第72話 湖の悪魔 作戦開始
「じゃあ、俺とキバは先に動く。フロゲルが安全だと判断したら動いてくれ」
(おう、そっちこそ無茶すんなや)
したくなくても、しないといけないだろ。
そんな言葉を飲み込み、俺はキバに指示を出す。
まずは回り込むように移動だ。
エレクトロードパイソンに気付かれないように、十分距離を取ったまま森を突っ切る。
俺達が囮になるにしても、逃げた先にコボルトの集落があっては本末転倒だからな。極力、集落の無い方向に逃げないといけないのだ。
現在、エレクトロードパイソンが陣取っているのは湖の南側。北東に行けばコボルトの集落がある。フロゲルの話では、トードマンが隠れ住んでいるのも北東だ。
だとすると、逃げる方向は南が妥当だろう。
川よりも南はあまり土地勘は無いが、そうも言ってられない。
最悪、ダンジョンを繋げて逃げ込むことにする。
フロゲルが無事に箱の回収する時間を確保することが、最重要な案件ではあるんだけどな。
「マスター、この位置では如何ですか?」
キバが足を止めた場所は湖から南東に位置する場所。
エレクトロードパイソンまでの距離は、約1キロってところだ。
俺の『遠視』で辛うじて奴の姿が視認できている。
相も変わらず、暢気に寝そべってやがるな。
「良いんじゃないか? これ以上西に行ってレーベンの壁に挟まれたら、逃げ場が無くなるかもしれないしな」
「御意」
さて、スタートラインに立ったことだし、あとは俺が合図するだけだ。
しかし緊張するな。
向こうから来てくれれば否応なしに作戦が始まるのに……。
今まで俺の方から仕掛けることが無かったし、股間がキュッとなってきた。
「マスター、心配召されるな。マスターの身の安全は我の命に賭しても」
「いやいや大丈夫。ちょっと緊張してるだけだ」
ふう……腹を括れ、俺!
パン! と両手で自分の顔を叩く。
これで気合いが入った。さあ、行くか!
(王様気取りの蛇野郎、俺が相手してやるよ!)
俺の『思念波』が作戦開始の合図。
思念を受け取ったエレクトロードパイソンが、鎌首をもたげて辺りを見渡している。
さっきの言葉の意味が理解できているらしいな。舌先をチロチロ覗かせて俺の位置を探っているようだ。
そして、顔が俺の方を向いた次の瞬間――
「シャアアアア!!」
――『威嚇』しながら突っ込んでくる!
「キバ!」
俺が叫ぶより早く、キバは駆け出していた。
最初からトップギア、全力疾走だ。
エレクトロードパイソンの動きは、蛇特有のくねらせる動きに『滑走』を加えた直進に特化したものだ。
無数に生える腹鱗がスパイクの役割を担っているのだろう。体に力を溜めた後、一気に全身を押し出す姿は短距離走者を連想させる。
そして、勢いを殺さず『滑走』したまま次の溜めに入っていく。
常にトップスピードを維持できるこいつのスキルは天然のチートじゃないのか?
エレクトロードパイソンの巨体の前では森の木々は障害物にはなりようもない。
キバは一瞬早く反応できていたのが幸い、俺達のスタート地点は瞬く間にエレクトロードパイソンの体で擦り削られていた。
俺がエレクトロードパイソンの姿を確認できていたのはそこまでだ。
もう後ろを振り向いてる余裕なんて全く無い。
キバの背中に張り付いて、体を持ち上げようとする風圧に耐えるので精一杯だ。
くそっ……あいつの動きが分からないのは痛いな。
〈マスター、スキルの『付与』を推奨します〉
(何のスキル? と言うか、支援者に案があるなら勝手にやってくれ!)
多分、俺がやるより手っ取り早い。
〈了解。スキルを『付与』、適宜入れ替えていきます。『直感』、『気配察知』、『危険察知』、『聴覚強化』〉
支援者の宣言どおり、俺のスキルが入れ替わっていく。
それと同時に、エレクトロードパイソンの気配が色濃く感じられる。
視覚ではない、他の感覚。見えていないが、はっきり分かる。
なるほど、俺の『危険察知』が警鐘を鳴らしまくっているな。
『気配察知』で概ねの位置も把握できている。
キバの全力疾走でも距離は開かない。もしかしたら、縮んでいるかもしれない。
だが、当初の目的は達成されている。
陽動の開始から十分も経ってはいないが、移動した距離はかなりのものだ。
ここまで離れれば、フロゲルも回収に向かっているはず。
あとは、どの程度の時間を稼げば良いか……。
「ハッ……ハッ……!」
キバは変わらず全力疾走を続けている。最初からスタミナの出し惜しみはしていないようだ。
時間稼ぎ云々よりもキバの体力が心配だな。
この状況を打破するためには、どうしたものか――
次の瞬間、俺の耳が不穏な音を拾っていた。
バチバチと何かが弾けるような音。と同時に『危険察知』がここ一番の最大音量で警鐘を鳴らす!
これはヤバい!
(――キバ、跳べ!!)
キバは俺の指示に従い、右へ横っ跳びに身を躱す。
バシュッ! ――ドボァ!
視界の端を何かが通り過ぎる。
エレクトロードパイソンが放ったそれは、地面を穿ち、土煙を巻き上げていた。
何だ、今のは!? 『発電』なのか!?
いや……『噴射』なのかもしれない。
移動しながら攻撃されるのは想定外だ。
飛んできたものの正体が分からない限り、対策のしようも無い。
どうする……? 足を止めて、見極めるべきか……?
正体不明の攻撃を躱した後も、キバは躊躇わず走り続けている。
キバが走ることに専念してくれている以上、俺が対処せねば……!
さっきの攻撃の予備動作とも思えるのは、何かが弾ける音。
今のところ、それしか攻撃を予測する手段は無い。
俺は『聴覚強化』を最大限に活かすため、音を拾うことに集中した。
……バチッ!
(――キバ! 来るぞ!)
「ぬう……!」
バシュッ! ――バキャア!!
今度も回避は成功している。
エレクトロードパイソンから放たれた飛翔体は、森の木々を貫いていた。
だが、今ので朧気ながら攻撃の正体は掴めた。
木を貫通することで勢いが落ち、最後には木に突き刺さるようにして動きを止めていた。
〈エレクトロードパイソンは、突起物を飛ばして攻撃していると思われます〉
(だろうな! 木に刺さってるのは、あいつの頭に生えてたやつにそっくりだ!)
〈推測。サーマルガンの原理を利用している可能性があります〉
(ええと……何だっけ!?)
〈火薬の代わりにプラズマ膨張を利用した銃などの射撃武器です〉
なるほど、分かった! 要するに、かなりピンチだ!
原理が分かっても防げそうもない。
一発目、二発目を見る限り、銃どころか大砲並の威力だ。
下手な徹甲弾よりも、威力が高いかもしれない。
こんなもの、生身で食らって無事に済むわけが無いだろう。
気になるのは弾数だ。
エレクトロードパイソンの角は二本だった。
次弾装填が無ければ、今ので打ち止めなんだろうけど……。
〈『再生』により、その希望は叶わないでしょう〉
(ですよね!)
支援者が必要以上に優しく言ってくれるおかげで、余計に物悲しい。
そこに追い討ちを掛けるように、危険を知らせる音が耳に届く。
――くそったれ!
キバは俺の合図に従い、飛ばされる角を回避し続けている。
全力疾走に加え、回避運動……キバのスタミナは急激に失われていた。
……
(キバ、もう良い。後は俺に任せろ)
「な……何を……」
既に俺達はエレクトロードパイソンに回り込まれていた。
奴は俺達を逃がすまいと、その長い体で退路を塞ぐように四方を囲んでいる。
この状況で逃げるのは不可能だろう。
それを確信してか、エレクトロードパイソンは獲物を嘲笑うかのように、舌先をチロチロと覗かせている。
確かに普通の奴なら逃げられない。
でも、俺は普通じゃないんだよ!
エレクトロードパイソンが油断している隙に、ダンジョンの入口を繋げる。
繋げる場所は……足下だ!
「――ぬおっ!」
キバ、落とし穴に嵌めるような真似して、すまん。
咄嗟に思い付いた奥の手だったんだ。説明してる場合じゃなかったしな。
ちゃんと謝るのは後にして、最後の後始末をしないと……!
俺はダンジョンに落ちるように移動した直後、入口を塞ぐ。
ダンジョンの天井に空いた穴が今まさに消えようとしている――
〈警告! エレクトロードパイソンが強制割り込みを始めました!〉
「はあ!?」
支援者の警告どおり、天井の穴が広げられていく。
エレクトロードパイソンは頭を無理やり突っ込んできたのだ。
それでも俺は入口を塞ごうとしたが、頭が通ってしまえば後の祭り。瞬く間にダンジョンの中に滑り込まれてしまった。
何てことだ……最善手のつもりが最悪手になってしまった……!
ダンジョン区画なのが不幸中の幸いだが……いずれにせよ、ここでどうにかしないと大惨事になる。
背水の陣ってやつか……!
「マスター、ここは我が命に代えても!」
「ああ、悪い。俺も命を掛けないと、今度ばかりはどうにもなりそうもないな」
キバだけに死線を潜らせるわけにはいかん。
それどころか、ノアとビークも呼んで総力戦で挑まなければ、こいつの相手はできないだろう。
悔やむ時間すら惜しい。
(支援者、ダンジョンにいる者の待避を! それから――)
〈マスター、私にお任せくださいますか?〉
(何を? いや……)
この状況、俺にとって最大の危機のはず……なのに、妙に落ち着いている。
それは支援者の自信に溢れた言葉から安堵を覚えたからだ。
支援者に任せれば、問題無く上手くいくだろう。そう確信すらしていた。
ならば、返答は……。
(任せたぞ、相棒!)
〈了解、我が主よ〉