第85話 思いがけないお出迎え
「旦那、ここからはオイラが先導するニャ」
コテツは既に歩き出していた。
俺は遅れないように、コテツの隣に移動して並んで歩く。
「ここからは、どれぐらい歩くんだ?」
「夕方までには着くはずニャ。そうだニャ……時間もあるし、この辺のことでも話しながら歩こうかニャ」
コテツは歩きながら、森の東側についての説明を始めてくれた。
ヘルブストの森、東側に住んでいる獣人はラビットマンとパーン。
コテツも知らない繋がりを持つ二つの種族。
住む場所も近く、パーンが住んでいる山の麓にラビットマン達は集落を形成している。
つまり、今見えている山こそがパーンの住む山ということなのだ。
そして、魔獣の生態についても俺が知るものとは違うらしい。
森の東に生息する魔獣は比較的おとなしく、こちらから手を出さない限りは襲ってくることは少ない。
その代わり、一度敵視されると執拗に追いかけ回されることになるとも教えてくれた。
コテツがしみじみ語っているところから推測するに、実際に追いかけ回されたことがあるのだろう。
俺が『遠視』で周囲を見回してみると、コテツの言う魔獣らしき影が視界に入る。
種族:魔獣・鎧鹿、クラストエルク
生命力:56 筋力:72 体力:95 魔力:38 知性:33 敏捷:63 器用:26
スキル:脚力強化、遠視、消音
鹿に似た魔獣のようだ。
角が前面に伸びており、コンパクトで鋭い。木々の間を縫って動き回ることに適した形状とも言える。
太ましい足が立派な体躯を引き立てている。
しかし、それ以上に目を引くのは、毛皮の隙間から覗く鎧のようなごつごつした皮膚だ。
皮膚だけ見ると、鹿ではなくサイに見えなくもない。
そんな鹿とサイのハイブリッドのような魔獣が、穏やかな表情で草木を食んでいる。
どうやら、クラストエルクの方も俺に気が付いたようだが、こちらを一瞥した後、再び食事に戻っていた。
その様子を見る限り、コテツの言うとおり普段はおとなしいのだろう。
しかし、いくらおとなしいと言われても、あんな魔獣にちょっかいを出すのは気が引ける。
怒らせたらどうなるか……想像するのは簡単だからな。
「旦那? どうかしたかニャ?」
「いや、何でもない」
襲ってくる気配が無ければ、俺もどうこうするつもりは無い。
コテツが怪訝な表情を見せているが、余計なことを言って心配させる必要も無いだろう、俺は素知らぬ顔をして歩みを進めた。
……
キバと別れて、かなりの時間が経っていた。
徒歩とはいえ、着実に進んでいる。
目印にしていた山も、俺の『遠視』によって細部まで目視できる距離にまで近付いていた。
俺の記憶と照合すると、目印の山の見た目はアルプス山脈に近いかもしれない。
木々よりも草原が目立ち、奥まった場所では岩肌が剥き出しの山々が連なっている。
山頂付近は白くなっているし、あれが雪だとすると標高はかなり高いのだろう。
そして、山腹には人工の建造物が所々に散見される。
規模は大きくないが、生活の営みがあることも確認できた。
あそこがパーンの住む場所ということか。
しかし、今はパーンよりもラビットマンだ。
少しずつ変わっていく森の姿を尻目に、俺達は目的地に向かって歩き続けた。
……
日が傾き始め、木々の影が大きくなり始めた頃、コテツは口を開いた。
「ここまで来たらあと少しかニャ。旦那には見えるかニャ?」
「ん? ここを真っ直ぐか?」
コテツの示す方向に目を凝らす……。
かなり離れてはいるが、森の奥に開けた場所が見える。
そこには、噂で聞いていたラビットマンと思しき人々の姿があった。
特徴的な兎の耳。腰元にある毛玉は尻尾だな。
それ以外は本当に人間そっくりだ。
見える範囲にいるラビットマンは十人程。皆、農作業に没頭しているらしく、俺が見ているなどとは思っていないようだ、皆、農作業に従事している。
人数に対して農地は広いな。ラビットマンと数軒の小屋、それ以外は全て畑だ。
それ以外で目に付くのは……犬か? 黒い大型犬が何匹か彷徨いているのも見えた。
そんな犬の中の一匹が俺の方に顔を向けている。
これって、もしかして……。
「げっ! コテツ、犬が吠えてるっぽい!」
「言うの忘れてたニャ……。ラビットマンは番犬を飼ってるんだニャ。吠えてるってことは――」
「うーん……ラビットマン達は全員、小屋の中に隠れたみたいだ」
犬が吠えるや否や、ラビットマン達は農作業を中断して逃げていったのだ。
その勢いは、まさに脱兎のごとく。
まるで訓練されているかのように、手慣れた様子で避難は完了されていた。
番犬の方は、迎え撃つ気が満々といった様子で俺達を待ち構えている。
数は六匹、どいつも厳つい顔した猛犬だ。
まさか、キバのご武運という言葉が現実になりそうだとは……。
それを回避するためにも、ここはコテツ先輩の知恵を借りるとしよう。
「旦那……オイラにはどうにもできないニャ」
「えっ? 何かあるだろ? 誤解を解く何か……」
「無いニャ! 旦那が怒らせたんだから、旦那がどうにかしてくれニャ!」
いや、待て。コテツが見えるか聞いてきたんだから、俺だけが悪いわけじゃないだろ。
しかも、さっき忘れてたって言ってたし……。
とは言え、コテツを責めてもどうにもならないな。
取りあえず、もう一度吠えてる犬を見てみよう。
……うん、まだ吠え続けてるな。
こうなったら駄目で元々だ、アレを試してみるか。
(あー、こんにちわ。俺は怪しい者じゃないよ)
はい、めっちゃ警戒されています。
番犬達の顔付きは、より一層険しくなってしまっている。
『思念波』を送ったのが俺だということも理解しているのか、いまだ俺に向かって吠えていた。
もしかして、逆効果だった……?
それでも俺は諦めん。
まだ向こうの話を聞いてないからな。
(えっと、俺達はラビットマンに用事があって来たんだけど、そこに行くのは駄目かな?)
(オ前ハ何者ダ! 用ガアルナラ、ココマデ来イ!)
番犬のうちの一匹が『思念波』に反応してきた。
犬なのにめっちゃ偉そうだ。
思いの外、流暢な思念なのも驚きだな。
とにもかくにも、ここでの選択肢は一つしかない。
(分かった。じゃあ、今からそっちに行くから)
会話ができるというのは便利なものだ。
向こうの要求は、こっちに来い。なら行ってやるさ。
「話が分かる連中で良かったよ」
「本当かニャ? あの番犬がそんなに簡単に許してくれるとは思えないんだけどニャ……」
なんて言いながらも、コテツは前に進んでいる。俺の後ろに隠れながらだけど。
(度胸ハ褒メテヤル)
(それはどうも)
ラビットマンの集落に入る手前、森と集落の境に来たところで、六匹の番犬が立ちはだかっていた。
一際堂々とした立ち振る舞いをしているこいつがリーダーだろう。
種族:魔獣・魔犬、ゲイズハウンド
生命力:73 筋力:55 体力:71 魔力:41 知性:57 敏捷:87 器用:35
スキル:夜目、遠視、威圧
犬ではあるが、ブラッドウルフよりは強いな。しかも知性が高い。
見るからに番犬ってわけだ。
今も自分達の役目を全うしようとしているのだろう、リーダーは俺に注視し、他の五匹は周囲の警戒を続けている。他にも誰か隠れているとでも思っているのかもしれない。
(俺達は二人だけだ。他には誰もいないぞ?)
(……オオカミノ匂イ。シカモ強イ)
狼? キバの匂いか。
(確かにさっきまでは仲間と一緒にいたけど、今は本当に二人だけなんだ。どうにか信用してもらえないかな?)
(ナラバ、何故ココニ来タノカ、説明シロ)
(さっきも言ったけど、俺達……と言うか、こっちのコテツがラビットマンに用があって来たんだ)
「えっ? えっ? 何するニャ!?」
俺と番犬との会話が聞こえていないコテツは軽くパニックだ。
俺がコテツを差し出しているような絵面になってるからな。
(フム、コイツノ匂イ、嗅イダコトガアルナ)
リーダーの合図で、取り巻きの番犬達がコテツの全身を嗅ぎ出した。
匂いを嗅がれているコテツは、天に祈るようなポーズで何やら呟いている。
「だ、旦那……これ、どういう状況ニャ? オイラ、どうなるニャ?」
「コテツの匂いを知ってるっぽいから大丈夫……だと思う」
「思うって何ニャ……」
コテツの心配も分からないでもない。
しかし、それも少しの辛抱だ。今も番犬のリーダーと思念で会話しているからな。
(コイツハ、コノ前モココヲ訪レタ奴ダナ……)
(コテツはラビットマンと商売する仲だからな。森の奥に入る前にここに来るんだろ)
(ウム、ソノヨウダ。コイツハ問題無イ、オ前ハドウシテクレヨウカ……)
(えっ? 俺は初めて来たからどうにもできないぞ?)
コテツは解放されたが、今度は俺が囲まれている。
しかし、慌てることは無い。番犬達も顔付きは険しいままだが、思念では俺への敵意はほとんど消えていたのだ。
(オ前モ危険デハ無サソウダ。シカシ、歓迎スルワケデハナイ。不審ナ行動ハ慎メ)
(分かった、約束するよ)
ふう……取りあえず、立ち入りは許可されたのかな?
番犬のリーダーが俺をマークしたままだけど、それは仕方無い。
肝心のラビットマンが引っ込んでしまっていることについては……コテツがどうにかしてくれるよな?