第50話 ただいま
魔窟の外に出た俺は、ダンジョンの入口を繋げ帰路に就く。
核を破壊したとはいえ、見知らぬ土地だ。
何があるか分からないので、入口は塞いでおこう。
俺はノアに包まれたまま、長老の屋敷の前にやってきた。
今の俺は犬の姿だ。ここを発った時はコボルトの少年、帰ってきた時は犬。同一人物だと分かるはずはない。
しかも、ノアに包まれていては捕食された犬にしか見えないだろう。
屋敷の入口に立っていたコボルトは、目を見開きながら唖然とした様子で俺を見ている。
「マスター様、お帰りなさいませ。御無事で何よりです」
(ただいま。ところで長老、体の方は大丈夫なのか?)
長老は屋敷の敷地にある椅子に腰掛けていた。
俺が大集落を発った時は床に伏せていたが、体調が良くなったのか、別人のような笑顔で向かえてくれた。
「ええ、コテツさんがお薬をくださったので、すっかり良くなりましたよ」
(そうか、それは良かった。って、俺が分かるのか?)
「勿論ですよ。『鑑定』もあることですので」
そう言えば、そうだったな。『鑑定』があれば、犬になっても分かるか。
姿だけじゃなくて『思念波』で話し掛けてることも、長老にとっては驚くことでもないようだ。
しかし、長老の隣にいる側近の二人は俺が犬になっていることに理解が追い付いていない。俺と長老を見比べながら、あたふたしている。
ともかく、長老には全部報告しておかないと。
(長くなるけど、魔窟であったことを話すよ)
……
長老は俺がダンジョンであることを知っている。
魔窟と似ている俺のことを警戒するかもしれない不安もあったが、長老の目を見ていると、全て正直に話すべきだと感じた。
内部で見つけた大量の骨のこと、クーシーと言うコボルトに似た獣人のこと、魔窟の核のこと、
そして魔窟に意思があったことを……。
長老は表情を変えることなく、俺の話を静かに聞いてくれた。
「そうですか……分かりました。それで、マスター様は魔窟に何を感じましたか?」
(何を? うーん……分からないな。俺と似た存在。だけど、まるで違うとも感じる。ただの敵っていう感じでもないし……上手く説明できないな)
そもそも、長老の質問の意図もよく分からん。
長老には思うところがあるのだろうか?
「恐らく、魔窟も生きるために行動していたのでしょう。自分が生きるために他人を犠牲にする、それを咎めることは誰にもできません。マスター様も、自分が生きるために他人を犠牲にすることを躊躇ってはなりませんよ」
(長老……?)
長老が俺を見る目、俺を恐れるどころか心配してくれているようだ。
長老は魔窟のことさえも哀れんでいるように見える。
長老の言葉……全部を理解できてるわけじゃないけど、色々考えさせられる。
この人から教わることは多いだろう。
「マスター様、これからどうされるおつもりですか?」
(どうって……取りあえず、今までどおりの生活をするつもりだ)
ここのところ、バタバタしっぱなしだった。
大集落に来る前も、マックスの集落跡――グラティアから帰ってきたばかりだったのだ。
まだ一週間も経っていない。
今度こそ、ゆっくりしたい。いや、ほんとに。
「マスター様、大集落は御覧のとおりの有様です。不躾ではありますが、住民が安心して暮らせるように御力添えを願いたいのです」
(ああ、それは勿論。大集落の復興もそうだけど、色々考えてることがあるからな。また、皆には説明しとかないといけないな)
やりたいことは多い。
犠牲になったコボルトの供養、戦士の慰霊、復興計画、魔窟の調査もしたい。森の探索も思うように進んでいないのだ。
他の獣人とのコンタクトも取りたいし、うぐぐ……休んでる暇なんて無さそうだ。
「マスター様?」
(いや、なんでもない。ノア、そろそろ出してくれ。俺の体も、もう大丈夫そうだ)
「はい、分かりました」
ノアは再び、俺をニュルンと出してくれた。
自分の足で立ってみたけど、違和感は無い。でも痛いと嫌だから『痛覚無効』は暫くこのままでいく。
何か動き難いと思ったら、服を着たままだった。犬の体に服は、ちょっと邪魔だな。
(すまん、誰か服を脱がして)
冷静に考えれば変なこと言ってるけど、俺は犬だ。問題無い。
長老が俺の服を脱がそうとしてくれたけど、側近の一人がそれを制止した。
まあ、当然だな。一番偉い人に何させてんだって話だ。
長老はちょっと残念そうだったけど、代わりに側近の一人が脱がせてくれるみたいだ。
この人はアビィと呼ばれていた人だな。
マックスと同じで、シェパードっぽい顔をしている女性だ。
犬に戻ったおかげで動揺しないで済んでるが、コボルトの感性だと整った顔立ちに見えていた。
脱がしてくれるのはありがたいが、できれば同性でお願いしたい……。
今さらながら恥じらいを感じている俺から、アビィは丁寧に服を脱がせてくれている。
ポーションまみれでビチョビチョの服は脱がしにくいだろうな……と思って、アヴィの顔を見たんだけど、何やら眉を顰めている。
「これは一体……?」
アヴィの持っている服を見てみると、肉片らしきものと血の染みのようなものが大量に付着していた。
肉片は多分、というか絶対俺のだ。血の方は俺なのか、クーシーなのか分からん。そもそも化身から血が流れるかも知らんのだ。
〈化身はマスターのイメージで構成されています。血液が存在するなら傷から流れます〉
なるほど、じゃあ俺の血か。
服だけ見るとスプラッタ映画の被害者だ。
我ながら、こんな有様でよく生きていたものだな。
「マスターは、体の半分を失っても敵を滅することを優先しました」
俺が感慨深く服を眺めている間に、ノアが変なことを言い出した。
「これは、窮地に陥ったボクとキバを助けるためだけじゃありません。コボルトの皆さんを魔窟の脅威から救うために、マスターは命がけで戦った証なんです!」
うおおい! 確かに違ってないけど、そんな風に美化するなよ!
アビィも、もう一人の側近のゾーイも目が点になってるぞ!
「しかし、マスター様は傷一つ付いていない様子。犬の姿になっていることも、私には理解できないのですが……」
そりゃ、そうだ。
アビィの言うとおり、普通は理解できなくて当然だ。
「マスターの治療は済んでいます。瀕死の重傷を放置するわけが無いでしょう!」
ノアもムキになっているのか、声が荒々しくなっている。
何に怒ってるのか知らんが、俺はさっさと残りの服を脱がせて欲しいんだ。
「勇姿は見れなくても、マスターが戦った相手を見せることはできます!」
そう言うと、ノアは『収納』からクーシーの亡骸を取り出した。
いくらなんでも、やり過ぎだ。俺はノアを叱ろうとしていたのだが……。
「これをマスター様が!?」
興奮した声を出したのは意外にも長老だった。
「先程、マスター様の仰っていたクーシーという種族の者なのですね。しかも、この者は特殊個体です。戦って無事に済むはずがありません。死闘だということを疑う余地はありませんよ、アヴィ」
「特殊個体……!? そ、そのような相手とは知らず、無礼な物言いをしたことをお許しください」
ノアを叱るつもりだったんだけど、何かそんな空気じゃなくなったな。
アビィは土下座しそうな勢いで謝罪してくるし、この事態に収拾を付けねばならん。
(俺は全然怒ってないぞ。俺一人で倒したわけじゃないしな。それよりも、早く服を脱がしてくれないか?)
「は、はい! ただいま!」
アヴィはさっきよりも丁寧に服を脱がしてくれる。
その顔は緊張しているようにも見える。
ゾーイの方も、何やら俺を尊敬の眼差しで見ているようだ。
ノアのしたかったことって、これなのか? ……意味分からん。
ともかく、全裸になった俺はいつもの犬スタイルだ。
化身のクールタイムが終わるまで、懐かしのこの姿でのんびりやるとしますか。