幕間 ーソフィ編 道を指し示す者としてー
(ソフィさん、おるか? ちょっと話があるんやけど)
屋敷の扉を勢いよく明ける音とともに、私を呼ぶ思念が頭へと届いた。
このようなことができるのは、私の知るところでは二人しかいない。しかし、これが誰の仕業かなど考えるまでもなく分かること。
「フロゲル殿、朝も早くから何ですか騒々しい……!」
思念を送りつけてきたのはトードマン族長フロゲル殿。前回の魔の攻勢を生き延びた豪傑なのだが……飄々とした態度からは、そのような風格など一切窺えない。
そんなフロゲル殿は、私が出迎えるまでもなくここは我が屋敷とばかりに足を踏み入れていた。
(おう、ソフィさん。朝早くからすまんな。ちょっと話があって来たんや)
すまないと言いながらも、フロゲル殿の顔には申し訳ないという気持ちは欠片も見えない。
……やれやれ、今さら何も言うまい。
ともあれ、フロゲル殿は紛いなりにもトードマンの族長なのだ。邪険にするわけにはいかないだろう。
気乗りはしないが、屋敷の奥でフロゲル殿の話を聞くことにした。
(この屋敷、コボルトの長老が代々受け継いでるんやろ? マックスには譲らんのか?)
部屋に入り、腰を下ろしたフロゲル殿が話を切り出す。
「私はそのつもりですが、マックスがそれを良しとしておりません」
(その腕輪もか?)
「……ええ、そうです」
フロゲル殿が言っているのは、私の右腕に巻いてある腕輪のことだ。
これも屋敷同様、先代のコボルト長老から受け継いだもの。本来ならば、当代であるマックスに譲らなければならないものなのだがマックスが拒んだ。そのため、いまだに私が付けているのだ。
(なるほどねぇ。まあ、新しい時代みたいなもんも来てるしな。何でもかんでも伝統やからっちゅうて押し付けるのも違うかな)
「フロゲル殿、話というのは? こんな朝早くから、わざわざ世間話をしにきたわけではないのでしょう?」
(おお、そうやった)
まったく……フロゲル殿の調子に合わせていると、いつまで経っても本題に入りそうにない。
フロゲル殿は私の思考を読み取っているはずなのに、肝心なところは通じない嫌いがある。いや、通じていないわけではないのだろう。恐らくわざと。
自分のペースに引き込むために、わざと相手の嫌がる行動を取っているのだ。
「私が何を考えてるか、フロゲル殿はお分かりなのでしょう?」
(まあな。そんな褒められたら、フロゲルさんでも照れてまうわ)
なっ……!
(くくく……。まあ、冗談は置いといてやな。実はソフィさんに頼みがあって来たんや)
「……頼み?」
(そんな怖い顔せんでや。急で悪いんやけどな、ワシは森を出てカラカルっちゅう街に行くつもりなんや。そんで、その間のことをソフィさんに頼みたいなーなんて思っててな。そういうわけやからよろしく!)
「は?」
私の聞き間違いだろうか。
森を出て街に? フロゲル殿が?
「……冗談にしては度が過ぎていますね」
(冗談ちゃうって言うたやろ、ほんまの話や。理由もあるんやで?)
フロゲル殿の言う『理由』。それは行商人コテツの願いを叶えるためといったものだ。
その内容については私も耳にしたことがある。
マスター様が眠りに就く前に進めていた、ケットシーの子供達を引き取るという計画。その後釜をフロゲル殿が引き継ごうという。
そして、私にはフロゲル殿が不在の間、代わりにトードマンを率いろとのこと。……到底、受け入れられることではない。
「お分かりなのですか? 私はトードマンと言葉を交わすことができません。支援者様が健在であられたならばまだしも、私が言葉を交わせない者達に何をしてあげられるというのです?」
(まぁまぁ……何も、あれこれ支持出したれっていってるわけちゃうねん。何かあった時のためにやな)
「何かあった時のためにと申されても、それこそ何もできません。そもそも、貴方が森を離れることに問題があるのでは?」
フロゲル殿はトードマンを導かなければならない立場にある。
今でこそマスター様の庇護の下、コボルトとともに平和な日々を迎えているとはいえ、フロゲル殿の行動は軽率が過ぎるというもの。苦言とは承知で言わせてもらう。
しかし……フロゲル殿が一向に反論する気配がないというのも奇妙なものだ。
いつもなら、はぐらかすような態度を取るというのに……。
(まぁ、な。ワシも無茶言うてるのは百も承知や。ソフィさんの言いたいことも、言われることも分かってたわ)
「……では、何故に冗談めかして言うのです? 私が冷静でなくなれば、話を通しやすくなるとでも?」
だとすれば、ふざけた話だ。
もしもフロゲル殿が私の言葉を肯定するならば、これ以上フロゲル殿の話に耳を傾けることはない。即刻、屋敷から出ていってもらう。
そういった私の意思はフロゲル殿にも伝わっているだろう。思考以前に、感情が顔に出ているはずなのだ。
対して、フロゲル殿は「フゥ……」と、息を吐いて私を見据えた。
(そうやな。まずは謝らせてもらう。ワシはな、どうにも真面目な話をするっちゅうのが合わんくてな。真面目な話ほど冗談を混ぜて話してしまうんや。すまんかった)
「そうですか。だからといって、私は先の話を了承したわけではありません。もう一度、よく考えてください。フロゲル殿以外の適任者を探すのでは駄目なのですか?」
何も族長でなくとも良いだろう。
わざわざトードマンからでなくても、コボルトから探すのも良い。しかし正直なところ、私はコボルトには無茶なことをさせたくはないのだが……。
(そこやねん)
「そこ?」
そこ、とは一体……?
(だから、無茶させたくないってとこや。ソフィさんがコボルトに無茶させたくないっていうのと同じで、ワシもトードマンの若いもんに無茶なことさせたくないんや。いくらコテっちゃんの手引きがあるっちゅうても、森を出たことのない獣人が平原にある街を目指すなんて大事や。生きて帰ってくる保証も無いんやからな)
……まさか、だからこそフロゲル殿が? 自身が率先して動いて模範となるために。後進に道を指し示すために……。
(そんな格好良いもんちゃうって。ワシはな、十分生きた。十分過ぎるほどに。人生何回分、生きとるんやっちゅうぐらいや。あとは死ぬまでにできることをやるだけ。若いもんの代わりに無茶できるんやったら本望なんやで?)
「ですが……フロゲル殿には、語り部や指導者としての生き方もあるでしょう。残されたトードマン達も拠り所がいなくなると、どういった影響があるのか……」
(そんなことないって。ソフィさんは知らんかもしれへんけど、トードマンも育っとる。今さらワシがおらんぐらいでトードマンは揺るがんよ)
そうか、トードマンもコボルトと同じなのかもしれない。
コボルトは種族を残すことを優先するため各地に散らばり、指導者もその数存在した。長老といっても、あくまで指導者の代表、いなくなったところで誰かが代わりを務めるように備えていたのだ。
そして、トードマンもコボルトと境遇が似ているところがある。フロゲル殿が後任を育てていて然るべきだろう。
(それにやな)
む? 他にも何かあるのだろうか?
(ワシは森の外を見てみたい。ドゥマン平原がどんなとこか、カラカルっちゅうとこがどんなとこか興味あるんや。そこに住む連中がどんな風に生きてんのかも、何を食ってんのかもな。知らんことしかないってのは、ワクワクするもんや)
何とまぁ……先程までのフロゲル殿と同一人物とは思えない言葉だ。
その表情も、百をとうに超えた者とは思えないほどに無邪気なもの。私にはどうにも、こちらが素のフロゲル殿に見えて仕方が無い。
「そちらが本音ではありませんか?」
(半分はな。ええやろ? 命を賭してでも好奇心を満たしたいってとこや。若さの秘訣やで)
貴方の若さは、右手に嵌めた指輪の恩恵だというのに……。
だがしかし、私もフロゲル殿と言葉を交わしているうちに心に何かが芽生えたようだ。
思えば私も次代への継承は済んでいる。そして、何も後進に残すものは知識や言葉だけに限らなくても良いのだ。私よりも残るべきフロゲル殿が森を出るというのならば、私も思うままに行動しても良いのではないのだろうか?
「フロゲル殿」
(あー……あかん。それはちょっとな)
フフ……私が何を考えているのか、フロゲル殿も分かったようだ。
「自分だけずるいと思いませんか? 私も見てみたいものです。森の外がどのような世界かを。それに、フロゲル殿を代表に据え置くと、森の獣人の品性が疑われてしまいますので」
フロゲル殿の話してくれた計画の概要では、細部までは分からない。それであっても、この旅は獣人にとっても大きな意義のある旅になるだろう。
マスター様が仰っていた、カラカルを治める領主殿と会う機会もあるかもしれない。それをフロゲル殿に任せてしまうとなると……先方にとって迷惑でしかない。マスター様が開いた交流の道を盤石なものとするためにも、私が赴く他ないだろう。
(マジでか? 生きて帰ってくる保証は無いんやで?)
「不測の事態も、二人で知恵を出し合えば乗り越えるのでは? 魔獣はフロゲル殿にお任せしますが。それと、私の同行を断ればフロゲル殿が森を離れることに反対させて頂きます。貴方にとって、大した問題ではないのでしょうけども」
(むーん……まぁ、ソフィさんの考えも分かるしな。ワシは何も言わんとくわ。他の連中が何を言うても、ソフィさん次第ってとこで。取りあえず、ワシはコテっちゃんと集合することになってるグラティアに行く。ソフィさんも準備してから来てな)
渋々といった様子ではあるが、フロゲル殿の了承を得られたようで何より。
しかし、同行すると言った直後に思ったのだが……旅程がいささか急過ぎなのではなかろうか? 今さら私が言っても仕方が無いことなのだが。
ともあれ、私も久方ぶりの旅支度をするとしようか。
……部屋を出る時のフロゲル殿の横顔が、どこか満足気に見えたのだが……私の思い違いだろうか?