第73話 湖の悪魔VS支援者
〈受け取りました、貴方から〉
支援者の言葉と共に、俺の体がガクンと一つ、大きく揺れた。
力が抜けた……わけじゃない。
体の感覚がおかしくなっていた。
何処も動かすことができない。
触覚、視覚、聴覚……どうやら、五感はしっかりあるらしい。
ただ動かせないだけなのだ。
しかし、俺は二本の足で立っている。
今、俺の体を動かしているのは――
(支援者……だよな?)
〈肯定。マスターの身体機能の使用権を借用しています〉
慰霊祭の時と同じようなものか?
全身を勝手に使われるのは奇妙な感じがしないでもないが……多分、大丈夫だろう。
支援者なら、この状況を好転させてくれる。
感覚が無くなっているにも関わらず、俺の立ち振る舞いから不思議と強者の貫禄を感じているのだ。
エレクトロードパイソンに対して半身の構え。
左手に俺の剣、右手にはいつの間にか『創造』された細身の剣を携えている。
この剣、形としてはレイピアのような刺突に特化した形状なのだが、先端に釣り針の返しのようなものが付いているのが特徴だ。
材質も魔鋼製ではなく、普通の鉄製のショートソードを加工しただけのもの。これでエレクトロードパイソンの鱗を貫けるとは思えない。
そんな珍妙な剣をエレクトロードパイソンに向けたまま、俺の口が開かれる。
〈キバは退きなさい〉
俺の口から発せられた声は、支援者の声……らしい。
思念による声ではなく、音として耳に届く声。
あまりにも透き通るような声に、俺は一瞬、心を奪われてしまっていた。
「マスター!?」
キバの困惑した声で、俺は我に返ることができた。
今の俺は支援者が動かしているとは知らないのだ。戸惑うのも無理はない。
しかし、支援者は一人で、どうにかするつもりなのか?
それが可能なら、願ったり叶ったりだが……。
ええい! こうなったら、とことんまで支援者に任せるとしよう!
(キバ、ここは退くんだ! ビークと共に、大広間から誰も入ることが無いように見張っててくれ!)
「むう……御意!」
キバは不承不承ながら、俺の思念に従ってくれた。
すぐさま、大広間への通路に向けて駆け出している。
これには流石にエレクトロードパイソンも悠長に見逃してくれるわけが無い。
長い体をムチのようにしならせ、キバに向けて打ち付けられた!
――ドォォン!!
〈問題ありません〉
エレクトロードパイソンが打ち付けたのはダンジョンの床。尻尾による鞭打は、せり上がった土の地面によって阻まれていた。
膨れ上がった床の上を、キバは振り向くこと無く駆け抜けている。
エレクトロードパイソンは再び、キバに追い打ちをかけようとしているが、これも支援者によって妨害されていた。
支援者はダンジョンの床を変形させ、エレクトロードパイソンの進路を塞いでいたのだ。
突然現れる壁に、エレクトロードパイソンも面食らったように動きを止めている。
その隙に、キバはこの部屋からの脱出に成功していた。
それを視界で確認した直後、部屋が大きく変化し始めた。
長方形だった部屋がドーム状に変化し、瞬く間に広くなったのだ。
直径30メートル程だろうか? エレクトロードパイソンが一直線になれるぐらいはあるだろう。
そして、この部屋から大広間への通路も伸ばさている。
それも、一直線ではなく曲がりくねった蛇の道のように。
外との入口も塞いでいるので、この部屋にいるのは俺とエレクトロードパイソンだけだ。
完全に一対一の構図になっている。
支援者が『生成』でダンジョンを変化させるのに要した時間は10秒も掛かっていない。
その間、エレクトロードパイソンは先に変形させた床を体当たりで破壊していただけだ。
周囲の変化に戸惑いを見せたエレクトロードパイソンだったが、戸惑ったのは一瞬のこと。
一騎打ちを承諾するように、俺に向かって突っ込んできた。
「シャアアアア!!」
超怖い! でかい奴が正面から突撃してくる様は、迫力があるなんて生易しいものじゃない!
しかも、殺意が迸っている!
俺はビビって目を瞑りたいのだが、支援者がそれを許さない。
しっかりと敵の攻撃を見定めていた。
――ギィィィン!
直後、俺の体は宙を舞っていた。
不思議なことに、ダメージをまるで受けていないように感じる。
いや、受けてない。無傷だ。
さっきの金属音は、エレクトロードパイソンの頭と、左手の剣がぶつかった音。
支援者は、エレクトロードパイソンの突進の衝撃を、逆らわずに受け流していた。
そのまま床に着地。支援者は何事も無かったように、再び剣を構えている。
〈それで終わりですか?〉
「……キシャアアアアア!!」
支援者の挑発に怒りを露わにしたエレクトロードパイソンが、力に任せて突進を仕掛けてくる。
しかし、支援者はその全てを悉く躱していた。
剣を使った受け流し、軽やかな跳躍、『生成』で攻撃を阻む……。
俺は五感を通して支援者の動きを感じているが、何をどうしているのか、さっぱり理解できない。
達人と一般人の違いなのか?
大人と子供よりも力の差が大きく感じる。
それはエレクトロードパイソンも同じようだ。
様子を見る限り、支援者を侮るどころか、本気で始末しに来ているのが見て分かる。
単調な突進に加え、体の突起を発射する攻撃も行っているのだ。
それでも支援者には、攻撃を当てることは叶わない。
エレクトロードパイソンの放った弾丸は、支援者には掠り傷を負わすこともできずに、ダンジョンの天井や壁を穿っていた。
やはり、『再生』があるせいで、弾数には制限が無いようだ。
発射したしりに、エレクトロードパイソンの突起が生え始めている。
それを見終わること無く、支援者は動き出している。
〈それでは、反撃します〉
――突如として、視界が高くなる。
支援者は足場を隆起させ、エレクトロードパイソンを見下ろす位置に陣取った。
しかし、これは高すぎないか? 天井まで到達しそうな勢いだ。
そう思ったのも束の間、俺の体は床を蹴り、天井に着地していた。
意味が分からない。今、確かに俺は天井に立っている。
上下が反転している不思議な光景だ。
〈スキル『吸着』です〉
リブスネイルが持っていた、岩に張り付くスキルか!
そんなものの存在なんて、すっかり忘れていた。
覚えていたとしても、天井に足だけで張り付くなんて思い付きもしなかっただろう。
天井に貼り付いたのは良いけど、何をするつもりだろうか……?
〈『生成』には、このような使い方もあるのです〉
支援者は俺の疑問に応えるように囁く。
その静かな口調とは裏腹に、俺の目の前では凄まじい光景が繰り広げられた。
「――ギシャアア!」
床や壁、天井から『生成』され続ける土の拳。四方八方から殴りつけられてエレクトロードパイソンも回避する余裕は無いだろう。
材質が土のようなもののため、一撃一撃は大したダメージではないのだろうが、それでも確実にダメージを与えているようだ。
エレクトロードパイソンは苦しそうな呻き声を上げている。
これは堪らないと言わんばかりに、エレクトロードパイソンは頭を抱えるように丸まり出した。
防御態勢を取ったのだろうか? それでも、支援者は殴るのを止めはしない。
しかし、一方的に攻撃を仕掛ける支援者は気付いているのだろうか?
さっきから、この部屋を漂う妙な霧に……。
俺の懸念を証明するかのように、エレクトロードパイソンに変化が起きる。
大きく身震いすると同時に不穏な音を耳が拾っていた。この音は――
(マズい! 『発電』するつもりか!?)
バチッ! っと弾ける音が聞こえた瞬間、エレクトロードパイソンの体が眩く発光した。
全身に生えた突起は電極なのだろう。そこを起点として電光が周囲に広がっている。
通常、気体は電気を通さない。
そのはずなのに、今起きている現象は空気中を電気が走っているように見える。
まさか……さっきから空気中を漂う妙な霧は伝導体……なのか?
だとすると、天井に張り付いていても危険かもしれない。
一瞬のことではあったが、電撃は俺の体に向かっているようにも見えたのだ。
〈全て想定内です〉
この程度のこと何ら問題は無い……と、支援者からは自信が満ち溢れていた。
実際、支援者にとっては本当に些事なのだろう。
エレクトロードパイソンが放ったはずの電撃は、無かったことにされたかのように消え失せている。
理由はすぐに分かった。全て『収納』していたのだ。
俺の『収納』に収められたのは、電気とエレクトロードパイソンの体液だ。
なるほど……体液を『噴射』して、そこに電気を流していたんだな。
さっきのサーマルガンも、この体液を発射薬に使用しているようだ。
こんなもの、『収納』できないと、後手に回ったら対処できないだろう。
いや……『収納』できたとしても、放たれた電撃のタイミングに合わせられるかが問題だ。
支援者は何気無くしていることであっても、俺にできるかどうかは怪しい。
『生成』で殴るなんてことも、俺にはできそうもなかった。
エレクトロードパイソンに至っては、何が起きているのか分かっていないのだろう。
切り札が不発に終わったことを不審に思ったのか、 丸めた体から頭を覗かせ、周囲の様子を窺っていた。
蛇なので表情は分からないが、首を傾げているようにも見える。
その隙を支援者は狙っていたようだ。
支援者は天井を蹴り、エレクトロードパイソンの頭めがけて急降下している!
「――ギシャアア!!」
支援者は右手に持っていた細剣を、エレクトロードパイソンの右目に突き立てていた。
返しが付いていたのは、突き刺した剣が抜けないようにするためか!
エレクトロードパイソンは激痛に身を捩っているが、剣は抜けることなく、深々と突き刺さったままになっている。
〈これならば『高速再生』であっても、目は再生できません〉
そりゃあ、目に異物が混入していれば再生しようもないだろう。
土の拳のダメージは『再生』によって、ほとんど回復されていた。
今残っているダメージといえば、右目を潰した剣によるものぐらいなものだ。
だが、その一撃が大きいようだ。
今なお、エレクトロードパイソンは激痛に巨体を捩らせ暴れまくっている。
再び天井に張り付いていなければ、攻撃とも呼べない攻撃に巻き込まれていただろう。
「キシャアア!」
右目を潰されたせいで冷静さを欠いたようだ。
エレクトロードパイソンは無差別攻撃に移っている。
身を捩らせたまま、生え揃った弾丸を辺り構わず発射し始めた。
〈それは悪手です〉
全ての弾丸は、支援者によって『収納』される。
エレクトロードパイソンの攻撃は、支援者によって悉く、見切られていた。
俺から見ても分かる。
支援者の方が、圧倒的に強いことが。
エレクトロードパイソンに残された左目は、天井に張り付いたままの俺の姿を映している。
その目は爬虫類特有の冷たい瞳でありながら、恐怖に染められたもの。
俺にではなく、支援者に対しての恐怖に……。
恐怖に支配されたエレクトロードパイソンは、逃走を図り出した。
ドーム状の壁に沿って、出口を探して這い回っている。
〈残念ながら、貴方はここで死ぬのです〉
凛とした声で紡がれる死の宣告は、エレクトロードパイソンの耳にも届いたのだろう。
一層、暴れるようにダンジョン内を這いずり出した。
如何に湖の悪魔と呼ばれていても、恐慌状態となってしまっては目も当てられない。
まあ、俺ですら支援者の死の宣告には、背筋が凍る思いをしたのだが……。
そして、支援者宣言の直後、ダンジョンの様相が再び変えられていた。
今までの土でできたダンジョンから、岩のダンジョンに変わっていたのだ。ということは……。
〈仕留めます〉
俺の予想どおり、先程と同じように『生成』で殴りつけるようだ。
無数に打ち付けられる岩の拳。
さっきまでの土の拳とは比較にならない威力があるのだろう。
エレクトロードパイソンは口から血を吐きながらのたうち回っている。
『再生』が全く追い付かない程の連打だ。
怒涛のラッシュに、エレクトロードパイソンの生命力は急激に削られていった。
〈止め〉
支援者が短く一言呟く頃には、エレクトロードパイソンは身じろぐこともできない程に弱りきっていた。
そこに最後の一撃が下される。
エレクトロードパイソンの頭を、岩の天井と床が挟み込む。
大型のプレス機を見ているような光景だが、結果は正しくその通りだ。
グシャッ! と潰れた音と共に、エレクトロードパイソンの命が失われたことが見て取れた。
その姿は、以前ノアに仕留められたグラススネークと変わらない。
如何に湖の悪魔と呼ばれ恐れられていても、支援者の前では、ただの獲物に過ぎなかったようだ。
〈それでは、後片付けをします〉
絶命したばかりのエレクトロードパイソンが『収納』された。
それと同時に、ダンジョン内部は元に戻されている。
後片付けと呼ぶに相応しい仕上がりだ。
〈脅威は取り除きました。権利をマスターにお返しします〉
(ああ……って、うおお!!)
天井に張り付いたまま、俺に感覚を戻すなよ!
『吸着』を解いてしまって、落ちてしまったじゃねーか!
〈マスターは、スキルの習熟を急務とするべきです〉
分かってる。
同じスキルなのに、使い手が違うだけで、こうも差があるものとは……。
支援者が代わってくれなければ、どうにもならなかったことは確かだ。
(支援者……俺にも同じことができるのか?)
〈勿論です〉
本当か? 今ひとつ、信憑性に欠ける。
それでも、できるようにならないといけないか。
俺の力なんだ。俺が使いこなせないとな……。
(ところで、支援者……お前は、一体何者なんだ?)
〈私は支援者、貴方を補佐する意思決定支援システムです〉
本当のことは、まだ教えてくれないか。
まあ、それでも支援者が俺の相棒なのは変わらないよな。
〈肯定。私はいつまでも貴方の側にいます〉
次話の前に幕間を挟みます。
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