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人の事情と霊の事情  作者: ゆきまる
18/90

ドッペルゲンガーの遺言9

「恐らくですが、あなたは女性のほうの姉崎さんという一面も備えているのではないですか?」

「ほう?」


 悪党1年生のような、演技染みた悪役を披露する彼は、僕の思惑通りに会話を聞く姿勢になる。


「僕達は当初、女性と男性の姉崎百合さんを別の人物として見ていました。しかし、本当はこうじゃないんですか?あなたは男性の姉崎百合さんであり、僕達が知り合った女性の姉崎百合さんでもある」


 推理小説とかだとよくある話だ。話に出てくる登場人物が10人いるからといって、必ずしも、人数が10人でなくてはいけないという決まりはない。ある1人が2役を演じればいいのだ。その他にもいろいろとやりようはある。解釈の仕方はある。例えば、


「二重人格。篠原先輩は、あなたのもう1つの人格を守ろうとして、今回の件に関わったのではないですか」

「概ねその通りだ。まったく、変態だけど頭がいいという噂は本当だったらしいね」

「変態は余計です」


 そう、姉崎百合さんは姉崎百合さんであり、ドッペルゲンガーでも別人でもない。正真正銘、同一人物だったのだ。

 体は1つだが心は2つ。

 多重人格、解離性同一障害、様々な呼ばれ方があるが、過去に全く例のない症状ではなく、むしろメジャーな症状といってもいいだろう。

 人格があるなら心がある。魂がある。ならば、あの降霊術にひっかかってもおかしくはない。


「あなたにはもう1人の、女性の人格も‘あった’」


 そう、降霊術の対象になっているということは、もうその人格が消されている、死んでいるということを示している。


「そうだ。つい先日までそんなやつもいたな」

「何故彼女を消したのですか?」

「簡単な話さ。必要なくなったからだよ」

「それはまた、勝手な話ですね」

「もともと、あいつは篠原っていう淫魔を繋ぎ止めておくために1年前作ったものだ。作り物の、フィクションの人格だ。作った僕があれをどう扱おうと、それは僕の勝手だろ?」


 何かを作った人が、その何かをどう使おうと勝手、それが彼の意見だ。その気持ちはわかるし、共感もできる。しかし、作ったのが物ではなく命の場合、いや、今回の場合は魂か。とにかく、魂のある何かの場合、彼の意見は些か以上に不条理に思える。

 まぁ、今の彼に倫理観やら道徳を唱えたところで何も変わらないのはわかっている。下手にそこを突いて怒りを買うわけにもいかない。僕達は今、そういう立場なのだから。

 僕は口から出そうになった言葉を飲み込み、彼の次の言葉を待つ。


「あの馬鹿女、篠原ひよりに恋をしたとか訳のわからないことを言って。本当、面倒くさかったよ」

「酷い言い様ですね。彼女もまた、あなた自身でしょうに」

「あんな脳内お花畑と僕を一緒にしないでくれ」

「彼女がこの世に未練を持つ気持ちもわかりますね。あなたは、篠原先輩を彼から解放して欲しかったのではないですか?」

「誰に向かって言って・・」

「そうよ」


 僕のポケットから聞こえた女性の声に、姉崎百合さん(男)は一瞬動揺を見せるが、すぐに冷静さを取り戻す。いつ彼女が口を開いてくれるかわからなかったので、常にポケットにコックリさんの紙を入れておいたのだが、こんな形で役に立つとは思わなかった。こんな形で相手の注意を引くことができるとは。


「ほう、何を依代よりしろにしているかはわからないが、どうやら本当に、しつこくこの世にしがみついているらしいな」

「おや、もしやこういうことに縁遠くない方でしょうか」


 まじないや心霊の類に疎い人間なら、この現象に遭遇してすぐに冷静になることは難しいだろう。その証拠に、後ろにいる取り巻き連中は何が何だかわからない表情をし、その場で狼狽えている。


「僕の先祖はシャーマンだったらしい。僕はそういうのには疎いほうだが、親戚の叔父が、未だにそういう仕事をしている。篠原ひよりの正体も、その人から教えて貰った。使い勝手のいい悪魔だってね」

「悪魔はあなたです!」

「ほう、作りものにしてはよく吠える」

「あなたなんかがひよりちゃんを語らないで。あんたなんかに」


 彼女の叫びは傍から聞いている僕の胸が裂ける程悲痛で、力強いものだった。




 初めて彼女と会ったのは、1年前だった。

 初めて彼女と会った場所は、この病院の会議室だった。

「はじめまして。私の名前は篠原ひより。よろしくね♪」


 弾むような明るい声と、今にも泣きだしそうな表情が特徴的だった。

 彼女はこの病院で密かに行われている臓器売買の協力者らしい。そんな悪行に加担するような人間には見えないが、人は見かけによらないともいう。


「あなたのことはなんて呼べばいいのかな♪」


 名前・・・なんて私にあるはずもない。

 私は目の前にいる彼女の話し相手。同年代で、同性で、彼女が行っている悪事について知っている話し相手だ。私は彼女が、彼女自身の正義感や倫理観に殺されないための、壊されないための、ただの精神安定剤なのだから。そのためだけに私は生まれた。作られた。


「でも、お話しをする時に名前がないのはなにかと不便じゃないかしら♪」


 確かに、コミュニケーションをする際には必要なことかもしれない。個人を特定する呼称というのは、親しみを持たす簡単な手段だろう。

 まぁ、私と彼女の間に親しみなんてものが必要あるかどうかはわからないが。私は彼女の愚痴を、悲しみを受け止めるだけの‘もの’なのだから。


「必要よ。ぜーったい必要♪」


 私は姉崎百合という人物が今まで経験してきたこと、学んだことに関する知識を保有してはいるが、経験はしたことがない。つまり、彼女との会話が私の生まれて初めての会話であり、彼女は私にとってコミュニケーションの先輩だ。そんな先輩の言うことならば、彼女が私を呼ぶ際の名前が必要という判断は間違ってはいないのだろう。


「どんなのがいいかな♪」


 本来ならば、生まれたばかりの子には親がその子に、‘こういう子に育って欲しい’という願いを込めて名前を決めると聞くが、私を生み出したあの男は、私を使い捨ての消耗品だとしか思っていない。そんな希望とは縁遠い目的を強いられた私に、相応しい名前などというものがあるのだろうか。


「外では怪しまれるから姉崎百合を名乗ってもらうとして、私達2人きりの時は違う名前で呼び合いたいわ♪どんなのがいいかな♪」


 そう言って篠原ひよりは会議室の中を歩きながら、私の名前を模索する。ぐるぐるぐるぐる回りながら、ダンスを踊っているように。


「あの男、あなたを私の精神安定剤みたいに言っていたから・・・そうね、安定ちゃんとか、バランスちゃんとかどうかな♪」


 私には知識だけではなく、人並みのセンスというやつも兼ね備わっていたらしい。私は首を横に素早く振ることで、拒否の意思を彼女に示した。

 その意思表示はどうやら彼女に伝わったらしく、またも私の名前を考えるために、この部屋の壁に沿って、ぐるぐると思案顔で歩き出す。


「私の精神を守る・・そうね・・・せっちゃん・・・そう、せっちゃんがいい♪」


 彼女はその後も‘せっちゃん’という名称を連呼しながら、私に抱きついてきた。不思議と悪い気分ではなかった。

 心がなんだか、ほわほわとする。


「それじゃあ、今日から私とあなたは‘ガールフレンド’ね?」

「・・ガールフレンド?」

「うん♪」


 今思えば、彼女は女友達という意味でその単語を使ったんだろうと思う。しかし、知識だけの私は、彼女の言葉を額面通りに受け取ってしまった。

 思わず顔が赤くなった私は、彼女から顔を背けることで誤魔化そうとする。

 知らなかった。

 好意を向けられることは、これほどまでに嬉しく、心温まることだとは。

 そこから私の悲劇、いや、喜劇的な日常が始まった。

 相手を思う気持ちが変わるだけで、相手への見方が変わるだけで、こんなにも世界がきらきらしたものに変わるとは、姉崎百合の膨大な知識をもってしても知ることはできなかった。


 あの時一緒に見た星ほど綺麗なものは、この世界のどこを探してもないだろう。

 あの時送られたメールほど素敵な文章は、この世界のどこを探してもないだろう。

 あの時繋いだ手ほど温かいものは、この世界のどこを探してもないだろう。

 あの時一緒に食べたご飯より美味しいものは、この世界のどこを探してもないだろう。

 あの時私に向けられた笑顔より優しいものは、この世界のどこを探してもないだろう。

 私にとって、彼女は‘世界’そのものだった。


 そんな永遠に続くとさえ思われた彼女との時間は、私自身、姉崎百合によって壊された。否、私が、壊された。殺された。消された。

 催眠に近い形で辛うじて存在を保っていた私は、彼が取り仕切る臓器売買の終了と共に、消される運命にあることは最初からわかってはいた。わかってはいたが、納得がいかなかった。いや、もっとわかりやすい言い方がある。


 嫌だった。

 消えたくなかった。

 彼女と離れるのが、この上なく恐ろしかった。

 私は深層心理の中で、正確には、姉崎百合の夢の中で彼に何度も抗議したが、全くといっていいほど取り合ってもらえず、ついには、私を完全に消すための催眠療法が開始された。

 しかし、ここで私にとっても、彼にとっても想定外のことが起こった。もともと、私という存在は曖昧で、不確かだった。彼が、そして彼の主治医、催眠を施した者でさえ、‘私’という存在が消えたと確信していたが、深層心理の奥底で私は生き続けていた。彼の体は使えなくても、彼の見る景色を見ることができた。残りカスの私でも、そのくらいはできた。


「彼女を出して!せっちゃんに会わせてよ!せっちゃんを・・・返せ・・」


 姉崎百合が篠原ひよりへ私が消えたことを伝えた時、彼女は顔を腫らす程泣いていた。彼にすがりつきながら、涙を流して怒っている姿が、今尚瞼に焼き付いている。


「せっちゃんを返さないんだったら、こっちにも考えがあるわ」

「臓器売買のことを警察に言うならご自由に。警察が大きな病院と女子高生1人の意見、どちらを信じるかは目に見えてますけど。それに、今回の件はあなたも片棒を担いでいることをお忘れなく」


 姉崎百合はそう言ってひよりちゃんを殴った。その時、私は姉崎百合に怒りを感じると共に、ある不安を抱えることになる。

 このままでは彼女は潰れてしまう。

 私を救えなかった自身の無力さと、我が身可愛さで他人を犠牲にした罪悪感に。

 なんとかしなければ。

 それが、彼女の優しさに溺れて、彼女の未来を何1つ案じなかった、いや、わかっていながらも彼女に甘え続けていた、ずるくて卑怯な私が、彼女にできる最初で最後の恩返しだろう。しかし、私にできることは少ない。なにせ体がないのだから。そうして考えるだけの私に1つのチャンスが訪れた。


「「「コックリさんコックリさん、おいでください」」」


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