ドッペルゲンガーの遺言7
「で、どうして彼を見張ってたのか教えてくれるかな♪」
「おや、そこは私達ではないんですか?」
「・・・」
「それにしても、何故僕達の追跡がわかったのですか?」
「あんなわかりやすい恰好なら当然じゃない♪」
備えあれば憂いなしという気持ちで部室に置いた変装道具だが、その備えに首を絞められるとは思わなかった。
あの変装の何が悪かったのだろうか?
警察署の前で話すのもなんなので、僕と篠原先輩は近くの喫茶店で話している。僕と篠原先輩だけでだ。あの馬鹿な後輩は先程、学校からの呼び出しを受け、今頃ダッシュで学校に向かっているところだろう。まさか補習をサボって来ていたとは思わなかった。
「それで、何で私達を見張っていたのかな♪」
「彼に少しきな臭さを感じましてね。失礼ですが尾行させていただきました」
「本当、失礼な話ね♪」
「今回私達に仕事を依頼された方も、姉崎百合さんと言います」
そう言った時、彼女の表情が少し強張った。
やはり今回の件について僕達よりは詳しい事情を知っているみたいだ。しかし、ここでそのことを聞いたとしても、彼女は頑なに口を閉じるだけであろう。ならばいろいろと質問をして彼女の表情に答えてもらうしかない。
「僕はあなたの‘彼氏’である姉崎さんと、あなたの‘彼女’を語る姉崎さんが無関係とは思っていません」
「どうしてそう思うのかな♪?」
「偶然・・ということもあるでしょう。しかし、偶然で片づけられない程、あなたは気を使ってる。いえ、警戒していると言ったほうがいいでしょうか。それは何故でしょうか?」
僕の疑問に対して、篠原先輩は無言の対応をしてくるだけだった。これ以上情報を僕に渡す気がないという、彼女なりの宣戦布告のようだ。
このままだんまりをしている篠原先輩のご尊顔を見続けるのもありだったが、それでは先に進めない。ここは無理やりにでも話を進め・・・いや、話を続けるとしよう。
「篠原先輩は勧進帳というものをご存じですか?」
これ以上ストレートに聞いたところで、彼女は何も答えてくれないだろう。ここは変化球でいくべきかもしれない。
警戒を解くのは難しいが、ひびは入れられる。
「・・・」
「あなたはまるで弁慶みたいですね。大切な方を守るために、僕のような邪魔者に相対する」
「・・勧進帳ではないでしょ♪私は義経を、大切な人を殴るなんて、絶対にしないわ♪」
存外早く、篠原先輩は口を開いてくれた。おしゃべりが好きな人に、沈黙という抵抗の仕方は難しいのだろう。ひびは容易く入った。ここからが勝負だ。
「そうですね。ならばあなたにとっての義経公は、女性の方の姉崎百合さんなのでは?」
僕のその発言に、篠原先輩は眉間に皺を寄せる。
先輩の態度に気づかない振りをしつつ、口を動かし続ける。
「知らないなんて冷たい言葉で、あなたは女性の方の姉崎さんを庇っているのでは?しかし、それだと配役が1人余りますね。はてさて、義経公と弁慶の旅路を邪魔する関所の役人は僕なのか、それとも」
「勧進帳に無理やり合せた推論を披露されてもねぇ♪」
「確かに、少々強引が過ぎましたね」
「もうあなたと話すことは何もないわ♪もう2度と私とあの人に近づかないで♪次はもう助けないんだから♪」
彼女は席を立ち、逃げるようにこの喫茶店から出て行った。焦った表情で。
「クスッ、鎌のかけがいがある、とても単純な人ですね。さて」
僕は目の前の伝票と自分の財布を確認して、携帯電話を取り出す。
「あ、もしもし。厳丈先生、新しくできた図書館の近くにある喫茶店わかりますか?ええ、はい、そこです。今回の件について至急話したいことがあるので、今すぐ来てください。え、今話せ?電話で話せない理由があるんです。ええ、ええ、ではそのように」
僕は電話を切って、珈琲のおかわりを頼む。
よかった。僕の財布は後10分でここに来るらしい。
「何でこんな事になってるっすか?」
「これも仕事です。我慢してください」
現在僕と翠は、病院のロッカーに潜んでいる。
狭いロッカーで女子と密着。これは男子高校生の夢の1つと言っても過言ではないだろう。そんなドキドキなシュチュエーションではあるが、これはそんないいものではない。
この病院は例の姉崎(男)の父が経営している病院だ。厳丈先生の調査結果を見る限り、彼の家の警備システムはとてつもないものであることが判明した。赤いジャケットを着た大泥棒でないと侵入できないような警備だ。そんな彼の家を見張る、あるいは潜入するなんて、僕や翠、厳丈先生にだってできないだろう。
ならばと、厳丈先生が出した案は身辺の、つまりは彼の父親が院長をしている病院への潜入だ。幸い、その病院の警備システムは彼の家程ではなく、何とか潜入できそうなものだった。監視カメラの死角があり、看護師のシフトや警備員の巡回ルートを調べ出すことができ、病院内にある重要書類のある部屋のスペアキーを手に入れることもできた。
これにより、完璧な侵入計画が出来たはずだったのだが。
「これのどこが完璧なんすか?」
「面目次第もありません」
現在夜中の1時。僕達は19時ごろにこの病院の侵入に成功し、後は物陰に身を潜め、深夜にこの病院にある資料室まで行くだけだった。しかし、資料室へ行く途中、1つ問題が起きた。
「問題もなにも、桜先輩がポカして警備員に見つかっただけじゃないっすか」
「巧妙な罠でしたね」
「待合室にある机の角に足ぶつけて、その音でばれただけじゃないっすか」
非常灯の明かりだけで暗闇を歩くことの難しさを、改めて気づかされた出来事だった。今は僕の出した音を聞きつけた警備員から隠れるため、近くにあったロッカーに2人で隠れている。
「警備員の人、この場から離れるどころか応援呼んでるっす。どうするっすか?」
「どうもこうも、このまま隠れるぐらいしか」
「そんな、もうそろそろ限界っす。特に体が」
後輩の、それもよく知る人物とはいえ、女子と体が密着している状態に思う所はある。僕はその変な気まずさから逃げるよう、翠に先輩らしいアドバイスをすることにした。
「もっと腰を落として、足と手を体に収納するんです。こうやって」
「そんなレクチャーいらないっす。今後一切役に立たない類の知識っすよ。それ」
「そうとは限りませんよ。僕は今や週3でこの技術に助けられています。芸は身を助けると言うではないですか」
「助かってないからロッカーに入れられたんじゃないっすか?」
確かに。
怒り狂った厳丈先生から逃れることに失敗したからロッカーに収監されているので、正確には助かっているとは言えないかもしれない。しかし、これも怪我の功名というやつで、今や厳丈先生のお仕置き(ロッカーに収監される)を何時間受けても大丈夫という、鋼の肉体を手に入れた。
いや、手に入れたのは体の柔軟性なので、ここはゴムの肉体と言うべきかもしれない。
「あぁ、桜先輩と一緒にロッカーに入っているなんて皆に知られたら、私もロッカーの住人として学校の噂になってしまうっす」
「ロッカーの住人って・・」
「今学校で噂になってるっすよ。風乃坂桜はロッカーに女子生徒を引きずりこんで、永遠にロッカーに閉じ込めてしまうって」
「学校の怪談になってるじゃないですか!」
ロッカー人間の噂から、まさかこんな成長を遂げるとは思わなかった。
怪談になってるとは思わなかった。
そのうちロッカーで世界征服を目指しているなんて噂に成長しかねないので、この噂に関しては早急に対処すべきかもしれない。
「それにしても、このままではまた警察署に連行という羽目になりかねません」
「翠は桜先輩に脅されてという言い訳があるっすけど、桜先輩は捕まったらどう言い逃れする気っすか」
「そのいい訳は僕の逃げ道を完全封鎖してしまうので、できればやめて欲しいのですが」
いくら小声とは言え、静まり返っている病院内で話すなんてことをすれば、
「そこ、誰かいるのか?」
当然見つかる。
僕と翠はお互いの口を塞ぐが、そんな行動を取るには遅すぎた。警備員が懐中電灯の光を僕達が入っているロッカーに向け、確実に僕達の方に向かってきている。銃口を向けられている犯人の気分だ。心臓の音がいつもよりもうるさく聞こえる。
これは掛け値なしの大ピンチ。最早これまで。そう思った僕達だったが、
「高森さん、あちらのほうで不信な人物を見かけたのですが」
「何?」
「すぐにこちらに来てもらえませんか?」
「うん?あぁ・・けど」
「本当に、物凄く、とてつもなく怪しいんです!」
「お、おう。すぐに行く」
後から来た警備員のおかげで、僕達に近づいて来た警備員が離れて行く。
「何とか助かったみたいっす」
「えぇ、危機一髪でしたね」
僕と翠はロッカーという名の監獄からようやく解放される。厳丈先生の罰ほど長く拘束されているわけではなかったが、それでも狭いロッカーに2人というのは些か無理があったようだ。翠と僕は物音を立てないようにその場で体をほぐすためのストレッチを行う。
「それにしても、先程の方は・・」
「桜先輩、これ見てくださいっす」
翠はそう言って、携帯の画面を僕に見せる。
From妻馬鹿(厳丈先生)
警備員は俺が足止めしておくから、今の内にさっさと調べものを済ませておけ。
ここは厳丈先生への感謝が湧き出る場面なのだろうが、翠が厳丈先生を‘妻馬鹿’で登録していることの驚きに打ち消されてしまった。
この子には怖いものがないのだろうか?
まぁ、世間一般で怖いとされている幽霊などを扱っているのだから、そうそう怖いものがあるとは思えない。虫も大丈夫だったはずだ。何とも可愛げがない後輩である。
「あの警備員、変装した先生だったんすかね?」
「多分そうだと思いますよ。声は違いましたが、厳丈先生ならその程度、お茶の子さいさいでしょう」
「ニュアンスが少し古いっす」
「そうですか?」
「先生みたいなおじさんとばかり話してるから、そんな古い言葉ばかり出るようになるんすよ」
「厳丈先生は年寄りではないでしょうに」
「アラサーはおじさんだと思うっす」
「それを言われると」
なんというか、アラサーという単語は学生の僕達からすると、おじさんの代名詞であることは否めない。
響きがもうおじさんだ。
メタボと同じくらいのインパクトがある単語だ。
「それでも、教師兼おじさんは一応目上なんですから、妻馬鹿という登録はいかがなものかと」
「いい年こいて奥さんの自慢話を延々と聞かせるような、そんな教師兼おじさんなんて、目上認定しなくてもいいっすよ。この前の補習なんて、それはもう酷かったっすよ。補習の半分は奥さんの話っす」
それは酷い。
補習という名を借りた嫌がらせなのではないだろうか?
「確かに聞くに堪えない時もありますが」
「そうっすよ。いい加減にしてほしいっす」
「ですねー」
「高森さん、やっぱりあちらの方で物音がしますよ。ちょいと行ってきて捕まえましょう」
「え、あぁ、うん。ん?君、あっちに誰かいること前提で話してない?」
先程の警備員とアラサー教師がこちらに向かって来る。なんという地獄耳。あの教師、怒りで我を忘れているみたいで、本気で生徒を捕まえる気だ。声が本気である。
「翠、早くここから離れましょう」
「賛成っす!」
僕達はアラサー妻馬鹿教師に捕まらないように、素早くこの場を離れる。