第三十二話 炎の魔人
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炎の色は橙。
炎人たちと同じ色だ。
しかし、奴は詠唱をしなかった。していなかった。
無詠唱の炎? ただの魔法か?
どういう理屈かはわからないが、放って置くのがまずいという事だけはわかる。
加えて――いま、奴は詠唱し始めた。
「血は炎ォッ! 肉は薪ィッ! 骨よ支えよ炎を高くッ!」
奴の奇妙な詠唱を中断させるべく、すぐにゴー君1号が動く。
その両の木剣を縦横無尽に振り回す。
ウォルとの鍛練でとりあえずは形になったのか、繰り出される連撃は間断ない。一撃一撃が重く、速い。空を斬る音がここまで聞こえて来るようだ。
しかし――、
『ゴー君ッ!? そいつに触れると――!』
奴の炎は普通じゃない。
触れるのは危険だ。何しろマナトレントすら一瞬で炎上させるのだから。
そう思い叫んだ俺だが、心配は杞憂であったらしい。
それは奴が詠唱を中断されないように回避しているからではない。いくつかは燃え盛る剣で防御しているし、いくつかは確実に奴の体を捉えている。
奴の炎に触れているにも関わらず、ゴー君の木剣は炎上しない。
見れば炎に触れる度に、奴に近づく度に、ゴー君の全身から大量の蒸気が噴き上がっているのが見えた。
『そうか! 3号か!』
ゴー君へ向けてモブ男を囲む蔦の3号から継続的に魔力が送られていた。
注意して確認すれば、茨の中に棘のない蔦が混じっている。ゴー君3号だ。
3号は少しだが水魔法が使える。それは攻撃に使えるほどの威力ではないが、ゴー君の全身を常に水で濡らすくらいの事はできるだろう。
それに気づいたのは俺だけではなかった。
ヴォルフが叫び、握った大剣型のミストルティンの切っ先をゴー君1号へ向ける。
「守護者様へ水を! ウォーター!」
鍵となる言語を唱え、ミストルティンに水を生成させる。
ゴー君3号と同じで攻撃に使えるほどの威力はない。それでも少量の水を生成することはできるし、何より――、
「「「ウォーター!!」」」
数が揃えば大量の水になる。
3号のようにゴー君の体表に直接水を発生させるような繊細な魔力操作はできないが、それぞれのミストルティンの切っ先から生成された水が、雨霰と飛んでいく。
さすがに大量の水に濡れていれば、一瞬で発火するような火力はないらしい。
ゴー君1号の凄まじい連撃は一瞬も途絶える事がない。
だが、奴の詠唱を止めるには到っていなかった。
「脂をくべて育て轟炎ッ! 滅せよ滅せよ我が敵をッ!」
詠唱が進むごとに奴の全身を包む炎が激しさを増していく。
その色が濃く変色していく。
「我が偉大なる神【ファイア・メイカー】よッ! 汝が眷属カイ・ビッカースが願い奉る! 我が身を捧げ汝の加護を与えたまえ――!」
紫色の炎。
どこか粘性が高いようにも見えるドロリとしたそれ。
しかし周囲へ放射される熱は飛躍的に高まっていく。
対峙するゴー君が乾いていく。水の供給が追いついていない。
『水よ――!!』
慌てて俺も水魔法を行使した。
奴とゴー君の頭上に直径3メートルにも及ぶ巨大な水球が姿を現す。
落下。蒸発。大量の蒸気は炎が生み出す上昇気流に巻き上げられていく。
それを見てヴォルフがさらに周囲へ指示を出す。自分たちが水を生み出すよりは、俺と3号に任せた方が良いという判断。
「守護者様へ強化! あの男に弱化だ! ストレングス! ウィークン!」
「「「ストレングス!!」」」
「「「ウィークン!!」」」
ミストルティンから「強化」と「弱化」の魔法が次々に飛んでいく。
ゴー君の連撃はさらに勢いを増し、モブ男の炎は僅かに勢いを弱める。
しかし、それも一瞬の事だった。
「――命の松明燃え盛れ! グレイス・オブ・ファイア・メイカーッッ!!」
モブ男が叫んだ瞬間、奴を中心に爆炎が吹き荒れた。
対峙するゴー君が数メートル吹き飛ばされ、一際強い光が放たれる。
僅かに視界が遮られたのも一瞬、再び目を向けた場所には、奇妙な存在が立っていた。
あれほど燃え盛っていた炎は静まっている。
だがそれは、決して勢いを弱めた事と同義ではない。
放射される熱は痛いほどに強く、けれど無軌道に燃え盛る炎ではない。言うなれば完全に制御された炎。
それは、ほぼ完璧な人型をしていた。
けれど、目も、口も、鼻も、髪もない。
ただのっぺらとした、出来の悪い人のカリカチュアだ。
全身を紫色の炎で構成され、体表だけが僅かに揺らめいている。
右手に握る長剣を覆う炎さえも静かだ。
けれど内在する魔力は桁違いに増えていた。そこにあるだけで全てを燃やし尽くすような、まるで高密度のエネルギーの塊。
『アァー、テメェラ、モウ、ユルサネェゼ?』
炎の人型――いまや炎の魔人とでも表すべき姿となった男が、声を発する。
それは肉声ではなかった。
声を発する器官さえ、もはや存在しないのかもしれない。
念話。
軋むような声音で、静かに言う。
だが、その内には激しい憤怒の念がこもっていた。
『――ッ!?』
ゴー君1号が動く。
その木剣には3号が大量の水を纏わせている。
身体強化魔法と植物魔法を併用した、まさに神速の一撃。
袈裟に振り下ろされた一撃は、間違いなく炎の魔人を捉えた。
だがそれは、何の抵抗もなく魔人の体を通り抜けた。奴は避ける素振りさえ見せなかった。
振り切られたゴー君の木剣が、呆気なく炎上する。
『下がれゴー君!』
言いながら、炎上したゴー君の木剣を『結界』で覆って消火する。
燃え尽きてこそいないが、これ以上使えば再生は困難になるだろう。
ゴー君は右手の木剣を腕の中に収納し、左手のミストルティンを両手で構えた。その剣身がミストルティン自身の魔法の水で覆われる――が、しかし、先程の一撃からすると、あまり役には立たないだろう。
俺は魔人を結界で覆った。
炎人たちの炎を消したように、奴の炎も消せないかと思ったのだ。
俺に使える最大強度の物理結界。
現在使用している全てのスキル・魔法を中断して、ただひたすら奴を閉じ込める事にだけ注力する。
だが――、
『ニドモサンドモォ……キクカバァアアカッ!!』
紫炎の剣を一閃する。
それだけで俺の結界は容易く断ち斬られた。
『――ッ、嘘だろおい……!』
流石に俺の声もひきつってしまった。
まさか、たった一撃で破られるとは想定していなかった。
逆に言えば、結界を破るのに一撃は必要だから、何度も結界を張り直せば時間を稼ぐことや奴をその場に釘付けにすることは可能だ。
俺は結界を張り直す。
結界を。結界を。結界を。結界を。結界を。結界を張り直す。
『ァアアアアアアッ!! ウザッテェンダヨッッ!!』
だが、その度に奴は容易く結界を打ち破る。
こんなのただの時間稼ぎだ。けれど止めるわけにはいかない。
結界を貫いた余波だけで、炎の刃の一撃は周囲に被害をもたらしていく。立ち並ぶゴー君たちが炎上していく。ゴー君1号が必死で回避し、水を纏ったミストルティンで飛んでくる炎の欠片を打ち据えて被害を軽減させている。炎は茨の2号にも燃え移る。3号が水を生み出し、その炎を消していくが、次々と炎上していく周囲の状況にはまるで対応できていない。
ダメだ。
今の俺にはもはや、周囲の炎を消火するだけの余裕はない。
奴を自由にすれば、その瞬間、被害は甚大なものになるとわかっていた。
しかし――それではいつまで経っても「俺の準備」が終わらない。
だけど、いま結界を張ることを止めるわけにはいかないのだ。
『ぐッ……くそっ』
慢心しているわけがなかった。
油断などありはしなかった。
それでも奴の力量は、俺の想定を上回っていた。
こんなの無茶苦茶だ。
人族だとかエルフだとか、そんな違いが無意味なくらいに、無茶苦茶な力だ。
足止めだけで精一杯で、このままではじり貧なのは明白だった。
意識が沸騰するような焦燥が、俺を支配しようとした時――、
「精霊様、たまには俺らも頼りにしてくださいよ?」
『――は?』
ウォルが、ローレルが、エルフたちが。
「このままでは、我らはただの木偶の坊で終わりそうですからな。時間稼ぎくらいは、まあ、任せてもらいましょう」
ヴォルフが、狼人族たちが前に出る。
『バッ、お前ら――!!』
一撃を受ければ間違いなく死ぬ。
だから止めようとした。
「だいじょぶ」
そう言ったのはセフィだった。
真剣な眼差しで前へ出る彼らを見送る。
だから俺は初めて真の意味で理解した。
セフィにとって彼らは、ただ庇護すべき存在ではなく、俺と同じように共に戦う仲間でもあるのだと。
「いくぜ、ローレル」
「命令しないでください、ウォル」
軽口を叩きながらウォルとローレルが手を翳す。他のエルフたちもそれに続く。
「「「風よ風よ風よ!!」」」
森中の大気が渦巻き、炎の魔人に殺到する。
風は炎を強めるのだろう。しかし、逆巻く渦となって魔人をその場に釘付けにした。
それが魔法の風であるからだろうか。ゴー君の一撃を透過させた時とは違い、奴は明らかに風の影響を受けていた。
「「「水よ水よ水よ!!」」」
殺到する風に、生み出された大量の水が乗る。
霧というにはあまりに水量が多い。まるで豪雨の台風のように横殴りの水滴が衝撃さえ伴う勢いで、炎の魔人に叩きつけられる。
水は瞬時に蒸気と化して巻き上げられる。
けれど次々と注がれる大粒の水滴は、途切れることがない。
「守護者様の一撃を見たな? ただの攻撃は通じないものと思え! 武器に闘気を纏わせろ! ――行くぞッ!」
「「「――応ッ!!」」」
狼人族たちが全身に、手に手に持つそれぞれの武器に闘気を纏わせる。
直後、彼らは何の躊躇いもなく、局地的に生み出された嵐の中へと身を投げ出した。
身を低くして疾走する。
渦巻く風に逆らわず、むしろその流れに乗るように円を描いて魔人を包囲する。
全包囲から鋭い武器の一撃を叩きつけては、すぐさま距離を取る。そしてまた接近し、一撃を叩きつけるの繰り返し。
『ァアアアアアッ!! クソザコドモガァッ!!』
怒り狂う炎の魔人が剣を振り回す。
どうにかその場から逃れようともがくも、風と水の魔法、闘気を込められた狼人族たちの攻撃は透過させる事ができないらしい。
ダメージこそほとんどないものの、奴はその場に釘付けにされた。
しかし――、
『いつまでも続かないぞ』
エルフたちの高い魔力による、全力の魔法行使。
いまはまだ被弾していないものの、紙一重の狼人族たちの攻防。
いつ均衡が崩れてもおかしくはない。
だがまだ、こちらには1人――あるいは1柱がいた。
「あとは、セフィにまかせて!」
エルフたちに狼人族たちに、セフィが叫ぶ。
「じゅんびできた!」
きりりっとした顔で告げるセフィの全身は、恐ろしいほどの魔力に満たされていた。
それは僅かに燐光を発し、セフィの全身が淡く光り輝いているようにも見えるほどの。
セフィはその場に膝を着き、両手の平を地面へ当てる。
そして命じた。
「 ――もりよ、つかまえて―― 」
静かな声音。
小さな声。
まるで母親が幼子に優しく語りかけるのにも似ていた。
その声を無視することはできない。
なぜならそれは、神の言葉だから。
森が鳴動する。
地が振動する。
まるで樹海のすべてが一つの命として目覚めたような、圧倒的存在感が辺りを支配した。
瞬間――魔人の足元の地面が割れた。
地を突き破って現れたのは樹木の根だ。
幾本もの大樹の根が、まるでそれ自体が生き物のように蠢き魔人へ殺到する。
次々と。次々と。次々と。
『ォオオアアアアアアッ! ザッケンナァアアアアアア――ッッ!!!』
叫び、魔人がその身を激しく燃やす。
紫炎に触れた根が次々と炎上していく。確かにそれらは燃え尽きていく。
けれど――、
『クソガァアアアアア――ッ!!』
燃えるよりも新たな根が現れて、魔人へ巻き付く方が遥かに速かった。
相性の悪ささえ問題にしないほどの、圧倒的力の差。
いまや炎の魔人は、無数の根に捕らわれて、球体となった根の集合体に封じ込められていた。
ウォルたちが、ヴォルフたちが、魔人の周囲から退避する。
「――ユグ!」
時間は十分に稼いでもらった。
俺はすべてのスキルと魔法を傾けて、ようやく準備を整えることができた。
『ありがとな、十分だ――』
俺には攻撃するための術が、あまりない。
強いて言えば毒くらいだろうか。
積極的に敵を倒すための手段が、不足していたのが悩みだった。
だから考えた。
どんな敵をも打ち倒す強力な攻撃の手段を。
まだまだ荒削りのそれは、準備に多くの時間を割く必要があった。
だが、その準備はやっと終わった。
里の外周に生える樹木の1つ、俺の一部を『変異』で変化させた。
それは根本に巨大な瘤があり、その先に細く長い筒が伸びている形だ。
瘤の中には水魔法で水を生み出し、少しの土魔法で砂利を混ぜる。攻撃に有用な土魔法は使えずとも、砂利を生成する事くらいは可能だ。
次々と次々と水を生成していく。
それを外へ漏らさないように、瘤の中に押し留める。
植物魔法で瘤を強化し、さらに物理結界で増え続ける水を圧縮し続ける。高まる内圧により、内側から弾け飛ばないように。
超々高圧になった水が解放された時、それは筒を通って金属さえ削り切る強力な一撃になるだろう。
俺の知識の中にあった「工業用ウォーターカッター」なる物から着想を得て、なんとか形にした攻撃。
圧縮した水に魔力を込めれば、炎の魔人も透過させることはできないだろう。
大砲のような見た目のソレを、繋がった根を動かして持ち上げる。
砲身の先を魔人の封じられた根の球体へ向ける。
ゴー君たちに命じて射線は確保している。
瘤の内部で圧縮した水を、解放した。
筒の太さに比べて、遥かに小さな穴から砂利混じりの水流が噴き出す。
放っておけば拡散しようする一条の水流を、水魔法で集束した。
ばづんッ――と。
切り裂くように射線を動かせば、巨大な根の塊ごと奴を両断した。
水流の勢いにバラバラと根の残骸が飛び散り、中に封じられていた炎の魔人が姿を現す。
重力に引かれて落下した魔人の姿は、確かに両断され、その炎も弱まっていた。
微かな声が、間違いなく響いたと思う。
『コレダカラ、イシュゾクハキライナンダ…………ズリィヨ』
炎と一緒に、奴の姿は溶けるように消えた。
後には骨も残らなかった。
ただ1つ、奇妙な紋様の刻まれた剣だけが、地面に転がっていた――。




