第171話 二十年前の事故
「どうやらこれは……一度詳しくお話した方が良さそうですなぁ」
自身に注がれている視線にようやく気付いたのか、オセロット男爵は苦笑を浮かべながら呟いた。
その言葉に頷き、領主は男爵に説明を促している。
「是非ともお願いしたい。皆の認識の差異があまりにも大きいようなのでね」
まあ、俺とソフィ、フロゲルは認識の差異以前に公爵のことは何も知らないだけなんだけどな。それよりもアトリアさんだ。男爵の言葉に訝し気に首を傾げていた。
「私とポーラが巻き込まれた事故……ですか」
「む? その様子ではご存知ないようですな。……男爵」
「分かりました。私も記憶を探りながらになりますが、知っていることを全てお話しましょう」
続けてゴホンと咳払いをする男爵。皆の視線が集まる中、男爵はおもむろに口を開いた。
「かれこれ、二十年前になるんですなぁ。あの日、ヤパンに一報が入ったのです。リンクスで大規模な事故が起きたと」
「その事故というのが……」
「ええ、貴女と御息女が亡くなった事故です。しかしながら、犠牲者は貴女達だけではありません。事故が起きたのは公爵の屋敷、そこで従事している者の多くに被害が及んだのですよ。生存者の方が少なかったと記憶しておりますなぁ」
口調こそのんびりしているものの、男爵の表情は悲し気に見える。それもそのはず――
「あの事故も私が調査の任に就いたのですよ。ヤパンに報せが入ってから、至急リンクスに向かったのですが……今も夢に見ます。到着した時もまだ懸命な救助活動が続けられておりましたからねぇ」
オセロット男爵もまた、当事者だった。沈痛な面持ちで語るのは、凄惨な事故の様子を思い出してのことだろう。
「それほどまでに、事故は大きかったと?」
「ただの事故ではありませんでしたからねぇ。魔術の事故、それも相反する属性を混ぜ合わせる高位な術式の実験です。私が到着した時も、事故の中心地では連鎖反応を起こすかのように魔術が暴走を繰り返しておりました。そのせいで救助が思うように進まず……。あれさえなければ、救える生命もあったのでしょうになぁ」
相反する属性の実験か……。興味深いものは確かにある。が、それ以上に怖いな。
どんな実験かは知らないが、聞くだけでも無茶な実験であることは明白だ。興味本位で触れて良いものじゃないだろう。
それはさておき、アトリアさんが眉を潜めて男爵を見つめている。何か腑に落ちないことでもあるのだろうか?
「オセロット男爵……」
「何でしょう?」
「私の記憶では、そのような実験をしているなどと聞いたことがありません。私自身、魔術の研究に参加しておりましたから。生活に関わる魔導具の改良、それが私と夫……サルガスの課題であり、命題だったのです。人命に関わる事故が起きるようなことはしていないと断言できます」
んん? 男爵とアトリアさんの話が食い違っているな。
相反する属性の実験と魔導具の実験、随分とかけ離れている印象だ。しかもアトリアさん曰く、人命に関わるわけがない、と。
うーむ……アトリアさんは強く言い切っているし、嘘を吐いているように全く見えない。対する男爵も自分の記憶を信じているようだ。腰は引けているが、反論する姿勢を取っている。
「そう仰られても……記録にはそう残されているのですよ。ヤパンの保管庫にも当時の書類が残されています。私が綴ったのですから間違いありません」
「では、私達が行ってきた魔導具の実験の方はどうでしょうか? そちらの記録は……」
「残念ながら、私には見覚えがありません。あの事故で失われたのでは無いでしょうか?」
二人とも、自分の記憶に絶対の自信があるようだ。どちらかが折れるような気配は見られない。
これに関しては、部外者の俺達に口を挟む余地が無い……かに見えたが。
(アトリアさんの記憶がイメージで見えたで? 穏やかな雰囲気で実験してる様っちゅうんかな。男爵の言うような実験には思われへん)
意外なことに、フロゲルがアトリアさんの言葉の裏付けを取ったのだ。そして、嘘を見抜ける領主もフロゲルに続いて口を開いた。
「ふむ、二人の言葉に嘘は無いようだ」
ということは……どういうことだ?
時系列で考えると、アトリアさんの記憶は事故の前で男爵が言う記録は事故の後ってことなんだよな……。
そこから導かれる考えると――
「事故の時に、実験に関係する記録を捏造されていた?」
「ふむ、マスターもそう考えたか。加えるならば、事故を起こした者の手によってだろうな。何者かがリンクスで事故を起こし、惨事の中で記録をすげ替えたのだ」
おお……それだったら、二人が嘘を吐いていないことも分かる。
「しかし、私は生存者から聞き込みも行ったのですよ。そこには実験に参加していた者もおります。皆が皆、先の実験内容を証言してくれたのですが……」
そこまで言うと、男爵は黙って俯いてしまった。どうやら当時の記憶を思い起こそうとしているようだ。
「ううむ……今にして思えば、おかしい話だねぇ。あれだけの事故なのに生存者は皆無傷だなんて……。犠牲者は目を覆わんばかりの姿だったというのに……」
「その犠牲者には、私も含まれているのですね?」
「ええまあ……私が検分したので間違いありません。本人を前にして言って良いのか分かりませんが……『鑑定』無しでは誰か判別できないほどでした。あの日ほど、自分に『鑑定』があることを恨んだ日はありませんなぁ。当時の犠牲者を全員、この目で検分することになったのですから」
よほどのトラウマだったのだろう。男爵の顔には、より一層悲哀に満ちていた。
そうはいっても、男爵には聞きたいことがある。申し訳ないと思いつつも、俺は疑問をぶつけてみた。
「男爵、生存者の中にはリンクス公爵も?」
「それは勿論だよ。ただ、あまりのショックからか茫然自失でねぇ。会話が成り立つ状態じゃなかった」
「じゃあ事情聴取とかはしてないんですか?」
「いや、後日ではあるけど行ったよ。しかし、公爵が証言した実験内容も……」
そう言うと、男爵はアトリアさんの顔色を窺うように目を向けていた。
自分の発言で、アトリアさんがショックを受けているか心配してのことだろう。言葉自体は途中で切られていたとはいえ、その態度で男爵の言いたいことは明らかだ。それはアトリアさんも同じこと。
「信じ難いことですが……真実なのですね?」
「ええ……公爵の証言でも、相反する属性の実験を行っていたと」
二人を中心に重い沈黙が流れている。
そんな空気の中で、俺なりに色々と推測を立ててみた。
公爵が全ての黒幕の可能性、事故からの生存者は公爵を含めた全員が『創造』された存在だったら……色々な推測が頭に浮かぶ。が、確証など全く無い以上、どれだけ推測を立てたところで推測でしかないのだ。
っていうか、ここで頭を抱えてるぐらいならいっそのこと――
「リンクス公爵に直接聞いてみるってのは駄目なんですか?」
こっちには嘘を見抜ける領主と、思考を読み取れるフロゲルがいるのだ。役に立つか分からんが、俺の『慧眼』と男爵の『鑑定』もある。直接見聞きすれば、公爵の正体も考えもはっきりするというものだ。
そんな俺の考えを肯定するように、アトリアさんも頷いている。
そう言えば、公爵の望みは妻子……つまりはアトリアさんとポーラを蘇らせることだった。二人を引き合わせることを条件にでもすれば、いくらでも情報を引き出せるんじゃないのか?
なんて考えも頭に過ったのだが……。
「ふぅむ、アルカナ。マスターに言っていなかったのかね?」
「はい、機会を失してしまいました。この場で話されるだろうと、つい……」
「それは、どういう……」
「リンクス公爵は失踪したのだよ。君達が騒動を起こした日に」