幕間 ―ココ編 強運か、あるいは運命か―
私とペス、クゥの三人は拠点を出て東へ進む。
私は食べられる植物、ペスは薬の材料、クゥは食べられる茸を探す。
「しかし、ココとクゥと一緒で良かったよ」
ペスは足元に生えている草を、腰に付けている小さな袋に詰めながら話し始めた。
「二人共『方向感覚』があるからな。俺一人だと迷って帰れなくなっちゃうよ」
『方向感覚』、私達コボルトの持つスキルだ。
ただ、誰でも持っているわけではない。ペスのように持ってない人もいる。
このスキルは生まれながら持つ人もいれば、生活の中で身に付く人もいる。私は後者だ。
多分、父さんと一緒に森に出掛けていたのが良かったのかもしれない。
一人で森に入るようになった時には、既に身に付いていた。
「クゥは生まれつきだっけ?」
「そうよ、だからペスの気持ちは分からないの」
クゥは笑いながら答えた。それに対してペスは肩を竦めている。
この二人は、いつもこんな感じだ。
クゥがペスをからかうのが日常なのだ。
クゥは昔からペスに対しては厳しい……というか、よくちょっかいを出す。
私や他の人にはしないのだけど、どういうわけか、ペスだけに。
ペスも温厚なのか、決して怒ったりせずにどこか楽しそう。
まあ、二人が楽しそうだから私は何も言わないけど……。
「ところで、ペスはさっきから何をしてるの?」
「ああ、これかい? この草はクラウトっていう薬草なんだ。ココなら分かるだろ?」
「えっ……うん、分かる、よ」
ペスは気付いていないけど、クゥはかなりムッとしている。
いつもは、からかう方なのにペスに馬鹿にされたと思ったのかも……。
「えっ……と、クゥは何か見つかった?」
「……全然、森の北側は虫が多いせいで茸が少ないみたい。これじゃあ、私が役立たずみたいじゃない」
クゥは眉間に皺を作っている。
茸が少ないのはクゥが悪いわけではないんだけど……。
「クゥ、それじゃあ、食べられなくてもいいから、薬に使えそうな茸を集めてくれよ」
「えっ……あっ、そうね。それなら見つかるかも……。毒性がある茸は残ってるみたいだし」
「うん、魔獣に対して使えるかもしれないしな」
「分かった。それなら任せて!」
クゥに元気が戻った。やっぱりこの二人は良いコンビみたい。
クゥは上機嫌になって辺りの茸を品定めしている。笑顔で毒茸を眺めている姿は、ちょっと怖い……。
ペスの方は変わらず、眠そうな顔でクラウトの葉を腰の袋に詰めている。
私も頑張らないと。
……
私達は夢中になって探索した。
今のところ魔獣は見当たらない、マックスさんの読みどおりだ。
この辺りなら安全に採集できるかもしれない。
しかし、成果の方は今ひとつだ。
私はグリの実を幾つか見つけただけ。
ペスはクラウトの葉を腰の袋一杯に詰めているけど……。
「これじゃあ、足りないな。腰の他にも袋を用意してきたけど、全然使ってないよ。それにクラウトだけじゃあ、他の薬の材料にならないんだ」
クゥも結局、毒茸を少し見つけただけだった。
どうしようか……。
このまま帰っても、大した成果ではない。
それに既に日は落ちている。今から元の場所に戻るとしても、かなりの時間がかかる。
それならば、ここで夜を明かして明日探索を再開すれば良い。
コボルトは森の探索で一日二日程度、帰らないことは多い。
その日のうちに帰れる範囲の探索だと、成果が挙がらないこともある。
私達はこの日は帰らず、木の上で夜を過ごすことにした。
幸い、安定した大木が多かったので、三人別々の木の上で休息を取ることができそうだ。
食事は探索中に見つけたグリの実を分ける。
満腹とまではいかないが、足しにはなる。
ペスは全然物足りない顔をして、クゥに怒られていた。
怒られたペスは、いそいそと木に登ろうとしたが、上手く登れずに滑り落ちてきた。
「ちょっと、ペス……。昔から鈍臭いわね……」
「し、しょうがないだろ。苦手なんだよ、木登りは……」
クゥは首を横に振って呆れている。
その後、ペスが無事に木に登ったことを確認して、私とクゥはそれぞれの木に登った。
クゥは素早く木に登る。その動きはペスと雲泥の差だ。
「ペス、寝惚けて木から落ちないでよ!」
「わ、分かってるって……」
二人のいつものやり取りを見ながら、私は体を休めた。
……
「……ペス、大丈夫?」
私は地面に突っ伏しているペスに問いかけた。
「放っといていいわよ。寝ている間に落ちなかっただけでも、褒めてあげられるぐらいなんだし」
「うぐ……」
既に夜は明け、朝を迎えている。
日の出と共に起きた私とクゥは、まだ寝ていたペスに呼びかけたのだけど……。
木から降りようとしたペスが誤って落ちてしまった。
地面が柔らかい土のおかげで大事には至っていないようだけど、ペスは大丈夫かな……?
程なくして、ペスはのそのそと起き上がった。
体の前面には大量の土が付いたままだ。
「あー、ビックリした。俺は大丈夫、さあ行こうか」
こっちがビックリした。
クゥは既に森を進んでいる。
平気な顔をして歩き出したペスに遅れて、私も歩き出す。
……
今日も探索を続ける、食糧と薬の材料を探して……。
遠出したおかげか、昨日に比べると大分成果が挙がっている。
私はグリの実の他に、果実の成っている木を幾つか見つけた。
残念ながら今はまだ実が熟していないけど、近いうちに食べられるようになりそうだ。
ペスもクラウト以外の薬の材料を見つけて喜んでいた。ペスの羽織っている上着のポケットが草で一杯になっている。
クゥも今日は色んな種類の茸を見つけていた。食べられる茸は少ないみたいだけど、薬の材料になる茸が生えていたので成果としては上々みたいだ。
日が傾いてきたこともあり、今日の探索も打ち切ることにした。
昨日同様、木の上で夜を過ごし、明日の朝から大岩のある拠点に向かう。
一日掛ければ、元の場所まで戻ることができるだろう。
少し離れ過ぎた気もするが、これだけの成果が挙がったのだし、次もこの辺りまで出てきても良いかもしれない。
私は木の上で、明日以降のことを考えていた。
……
……? 何か変な気配がする……。
私は、木の下から今までにない気配を感じて、枝葉の隙間から下を覗き込んだ。
地面には何かが動いているのが見える。
探索中に、たまに見かけた虫とは違う生き物、大きさが全然違う。もしかしたら、私よりも大きいかもしれない。
まさか……魔獣……?
ここは森の北東部、ドゥマン平原がすぐ近くにある。
ドゥマン平原にはヴェルトの壁がある。魔獣の多くはヴェルトの壁を恐れて平原まで出てこないと聞いてるけど……。
「うわあ! 何だこいつら!?」
ペスの声だ!
地面を徘徊する魔獣に気付いたらしく、驚いて大声を上げてしまったみたいだ。
その声に反応して、私の側にいた魔獣も移動を始めた。ペスの方に向かったようだ。
私は、枝葉の隙間からペスの声のした方を覗き込むと……。
魔獣だ! 見たこともない魔獣。
でも、聞いたことがある。犬に似た魔獣で犬よりも大きく、恐ろしい魔獣がいることを。
確か狼と聞いていたけど、今いるこれが狼なのだろうか……?
それに、なんでこんな場所にこんな魔獣が?
――違う! そんなことを考えている暇は無い。
見えている魔獣は五体。ペスのいる木の根元で上を見上げている。
ペスがいることは、さっきの声で知られている。
ペスの方に集まっているということは、私にはまだ気付いていないかもしれない。
こういう場合、どう対処するかは予め決めてある。
……狙われた人を囮にして逃げる。
今はペスが狙われている。ペスに囮になってもらって、私とクゥが逃げてしまえば良い。
そう、決めてたはずなのに……。
このままでは、ペスは助からないだろう。三人の中で一番足が遅く、正直鈍臭い。
走って逃げても、瞬く間に捕まってしまうのが想像できる。
だけど……ペスにもクゥにも死なないで欲しい。
私は考えるより先に行動していた。
まずは、できるだけ音を立てずに木を降りる。
……よし、まだ気付かれていない。ペスのところから動く様子は無い。
今のうちに、できるだけ離れよう。
私は今いた場所から、さらに東へ進んだ。
もしかしたら、あの魔獣は平原にまでは来ないかもしれない。
何の確証も無いけど、これしか方法が思い付かない。
辛うじて魔獣が見える程度に距離を離したところで――
「こっちだーーー!!」
私はできる限りの大声を出した。
大声に反応して魔獣達が一斉にこっちに向かってくる。
やっぱり、犬のような動き……狼かもしれない。
じっとしていたら、すぐに捕まってしまう。
――逃げないと!
私は力の限り走った。
細い木と木の間をすり抜けて……。
木の間を通り抜ける時、魔獣の動きが鈍っている気がする。
もしかして、ちゃんと見えていない?
木の下にいた時も、本当なら私の姿が見えていてもおかしくなかったのに、気付いていなかった。
『夜目』を持っていないのかもしれない。
だったら、こっちが有利だ。
できるだけ狭い場所を選びながら、平原を目指す。
ペスとクゥは上手く逃げてくれたかな?
最悪、私が捕まっても二人が逃げ切ってくれれば作戦は成功だけど……私だって、まだ死にたくない!
父さんのためにも、こんなところで死ぬわけにはいかない!
「ハァ……ハァ……」
息が苦しくても走り続けた。
いくら視界が効きにくいといっても、相手は魔獣だ。
普通に走れば簡単に追いつかれる。
平原に出るまで気を抜くことができない。
……
……見えた!
木が無くなって、草しか生えていない森の切れ目。ドゥマン平原だ。
このまま、平原に出てしまえば魔獣は追ってこないかもしれない。
今はそれに賭けるしかない!
私は勢いそのままに森を出た。
初めて見る森以外の景色、草ばかりの広い場所、平原の奥には天を突くように聳える絶壁がある。
魔獣でなくとも圧倒される。
これが、ヴェルトの壁……。
なんて、感傷に浸っている場合ではない。
魔獣はすぐそこまで来ている。何処か身を隠せる場所を探さないと……。
平原を見回してみるけど……何も無い!
草ばかりで、身を隠せる場所がまるで無い。
少しの木が点在しているけど、森の木に比べたら背も低く幹も細い。頼りない木ばかりだ。
それでも無いよりはマシだ。私は近くの木に登ることにした。
私が木に登ってすぐに、魔獣が木の下に集まってきた。
危ないところだったかもしれない。平原に出たら魔獣は追って来ない、という予想は外れていた。
魔獣達は何も気にしていないかのように、木の周りに屯している。
この状況は絶望的かも……。
助けが来るとは思えない。
魔獣が諦めてくれるはずもない。
今できることは何も無いけど、せめて叫ぶだけ叫んでやろう。
「あっちに行け! 来るな!」
こんなことで、本当に何処かに言ってくれれば苦労はしないけど、何かしないと私自身が不安に押しつぶされそうになる。
怖くて泣き出しそう……。
父さん、ごめんなさい。
私も覚悟を決めないと、いけないみたい……。
……
ズゥゥゥン!
!? 何、今の!?
低い轟音が辺りに響いた。
何かがぶつかるような音。それと同時に木から伝わる振動がある。地震……ではないと思う。
それに、何かが転がる音が近付いてくる……!?
――木の下の魔獣が動いた瞬間、枝葉の隙間から光る巨大な塊が通るのが見えた。
魔獣を追っているようにも見えたけど……。
あんなのが平原にいるなんて、聞いたことが無い。
あれも魔獣だとしたら、ここも危険だ。
早く逃げないと……!
(おーい、大丈夫か?)
「えっ? 何?」
思わず口に出ていた。
頭の中に声が響いてくるような感覚、だけど声じゃない。
いきなりのことで驚いてしまった。
(えーっと……俺は喋れないから、頭に直接言葉を送ってるんだ。驚かしてすまない。もう安全だから、降りてきたらどうだ?)
そんなことができるの?
それよりも、本当に安全なのかな……。
「……さっきの、でっかいのは?」
今の声が巨体の持ち主だったら、どうしよう……。
私の居場所はバレてるし、これ以上隠れていても意味は無いんだけど……。
(もういない、何処かへ行った。安心して良いぞ)
「……」
素直に降りるしかない……どうか、話の分かる人でありますように!
私は木から降りて、側にいた生物に目を向けると……。
「犬!?」
そこには一匹の犬がいた。
……
この不思議な力を持つ犬との出会いが、私にとってどんな意味を持つのか、この時の私には分かるはずが無かった。
ただ、この先の私の人生の中で最も『強運』だと思えることは、この犬――マスターさんとの出会いなのかもしれない……。