第78話 教えてフロゲル先生 魔の攻勢
コボルトとトードマンの顔合わせした次の日、既に取り決めた行動が実行されている。
フロゲル達トードマンは湖近辺の調査を行い、集落に適した土地を模索していた。
そこに俺も土地の把握と警護を兼ねて、同行しているわけなのだが……。
「この湖、満ち引きがあるのか?」
昨日訪れた時に比べると、水位が下がっているように感じる。
水辺に転がっている岩を見ると、付着物と水面に差異があるのだ。
もしかして海と繋がってるのか? なんて考えが頭を過ったが、対岸の遥か向こうにはレーベンの壁が存在する。その可能性は低いだろう。
しかし、ここからではそのレーベンの壁を視界に捉えることはできていない。
それどころか湖の対岸すら確認できないのだ。この湖が如何に広大であるのかが窺い知れる。
(満ち引きっていうのは分からんけど、水位が変わるのは昔からあったで? 日に二度は上下しとると思うわ)
それは満ち引きがあるってことじゃないのか?
通常の湖であれば天候次第で若干の水位が変わることがあるが、海のように周期的に変動することは無かったはずだ。
まあ、地球の常識を持ち込んで良いのかは分からないけど……。
(気になることがあるんやったら好きなだけ調べたらええし、ワシらの方でも調査したるで?)
「うーん……今は魔獣の危険性が無いことが確認できれば良いか」
湖の悪魔と呼ばれたエレクトロードパイソンがいなくなっても、湖が安全という保証は無い。
今も『遠視』と『危険察知』、それに『聴覚強化』で警戒をしているところだったのだ。
視界内にいる魔獣は、昨日トラウマ認定されたリブスネイルがちらほらといる程度。
目新しい魔獣と言えば、フロゲルが穴を掘って見つけた二枚貝の魔獣、ブルクラムぐらいだ。
(こいつは茹でたら美味いんや!)
見たまんま貝だからな。
しかしいつも思うのは、この世界の生物は基本的にでかいんだよな……。
ブルクラムは小さくてカスタネットぐらい、大きければシンバルぐらいのサイズの個体がいるようだ。
目の前でフロゲルが次々と掘り起こしているので、大小様々なブルクラムが掻き集められている。
(大量や! たまらんで!)
潮干狩りしに来たのかよ。
部下のトードマン達は困った様子で遠巻きにそれを見ているのだが、当の本人は気付いてないみたいだ。
「フロゲル、いい加減置いていくぞ。トードマン達が呆れているからな」
(おお、すまんな! ちょっと興奮し過ぎたわ!)
手足の砂を払いながら、フロゲルは無邪気に笑っている。
掘り起こされたブルクラムはダンジョンに放り込んで、俺達は移動することにした。
トードマンの集落を作る場所……湖から近く、できれば徒歩でもアモルに行けるように、湖へ流れ込む川の北側に作ることにした。
それに対して、ダンジョンの入口は川を挟んで南側に繋げている。
集落から少し離れた位置で、野生の魔獣が迷い込むようにするためだ。
魔獣が来た時はビークが仕留める手はずになっている。
川の南側は北側とは魔獣の生態系がまるで違っており、ブラッドウルフやファングボアなどの獣タイプの魔獣が多いらしいが、ビークなら大丈夫だろう。
いざという時は支援者も対応するので問題無い。
(さて、場所が決まったんやったら、あとは若いもんらに任せてワシはワシの仕事をしようかな?)
「仕事?」
(昨日、決めたやろ。ワシが稽古付けたるってな)
「それはそうなんだけど……来て早々にフロゲルがここを離れて大丈夫か?」
(構わへんって! コボルトさんらも手伝ってくれるんやしな)
フロゲルはそう言うが、責任者不在というのは問題あるだろう。
急いで稽古を付けてもらう必要も無いことだし……。
「じゃあさ、歴史を教えてくれないか? それだったら、ここでもできるだろ?」
(歴史? 魔の攻勢とかのことか? ええけど、それやったら大勢の前で話した方がええんちゃうか?)
言われてみればそうだな。
同じ話を何回もしてもらうのも面倒だろうし、どうしようか……。
〈問題ありません。私が講習していきます〉
(歴史の授業するのか? 何か先生みたいだな)
〈今もあまり変わりませんから〉
あれ? それって俺が生徒みたいってこと?
仰るとおりです……はい。
「ええっと……何か大丈夫みたいだ。支援者が後で皆に教えるらしいから」
(そんなこともできるんか……そんじゃあ、何から話そうかなぁ……)
フロゲルは手近な倒木に腰掛けて、遠くを見つめながら語り出した。
……
百七十年前……四度目となる魔の攻勢。
当時は獣人に『呪い』など無く、各部族が持つ力を大いに奮い、魔獣の侵攻を食い止めていた。
水場での戦闘を得意とする蝦蟇人。
『水魔術』と『槍術』を駆使して、遠近問わず戦場を駆け巡る。
中には『毒液』や『麻痺液』などを扱う者もいたため、搦手を担うこともあった。
集団戦術に特化した狗頭人。
際立った能力が無いものの、陣形を織り交ぜた戦術を駆使することで、個人では対応できない魔獣に対しても圧倒した戦いを見せていた。
感知能力が鋭い兎耳人。
敏捷が高い者が多いため、斥候役を務めると右に出る種族はいなかった。
今でこそ臆病者の代名詞となっているが、当時は勇敢な者が多く、戦場を真っ先に駆け抜けていた。
魔獣を操る能力に長けた山羊人。
自身も『風魔術』を操り、高い戦闘能力を遺憾なく発揮していた。
しかし、やはり特筆すべきは『従魔』である。戦闘中にも魔獣を新たに従え、同士討ちさせていくことで、窮地を覆す場面も多かった。
群を抜いた体躯を誇る豚顔人。
技術や魔術を持たないことを不利とは感じさせない力で魔獣を圧倒していく。
また、力が強いだけでなく、率先して他種族を救出する姿から各部族からも厚く信頼を寄せられていた。
卓逸した知識を持つ猫精人。
様々な属性の魔術を扱い、体格差を物ともしない戦い振りで仲間を鼓舞していた。
当時のケットシーは知恵者として、多彩な戦略を駆使して戦況を操作していた。
それら六種族の獣人が、今で言う『ヘルブストの森』において魔の攻勢を耐え凌いだのだ。
魔の攻勢の三十年前、時の英雄マキシマーの提唱によって、レーベンの壁の建設が開始される。
人間の手によって建設されたと伝承されているが、実のところは森の獣人の協力があってこそ成されたものである。
目的は南から押し寄せる魔獣の侵攻を防ぐため。
その建材として、ヴェルトの壁の破片が使用された。
元々、ヴェルトの壁はヴェルト山と呼ばれる霊峰であったらしい。
ヴェルト山が削り取られ、ヴェルトの壁と呼ばれるようになったのは今から四百年程昔のこと。
破壊される前の姿を拝んだ者はいないが、伝承ではそう言われている。
レーベンの壁建設当時、ヴェルト山の破片は森の各地に散在していた。
それらを回収するために、そして建設作業に従事するために全種族の獣人が手を取り合ったのだ。
建設から二十五年の歳月を経て完成されたレーベンの壁は、ヘルブストの森に住む獣人の生命線となる。
魔の攻勢における魔獣の変貌ぶりは凄まじく、それまで生息していた生態系を狂わせていた。
突如として進化する魔獣、それまで持たなかった能力を使用する魔獣、全く目撃されたことの無い新たな魔獣まで出現することもあった。
凶暴化した魔獣を相手にすることは容易ではない。
事実、種族に関わらず多くの獣人が戦いの中で命を落としていった。
そんな状況の中、マキシマーは獅子奮迅の戦いを見せる。
蒼碧の鎧に身を包み、魔を弾き返す盾と光輝く剣を振るう姿は、マキシマーが魔の攻勢から人々を救うために神が遣わした英雄であると、誰もが信じて止まないものであった。
共に戦う獣人はマキシマーの剣として、または盾として戦うことが、魔の攻勢における最大の誉れと称されていた。
魔の攻勢の間、獣人達の士気は極めて高い。
しかし、魔獣の狂気は収まるところをしらない。
七日間、決死の攻防が繰り広げられた。
魔の攻勢の終わりを告げたのは、一つの咆哮。
大地を震わせ空気を劈く雄叫びは、森だけでなく世界に響き渡ったという。
咆哮の主が誰なのか、何処から放たれたものかを誰も知る由はなかったが、その咆哮が轟いた時、英雄マキシマ―の姿は何処にもなかったという。
それでも、誰もがマキシマーの生存を疑わなかった。
戦いの終わりを見届け旅に出たという者、女神と同じく天に昇ったという者、あるいは何処かでまだ戦い続けているという者など、様々な憶測が飛び交ったが真偽の程は定かではない。
真実なのは、マキシマーが魔の攻勢を退けた英雄という事実だ。
魔の攻勢の後、各種族が住むべき場所に戻り、平和な暮らしを送っていた……はずだった。
人知れず、獣人には『呪い』が降りかかっていたのだ。
『呪い』が目に見えるようになった頃から、各種族の交流は断たれ、啀み合い、恐れ合い、貶し合うことが起きていた。
それが呪いによるものだと誰よりも早く知ることができたのはトードマンだけ。
しかし、『呪い』によって言葉を失ったトードマンの声は獣人達には伝わらない。
トードマンはただ待つことにした。
『呪い』の存在を教えてくれた人物の言葉を信じ、獣人の『呪い』を解くことができる、『希望』を託すべき人物の出現を……。
……
(――てな、ところやな)
俺はフロゲルの話を聞き入っていた。
懐かしみながらも雄々しく語る英雄譚に。
多分、俺は昔話に目を輝かせる子供のような顔をしていたのかもしれない。
気が付けば、俺の周りには作業を中断したトードマン達や、俺とともに来たルズとコノアが俺の隣でフロゲルの話を聞いていた。
フロゲルは思念で話し掛けている。
耳で聞くよりも、言葉が心に響くのだ。
フロゲルが短く語った一生が、如何に激しく、如何に光り輝いていたのかが伝わってきた。
トードマン達が逆境に挫けず、フロゲルに傾倒するのも頷ける。
ルズも尊敬の眼差しでフロゲルを見ていた。
(支援者、フロゲルと同じように話せそうか?)
〈否定。これほどの語り部を真似しようがありません〉
そうだろうな。
俺の前にいるフロゲルは、紛うことなき『伝承者』なのだ。