月蝕、その日
天夜と白詰は無事であろうか。
無論、心配など孕んでいない。
取り留めのない些事な事象に思考がつかえるのは、人間時代の名残であろう。
神界に渦巻く多大な魔力の奔流を感じながら、彼女は歩みを進める。
その歩調は天夜・白詰とは違い、悠々としていた。
先の二魔と違い、彼女の目的はおおよそ果たされている。
『神界への侵入、および神界魔力の吸収』
彼女、月蝕の魔女は、周辺の魔力を吸収し、自らの力を強化する魔女である。
通常の魔導体は、周辺の魔力を吸収し一時的に能力を向上させることはできても、根底となる魔力を高めることはできない。
しかし魔導生体兵器として開発された彼女の場合、魔力を吸収・解析し、自らの基礎魔力に組み込むことができるのである。
魔導義肢に換装された手で拳をつくり、そしてゆっくりとひらく。
毒とも等しい神界の魔力ですら、自らに馴染んでいくのがわかる。
そして、
指先から小さな炎を出す
それには、人界の不安定さと冥界の禍々しさと、新たに加わった神界の神々しさが入り混じっている。
時に赤く、時には黒く、そして時には白く煌めいているようである。
満足げにその炎を眺めながら、ゆくりと歩みを進めていると突然声をかけられた。
「ここの魔力はお気に召したかな?月喰の」
月蝕の魔女に気取られず、突然、現れた男は、「くく」と軽く笑っていた。
その体駆は、人と同じ見た目でありながら月蝕の魔女より頭2つほど大きい。
その背には、さらに大振りの太刀を背負い、筋骨隆々の肉体をさらに大きく感じさせる、神の魔力を放っていた。
「あら?もしかして私の知り合い?」
並の者なら卒倒するような殺気を受けながら、あっけらかんと月蝕の魔女は返す。
「そうか。覚えておらぬか。確かにあれから幾ばくもの時が流れておろうものな。」
またも軽く笑いながら、しかし殺気はおさめず男は答えた。
「某かつて神の位格が一つを仕った、【大地の神・グラディウス】と申した者。」
「申した?」
今度は月蝕の魔女が「フフ」と、軽く笑いながら返す。
「左様。現世にて暴れる貴様を取り逃した失態により、神格は剥奪。今では、名もなき半神半兵よ。」
「そうさのう、【役神】とでも名乗ろうか」
「なるほどね。」
「それじゃあ、あなたも復讐?」
「ふん、そのようなつまらん感情など忘れてしもうたわ。」
役神の魔力がより高まる。そして、続ける。
「まさか某が負けるとは夢にも思うとらなんだ。楽しかったのだ。貴様に負けたあの日の戦は。」
月蝕の魔女が、今度は悪戯に笑った。
「どのみち同じじゃない。今から起こることは。」
と。
そして、その聖も邪も含んだ魔力も暴力的に高まりだす。
「かかか。確かにな。」
背から大太刀を抜き、両手でしっかりと構える。
互いの視線が交錯した時、周囲一面は廃塵と化した。