第8話 嘘と本音
二日目の朝だ。
今日も昨日に続いて、ノアとコノアによるローラー作戦を実行する。
コノアが二体に増えたことで作業効率が上がるだろう。
新しく生まれたコノアも、さも当然かのように平原を転がり始めた。
スキル『意思統一』の効果だろう。動きも全く同じで、二体一緒に並走している。
コノアは戦闘力が低いし、二体で行動する方が安全だ。俺は自由にやらせることにした。
さて、俺の今日の目標は……。
俺は探したいものがあった。シロップアントだ。
昨日は知らない間に『収納』されていたが、名前が非常に気になる。種族も蜜蟻となっているし、地球にもミツツボアリという名前の蟻がいることを知っている。
ミツツボアリは腹に花の蜜を貯蔵する習性を持つ。勿論、自分達の食糧なんだが、人間が食べても美味いらしい。
食いたい。是非、食ってみたい。
俺は食事の必要は無い、しかし、味覚はある。
転生して食べたものは頭が潰れた蛇だけだ。しかも、もの凄く生臭かった。
前世の記憶と照らし合わせても、あれだけ不味いものはなかった。思い出しただけでも吐き気がする。
この際、料理とは言わない。
けど、せめて味覚に訴えかけるものを食したいのだ。それが、たとえ虫であっても。
『収納』されたシロップアントの情報によると、見た目は地球の蟻と変わらないようだが、大きさが違う。一匹一匹が3センチから5センチほどの蟻のようだ。
残念ながら、昨日『収納』されたシロップアントの中には、蜜を持っていた個体がいなかったのだが、俺はその名前に期待している。シロップアントという名前で、蜜の類と関係していないわけが無いのだ。
俺は真面目に作業してくれているノア達を尻目に、一心不乱に蟻を探していた。それこそ、地面に顔を擦り付けるかのように……。
まあ、犬だから、恥ずかしくもないんだけどね。
その甲斐あってか、見つけた。
シロップアントはいたのだが……。
うーん、蜜は持ってないか……。
とはいえ、シロップアントは集団で行動する生物である。スキル『意志統一』が何よりの証拠だ。
俺は見つけた蟻の後をつける。
気が付けば太陽は真上にきていた。つまり、昼である。
何やってんだ? 俺……。
ノア達に悪いし、冷静になろうか、と思ったら……。
――いた!
今まで追いかけていたシロップアントとは、少し見た目が違う個体がいた。
地球のミツツボアリとは違い、背中に背負うように黄色い蜜の塊を担いでいる個体が。
どうやら、シロップアントは蜜を運ぶ個体と警護する個体に分かれているようだ。
警護する個体に両脇を固められるかのように、蜜を運ぶ個体が列をなしている。
クックック……やっぱり、花の蜜を集める習性らしいな。
俺は蟻の背中にある蜜を『鑑定』し、内心ほくそ笑んだ。恐らく、悪い顔をしていたはずだ。
次にやるべきことは、ただ一つ……。
――突撃あるのみ!
俺は蟻の列に飛び込んだ。
うっほー! あんまーい! たまらん! これよ! これ!
俺は狂気乱舞した。
蜜ごとシロップアントを食いまくった。こいつら、蜜を食べるだけあって甘いのだ。
シロップアントからしてみたら、たまったものではないだろう。
しかし、俺は調子に乗りすぎた。
「ギャワワワン!」(グワーー! ノアー! 助けてくれー!)
こいつら、めちゃくちゃ怒ってやがる。
俺は全身をシロップアントに噛まれながら転げ回っている。マジで痛い。
冷静に考えたら、こいつらでかいのだ。
でかい蟻が集団で襲い掛かってきたら、流石に危険だ。
「マスター! 今、お助けします!」
ノアは形を変えて、自分の体で俺の体を包み込んだ。
俺の体に噛み付いたままのシロップアントを駆除してくれている。
うーん……冷たくて気持ちいい。
今回は流石にコノアも、尋常ではないと気付いたのだろう。俺の周りに集まってくるシロップアントをプチプチと潰してくれている。
っていうか、こいつらどんだけいるんだ?
俺みたいな犬一匹に、これはやり過ぎだろう。
こいつらの数は牛だって食い殺せるぞ。
「マスター、これは一体どうしたのですか?」
ノアが気遣わしげに尋ねてきた。
……言えるか! 蜜が食べたくて蟻を襲ったら、返り討ちにされたなんて格好悪すぎる。
「まさか、『意志統一』の有効性を身を以て知るために、無茶をされたのですか?」
は? 何言ってんの? これをどう見たら、そう考えるんだ?
しかし、俺の威厳を保つためには乗っかるしかない!
(うーむ……まさか、ここまで統一された集団の力が恐ろしいとは油断してしまった。『意志統一』の運用方法と対策の糸口を掴めれば、と思ったんだけどな……。結果は残念だった、ご覧の有様だ。迷惑かけてすまん)
うおお……。本当に俺か? 思ってもない言葉が出たぞ。
俺はプライドを保つために、こんな嘘をつける奴だったのか。自分に幻滅してしまう……。
「マスター……そこまで――」
(いや! すまん! 今のは嘘だ! 蟻の蜜に興味があって、ちょっかい出したら返り討ちにあったんだ!)
嘘つけるか! こいつら、俺のために命張ってくれてるんだ。
プライドを守るためにいちいち嘘をついてたら、これからずっと嘘をつかなきゃならなくなる。
そんなことをしていたら、近い将来に破滅する! 俺はこいつらに嘘をつかない! つきたくないのだ!
(……幻滅したか?)
「マスター……」
前世でも当然、嘘をついたことはある。
しかし、今回の嘘は今までのどんな嘘よりも情けなくて、恥ずかしいと思ったのだ。
「マスターは、蟻に襲われたことよりも、ボク達に嘘をつくことを恥だと思ったんですね?」
(うん……そうだな)
「それなら、ボク達がマスターに幻滅することはありません!」
「マセン!」
えっ? コノアまでどうした?
「マスターがボク達を信頼してくれている限り、ボク達はマスターの側にいます!」
「マス!」
(うおおお……お前ら……)
やばい。泣きそうだ。人間だったら地面に平伏す勢いで泣きそうだ。
でも、俺は犬だ。せめて犬らしく泣いてやろう。
「アオオーーーン!」
恥ずかしくなんかない。俺は嬉しい。
転生して二日目にして掛け替えのない絆を手に入れたようだ。
いや、既に手に入れていたのかもしれない。俺は今になって、ようやく気付いたのだ。
この絆だけは死んでも失いたくない。
〈ノアおよびコノアとの、魂の繋がりが強化されました〉
うおっ! 支援者か! 感動している時に驚かすなよ。
(……魂の繋がり? 何だ、それ?)
〈特定の存在と何らかの要因で、存在同士が普遍的無意識を通じて結び付くことがあります。その結び付いた状態、あるいはその経路を魂の繋がりと呼称します〉
(うーん、要は絆が深まったってことでいいか?)
〈……肯定〉
何か引っかかる反応だが、一応肯定されたし、そんな認識でいいってことだろう。
しかし、魂の繋がりか……。
強化されたってことは、元々あったんだろうな。眷属なんだし。
俺としては家族って感じなんだけど。
ともかく、いつまでもこうしているわけにはいかない。
(すまんな、取り乱した。問題無ければ作業に戻ろうか?)
「はい! マスター!」
「ター!」
……
二日間で、ダンジョン入口からの景観は様変わりしてしまった。
近場の草が一掃されてしまい、申し訳程度に残った草が反って寂しく感じさせる。
うーん……やり過ぎたかもしれない。明日以降は、方針を変えるのも検討しないといけないな。
取りあえず、今日は終わりだ。
夜は外で作業しない。それより試したいことがある。
俺はダンジョンに入ると、部屋の中央に石でできたタライを『創造』した。
直径1メートル、深さは30センチほどのタライだ。
コノアも興味があるのか、いつもは自由に動き回っているのに、側で様子を見ている。
俺は続けて『創造』する。タライに注ぐイメージで。
『創造』するのは水だ。
シロップアントの騒動の後、俺は背の低い草むらに入っていくと水溜まりを見つけたのだ。
雨なのか湧き水なのかは分からないが、『解析』すると普通の水だったので、早速『創造』することにした。
俺もノア達も食料はDPあるいは、魔素なり霊素なりがあれば生きていけるらしいので、少なくとも空気があれば飲食の必要は無い。
とはいえ、水の用途は飲むだけじゃない。
石のタライ一杯に注がれた水を飲んでみる。
……うん、水だ。
(コノア、ちょっと入ってみるか?)
「ハイルー!」
元気よく返事をしたコノアが水に飛び込む。
もう一体のコノアは、ソワソワした様子でその光景を見ている。
「キモチー!」
どうやら、気に入ってくれたようだ。
もう一体のコノアも水に飛び込んだ。コノア達は形を変えて、浮いたり、回転したり、はしゃいでいる。
「マスター? これは?」
(ノアも入ってみたら? 気持ちいいらしいぞ?)
「いいんですか? ありがとうございます!」
ノアも入りたかったようだ。
水に入ったノアは、静かに水の感触を味わっているのだろう。水に浸かって動かない。
「これは素晴らしいです!」
(今日、ノアに包まれた時に思い出したんだ。こっちでは風呂に入ってないな、って。流石に風呂は無理でも水浴びぐらいならできそうだったから、試してみたんだ)
俺が風呂に入りたいのは本音だが、誠実に働くノア達に何か見返りがあってもいいだろう。
喜んでくれるかは分からなかったが、目論見は成功して何よりだ。
こんなに喜んでくれるなら、今後も何かしてやりたい。
楽しそうに水浴びをしている姿を見ていると、素直にそう思えた。