第二十八話 たぶん、決意した日
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それからも狼人族たちは次々にやって来た。
ヴォルフたちに匹敵するような大所帯もあったが、だいたいは少数で命辛々逃げて来た――といった風情だった。
最初のヴォルフたちからは一月以上も開いたが、狼人族たちが続々とエルフの里へ逃げ延びてきたのだ。
一団に纏まって来たわけではないから、数日おきにちょこちょことやって来る感じで、それでも一月も経つ頃には狼人族の総数は200人近くまで増えていた。
正直増えすぎである。
このままではエルフの里ではなくて狼人族の里にでもなりそうな勢いであった。
だが、その数も本来森に住んでいた狼人族全体の数と比べれば、極々少数と言えるらしい。
ならば他の者はどうなったのか?
なぜ、彼らは逃げて来たのか?
そんな当然の疑問を、俺は当然ながら問い質した。
その答えを纏めてみれば、神聖イコー教国とやらと、森に住む狼人族の間で起こった紛争とでも表現できるのかもしれない。狼人族たちには悪いが、戦争とはとても呼べないだろう。
聞いた話を総合するに、まともな戦いになどなっていないはずだ。
実態としては、教国側の一方的な侵略と虐殺であるのだろう。
人族至上主義の国家らしいが、かなり無茶苦茶だ。
かつてエルフたちの都市と先代ハイエルフを滅ぼした事から、その無茶を曲がりなりにも通せる程度の武力を持っているのは確実だろう。
そうでなければ、他の国や種族に滅ぼされているはずなのだから。
今までは、間に森があるし長い距離があるからとイマイチ実感していなかったが、続々と集まりつつある狼人族たちの傷つき、ひどく憔悴した様をみれば、嫌でも理解しようというもの。
――やべぇじゃん、と。
たぶんだが、教国がその気なら手の届く距離に、俺たちはいる。
今まで教国が来なかったのは、エルフの里の場所が分からなかったから、なのだろう。
ここの場所が知られれば、新神だか何だか知らねぇが、確実に戦力を向けて来る。
そんな、自分達以外どうでも良いという思想のキチガイが、隣人なのである。
俺がもし、セフィたちのように人の体を持っていたら、今ごろ全身から冷や汗を流している事だろう。
危機感を、覚える。
俺という存在が死ぬかもしれない事に対して――ではない。
たぶん俺だけが生き延びることなら、そう難しくないのだ。エルフたちを見捨て、彼らとは関わりないものとして森の何処へとも去れば良い。あるいは敵と戦闘になったとしても、地上部分が滅ぼされたように見せて、後から地下茎に蓄えた養分で再生しても良いだろう。
その場合、セフィたちを護ることはできないが。
だが、考えるまでもないのだ。
俺にはエルフたちを見捨てるという選択肢は存在しなかった。
理由?
そんなの、彼らのことが好きだからに決まっている。
セフィだけじゃない。
メープルは良く気がつく優しい娘だし、長老は頼りになる奴だが時々お茶目だ。ウォルナットと気安く言葉を交わすのは楽しいし、ローレルは怒ると恐いが普段はすごく優しい。俺に貢ぎ物を持ってくる大人のエルフたちは実に美味そうに俺の果物を食べるし、広場で元気に遊び回る子供たちは見ているだけでほっこりする。
それに最近はヴォルフたちもキラキラした目で貢ぎ物を持ってくるし、狼人族の戦士たちが細々と、だが熱心にミストルティンの造型に注文をつけて来るのも、頼られてる感があって悪くない。狼人族の子供たちも、最近では里に馴染んできてエルフの子供たちと一緒に遊び、屈託ない笑みを見せることも増えてきた。
俺はそんな、ここでの日々が気に入っていた。
俺の知っているそんな彼らが、誰かに傷つけられたり、殺されたりするようなこと、想像したくもなかった。
だから考える。
彼らを護るにはどうするのが最善か。
教国とやらは、新神とやらは、ハイエルフの存在を絶対に許さないという。
セフィの存在を知れば、確実に攻めて来るだろう。
俺は伝聞でしか知らないが、もしも新神が攻めて来た場合、俺たちが勝つ可能性は限りなく零だ。
今のままでは勝てない。
ならば強くなる。
皆を護れるようになるまで。
当然だ。
だが、すぐにそれほど強くなることなど、不可能であるのも明白で。
絶対的に時間が足りないのだ。
だからこそ、俺は焦っていた。
ここ一月、200人近い狼人族がエルフの里に集まって来た。
逃げて来た。
どこから?
教国との境から、だ。
教国の北には、俺たちの住む広大な森と、さらに北にある山脈しかないのだと言う。
他の国はない。人の住まない領域。
そんなところへ大勢が逃げていった。その先には何もないと考えるだろうか? ただ単に、追われて北へ逃げ込んだだけなどと考えるだろうか?
教国が攻め滅ぼした狼人族の少数の残党を、わざわざ追討しようとする確率はどれくらいだ?
相手は大国だ。
狼人族の残党など、もはや見向きもしない可能性の方が高い――と思う。どう考えても、彼らだけで教国を揺るがす何かを仕出かせるはずもないからだ。
まあ、まかり間違って要人の暗殺とかが成功すればその限りではないだろうが、成功の芽は無きに等しいだろう。
それでも狼人族皆が北へ逃げたという事実に、不審を感じたら?
そして、なによりも。
教国は樹海を伐り拓いているという。
ならば、いつになるかは分からないが、いずれここまで来るのは確実だろう。遅かれ早かれ発見されるのは間違いない。
考え過ぎかもしれない。
だけど嫌な予感がするのだ。最悪は想定しておいて損はない。
だから、俺はセフィに言った。
エルフたちも狼人族たちも、セフィの言葉に従う。だからセフィに言ったのだ。おそらくは、今できる最善の判断を。
夜。
夕食も終えて後は眠るばかりの時間帯。
光るマリモの詰まった籠に厚い布を被せると、もう室内は暗くなる。
窓から差し込む月と星々の明かりだけが、光源のすべてだ。
風が柔らかく流れ、虫たちがどこかで鳴いている。心が落ち着くような時間。
『なあ、セフィ――』
「なにー?」
ベッドの上で半身を起こし、窓の向こうにぼうっとした視線を向けていたセフィが、こちらへ振り向き首を傾げた。
『里を捨てて、皆で逃げた方が良いんじゃないか? ここはもう危ないかもしれない』
セフィは意味を理解したと思う。
多くの逃げてきた狼人族たち。それがきっかけとなり、教国にこの里の存在が知られる危険性を。
それでも――、
「だめ」
口調は強くなかった。
声は静かだった。
だけどセフィの顔はこれまでに見たどんな瞬間よりも大人びて見えた。
「まるで殉教者だ」と、俺の中から自然と言葉が浮かび上がる。前の俺ならば、今のセフィを見てそう言っただろうと、なぜか理解できた。
それはあまりにも透明で気負いのない決意だった。
「まだ、みんなきてないから」
それはまだ、逃げてくる狼人族がいるから、という意味だ。
セフィは当然のように、彼らを見捨てない。
それはセフィがハイエルフであるから、だろう。森神と呼ばれる存在だからだろう。
いくら幼い容貌に見えようとも、セフィの本質は森と信仰する存在を守護する神なのだ。
『そうか……そうだよな』
俺はその事が悲しかった。
きっとセフィは理解している。
自分がまだ、弱いことを。
だから森を出て、すべての同胞たちを助けようとはしない。この里で子供らしく暮らす事を自らに許している。
それでも同胞が、助けられる存在が近くにいるならば、それを見捨てることは決してしないだろう。
その結果として、たとえ自らが滅びることになろうとも。
そんな高潔な神がセフィであることが悲しかった。
命に優劣などつけられないけれど、俺はセフィに自分を犠牲にしてほしくなかった。
「だいじょぶだよ」
ふと、セフィはいつものように屈託なく笑った。
だから俺は、たまに問いたくなる。本当はどこまで見通してるんだ?
「セフィには、ちょーつよいあいぼーがいるし」
『ん……そっか、まあ、そうだよな!』
無理矢理明るい声を出す。
「たよりにしてるぜ、あいぼー」
『任せとけ!』
「うん!」
俺はたぶん、泣いていた。
セフィがただの子供でいてくれないことが悲しかったのかもしれないし、彼女の言う「相棒」という言葉の重さに初めて気がついて身震いしていたのかもしれないし、ただ彼女の庇護すべき存在じゃなく、共に戦うべき存在として認められていたのが嬉しかったのかもしれないし。
とても一言では言い表せない感情が渦巻いて、訳も分からず泣きたい気分だった。
ただ。
初めて実感を伴って改めて自覚した。
俺はセフィを、里の人々を護りたいのだと。
だから、強くなろうと決意した。
明確な目的を持って。




