千年の確執とやらは何だったのか、という一抹の不安はあれど、交渉が纏まったのだから文句を言うべきではないのだろう。
「酒は持ったか? 他の連中にも飲ませんことには説得は難しいからの」
そう確認してきたのは、老人ドワーフ。
聞けば彼はドワーフの隠れ里の長老であるらしい。
ちなみに名前はゴルドと名乗った。
『ああ、里から持って来てもらった』
そう答えて背後を振り向けば、男衆が大きめの甕を担いでいる。
ドワーフの里の人口をゴルド老に訊ねたところ700人ほどだと言うから、おそらくは十分間に合うだろう。
ちなみに、700人という人口から考えて、どうやら外に出てきた連中はドワーフの男手がほぼ総動員されたらしいな。
一応俺たちの背後にはエルフと狼人族全員が集まっているし、その男衆のかなりの数で運搬するのだから、酒の量はだいぶ多いと見て良い。
しかし、ゴルド老は難しげな顔で唸る。
「う~む、足りるかのう」
『いや足りるだろ』
先ほど300人弱のドワーフに配った量から換算しても、余裕のある量のはずだ。
「そんな量では夜まで保つかどうか……」
『どんだけ飲むつもりだ! 説得用に味見してもらう分だけに決まってんだろ! っていうかドワーフ全員に酒を造るのは約束したけど、そこそこ時間かかるんだからな。そんなペースで飲まれても困るんだけど。全然熟成しなくて良いなら構わないけどよ』
すでに飲んだはずの連中の分は換算していないのだ。
「うむ……そうなのか。そいつは残念じゃ……ところで、一度に仕込める酒の量はどれくらいじゃ? 量によってはお主の言うように長期間寝かせる事は不可能になるやもしれん。そこら辺ちゃんと考えてもらわんと」
『熟成用の酒まで飲み干すつもりか……? そこは我慢してくれ』
「我慢か。初めて聞く言葉じゃな」
『おいコラ』
などと言い合っていると、エルフたちと狼人族たちの準備も整ったようだ。
背後から皆を代表してローレルが言う。
「精霊様、私たちの準備は整いましたよ」
『おう、そっか。じゃあ行こうか。いざ、ドワーフの里へ!』
そうして俺たちは崖に穿たれた洞窟、その先にあるというドワーフの隠れ里へ向かって出発し――
「って待てぃッ!!」
――ようとしたところで、ゴルド老が俺たちの足を止める。
『え、なに?』
不思議に思って聞き返せば、彼はエルフたちの集団の一ヶ所を指差して震えていた。その目は大きく開かれ、なぜか怯えているようにも見える。
「あ、あれは何じゃいッ!?」
『え?』
ゴルド老の指差す先を見れば、そこにいるのはまだ進化していないゴー君たちだ。近接のウッドゴーレム、茨型ゴーレム、蔦型ゴーレムが勢揃いしている。
といっても、十体ちょっとしかいないけど。
『あー、あれはゴー君って言って、俺の作ったプラントゴーレムだな』
「ゴーレムか何か知らんが、駄目じゃ駄目じゃ! あんなモン連れて行ったら里のモンが怯えちまうじゃろが!」
「えー? ゴーくんやさしいよ?」
と、セフィも擁護してくれたのだが、ゴルド老は「駄目じゃ駄目じゃ!」と言うばかりで聞き入れてはくれなかった。
まあ、確かに見た目的には異形だし、恐ろしく思う気持ちも分からんではない。
いずれ慣れてもらうとして、ゴー君たちには悪いが今回は里で留守番をしていてもらう事にした。
まだ結界の効力は消えていないとはいえ、誰も残さないのは不用心かもしれないからちょうど良いと前向きに考えよう。
俺はゴー君たちに指示を出し、里を守っていてもらうよう頼んだ。
『んじゃ、改めて今度こそ出発す――』
「――っておお~いッ!! アイツ! 何かさっきの奴らよりもっとエグい奴がいるじゃろ!!」
しかし、またしてもゴルド老がごねる。
まったく何だよ我が儘だなぁ、と思いつつ視線を転じれば、彼が指差しているのは全身甲冑姿で両腕の長い、鬼面姿の存在だ。
確かに見た目は恐いかもしれないが、話せば良い奴だという事がわかるだろう。
俺はゴルド老の懸念を晴らしてあげる事にした。
『アイツはゴー君が進化した存在で、名前は鬼太郎。見た目は恐いけど良い奴だよ』
『ははは、お戯れを、主上』
鬼太郎を紹介していると、こちらに近づいて来た。
近づく鬼太郎に怯えているゴルド老を尻目に、なぜか俺に訳のわからん事を言う鬼太郎。
それからようやくゴルド老に向き直ると、丁寧な仕草で一礼した。その動作からも理性のない怪物ではなく、礼儀を知る理知的な存在だと分かってもらえるだろう。
『お初にお目にかかる、ゴルド殿。我の名はグラム。聞けばこれから共に暮らす事になるのだろう? ならば我らは同胞だ。我は同胞を害する事は決してないと誓おう。どうか信じていただきたい』
「お、おう……? なんじゃ、中身は意外とマトモそうじゃの……まあ、ならお主はええわい」
どうやら恐れる存在ではないと理解してくれたらしい。
『良かったな、鬼太郎』
『グラムです、主上』
『え? そうだっけ?』
『そうなのです、主上』
そういえば鬼太郎ではなくグラムという名前に決まったんだったな。
まあ、気にする事でもないか。
『主上?』
『いや、何でもない。良し、それじゃあ今度こそ行――』
「――儂は納得しておりませんぞぉおおお!!」
おいおい、今度は何だよ――と思いながら振り返る。
とは言っても、誰が叫んだのかなんて見なくても解る。地面に転がされている長老が叫び出したのだ。
拘束は未だ解かれてはいないが、口を塞いでいた詰め物を吐き出したらしい。
俺はスッとローレルに視線を向けた。
(ローレル)
(はい)
ローレルは以心伝心で頷き、騒がしいジジイどもを黙らせるべく動き出そうとして――、
「ここは僕にお任せを」
そう言って最初に前へ出たのはエムブラだ。
彼は地面で元気良くビチビチと跳ね回る長老ズの傍にしゃがみ込むと、その口もとへスッと手を当てる。するとあら不思議! なぜか「はっ、はがッ!!?」とか言いながら白目を剥いて、長老ズが眠りに就くではないか!
「お爺ちゃんたちは色々あって疲れたようですし、僕も留守番しながら面倒を看ていることにしますよ」
全員をぐっすりと眠らせると、エムブラは慈愛に満ちた笑みを浮かべて老人たちの身を請け負うと言ってくれたのだ。
『そっか、じゃあ悪いけど頼むな』
「はい、お任せください」
俺たちは長老ズの身柄をエムブラに任せると、今度こそ本当にドワーフの里へ向かって出発したのである。
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先行するドワーフたちの後に続いて洞窟の中へ入る。
完全な自然洞窟ではなく、中は歩きやすいように手が入っているようだった。
地面などはほぼ平らで、壁面や天井もアーチ状に整えられている。
しかし、十数メートルも進むと、すぐに行き止まりへ突き当たってしまった。
横道があるようにも見えないし、ドワーフの里どころか外に出てきた300人弱でさえ到底暮らす事は不可能な空間だ。
そもそも、300という大人数が入ることもできないだろう。
その不可解な疑問の謎は、目の前で起きている不可思議な現象によって説明されていた。
「おー! すごい! みんなきえてく!」
見たこともない現象に、セフィが瞳を輝かせて見入っている。
そんなセフィの視線の先で、前を行くドワーフたちが次々と「壁の中」に消えて行くのだ。
もちろんドアがあるわけでも扉があるわけでもない。
見た目は完全に洞窟の壁だ。
しかしドワーフたちは壁の手前で立ち止まる事もなく、足を止めずに平然と進んでいく。
そして壁にぶつかる事もなく、まるで水面に小石を投げ込んだような波紋を生じながら、壁の中に、あるいは壁の向こうへと消えて行くのだ。
俺自身、「幻惑結界」が使えるから解るが、洞窟の壁が単なる幻という感じはしない。おそらく本物の壁だろう。
しかし、何やら妙に周辺の魔素が濃い感じがする。
元々魔素の濃い霊峰という場所を考慮してもなお、不自然なほどに濃いのだ。
『ヴォルフから聞いてはいたけど――』
呟きながら、セフィと一緒に壁の中へ入って行く。
すると、すぐにその向こう側――いや、たぶん座標的にはきっと霊峰の何処でもない場所へ出た。
薄暗い洞窟内とはうって変わり、外とあまり変わらないほどに明るい。
しかし、やはり外ではないのだ。
『実際見ると、すげぇな』
そこは広大な空間が広がる洞窟だった。
背後を振り返って見れば洞窟の壁があるだけだが、おそらくここから外へ出る事ができるのだろう。
上を見上げれば遥か先に天井があり、地肌が剥き出しの天井からは幾つもの水晶柱のような物が突き出ている。
どうやら光はその水晶柱から出ているらしく、かなりの明るさだ。
そして洞窟内には石造りの建造物が幾つも建ち並んでいた。
おそらくはドワーフたちが暮らすために建てたものだろう。かなりの数の家や工房らしき建物がある。
それらを眺めていると、不意にゴルド老が振り向いて言った。
「どうじゃ? ここが儂らの暮らす里にして、ラグナロク以前に造られた人工異界……まあ、俗な言い方をすれば、迷宮じゃ」
ドワーフの里は、迷宮の中にあったのだ。




