第191話 ドゥマン平原を行く 犬とポーション
あれ? こいつ、もしかして……マジで犬を見たことないとか?
男は依然、剣を構えたまま。警戒心ありありといった様子だ。
それに対し、俺は敵意が無いことを示すためにあざとい仕草を試してみるが。
「わふ?」
「くっ!」
おいおい、首を傾げただけだろ。そんな大げさなリアクションしなくても。
ううむ……こいつは予想外だ。
初めて会う人間が犬を知らない可能性なんて想定してなかったぞ。もしかして、テンプルムに犬っていないのか?
しかし、そんなことを気にしている場合でもなさそうだ。
「う……」
頭を怪我している方の男の容態が芳しくない。『鑑定』するまでもなく、生命力の低下が著しいことは見て取れるのだ。このまま時間が経てば、命に関わる事態になってしまうだろう。
それは剣の男も分かっているらしく、俺を警戒しながらも表情には焦りが色濃く浮かんでいた。
(あーもう、仕方が無い!)
せっかく人間と会えたけど、ここは一旦退く。
どうにも俺がいるせいで手当ができないようなのだ。だったら、俺がいなくなれば問題あるまい。
「わん!」
「ぬおっ!?」
あれま、無言だと悪いかと思って断ったつもりのひと吠えだったが、反って驚かしたみたいだ。
傍から見れば、怯ませた隙を突いて逃げ出したような形になってしまった。
「逃げた……のか?」
正解といえば正解。もう戻ってきてるけどな。
今は気配を悟られないように隠密状態を維持して、草むらから覗いている最中だ。
(今のうちに『鑑定』してやろっと)
名称:ログ
種族:人間
称号:選兵
生命力:82 筋力:73 体力:91 魔力:46 知性:53 敏捷:77 器用:41
スキル:剣術、持久力強化、魔闘技
よしよし、人間だな。
俺を警戒していた男、ログは紛うことなき人間。念のため『鑑定詐称』の類を疑ってみたが、『鑑定』結果に欺瞞は無かった。ホムンクルスじゃないようで、ひとまず安心といったところだ。
称号の『選兵』やスキルの『魔闘技』が気になるところではあるが、それ以上にもう一人の男カールが気になる。
「カールさん……!」
「……」
まずいぞ、これは。
軽く『鑑定』した時点で分かったが、カールの生命力が尽きかけている。思いのほか、頭の怪我はひどいらしい。
ログが手当を施しているものの、それは止血程度の応急手当。
他に動く様子が無いところに鑑みると、有効な治療手段を持ち合わせていないようだ。
さて、どうするか? 俺なら助けてやれるけど……。
(ええい、一か八かやってみるか!)
悩む時間があるなら行動あるのみ。俺は再びログ達の前に姿を現した。
「なっ、くっ!」
俺に気が付いて驚くログだが、それ以外の行動を取ることができないようだ。
今のログはカールを抱きかかえている。剣も側に置いてはいるが、カールを気遣って構えられずにいるらしい
まあ、構えたところで俺のやることは変わらんがね。
「わう」
この一瞬で用意したんだよ、ポーションを。
さもどこかから持ってきた体を装って、ポーションの小瓶を加えて飛び出したのだ。
量は少ないが、効果は抜群。
かつて瀕死だったキバを回復させた時よりも、改良されている逸品だ。カールの怪我であっても癒やすことができるはずだ。
「な、何を……?」
「わふ!」
何を、じゃなくて使えよ!
俺が差し出しているにも関わらず、ログは困惑して受け取る素振りを見せない。
ぬあー……でも確かに、よく分からん生物が持ってきた瓶なんて気味が悪くて使えんわな。考えれば当然だ。
だったら……こうするしかなかろうが!
「がふ!」
咥えていた瓶を噛み砕いて、瓶の破片ごとカールの頭に吹きかける。
やってることは俺がたまにやる口からポーション『噴射』と同じだけど、もっと原始的で力技だ。
流石にここまでやると犬の行動の範疇じゃないかな? とも思ったが、ログが犬を知らないなら問題無し。犬はこういった行動するんだよ、とでも覚えてもらえばよかろうなのだ。な?
「わふ」
「……」
うむ、ログは絶句している。俺の行動に理解が追いついていないのかもしれないな。
取りあえず、邪魔せず見届けてくれたことだけで十分だ。その甲斐あって。
「う、うう……」
「カールさん!」
ほらな。ペスの作ったポーションは効果てきめんなのだよ。
カールは顔色こそ悪いものの、無事に意識を取り戻したようだ。危険な状態は脱したことは見て取れる。
あとは時間とともに回復していくだろう。
「ロ、ログ……か。ゴブリンは……?」
「終わりました。安心してください」
「あ、ああ、そうか……。今度ばかりは、もう駄目かと思ったが……?」
そこまで言って、カールは俺に気が付いたようだ。
口を開きっぱなしのままで俺を凝視している。
「こいつは、驚いたな……」
お? この反応は。
「カールさん、こいつが何か知ってるんですか?」
「あ、ああ。まさか犬がこんなところにいるとは」
おお! 犬を知ってたか! いや、犬を知ってるかどうかで感動するのも変な話なんだけど。
ともあれ、ここは犬らしく。
「わん!」
「おお、懐かしい……。犬は全て献上されたと思ってたが」
献上? 犬が? 何それ、詳しく聞いてみたい。
「カールさん、それより怪我の方は」
おおい、気になるところで割り込むなよ。
……くそぅ、仕方無いか。今は二人のやり取りを見守ろう。
「ああ、怪我か。……ん? んん? ログ、俺の頭はどうなってる。どこも痛くないんだが……。俺は確かにゴブリンの不意打ちを食らったはずなのに」
「俺も信じられませんが、怪我が……癒えています」
「何?」
それからログは、俺が取った一連の行動を説明してくれた。カールの治療だけでなく、対ゴブリンでの助太刀の件も。
そんなログの話を聞くカールはというと……途中から俺を撫で回し始めていた。
どうやらカールは、俺が助けたことを理解しているらしい。すっかり気を許してくれているようだ。
それが俺にとっては何とも微妙なもので。
カールがおっさんというのさえなければ、この撫で回しに身を任せるのもやぶさかではない。力加減がなかなかに絶妙なのだ。とはいえ、おっさんなのは変わらない。
俺もおっさん、カールもおっさん。おっさんがおっさんを撫で回しているという珍妙な現実。それを知る俺だから嫌なのだ。
「カールさん?」
「ああ、聞いてるよ。そうか、お前が助けてくれたのか。よしよし」
やめれ。いや、マジで。おっさんによしよしされる筋合いは無いっての。
犬の姿の弊害がこんな形で表れるとは……!
「くぅん」
「その、犬というのはこういった行動を取るものなんですか?」
「どうだろうな。賢い犬ならありえるかもしれん」
ゴブリンに対する行動はあるかもな。
吠えて追いかける、訓練されていれば難しいことじゃないだろう。
「しかし、さっきの液体は一体。どこから持ってきたのかも分からない」
それは……うん、難しいな。どうにか都合の良い解釈をお願いするしかない。
「液体、な。それは俺にも分からん。だが、俺が助かったのは事実なんだ。俺としてはそれが何かよりもそっちの方が重要だ」
「確かに、そうですね」
「それにだ。今の俺達にはこいつの存在が助けになるかもしれん」
んお? 話が見えんぞ?
「カールさん、もしかして」
「ああ、こいつを連れて行く。あとのことは兄貴に窺いを立てれば良いさ」