幕間 ―フロゲル編 託された『希望』―
「じゃあ、俺はキバと先に動く。フロゲルが安全だと判断したら動いてくれ」
(おう、そっちこそ無茶すんなや)
狼に跨った少年は、しかめっ面をしたまま指示を出す。
少年に従い、狼は死地に向かって駆け出していた。
(死ぬなよ……!)
ワシは小さくなっていく背中に、思いを送る。
出会ったばかりの少年の無事を祈らずにはいられんかった。
ワシが百八十年待っていた……あの少年、マスターの無事を……。
……
百八十年前、ワシは十歳の子供やった。
今にして思えば、手の掛かるクソガキやったやろうな。
魔獣が彷徨く森の中を、大人達の言い付けなんぞ無視して、一人で遊び歩くことが日常茶飯事やった。
子供と言えど、ワシには『万能感知』っていうスキルがある。
物心付いた時から持っとるスキルや。
『万能感知』さえあれば、どんな危険も事前に察知できる。
実際、ワシは『万能感知』で何度も魔獣の接近に気が付いとる。
そのおかげでワシだけじゃなく、仲間のトードマン達の危機を救ったこともあったな。
まあ、ワシは危険を察知することよりも、悪戯するために『万能感知』を有効活用することの方が多かったんやけどな?
ともあれ、あの日もいつもと同じ、『万能感知』を使って森を探索しとった……。
……
…………
住処である湖から少し離れた森の中、鬱蒼と生い茂る木々を眺めながら、ワシは一人、目的も無く歩き回ってた。
落ちてた手頃な棒切れを振り回して、気分は凶悪な魔獣を薙ぎ倒す勇敢な戦士様や。
近くに危険な魔獣はおらん。
食えそうなもんは……おっ、ちっちゃいブルスラッグがおるな。
いただいとこうか!
……うま!
でっかいやつは生きたまま食えんけど、ちっちゃいやつなら一口や。
他にもおらんかなー……?
「ねえ、キミはトードマンだよね?」
――!?
「ふふ……驚かせちゃった? ごめんね」
声を掛けられて初めて気が付いた。
全身をローブに包んだ人物が、すぐ側の木の枝に腰掛けてることに。
顔もフードで隠れとるけど、その隙間から口元だけは見えた。
ワシの驚く様を見て笑っとる。
そんな笑顔の人物に対して、ワシはパニックの真っ最中や。
何や!? いつからおった!?
さっきまで、何にも感じんかったのに急に現れた!
ワシの『万能感知』で気が付かんことってあるんか……?
「それはキミがスキルに頼り過ぎてるからだよ。いくら『万能感知』が優秀なスキルでも、所有者が未熟だと真価は発揮できないよ」
な……ワシが考えてることが分かるんか?
「良い反応だね! 確かに分かる。けど、キミの『万能感知』でも似たことができるよ。ううん……もっと色々なことができるはず」
「あ、あんた……誰なんや? 獣人じゃないやろ?」
「ふふ……そんなことよりもキミにお願いがあるんだ」
そう言うと、ローブの人物は枝から身を乗り出し、ふわりとワシの目の前に降りてきた。
音を立てずに地面に降り立つ姿があまりにも軽やかで美しく、ワシは思わず目を奪われてしまっていた。
「どうしたの?」
「あわわ……何でも無いわ! こっち来んな!」
どんだけ動きが、得体の知れへん奴に変わりはない。
お願いなんぞ、知ったことちゃうわ!
「それでも、キミは願いを聞いてくれる」
「知らん、知らん、なーんにも知らん!」
「これを見て」
……これ? 差し出された手には何も持っとるようには見えんけど……。
「――えっ!?」
掌が光ったと思った次の瞬間、青く光る箱が現れた!
「何やこれ? どうやって出したんや?」
「キミは好奇心が強いみたいだね! これは『希望』だよ」
「『希望』……?」
「そう、『希望』。キミ達にとって……いや、この世界にとっての、かな?」
『希望』なんてゆわれても、ピンと来ん。
見た目はきれいで、興味あるけどな。
「はい、じゃあこれ、お願いね」
「えっ? ちょっ、何を……!」
ワシの手を掴んで、箱を無理やり持たせおった!
「……何やねん、これ……」
ワシの手の上にある箱からは、圧倒的な存在感を感じる。
『万能感知』があるせいか、『希望』という言葉は誇張してるわけちゃうことが分かった。
言葉にできんけど……これは大事な物なんやろうな。
「その様子だと、それの重要性が分かったみたいだね」
「こんなもん、どうせいっちゅうんや……」
「それを渡してもらいたい人がいるんだよ。『思念波』を使える人に渡してもらえるかな?」
「『思念波』って?」
ふふ……と、ローブの人は柔らかい笑みを浮かべてる。
(こんな風に、頭の中に直接話掛けることができるスキルだよ)
うわわ……変な感じや! 頭の中に声が響いてる!
(この『思念波』を使える人が現れるまで、キミに『希望』を預かっててもらいたいんだ。そして、もう一つ……伝言をお願いしたい)
「で、伝言……?」
「それを託す人物に『呪い』を解くように伝えて欲しい」
「『呪い』って何なん?」
「教えない……けど、キミならきっと分かる日が来るはずだよ」
得体の知れん奴に、奇妙な箱……そんで『呪い』やって?
何か、一気に気味悪くなってきた。
あかんやろ。
これは受け取ったらあかんやつや。
ワシは持たされた箱を突き返した!
……はずやのに、体がゆうことを聞かん!
意思に反して、ワシの手がこの箱を手放すことができん……!
「キミの『万能感知』は神様がくれた贈り物、キミの行くべき道を照らしてくれる。それでも、キミの前に続く道は長く長く険しいもの……キミの歩む道に幸多からんことを……」
透き通った声がワシの耳に響く。
ワシの未来を祈るかのように優しい言葉で、恐怖も不安も洗い流された。
この人は悪い人ちゃうんやろな。
どうしよ……この人のお願い、聞いた方がええかもしれへん……。
「それとね! キミの助けになるように、その指輪もあげる!」
指輪って……? あっ!
知らん間に、ワシの右手に指輪が嵌められとる!
いつの間に!?
「その指輪をしていると、キミにも『思念波』が使えるようになるよ。おまけに、長生きできる『長命』もね! だから頑張ってね、私達の未来のために!」
「ちょっと、待っ――」
ワシとローブの人の間を一陣の風が吹き抜ける。
咄嗟に目を瞑ってしまったワシが目を開いた時には、姿形が消えて無くなっとった……。
「そうそう、スキルの鍛錬は怠らないように! それじゃあ、またね!」
木々を揺らす風に乗って、お別れの挨拶が聞こえてきた。
ほんまに何者やったんやろうか?
また、会えるんかな……。
…………
……
湖から引き揚げた『箱』を見て思い出した。
あれから、随分と時間が経っとったんやな。
長い人生の中のほんの一幕。やけど、ワシにとっては大事な出会い。
ワシの運命は、あの時に決定付けられたようやな。
『呪い』のことなんて半信半疑で、頭からすっかり抜け落ちてた時もあった。
この使命のせいで嫌なことも辛いこともいっぱいあったけど、楽しいことも多かった。
そんなワシの使命も、ようやく果たせる時が来る。
手の上で光る『希望』は、ワシの手の上で太陽の光を浴びて輝いていた。
長く待ち望んだ時が訪れることを感じているかのように……。