第五十二話 滝の下の洞窟と
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『――で、ドワーフの里はどこにあるんだ、ヴォルフ?』
エルフの里の中央に聳える俺の本体、その高い高い樹上にて。
セフィが俺の枝に登っているのは、ここ最近ではいつもの光景だが、今日はセフィに加えて珍しい人物もいた。
狼人族の青年であり、ガル氏族一の戦士でもあるヴォルフだ。
俺は彼らと共に、圧迫感さえ覚えるような巨大な山脈――霊峰フリズスの雄大な山麓を見渡していた。
というのも、遂に霊峰の麓までやって来たわけだが、俺もセフィも目的地であるドワーフの里、その場所を知っているわけではない。
それを知っている人物は何人かいるが、中でも最も詳しいのがヴォルフであるという話だった。
ゆえに、今日は彼にここまで登って(というか、蔦で引き上げて来て)もらい、行き先についての指示をもらおう――というわけだった。
「そうですね……」
と呟きながら、ヴォルフは周囲の光景を注意深く見渡していく。
いつもは森の中を歩いて来ていたという話だから、森の上から俯瞰するという見慣れない光景に、すぐには里の場所を見つけられないのは仕方ない。
それでも記憶と符号する地形か何かを見つけたのか、
「精霊様、あの断崖に近づいてください」
と、視線の先を指差して告げた。
ヴォルフが指し示した場所を見れば、なるほど断崖である。
今の俺よりも遥かに高い場所から、岩の地肌が露出した断崖絶壁となっている地形があったのだ。
どうやら山脈の一部に現れた崖のようで、緩やかに湾曲しながらずっと向こうまで続いている。崖の端――というか終点は湾曲の向こう側にあるため、ここからでは確認できない。
「あの崖を回り込んだ先に、崖の上から降り注ぐ滝があるはずです。その滝の流れ落ちる先に、ドワーフたちの隠れ里に繋がる洞窟があります」
『へぇ、なるほどなー』
洞窟に住むとは、如何にもドワーフらしい。
いや、ドワーフに実際会った事はないんだけど、前の俺の知識と照らし合わせれば違和感は覚えない。
洞窟に住む鍛冶の得意なずんぐりむっくりした髭モジャの存在――それがドワーフであると、すでに確認している。
「ドワーフさんと、ともだちになれるかなー?」
『……諦めなければ、たぶん』
「そう、ですね……どんなに絶望的な局面でも、一握りの希望は残されているかと」
セフィのワクワクしたような問いに、俺とヴォルフは言葉を濁しつつ答える。
エルフとドワーフは互いに嫌い合っているという話だし、友達になるのは無理かもしれない。そんな真実を告げられるほど、俺たちは残酷にはなれなかったのだ。
しかし、どうやらセフィもそれが難しい事は分かっていたのか、それとも俺たちの玉虫色の回答で気づいたのか、
「あー、けんかになっちゃうかもなー」
と、納得したように頷いた。
セフィもエルフとドワーフの仲が悪い事は理解しているようである。
「でも、セフィならだいじょぶかー」
しかし、なぜか一人で頷く。
何が大丈夫なのかは不明だ。
『何がだよ?』
「けんかになっても、セフィならかてるし」
と、当然のように言う。
いや確かにセフィなら勝てるだろうね。だってハイエルフだもんね。
魔法で一発だよ。たぶん相手は死ぬが。
「こぶしとこぶしでなぐりあって、ゆーじょーはめばえるって、ガーもいってた」
『それはやめとこうぜ』
セフィのぷにぷにフィストとドワーフのゴツゴツ拳では、さすがに分が悪すぎである。
セフィは自らのぷにぷにフィストを見つめ、それからゆっくりと真面目な顔で頷いた。まるで切れすぎる刃物を見て、その切れ味の鋭さに憂慮するような表情だ。
「たしかに。セフィのこぶしは、もはやきょーき。しろーとにふるうのは、きけんかもしれない……」
『ああ危険だな』
「精霊様!?」
俺は間髪入れずに頷いた。
セフィとヴォルフがほぼ同時にこちらを振り返る。
「やっぱり、ユグもそうおもう?」
『思う』
「精霊様ッ!?」
「むふー!」
セフィの自らのフィジカルに対する絶大な自信は何なのであろうか。
俺は否定して機嫌を損ねるのもアレなので頷いておいた。
と――、
『お! あれがヴォルフの言ってた滝か?』
会話しながらも崖を迂回するように歩き続けていると、視界の向こうに崖の上から勢い良く流れ落ちる一筋の水流が見えて来た。
「ええ、あれです。間違いありません」
ヴォルフがしっかりと肯定する。
その様子からすると、別の似たような場所と間違っている――という事もなさそうだ。
というのも、視線の先にある水の流れは、確かに一度見たら忘れようもないほど特徴的であったのだ。
滝――という表現は間違いではないのだろう。
しかし、俺の思っていた滝とは少しばかり違っていた。
滝は今の俺からして見ても、遥か頭上から降り注いでいた。
凄まじく高い崖の上から暴風が唸るような轟音を立てて、大量の水が流れ落ちている。
しかし、だ。
不思議な事に流れ落ちる大量の水は、崖の下に川の流れを生み出していない。いわゆる滝壺というものも存在しなかった。
「みずがなくなってる……!!」
セフィも、その不思議な滝には目を丸くして驚くばかりだ。
そしてセフィの言葉は、確かに真実とも言えた。
流れ落ちる大量の水は、崖下に辿り着く前に消えているのである。
とはいっても、物理的に消滅しているわけではない。
あまりにも高い場所から水が流れ落ちているがゆえに、崖下に辿り着く頃には水流は拡散し、小さな水滴――それこそ霧雨のようになって地面へ降り注いでいるだけの事である。
だから崖下――滝の終着点には川のような流れも存在せず、瑞々しい葉を繁らせる草だけが繁茂していた。
で――、
『あそこに開いてる穴が、ドワーフの里への入り口ってわけか?』
「はい、その通りです。あの洞窟の先にドワーフたちが暮らしています」
ちょうど流れ落ちる滝の真下辺りに、崖に穿たれた穴が開いていた。
それがドワーフたちの里へ続く洞窟で間違いないらしい。
『やっと着いたな』
「はは、とは言いましても、森神様と精霊様のおかげで大分早く着きましたけどね」
などと、長い旅路の終わりにほっとしながらヴォルフと言葉を交わし合っている時だった。
「あ、ドワーフさんだ! やっほー! セフィだよー!」
急にセフィが叫び始めた。
え? と思いながらセフィの視線を追う。
その先は当然というべきか、ドワーフの里へ続く洞窟、その入り口であり――、
『おー、あれがドワーフか。初めて見た。生ドワーフ』
「ん? あ、ああ~……」
想像通りのずんぐりむっくりした髭モジャが、洞窟の中から現れていたのである。
彼(彼女だったらどうしよう?)は、洞窟から出てこちらの存在に気づいたらしい。
まだ遠いからどんな表情を浮かべているのかは判別できないものの、こちらを数秒――あるいは十数秒くらいか――眺めていたかと思うと、慌てたような動作で洞窟の中へと戻って行ってしまったのだ。
それを見てヴォルフが、何だか脱力したような声をあげる。
いや、俺もヴォルフが言わんとしている事は、だいたい察したわ。
「あー、もどっちゃった。セフィたちにきづかなかったのかも」
とかセフィが残念がっているが、もちろんそんなわけあるかい。
その証拠に、しばらくすると洞窟の先から大勢のドワーフたちがわらわらと現れ出したのだ。
そして皆、一様にこちらを見上げるように眺め出す。
ゆっくりゆっくりと近づいて来る俺(エルフの里全部載せの、よくわからん巨大生物)を見て、ドワーフたちが何を思うかなど、幼女でもなければ手に取るように解るに違いない。
「いっぱいきた。すごい、なんかめっちゃでてくる。もしかして――」
数人のドワーフたちが洞窟の奥へ引き返してから、さらに数分。
おそらくは手に手に武器を持ったドワーフたちが、数十人単位で現れ、洞窟の入り口を守るように陣取っていた。
その光景を見て、セフィがハッとした様子で言う。
「セフィたちのこと、かんげいしてるのかも」
『そうだな。歓迎してるな』
「精霊様ッ!?」
ある意味、大歓迎であった。




