第175話 かつての記憶
「あー、疲れたー」
俺は仰向けになって、思ったままの言葉を口にした。
ここは俺のダンジョン、自分の部屋だ。気ままに寝転がったところで誰にも咎められることなどない。今の俺は自由なのだ。
「お疲れ様でした、マスター。随分と長いお話だったんですね」
寝そべる俺にノアが近付いて来た。労いの言葉とともに差し出してくれるお茶がありがたい。
俺はそれを受け取り、ほっと一息。
……ふう、美味い。生き返る……。
「ありがとな。いや、ほんとに長かったよ。俺はてっきり、話すこと話したらすぐ帰れると思ってたのにな……」
カラカルでの会合は終わった。
一連の騒動の経緯と情報の擦り合わせ、森の獣人とカラカルの交流まで話が及んだのだ。解散した頃にはすでに夜。深夜とまではいかなくとも、外を出歩く者はいないほどに夜は更けていた。
そんな時間なのだ、俺は解散してまっすぐ帰宅。食事すら取らずに、自分の部屋に直行した次第なのである。
ちなみに、自分の部屋に直行したのはアトリアさんも同じだ。娘のポーラが心配とのことで、ダンジョンに入って早々に俺とは別行動。今頃は俺と同じように一息付いていることだろう。
「マスター、こちらを」
「ああ、どれどれ……」
一服を終えて、あぐらをかいている俺にノアが冊子を差し出した。それに書かれている内容はというと……。
「マスターの『思念波』から纏めた議事録です。確認してください」
良いのか悪いのかはともかくとして、俺はカラカルでの会合の内容を『思念波』を通じてノアに教えていた。
後で俺の口から説明するよりも、リアルタイムでそっくりそのまま教えた方が早い上に正確なのだ。やらない手はないだろう。
で、その成果がこれなのだが……。
「ううむ……」
「駄目ですか?」
駄目じゃない、完璧だ。
一連の騒動の経緯から過去の事件のあらまし、会合参加者各人の考察とこれからの動き、森とカラカルが行う交流の流れまで完全に網羅しているのだ。その場で纏めていたと言われても疑わない仕上がりとなっている。
「いや、あんまり良い出来なもんでついつい唸ってしまったよ。文句無しだ」
「それは良かったです。では、明日の朝にマックスさんに渡しますね。キバ達も明日――」
「いや、キバ達は良いよ。俺から話す」
「マスターから? 分かりました。では、集合はいつを予定しますか?」
「集合は……うん、必要無いな」
視点をダンジョンに切り替えて確認したから大丈夫。眷属達は皆、ダンジョンの中にいる。
時間もちょうど良いし、寝静まる頃合いを見て実行しよう。久しぶりのレクリエーションを、な。
……
「マスター?」
さっきから身動きせずに座ったままの俺が心配になったのだろう、ノアが俺の顔を覗き込んで声を掛けてきた。
それもそのはず、俺は小一時間微動だにしていない。
動こうと思えば動けるが、初めての試みに俺もついつい身構えてしまった。力が入るあまり、同じ姿勢のまま動かなかったのだ。
しかし、それももう終わり。
安全は確認できたし、作動も良好。いつもどおり動いて何ら問題は無い。ならばノアにも教えてあげるとしよう。今俺が何をしているのかを。
「……えっ? それじゃあ今もレクリエーションを?」
「ああ、諸々の話は終わって各自自由に動き回っているよ。いつも以上の人数で核の世界は大騒ぎだけどな」
ノアが訝し気なのも無理はない。今までのレクリエーションは、俺と一緒に眠った者を核の世界に招待するといったものだったのだ。
それをいつも側で見ていたノアは、俺がこうやって話をしながらレクリエーションにも参加していることを不思議に思っているらしい。
まあ、蓋を開ければ大した仕掛けでもないんだけど。
「『並列思考』ですか」
「ああ、せっかく身に着けたんだしな。データ取りも兼ねて、レクリエーションは『並列思考』の方の俺で賄うことにしたんだ」
なんて偉そうに語っているが、『並列思考』に関して本当に何も分かっていない。何ができて何ができないのかもさっぱりなのだ。
分かっていることといえば、過負荷に俺の頭が耐えられないこと。その限界点すらも不明。ならば無理のないところから試していこうと、実験を兼ねてレクリエーションを行ったわけである。
「うへえ……人体実験みたいで怖いッスね」
俺の側で腰を下ろしていたビークが、肩を竦めて言いやがった。
人体実験とはまた、何つう人聞きの悪いことを……!
「うるせぇ、シミュレートして成功するのは分かってたんだ。安心確実な上でなんだから良いだろ。それよりもお前のことだ。話って、何の話なんだ?」
俺は、皆が寝静まった頃合いを見計らってレクリエーションを実行に移そうと考えていた。そんな折にビークが部屋を訪れたのだ。何やら話があるということで。
「それじゃあ、核の世界で聞くよ」と言うと、どうにも都合が悪いらしい。できれば俺と二人っきりでとのことなので、俺の手が空くまで待っていてもらったのだ。というわけで――
「すまん、ノア」
「はい、ボクは部屋の外で待ってます。誰も来ないように見張っていますので、ビークの気が済むまで話をきいてあげてください」
「ありがとうッス」
ノアにも聞かれたくないとは、よっぽどのことなのだろう。
そういえば、俺が起きたら相談したいことがあるとも言ってたっけ。何だかんだ立て込んでて聞いてやれなかったけど、今なら腰を据えてじっくり話ができそうだ。
「よし、何の話か知らんが言いたいこと言ってみろ。いい機会だし、お前の思うところ全部な」
「そうッスか。じゃあ、包み隠さず言うッスけど――」
……
「……は?」
思わず変な声が出た。
「信じられないッスよね?」
「いや、まあ……うん。だけど……なあ?」
んー……何だこりゃ。今日一日で散々色んな話を聞かされたけど、まさかビークの話から一番衝撃を受けることになるとは思わなかった。ええっと……。
「魔窟?」
「そうッス」
「お前が?」
「……そうッス」
ビークが、魔窟……いや、魔窟そのものじゃなくて魔窟の核か。
話によると、ビークは元・魔窟の核。しかも、俺が破壊した森の魔窟の核だったというのだ。そんな話を聞かされて驚かないわけがないだろう。俺は思わず言葉を失ってしまった。
「信じてくれるッスか?」
「……まあな。わざわざ人払いを頼んでまで話をしに来たんだ。お前の言葉、信じるよ」
とは言っても、まだ上手く咀嚼できていないけど。
うーむ……しかし、あの時の核がビークとはねぇ……。そういうことってあるもんなんだな。
ってことは何だ? 確か、魔窟の核って俺と同じ転生者だったんだよな? あー、でもちゃんと言葉を交わしたわけじゃなかったっけか。
「お前、あの時に俺が話したこととか聞こえてたのか?」
「あの時っていうと、自分が死ぬ間際のことッスね。。確か、命を繋ぐ姿は――」
「ストップ! 分かった、もういい!」
言った俺の方があまり記憶に無いんだけど……何か、全力で恥ずかしいことを言った気がする。
当時の俺が思うまま、心のままに放った言葉だ。普段の俺がとても言わないようなことを、胸を張って言い放ったような記憶が……。
「そんな顔しないでいいじゃないッスか。こんな出会いじゃなかったら……何だったッスかね?」
「ええい、止めい! ストップって言っただろうが! それよりもだ。お前、転生者か? ああ、あれだぞ。魔窟からオウルベアじゃなくて、その前の話な。例えば……地球の人間からとか」
「そうッス。魔窟の前は日本人ッス」
おお! やっぱりそうだったのか!
じゃあ、色々と話ができそうだな。転生する直前のこととか、そのあたりを……って、あれ?
「マスター、すみませんッス。そのことについては追々ってことにして欲しいッス。今は、また別のことでマスターに相談が……」
いかん、空気を読まずにはしゃぎすぎていたようだ。俺のテンションの上がりっぷりに反して、ビークのテンションは低い。引いている、というわけでもなく、気掛かりなことがあるのだろう。
そもそも森の魔窟といえば――
「コボルトにしたことを気にしてるのか?」
「……そうッス。魔窟の頃の自分、コボルトにひどいことしてしまったッスから」
当たり、か。
ビークが気にするのも無理はない。コボルトは魔窟の影響で滅亡の危機に瀕していたのだ。それも、徹底的に追い詰めるように、魔獣をけしかける形で。
「えっと……言い訳みたいになるッスけど、『神』になろうとかしている人の口車に乗ってしまったんスよ。自分、何の疑いも無くその話に乗ってしまって……」
どうやら、ビークも転生する際に誰かが接触してきたみたいだな。俺にとっての支援者のように。
「あっ、でも支援者さんとは別人ッスよ。自分の場合は男の人だったッス。声の印象では若いッスね。おっさんじゃなくて、兄ちゃんって感じの声だったッス」
じゃあ、女神とは違うだろうな。
というか、そいつはリンクス公爵に接触していたと言われる『神』と関係あるんじゃないだろうか? 『神』つながりといえば安直だが、魔窟という共通点もあるのだ。無関係とは思えない。
だけど、そのあたりの考察は後で良い。そんなものはな。
「なあ、お前を『創造』したばかりの頃って、何かに怯えているように見えたけど」
『創造』した直後のビークは、自分が何か悪いことをした気がすると言っていた。当時の俺は、同種にあたるオウルベアがしたことを気にしているのかと思っていたのだが……そうじゃなかった。
「……今なら分かるッス。あの時の自分、魔窟の頃の行いから無意識に罪悪感を感じていたんだと思うッス」
転生しても残る罪悪感か……。俺には想像すらできないな。
だけど、今のビークにはかなりの精神的な負担になっているようだ。話を初めてからのビークの顔からは、いつものようなふてぶてしいまでの活力は微塵もない。生気すら感じられないほどに。
「それで、マスター……自分はどうしたら良いと思うッスか?」
「どうって……」
それは、コボルト達にビークの過去のことを話すべきかどうかということだろう。
隠そうと思えば隠せる。何も知らなかったフリをして今までどおりにいれば良いだけのことだからな。だけど――
「ビークの中で答えは決まってるんだろ?」
じゃなかったら、俺に相談してこないよな。
ビークは包み隠さず自分の行いを打ち明けたい。その背中を押してくれる意見を求めている。俺にはそう思えたのだ。
「……そうッスね。踏ん切りがつかないから、マスターに話を聞いてもらいたかったみたいッス」
「お前がどうしても隠したいなら、俺に話す必要なんて無いからな」
「でもッスね。その……どんなタイミングで誰に話したら良いとかが分からないってのもあるッス」
「まあ、皆の前でとかはできんわな」
そこは仕方が無い。頼られたっていうのもあるしな、俺がひと肌でもふた肌脱いでやるよ。
「ビークさえ良ければ、明日でもいつでも良いぞ。取りあえずはマックスに話をしに行こう」
「それって、マスターも一緒に来てくれるってことッスか?」
「そりゃそうだろ。話を聞いた以上、俺も無関係じゃないからな。っていうか、お前にとっては俺に『創造』されたせいで背負った悩みみたいなもんなんだ。俺にもちょっとぐらい担がせろ」
「マスター……」
ちょっとは尊敬してくれても良いんだぞ? なんてな。
でも、俺が言ったことは本心だ。何の因果か、ビークに二度目の転生をさせてしまったのは俺だからな。魔窟の頃のことが重荷にならないよう、配慮してやっても罰は当たらないだろう。
「やっぱ、願いを叶えてもらったのは間違いじゃなかったッス」
「ん?」
ビークが何か呟いた気がするけど、気のせいか?




