幕間 ー名も無き皇帝編 死して得る光ー
(……ここが死後の世界か)
気付くと、余はここにいた。
何も感じず、何も聞こえない。
目に付く色は白一色。よくよく見れば、薄い青の霧がかかっているようにも見える空間。
(見えるわけではないのだな。そう感じるだけのようだ)
今の余には体が無い。手足も何も、頭すら無い。意思をもって動かせる部位など何一つ無いのだ。
ただただ、この得も言われぬ世界を漂っているだけの存在と化していた。
そのような状況に身をやつしていても、何ら不安も恐れも感じない。
むしろこれは……安らぎか。心地良い眠りに就いているかのようにすら感じる。
いつまでもこの安らぎに身を投じていたいものだが……そうもいかぬな。
友が最後に言った、『もしも生まれ変われる方法があるなら、その話に乗るか?』という言葉に余は乗ったのだ。
どのような方法かは分からぬが、あやつなら約束を反故にはすまい。余は心積もりをして、その時を待つとしようぞ。
(ふむ、心積もりとはいっても特にできることは無し。どれ、暫し思考に耽るとするか)
思い返せば、思考に耽るというのもいつ以来か。
生を受けて間もなくの頃は、色々と思いを巡らせたものだ。
余が生を受けた意味、生を受けた時には胸にあった核、そして……誰のものかも分からぬ記憶について。
(余の生については……早々に答えを見つけたのだったな)
口惜しいことに、余の生は余のものではない。
自らの体を持たぬ核のための傀儡。それが余の生の意味だ。
核が拒むために部屋から出ることも叶わず、核が望むが故に同胞が献上する供物を食わねばならぬ。
さらには、ことあるごとに体を勝手に使われるのだ。余の体が核のためにあることなど、嫌でも理解できるというものよ。
(ふん、忌々しいという他ないわ。死をもって核と袂を分かてたと思うと清々する。しかし……)
核のことは終ぞ分からぬままであった。
恐らくではあるが、余を生み出したのは核だ。
生を受けた時、あの暗く淀んだ場所にいたのは余の他に核しかなかった。であるなら、余も同胞と同じく、無より生み出されたと考えるが必然であろうものよ。
しかし、核はどのようにして生み出されたのか?
自然に発生したわけではあるまい。誰かが創り、あの場所へ持ち込んだと考えてしかり。
それを証明するかのように、核はどこぞに語りかけておった。己の無事を報せるかのようにな。
(とはいえ、これも推測の域を出ぬが)
核が胸にあった頃、余は幾度と無く問い掛けたものだ。だが、核は何も答えない。
結果、いくら思案を広げたところで答えは出ぬ、というのが余が出した答えであった。
答えの出ぬ問いに思考を傾けていても深みに陥るばかり。いつしか余は……核について考えることをやめていた。
それであっても、余に許された自由というのは思案に耽ることのみよ。
余の生の意味、核、それら以外で脳裏に浮かぶ事象といえば、余が生を受けた時から持つ記憶の他無かった。
(決して余のものではないはずの記憶。誰のものかは分からん。前世とやらか? その前世という概念もその記憶があるゆえの発想だがな)
思えば、余の思考の根源は全てがこの記憶に根ざしていると言えよう。
もしも余に記憶の一切が無ければ、他の同胞同様、理性無き手駒として核のために生き続けていただろうな。
どちらが余にとって幸福かは……くくく、これも考えても仕方がないことよ。どちらにせよ、幸福とは縁遠い生にあったに違いない。
しかし……余にある誰ぞの記憶。
青く広大な空、緑の草原、おぼろげに名を覚えている動植物、そして……人か。
人が暮らす集落で記憶の主も同じく生活を営んでいるらしく、行き交う者と交流する様が脳裏に浮かぶ。
どのような会話をしていたのかは分からん。だが、笑みを浮かべている様を見れば、親しき仲だったことは明白だ。
家族であろうか? あるいは友人か。
親しき者達に囲まれた余も……笑みを浮かべているのだろう。何故か、その様子を思い出す度に懐古の念に駆られてやまぬ。駆られてやまぬのだが……。
(くくく、記憶の中が幸福であればあるほど、余は現実を憂いたものよ)
光が強ければ強いほど影は大きくなる。幸福な記憶があるが故に、今が苦痛に思えて仕方がない。
初めこそ心の支えとしていた記憶であったが、次第に苦痛が上回り、思い起こすことすら忌避するようになっていた。
……もしや。
(余に苦痛を感じさせることに意味があったのか?)
思考することしか許されていない。思考に浸れば苦痛を生む。余にある記憶も、現実を悲嘆させるために仕込まれたと捉えることもできよう。
思えば核も、余を不快にさせる行動ばかり取っていたのだったな。
ならば、余の苦痛に意味があるのかといえば……思い当たる節がある。
思い出すのもはばかられるが、余が苦痛に塗れている間、核や同胞の活動は活発であった。
反対に余が諦念に沈み、思考を放棄した後は、活動が沈静化していたように記憶している。
そこから導き出される答えは、余の苦痛……負の感情が力になっていたという事実よ。
確かに余には『変換』なる力があったのだが、それではない。根本的に何かが違うという気がしてならんのだ。
(ぬぅ……死して気付くとは迂闊であった)
生あるうちに気付いておれば、また違う結論に辿り着いておったかもしれぬというのに……。
しかし、今嘆いたところで仕方あるまい。余にはまだ希望がある。
約束された新たな生。その中で結論を導き出せば良いだけのことよ。
『記憶が残る保証なんて無い』。
(あやつはそう言っておったが、余を軽んじてくれるな)
せっかくの手土産となろうものが見つかったのだ。余の威信に賭けて、持ち帰ってくれるわ。
くくく……そう思うと、途端に待ち遠しくなってきおったぞ。
新たな生の中で、余は何を成し遂げることができるのだろうか。
古き記憶のように、友と共に生きることができるのであろうか。
友が償えというのであれば、甘んじてそれを受け入れよう。償いすらも、今の余にとっては希望にしか感じぬ。
都合の良い未来ばかり思い浮かべてしまうが、今ぐらいは許されよう。
(……ふむ、そろそろ頃合いということか)
遠くから余を呼ぶ声が聞こえた。周囲にあった青い光も、余が進むべき道を指し示してくれておる。
ならば、行くとしよう。
次の生が修羅道を歩むことになろうとも、今の余には光しか見えておらぬわ。