ドッペルゲンガーの遺言3
「本当に酷い目に遭いました」
「まぁ、あの風紀委員からブラックリストとして選ばれている奴らしい行動だな」
あの後、僕は厳丈先生のいる部室に帰還した。ボロボロで、ヘトヘトの体を引きずって。
「大野さんは?」
「さぁ?知らん」
「さいですか」
僕はボロボロになった体をソファーに預け、ヘロヘロになった精神を回復させるために厳丈先生の用意したお茶に口を付ける。
さて、この後はどうしたものか?
「そういえば、今日あいつが帰ってくるぞ」
「おや、今日でしたか」
そんな話をしている最中、言ってる側から彼女が来た。噂をすればというやつだ。
「お久しぶりっす!」
元気な声で勢い良く、小柄な女生徒が部室に入って来た。
この部室に入ってくる人、それが女生徒であろうと男子生徒であろうと、それが例え教師であろうと、その約9割が何かのトラブルを抱えているお客さんな訳だが、この女生徒は違う。
「水樹 翠、ただ今帰還したっす」
この子は不思議研究部の部員である、1年生の水樹翠だ。名は体を表すとはよく言ったもので、水色の髪と緑(翠)の目が特徴的で、そのような目立つ特徴を持ち、快活で人当りがいいという理由から学校内で有名人として扱われている。僕や篠原さんとは違って、いい意味でだ。
「厳丈先生から聞いたっす。私にお手伝いできることって何かあるっすか?」
翠は元気に敬礼しながら純真無垢な笑顔を浮かべた。
「実は・・」
頼れる後輩の帰還に僕は安堵しつつ、今迄あったことを翠に話す。大野さんのこと、森下先輩のこと、現在のトラブルの中心である篠原先輩と姉崎さんのこと、全て話した。
翠は先生の入れたお茶を飲みつつ、静に話を聞いてくれた。
「ふむふむ、そういう事情っすか」
「そういう事情です」
「っていうか、篠原先輩なら連絡先知るっすよ」
「「え!?」」
「っていうか、今からこの部室でお茶する約束してるっす」
「「・・・」」
これから大分苦労するであろう彼女との1対1(正確には1対3)での対面が、こんなにスムーズに行えるとは思わなかった。
ん?あれ?篠原先輩はこれからデートのはずでは?
「篠原先輩は分刻みでスケジュールを組んでるっす。デート時間が10分なんていうこともざらっす」
そんなデートの何が楽しいのかと聞きたくなってくるが、女の子とデートしたことのない僕は、まったく答えることができない。それでも彼女の行っているデートというものがおかしいということぐらいはわかる。10分しかないデートで、4組の神谷君がどれほど楽しめたのかが気になるところだ。
「じゃあ、さっそく呼ぶっす」
翠はそう言って携帯を操作する。どうやら篠原先輩に連絡を取ってくれているみたいだ。流石現役女子高生。携帯の扱いは手慣れたものである。
「呼ばれて飛び出てじゃじゃじゃじゃーん♪篠原ひよりちゃん参上で~す♪」
翠が携帯をバックに仕舞って数秒後、またも部室の扉が勢いよく開かれる。すぐそこでスタンバイしていたのではないかと疑ってしまう程の早さだった。そんな彼女は金髪が眩しい。そしてそれ以上に眩しい笑顔をした女性だった。
何この人、超、超、超、超、超、可愛いんですけど~~と言いたいのは山々だったが、そんな正直な感想が抜け落ちる程の衝撃が僕と厳丈先生を襲った。
「もしかして淫魔・・サキュバスですか?」
「あれ、この人達も翠ちゃんと‘同じ’かな♪」
一目見ただけで分かる。
彼女は人間ではない。
そして、陰の気から悪魔だと、行動からサキュバスかもしれないということがわかる。この人の場合は陰の気ではなく、淫の気かもしれないが。
「正確には人間とサキュバスのハーフだけどね♪できることといったら、人の精気を吸い取って意識を奪うことと、人の記憶をちょこっとだけいじることぐらいだよ♪」
それだけでも十二分に恐ろしいと思うのは僕だけではないようで、厳丈先生も僕も顔を引きつらせる。
彼女は相も変わらず明るい表情のまま、僕と反対側にあるソファーに腰かける。自らの正体を暴かれた人外の方々はもう少し焦りそうなものなのだが、この方はそれに当てはまらないみたいだ。自分の部屋にいるみたいな落ち着きようだった。肝の据わり方が尋常ではない。普通、人外と呼ばれる方々は僕達のような人間を忌み嫌う。自らを祓い、殺すような人間を警戒する。僕達が‘こちら側’の人間だとわかった瞬間、逃げられてもおかしくはない。
だが、おかげでスムーズに話をすることができそうだ。
「さっそくですが、姉崎百合という方はご存知ですよね?」
「うん、私の可愛い恋人だもの♪」
篠原先輩の笑顔が僕を不安にさせる。数多くの恋人がいる彼女にとって、姉崎さんはその多くの恋人の1人であって、替えのある存在なのではないだろうか。
姉崎さんの死を悼んではないのだろうか?
彼女が悪魔と人間のハーフであるという事実が、この不安をさらに強くする。
「実は、その姉崎さんから遺言を預かっていまして」
僕は彼女の反応に注意しながら、姉崎さんの遺言を彼女に伝えようとしたが、
「ん?それはありえないでしょ♪」
篠原先輩は一瞬真顔になり、そのすぐ後には心底不思議そうな表情を見せる。首を傾げたその仕草もまた可愛いですね。超、超、超、超、超可愛いです。そんな僕の煩悩に満ちた考えは彼女の言葉によって遮られる。
「だって、今日も姉崎ちゃんと会ったもの♪」
ドッペルゲンガーというものをご存じだろうか?
自分と同じ姿の‘なに’かが自分とは別の場所、あるいは自分のすぐ近くに現れる現象であり、超常現象や幻覚とされているものだ。通説によると、自分の姿をしたそのドッペルゲンガーを見た者は、近い内に命を落とすらしく、日本では芥川龍之介、アメリカではリンカーン大統領などがこの現象を経験したと言われている。
「で、それが今回コックリさんとの交信で出て来た、姉崎さんの正体ということっすか?」
「かもしれないですね」
あの後、篠原先輩は32番目の彼氏(驚愕の数字だった)の元に行き、厳丈先生は職員会議のために席を外した。なので、今この部室には僕と翠の2人だけだ。
「けど、ドッペルゲンガーに死ぬっていう概念があるっすか?」
「そこが問題なんです。ドッペルゲンガーというやつはただの現象と、そう厳丈先生に聞いたことがあります。魂や生死という概念があるとは思えないのですが」
幽霊や付喪神は存在が、魂がある。一般の方がその姿を認識できないだけで、そこに彼らはいる。しかし、ドッペルゲンガーはただの現象だ。
空中でコップを離せば重力でコップが落ちるように、水を氷点下の場所に置いておくと凍るように。それはただの現象であり、魂や生死の概念など存在しない。それと同じく、ドッペルゲンガーはただの現象であり、魂などの概念がないと言われている。
なのに、
「コックリさんの儀式を使った交信に彼女が引っかかった訳っすから、魂とかいうものがある‘なにか’っすね。それか篠原先輩の彼女さんのほうがドッペルゲンガーなのか」
「それはないかと。当人が死ねばドッペルゲンガーも消えるはずですから」
そう、あの儀式で交信できるのは、降霊できるのは、魂のある‘なにか’であり、ただの現象が引っかかることはない。聞いた事がない。
「姉崎百合の名を語る誰か分からない人間霊、と考えるのが妥当でしょうね」
「今から本人に聞けばいいじゃないっすか?」
翠は部室の隅にあるコックリさんの用紙を指差す。前回と同じように、あの紙には彼女が居座ったままだ。しかし、
「姉崎さ~ん」
─・・・・・─
「だんまりっすね」
「・・・」
「まぁ、ブラックリストに入るような危険な覗き魔に話しかけられたら、だんまりするのもわかるっす」
「失礼な!学校内で五本の指に入る紳士と自負しているこの僕が」
「思い上がらないでくださいっす。紳士っていう単語を国語辞典で調べ直して、その意味を海よりも深く、山よりも高く考えてくださいっす」
「先輩に対しての敬意が1ミリも感じられない。僕にほんの少しでいいので敬意を払ってください」
翠はブラックリストに乗るような奴の言葉は聞く価値がないとばかりに、僕を無視し、帰り支度を黙々と進めていく。そんな彼女はハッと気づくような素振りを見せ、
「そういえば、明日はどうするんっすか?」
「人の話は聞かないくせに」
「本当、人間が小さい先輩様っすね」
翠は欧風染みたオーバーなリアクションでやれやれと言いながら、それでも反省の素振りを欠片も見せずに僕に話を促す。
「とりあえず、明日の放課後に生きているほうの姉崎さんに会って話を聞きましょうか。一緒に来てもらえますか?」
「了解したっす。では、今日中に姉崎さんBの連絡先を、篠原先輩に聞いておくっす」
「そんなド〇クエの敵みたいな呼び方しないであげてください」
「姉崎さんA、姉崎さんBは、桜先輩を冷たい目線で見つめている」
「やめてください。普通に傷付きそうです」
「姉崎さんAと姉崎さんBは合体して・・」
「キング姉崎さんですか!」
翠の発言で、それこそ百合みたいないけない妄想をしてしまったのは、ここだけの秘密にしてもらいたい。