第42話 大集落へ 川原での一幕
里を発ち、見送る人々の姿が見えなくなったところで、キバとルズは速度を上げた。
場の空気を察して、無粋な疾走は控えてくれていたようだ。
徐々に速度が上がっていく。周りの景色は眺める暇も無く通り過ぎる。
道の無い森であっても何の支障も無いようだ。キバとルズは、流石狼といった様子で森の中を駆け抜けていく。
凹凸のある地面は意に介されることも無く踏み越えられ、生い茂る木々は存在しないかのように脇を通り抜けられている。
目的地はグラティアから南西にある大集落。
グラティアの近くを流れる川沿いに下流へ進めば、大集落へ向かうことができるそうだ。
しかし、途中で方向を変えなければ、川の終末である湖へと出ることもあるらしい。
そういうわけで、コボルトのルークを道案内として連れてきたわけだが……。
(キバ、一旦休憩だ。ルークがヤバい)
俺は先行しているキバに思念で声を送った。
かなりの速度で走っているので、普通には話し掛けられないからな。
そもそも、話どころか顔を上げることもできない。あまりの風圧で目が痛いのだ。俺は出発直後から、ずっとルズの背にしがみついていた。
俺の思念に気付いたキバは徐々に速度を落とし、川の側で立ち止まった。
ルズもキバの隣まで進み、立ち止まる。
「ルーク、大丈夫か?」
「……」
俺はルークをキバから降りるように促した。
転げ落ちるように降りたルークは、そのまま覚束ない足取りで川へと向かっていく。
「ウェェ……」
乗り物酔いだ。
俺がルークの異変に気付いたのは『収納』の中身のおかげだ。
出発した後にルークとコノアに言っておいたのだ。
「何かあったら、コノアが助けてやってくれな」
ルークは意味が分かっていないかったが、コノアは察してくれていたようだ。
ルークのアレが『収納』されている。見てしまうと、こっちも気分が悪くなる。
コノアの機転が無ければ、キバの背中がえらいことになるところだった。
しかも、ルークの限界も分からず今もまだ、走り続けていただろう。
里を発ってから、かれこれ一時間は経ったな。
休憩を取るにはちょうど良い時間だろう。
「ルーク、無理するなよ。きついなら、キバに言えば良い。お前が無理しても、別に何も変わらないんだ」
「い……いえ、僕は道案内なんですし、頑張らないと……」
この緊張が酔った原因がなのかも。
肩に力が入れば疲労も溜まるし。
「これから休憩を挟みながら移動するから、その都度、進路を修正してくれれば良い。暫くは川沿いに進めば良いんだろ?」
「は、はい……そうですね。分かりました……」
「キバとルズはどうだ? まだ大丈夫か?」
「我々は問題ありませぬ。いつでも動けます」
キバの言葉にルズも強く頷いている。これは強がりではないな。
ただ、キバの頭にコノアが乗ったままなので締まりが悪い。キバは気付いてないのだろうか?
「ルークが落ち着いたら出発だな。それまで、各々休憩を取るぞ。ルークは無理するな」
「はい……」
無理するなって言われても困るか。
上司が休んでいないと、部下は休みづらいもんだ。ここは俺が率先して休んでやるとしよう。
俺はブーツを脱いで川に入ってみる。
水が冷たくて気持ち良い。
深さは踝ぐらいか、深いところでも膝までだ。
小さな魚が俺に驚いて岩の陰に隠れていく。よく見ると、そこら中の岩にでかいタニシ、リブスネイルが張り付いている。
なかなか長閑な光景ではある。
危険な魔獣の気配は無いんだが……。
「ルーク、川の向こうには何かあるのか?」
「えっと……コボルトは川の向こう岸には、ほとんど行きません。北の方に行けば集落があるように聞いてますけど、南は別の種族の土地ですから」
別の種族の土地? 川の向こう……方角としては南東か。
「それは人間の国のことか? 南東には人間の国があるんだろ?」
「えっ? そうなんですか? 僕は兎耳人や山羊人が住んでるって聞いてますけど……。もしかしたら、それよりも南東に人間の国があるんでしょうか?」
「いや、俺もマックスに教えてもらっただけだからな」
ラビットマンとパーンか……。
「ルズ、確か『遠視』があったよな? この先に何かありそうか?」
俺は川向こうの森を指差し、ルズに尋ねる。
ルズは目を凝らして森を見つめているが……。
「マスター、何もあるようには見えません、ただ……」
「ただ?」
「魔獣がいます。点在しているようですが、どうやらこっちに向かってくる者がいるようです」
ルズは冷静に魔獣の接近を伝えている。その様子では、魔獣は大した脅威ではなさそうだ。
程なくして、森の奥からルズの予見した魔獣が現れた。
種族:魔獣・魔蜥蜴、アクアリザード
生命力:34 筋力:28 体力:44 魔力:53 知性:29 敏捷:21 器用:16
スキル:水魔術、水耐性
おっ? もしかしてソイルリザードの属性違いか?
見た目はソイルリザードとほぼ同じ、でかいイグアナだ。
大きな違いと言えば、ソイルリザードは体に土の塊がくっついていたけど、アクアリザードには泡っぽいものがくっついてるな。
俺が眺めていることを不快に感じたのか、アクアリザードは俺の方を向き喉を鳴らしている。
この動作もソイルリザードと同じ――
次の瞬間、アクアリザードの口から水の弾丸が放たれた。
高速で放たれた水の塊は俺に向かって突き進んでくる。
だが、来るのが分かっているのだ。放たれる瞬間に動けば、まず当たらない。
ソイルリザードの動作と全く同じだから、タイミングは完全に読めている。
――ビチィ!
俺に避けられた水の弾丸は、すぐ側の岩に当たって弾けた。
当たった岩を見ると大きなヒビが入っている。結構な威力がありそうだ。
しかし、当たらなければ、どうというものでもない!
「本当の魔術って言うものを見せてやる! ストーンバレット!」
俺は犬の時同様、口からストーンバレットを放つ。『創造』を経由している以上、こうするしかないのだ。
ストーンバレットは『水魔術』を放って硬直したままのアクアリザードに向かっていく。
勢いの落ちないストーンバレットはアクアリザードに命中――することなく、川向こうの森の奥へと消えていった。
……。
この場にいる誰もが立ち尽くしている。
「ストーンバレット!」
俺は誤魔化すようにストーンバレットを連射した。勿論、アクアリザードに命中している。
当たり過ぎて原型を留めていない。完全にオーバーキルだ。
「コノア、頼む」
「シューノー!」
俺の指示に元気よく返事をしたコノアは、アクアリザードを『収納』してくれた。
「コノア、こっちも頼むぞ」
次いで、水の弾丸の痕跡を残す岩も『収納』してもらった。
一仕事終えた俺はコノアを引き連れキバ達のもとへ歩み寄る。
おっと、ブーツを忘れるところだった。危ない、危ない……。
俺はちらりとキバを見ると、ふいと顔を背けた。
あっ! くそ! 人が何も無かったふりしてるのに!
お前がそんなことしたら、俺が恥ずかしいじゃねーか!
ルズとコノアは空気を読んでくれてるのに……チキショー!
ルークは……あれ? 固まってるぞ。
ルークは唖然としたまま立ち尽くしていた。その姿には何かデジャヴを感じる。
ココも最初はそんな顔してたよな。
魔獣に驚いたのか俺の魔術に驚いたかは知らんが、もう大丈夫そうだし、そろそろ出発しようか。
「ルーク、もう大丈夫か? 良いなら行くぞ」
「えっ? あっ、はい!」
よし、ルークも我に返った。
さっきの俺の醜態は覚えていないだろう。
めでたし、めでたし……。
しかし、川の向こう……何か感じるんだよな。
ルークは知らない、ルズも何も見えない、キバやコノアの反応を見ても何も感じていないようだ。
俺だけなのか? いつもは俺だけ何も感じていないことが多いんだけどな……。
川の向こうが気になるけど、今は大集落へ向かうのが先だ。
俺はルズに跨がり、先へ進むように促した。
キバとルークはもたついてるけど、すぐに追いつくだろう。
それよりも早速、アクアリザードを『分解』だ。
――よし! ちゃんと『水魔術』と『水耐性』を手に入れたぞ!
次はさっきの水の弾丸跡だ。俺の予想通りだったら……。
アクアバレット:水の弾丸を放つ初級水魔術
キタコレ! 発動の鍵だ!
(支援者さん、お願いします!)
〈了解。『水魔術』と『創造』を接続。以降、イメージすることでアクアバレットが発動可能です〉
よっしゃあ!
土の次は水だ。この調子で魔術が増えたら良いな。初級以外の魔術も欲しいよな。
〈マスター、『水魔術』を『付与』しなければ、アクアバレットを使用することはできません〉
そうだった。支援者が教えてくれなかったら、また大恥掻くところだった。
じゃあ、これからは『土魔術』と『水魔術』を切り換えて使うようにしよう。
戦闘に幅ができて面白いかもな。
俺はルズに跨がりながら、予期せぬ収穫に人知れず笑みが溢れていた。