帳の剣
神界
神々や、それに従事する者たちが住まう楽園。
生前、徳を積んだ魂や優秀な選ばれし魂、信仰を得、神としての存在を認められた魂だけが住むことができる魂の集結地である。
そこはとても平和で、永遠の安らぎのみが存在する場所だと全ての者が信じていた。
数あまた並ぶ純白の宮殿が轟音と塵煙をあげながら崩れ落ちる。
「いたぞ!あそこだ!」
西洋甲冑に似た鎧を着た、神兵達が声を荒げる。
その先には、平坦な地面を疾走するが如く、屋根から屋根を伝う少女がいた。
いや、見た目は齢十五、六の少女そのものだが、その額には天を穿つかの如く、鋭い二本の角がある。
彼女は「鬼」である。
身なりは東国の戦士の甲冑を纏い、その手には禍々しいオーラを放つ、鯖折れた一振りの刀があった。
「神術隊、かかれ!」
指揮官の号令と同時に、神術によって生成された光の矢が放たれる。
神術とは、神界で使用される魔法の一種である。神々のみが術式を伝承できる「浄化」の力を使い、悪しきものに対して毒とも等しい効果を持つ、神界でもより位格の高い者のみが操ることのできる特殊な魔法である。
つまり、神界の空を翔ける鬼の子「天夜童子」を討たんと狙う神術隊とは、神の名において神界の正義の為に闘う、精鋭部隊なのである。
もし彼らが現世でその力を発揮すれば、剣一振りで海は割れ、槍一薙で山は崩れるだろう。
先程放たれた光の矢とて一射されれば、大地を穿ち空を焦がす、まさに神の怒りが如き攻撃である。
しかし天夜童子は一瞥もくれず、しかもこともなげに、背後から迫るその矢を悉く避ける。
ただ一目散にと、このエリアを治める神の元へと向かう。
逃げ惑う、ではない。
遥か古、己の全てを奪った神への怨意が、意識を手繰り寄せる。足を引く。視界を奪う。
これを良しとせぬは神兵達、彼らとて選ばれし者としての誇りがある。
「ええい、さっさと落とさんか!」
指揮官の怒号に焦りが混じる。
それと同時に神術による攻撃はより一層、苛烈を増す。
無数の矢の光は辺りを照らし、まるで今が昼の如く。
守るべきはずの民々が住む宮殿を、自らの手で破壊していく。
それでも攻撃は一向に止まない。
「たかだか小鬼1匹如きになにをてこずっておる!」
指揮官の怒声はやまない。
それもそのはず、下層位界からの侵入者・天夜童子ほか2匹が侵入してから半日以上経過していた。
その間、姿を捉えて続け、攻撃を仕掛け続けるも一向に捕らえること叶わない。
「このようなことになろうとは...」
尚も当たらぬ攻撃に焦りを覚え、指揮官が口惜しげに漏らす。
「...統括神様へ繋げ。」
長い沈黙の後、副官に対し、吐き捨てる様に呟いた。
これまで、神界へのあらゆる脅威を防ぎ、時には敵をも討伐してきた上位神兵としてのプライドを捨て、楽園に対する侵入者の排除を優先させなければならない。彼の上役である統括神ならば、すぐさま忌むべき侵入者を排除し、この非常事態を収めることができるであろう。しかし同時に、この小鬼風情に遅れをとる事実を認めることになる。これは苦渋の決断であった。
「統括神・サルダリアス様、例の侵入者ですが...」
指揮官が魔力による通信を飛ばす。
この情報伝達は魔力を使えるもの・即ち魔導体であれば、一般的な方法である。人間位格から、天夜童子ら妖魔格、はては神格級まで、個体固有の魔力波を感知し、念波を飛ばす。いわゆるテレパシーといったところだろう。
『侵入者の魔力を皆目感知しなかった故、気の触れた鼠1匹の虐殺であったかと思ったが、なかなか面白そうな小鬼よな』
少量、酒をあおりわずかな愉悦を漏らしながら、サルダリアスと呼称された神は返した。
指揮官から届く、念波のぶれやごく僅かに混じる負の感情から、言葉以上の情報を読み解く。
その詳細は、指揮官が見聞きし認識している情報よりも多い。ここまでできるのは、魔導体でも神格級のみであろう。
『すぐさま出向くゆえ、しばし待っておれ。』
「...は。何卒お願い申し上げます。」
そのことは指揮官も承知しているため、早々に通信を切る。
背の壁から、身の丈を大きく上回る三叉の矛をとり、稲妻を纏って、自らの宮殿から飛び出した。
その速度たるや、天夜童子にも引けを取らない速さである。
戦事も久方ぶりだ。いや、それほどまで小鬼に骨があればよいが。
平穏という名の退屈を破ってくれた侵入者に、少しの感謝と、満足のいく戦ができる敵であることに期待を抱き、雷を司る神・サルダリアスは、己の楽園を荒らす小鬼のもとへ雷光の矢となって向かうのであった。