かぐや姫という名の2
「嫦娥様、嫦娥様」
私の昼寝を邪魔するように、夢華は私の肩を激しく揺する。いくら私の側付きとは言え、勝手に私の部屋に入るなとあれ程口うるさく言っておいたのに。
ちなみに嫦娥とは私のニックネームだ。不死になった月の女神という意味があるらしい。なんとも皮肉なネーミングだが、夢華の明るく裏表のない声で呼ばれるのは嫌いではないので、私はこの件に関しては何も言わない。陰口で言われるよりかは何倍もマシだ。
「夢華、そんなに慌てて何の用かしら?」
「日本から船が来たんです。かの黄金の国からですよ!」
「またそんな噂話を信じて・・・まったくもう。1人でお行きなさい」
私はベットに寝転がったまま夢華の頭を撫でる。人との出会いは、触れ合いは私にとってはつらいものだ。特に私のような不老不死の怪物は特にだ。人と出会ってもそれはただの別れの始まりで、とてもじゃないが劇的なものとは言えない。しかし、そんな怪物の私にも分け隔てなく接してくれる夢華のことを無下にできないのも事実。私の立ち位置はいつまで経っても中途半端だ。
そろそろ決めなければいけないと思いつつ、その答えを先延ばしにしてもう400年。怪物として生きようか、人間として生きようか。
もちろん私には人間としての生き方なんてできないのは重々承知だ。現に、今私が帝の暮らすこの都で生活をしているのは、私の持つ不老不死をどうにか自分に移植できないかと考える帝の後ろ盾があるからこそだ。
非人道的な実験を私にするのを許した変わりに得たこの鳥籠で、人らしく生きるか、それとも人里離れた場所でひっそりと暮らすか。
「そんなことおっしゃらず、嫦娥様も行きましょうよ」
夢華はそんな私の心情など気にせずに快活な笑顔で私を誘う。それでも私はとても億劫なので、頑なにベットから出ない姿勢を夢華に見せる。
「もーわかりました。じゃあ私は1人で行かせてもらいますね」
「そうして。今晩の晩餐会には顔を出しますから」
「わかりました。そう伝えておきます」
夢華は一礼した後にこの部屋を出る。それを確認した後、私はまた微睡の中に身を委ねた。
遣唐使が来たことを祝い、宮廷では盛大な宴が行われている最中だ。私もこの国の重鎮の1人として宴に参加していたが、上辺だけの政治的な宴に興味のない私は、宴を切り上げて宮殿の庭に架けてある橋に身を預ける。
「おや、あなたは確か・・・」
私がこの気持ちのいい風に身を預けているのに、無粋な男が声をかけてきた。とても上手い中国語とは言えないものだったので、すぐに噂の遣唐使の1人だと理解した私は、今朝ベッドから起き上がるよりも億劫とした気持ちで声の方に顔を向ける。
「・・・」
「阿倍仲麻呂と申します。嫦娥様のお噂はかねがねお聞きしておりますよ」
恋だった。
初恋だった。
化け物として生を受け、罵られ、蔑まれてきた私にとって、この感情は初めてのことだった。恋なんていうのは物語の中や使用人達の噂話しでしか知らない。そんな私にとってこの感情がどれ程衝撃的なものだったか。
月夜の光に照らされる阿倍仲麻呂と名乗ったこの男は、なんとも整った顔と気持ちのいい声だ。驚いて我を忘れていたが、はっと我に返った私は挨拶をする。
「阿倍仲麻呂様、お初にお目にかかります。私は李 静と申します。嫦娥と呼ぶものもおりますが」
「では李殿・・・と呼ばせていただきます」
「は、はい」
人との会話は飽きるほどしてきたつもりなのに、何かが喉に詰まって上手く声が出ない。300年以上生きているのに、まるで生娘のような反応をする自分が恥ずかしく、思わず顔が赤くなってしまう。
そう、これは恥からくる紅潮なのだ。そう自分に言い聞かす。
「この庭はとても立派ですね。月の明かりと木々が混ざり合っているようで、とても素敵です」
「帝も気に入っている庭ですので」
私は顔を伏せたままそう言ったので、彼の表情はわからないが、なんとも涼やかな顔をしているのだろう。
「天の原 ふりさけ見れば 春日なる みかさの山に いでし月かも」
急に異国の言葉で何かを言ったので、私は思わず伏せていた顔を上げてしまう。想像通りの涼やかな顔だった。今時で言えばクールと言えばいいんですかね?
月の光が黄金色のように光を発し、それが先ほどまで木々を照らしていたのにも関わらず、今は彼1人を照らしている。自然から愛されている人間というのは存在しているし、私もこの長い年月で何人も見ている。ピンと呼ばれる人達だ。そんな珍しいピンだから惹かれたなんて理由は、なんとも頼りないものであり、それが言い訳だということはすぐに自分にばれた。
「なんと仰ったのでしょうか?」
「いえ、ここから見える月も、私の祖国から見える月も同じ美しさだと思うと、なんとも言い難い気持ちになり、つい歌ってしまいました。お恥ずかしい」
「あなた様は祖国が恋しいのでしょうか?」
彼の憂いを帯びた表情を見れば、誰だってそう思うに違いない。それがなくとも、命がけで海を渡ってきたのだ。帰りは無事なのかもわからない。祖国が恋しくても仕方がないだろう。
「正直に言えば恋しいですね。しかし、私も遣隋使の端くれです。使命を達成するまでは故郷に戻れませんよ」
「使命ですか?」
遣唐使の目的と言えば主に我が国の文化を勉強や交易を目的としている。彼は恐らく勉強の方だろう。交易をやるような商人には見えないし、そもそも商人だというなら、人脈作りのためにあるようなこの宴を、抜け出すような愚かな行為はしないだろう。
だとすると、前者である勉強をしに来たのかもしれないが、彼はどう見ても仏教関係者には見えない。命を賭けてまでこんな所に何を学びにきたのだろう?
「実はこの国には探し物をしに来まして」
「探し物ですか?」
「はい、そうです。‘竜の掌’と呼ばれるものをご存知でしょうか?」
「存じてはいますが・・・御伽噺の中の代物ですよ」
「はっははは、存じております。存じておりますが、私にはもうそんな伝説上のものに縋るしかないのです」
「大変失礼ですが、詳しくお聞きしてもよろしいでしょうか?」
「祖国に置いてきた母が病に倒れております。我が国の医者に見せても解決せず、我が国の伝説と呼ばれる類のものも探し使用しましたが、母の体調は良くなりませんでした。そんな時に遣唐使に行かないかと上の方に誘われました。運命だと思いました。唐ならば、外の国ならば希望がある。あの万能の器と呼ばれる‘竜の掌’ならば・・・」
会話の最中、彼は1度も私に目線を合わせてはくれず、その瞳はずっと闇夜を照らす月を映しだしていた。月を通して故郷を想う彼の心境は、ただ長い時を生きてきただけの私にはわかりかねることだ。200年も前ならその気持ちに共感し、同情すらしたかもしれないが、ほとんど怪物である私にそんな感情を抱くことは難しく、またその資格もないのであろう。
なにより、そんな感情より先に1つの疑問を抱いた私は気の利いたセリフを挟まずに聞いてしまう。
「探しに行かれる許可は帝にしたのでしょうか?」
いくら伝説上のものとはいえ、竜の掌というのはこの国の宝だ。それが存在しているいないに関係なく、他国のものにそれを見つけられ、あまつさえ使用するなんてことあの帝が許すはずもない。
「いえ、許可ならいただいています。条件はありますがね」
「条件?」
「竜の掌を見つけた場合、その万能の器に何も願わずに帝に献上すること、それが条件です」
「しかしそれでは」
「えぇ」
伝説によれば竜の掌は万能で、あらゆる願いを叶えるとあるが、その願いはたったの1つだけ。叶えた後は土くれとなり、200年後にまたこの地のどこかに舞い戻ってくる、というものだ。叶う願いがあるくせにそのような条件を飲むということは・・・
「帝を謀る気ですか?」
「そういうことに・・・なるのでしょうね」
堂々と、困ったように、固い決意を表明するように笑った彼にまた心惹かれた。
「それは私に言ってしまってもよろしのでしょうか?」
これは至極当然の疑問だ。なにせ私はこの国の住民で、なおかつ帝側の人間なのだから。この話をそのまま帝の耳に入れても何らおかしくはない存在に、この話をするのは些か以上に不思議なものだった。
「確かに不用心が過ぎたのかもしれませんね。しかし、それでも私があなたにこの話をしたのは・・・そうですね・・・なぜでしょうか?」
言うに事欠いて‘なぜでしょう?’ときたものだから、私は思わずその場で声を出して笑ってしまった。上品とは言えない、素の笑いが思わずでたのだ。
困ったように頭を掻く彼は、それでも竜の掌を見つけ出した時は誰を差し置いてでも自らの願いを叶えるのだろう。自害に近い決意を持って、皇帝や彼と私の国との関係を無視してでも叶えるのだろう。
「わかりました。今の独り言は聞かなかったことにしておきましょう。私はあの月に会いに来ただけ。あなたもまたあの月に会いに来ただけ」
「感謝の言葉もありません」
彼はそう言ってお辞儀をし、この橋から去って行った。
この判断が彼の決意を尊重したものだという言い訳に自分が気づくのには、そう長い時間はかからなかった。
あれから私は夢華を通して遣唐使達の情報を定期的に集めた。阿倍仲麻呂様だけの情報を探ると夢華に変な勘違いをされたので、それからはさして興味もない遣唐使の情報も同時に集めることになったのだ。
「嫦娥様は最近勉強熱心でございますね。そんなにかの国の文化が興味深いのですか?それとも・・・ふふ」
「なんですかその気持ちの悪い笑みは」
「いえいえなんでもございませんよ」
鼻歌交じりに私が集めさせた資料を整理している夢華は、ここのところそういう話題ばかりを私に振ってくる。
「生憎とあなたの思っているような下世話な話題ではありません」
「そうですね。下世話ではなく、愛の話ですからね」
「だから・・・もういいです」
「拗ねないでくださいまし。私は嬉しいのですから」
そんなフォローにもなっていない言葉で私の機嫌が直るはずもなく、ベットで布団を顔まで被って引き籠ることになる。
夢華の資料によれば、彼は帝が選抜した探索部隊と共に東方西走しているみたいだ。3、4か月に1度は都に帰ってきて顔を会わすのだが、それも束の間であり、すぐに都を離れて捜索に向かってしまう。
そんな彼に対して私が出来ることなどたかが知れている。いつも通りの実験を済ませた後に祈り、祈り、祈り続けるぐらいしかできない自分がもどかしい。その合間を縫ってかの国のことを勉強している。語学に文化、特にかの国の歌というものを。
あの日聞いた、彼の口から響く美しき異文化の歌。今でも私は月の見える夜に口ずさんでしまう。




