幕間 ―ココ編 日常の終わり―
「ハァ……ハァ……」
私は見慣れた森の中を走っていた。
向かう先は私の家があるコボルトの集落。
森で木の実を集めていた私は、集落の様子がおかしいことに気付いて戻ってきたのだけど……。
「逃げろ!」
「もう、駄目だ!」
逃げ惑う人々の間をすり抜け、必死に走る。
すれ違いざまに聞こえるのは悲嘆の声ばかりだ。
一体、何が起きているの……?
「ココ! 何をしている!」
突然、私の腕を掴んだ人が私を呼び止める。
振り向くと、集落の長のマックスさんがいた。
マックスさんは革鎧に身を包み、険しい顔付きで睨んでいる。
「長……何が起きているんですか?」
「説明をしている時間は無い。すぐにこの場を離れるんだ」
「で、でも……」
「集落に戻すわけにはいかん。一緒に来るんだ!」
腕を掴む手に力が入っている。
私はそのまま引き摺られるように、連れていかれた。
……
連れていかれた場所には、同じ集落のコボルト達がいた。
皆、怯えた顔で身を寄せ合い、子供達は大人の陰で、声を殺して泣いている。
集落に住んでいた半分程の人達が集まっているようだ。
……父さんはいない。
「長、これは一体……?」
「……集落が魔獣に襲われた。残念だが、集落を放棄する」
魔獣? 今まで魔獣が来ても、避難するようなことは無かったのに……。
それに、集落を放棄って……。
「あの、集落を放棄って……どういうことですか?」
「言葉どおりだ、彼処はもはや我々が住める土地ではなくなった」
マックスさんは、拳を握り締めて口惜しそうに呟いた。
その言葉に、集まっている人々の顔がより一層、不安に染められていた。
「あのような魔獣は見たことが無い。熟練の戦士ですら相手になっていなかった……」
「! 父さんは……? 父さんは何処にいるんですか!?」
父さんは集落の戦士だ。
熟練の戦士であり、剣術の指導者でもあった。
集落の長であるマックスさんも、父さんから剣を教わっていた。
集落の戦士は皆、父の教え子なのだ。
マックスさんの言う熟練の戦士って、まさか……。
「ココの父……ハウザーさんは集落に残った」
「な、何故ですか!?」
「最後まで戦う、と。我々が逃げる時間を稼ぐために、十数人の戦士達と共に残ってくれている」
マックスさんの言葉を聞いて、私は目の前が真っ暗になった。
体から力が抜けて、膝から崩れそうになったが――
「ココ!」
マックスさんが、倒れそうになっている私の体を抱き止めていた。
「すまないが、ここも安全ではない。これ以上、逃げてくる者を待つこともできない。……移動を開始する」
「……」
私は頷くことしかできなかった。
マックスさんの言葉の意味が分かっているからだ。
残っていたら、無駄死にするかもしれない。
それでは、集落に残ってくれた父さん達に申し訳が無くなる。
生きないと……。
……
マックスさんに率いられた私達は、集落の北を目指していた。
南は森の深部、強力な魔獣が住んでいると言われている。
北ならば魔獣の脅威も少ないかもしれない、ということで北へ向かっているのだけど……。
当てがあるわけではない。
それでも、今は魔獣の脅威から少しでも離れたかった。
皆、その一心で重い足を進めていた。
その姿に大人も子供も違いは無い。
同行している戦士達は、先行して潜む魔獣を駆除してくれている。
もしかしたら、残って戦いたかったのかもしれない。戦士達の表情からは口惜しさが滲み出ていた。
しかし、残された人々を守ることもまた、戦士の務めであると承知して同行してくれているのだろう、黙々と役割を果たしている。
戦士達に混ざり、マックスさんも私達を先導している。
集落を放棄する……誰よりも悔しいのは、マックスさんだろう。
私達の集落は四年程前に、元の集落から分かれてできた。
元の集落の人口が増えたことで、新しい集落を作ることになったのだ。
その時に先導者となったのが、今の集落の長であるマックスさんだ。
当時のことは、私も幼かったのでよく覚えていない。
だけど、父さんが嬉しそうに話していたのは覚えている。
「マックスは優秀な長になる! なら、それを支えるのが俺の役目だ!」
そう言う時の父さんは、いつも笑っていた。
父さんが笑っていると私も嬉しくなる。
気が付けば、新しい土地で新しい生活が始まっていた。
忙しいけど充実した毎日。
物心付く前に母を亡くした私にとっては、父さんとの生活はいつまでも変わらない日々のはずだったのに……。
いつも側にいた父さんがいない、それがこんなにも不安だなんて……。
「ココおねえちゃん、だいじょうぶ?」
ナナちゃん……マックスさんの娘で私と同じ、物心付く前に母を亡くしている。
ナナちゃんはまだ二歳、何故こんなことになっているか分からないだろう。
周りの大人達が黙って歩くのに合わせて、付いてきてくれている。
流石に歩いては連れていけないので、今は私が抱きかかえて歩いている。
本当はマックスさんと一緒にいたいのだろうけど、マックスさんは長として、皆を率いらなければならない。
ナナちゃんは幼いながらに、それを感じ取って我儘を言わないようだ。
「ナナ、あるけるよ?」
ナナちゃんは私の表情が暗いのは、自分のせいだと思ってしまったのだろうか?
「大丈夫、ナナちゃんは軽いから平気だよ」
ナナちゃんを不安にさせないためにも、私はしっかりしないといけない。
父さんは多分……無事ではないだろう。
マックスさんの言う魔獣がどれ程恐ろしいか、私には見当も付かない。
だけど、マックスさんが集落を放棄すると言う程なのだから、絶望的なのだろう。
それでも父さんは残った。
私達が逃げる時間を少しでも稼ぐために……。
私も父さんの娘として、マックスさんの役に立たないと。
私は、ナナちゃんを抱き締める腕に力を入れ直す。
この命は私が守る。
そう決意して。
……
集落から避難を始めて半日が経った。
日は沈み、森の中は暗闇に包まれている。
幸い、私達コボルトは『夜目』を持つ種族なので、夜でも視界は効いている。
警戒する上では問題無い。
だけど、休み無く歩き通したのだ。誰もが疲弊していた。肉体的にも、精神的にも……。
「流石にこれ以上の強行軍は無理か……ここで一晩過ごす。戦士は交代で見張りに就け」
マックスさんが、皆の顔色を見て限界を感じ取ったようだ。
指示を受けた戦士達が、見張りに就く順番を決めているようだけど、戦士達も顔に疲労の色が出ている。
先行している時に負ったのだろう、怪我をしている者もいた。
「長、私も見張りに就きます」
せめて、怪我をしている人の代わりぐらいはできるはず、そう思って志願したのだけど。
「ココ、お前は休んでいろ。ナナを任せていたのだ、疲労も溜まっているはずだ」
「いいえ、この先何があるか分かりません。戦士の方々にも休んでもらわないと……」
「それでもだ。ハウザーさんに頼まれている、お前のことを……」
父さん……。
やっぱり、覚悟を決めて残ったんだ……。
だけど私も父さんの子だから!
「それでも、です! 父さんの娘として、恥ずかしくないように生きたいんです!」
「……!」
マックスさんが言葉を呑み込んでいるように見える。
私の覚悟が少しでも伝わった?
「長! 俺も見張りをさせてくれ!」
「俺もだ!」
「確かに戦士だけに無理させるわけにはいかない!」
気が付けば、数人の若者が私と一緒になってマックスさんに詰め寄ってくれている。その顔にはさっきまでの絶望が嘘のように消えていた。
「……分かった。お前達の厚意、ありがたく受け取らせてもらおう」
やった! 私も役に立てることがある!
残された人達のためにも、父さんの分まで頑張ろう!
「ココ、お前はやはりハウザーさんの娘だ」
「それは、どういうことですか?」
「言い出したら聞かんところが、そっくりだ」
私が頑固者みたいに聞こえる。
確かに父さんは頑固だったけど、私は違う……と思う。
そう言うマックスさんは、避難してから初めての笑顔を見せていた。