愛のかたち
今日は特別な日だ。
愛する妻が健康な体を手に入れるため、非常にリスクの高い頭部移植手術を受ける日。
この先ずっと僕と元気で楽しく暮らしていく為に、妻はまだ数えるほどしか成功例がない移植手術を受けると決めた。
彼女は4年前、事故で首から下の神経をやられ体が動かなくなってしまった。
これでは貴方を愛すことができないと、彼女は絶望した。
僕は彼女が生きていてくれたことに感謝した。もともと、僕が彼女に惚れて半ば縋りつくようにして結婚したのだ。
これで彼女は僕から一生離れられないと、一瞬昏い感情が生まれたことは否定しない。それぐらい僕には彼女が必要だった。
だからリスクが高く、莫大な金のかかる頭部移植手術を彼女がしたいと言った時当然僕は反対した。
そんな手術を受けたら彼女は死んでしまうかもしれない。
だって首を切られるんだ。他の人間の体とくっつけるなんてまるでSFの世界じゃないか。
けれど彼女は本気だった。
「貴方を抱きしめて、愛したい。それができないなら貴方を嫌いになるし、生きていたくない」
最終的に、僕は折れた。愛する彼女の断固とした言葉に逆らえるはずはなかったのだ。
身内には反対され、馬鹿にされ。周囲の人々からも呆れられ、手術費の募金をお願いしとあらゆる手立てを講じ、今日のこの日を迎えた。
手術は丸一日かかり、その後一ヶ月は昏睡状態になるという。その後も状態が安定するまではガラス越しでしか見ることしかできない。
結婚してから、今までこんなに長く彼女に触れられない期間はなかったと思っただけで僕は泣けて泣けてしかたなかった。
どうか神さま、愛する妻を連れていかないでください。
どんな形でもいい。妻が生きて僕の側にいてくれればそれだけでいいんです。
どうか。
どうか、どうか……。
ほぼ一日が経ち、「手術は無事成功しました」と聞いた後も僕はずっと祈り続けた。
仕事に行き、終わってから毎日病院に通う日々。彼女の姿はモニター越しにしか見えないし、ずっと昏睡状態だから全く動きはない。それでも僕は彼女が生きていることを感じたくて毎日かかさず通い続けた。
しかし一ヶ月が過ぎても彼女は目覚めず、二ヶ月が過ぎた頃やっとうっすらと目を覚ました。
僕は狂喜した。
二ヶ月が経ち、彼女の顔はやつれて見えた。意識の確認などを経て、リハビリなども含めて全て隔離された場所で行われるらしいという。
インターホン越しに彼女の声を聞いた時、僕は神に感謝した。
彼女の声はかすれていたが、それは確かに愛する人の声だった。
「愛してるわ」
「愛しているよ」
彼女の姿は、いつだってベッドの上だった。首から下は常に布団で覆われ、その体がどうなっているのかわからなかった。
それから一年が過ぎ、とうとう彼女の退院の日を迎えた。
僕は隔離病棟から出てくる彼女を今か今かと待っていた。せっかくの退院の日だからと彼女が好んで着ていたワンピースを用意しようとしたら、驚かせたいから洋服は友人に頼んで用意してもらったという。そんなこと全く知らなかったから僕はその友人にすら嫉妬していた。
そう、その時を迎えるまでは。
隔離病棟の、無機質な、それでいて重厚な扉が開いた時、僕は歓喜に震えるはずだった。
しかし実際の僕は困惑と、頬をつねりたい気持ちでいっぱいだった。
「幸助さん」
その声も笑顔も愛する妻のものなのに、首から下が明らかに違う。笑顔でゆっくり近づいてくる妻にどう対応したらいいのかわからない。
そうして、背の高くなった妻の逞しい腕に抱きしめられた。
「ああ……ずっと、こうしたかった。ねぇ、どんな私でも愛してるって言ってたわよね?」
「……も、もちろんだよ」
脳裏にとりともめもない考えや思いが浮かんでは消える。
「嬉しい! こんなことで離婚なんて考えないわよね?」
「も、もちろんだ、よ……」
逃がすまいとするようにさらにきつく抱きしめられる。
「彼女は性同一障害だったそうです。この手術は賭けでしたが、彼女は無事男性の体を手に入れ……」
とても嬉しそうな医者の説明がひどく遠い。
僕は彼女が好きだった。どうしても彼女を手に入れたくて苦手なスポーツもしたし、彼女がほしがりそうな物も手に入れた。
だけどもうその気持ちさえもなんだったのかわからなくなっている。
ただ一つ確かなのは、彼女の首から下は女性ではなくなってしまったということ。
そしてそれに、彼女がひどく満足しているという事実だけだった。
「愛しているわ、幸助さん」
Fin.