第165話 帰ると言われても困るけど
「申し上げにくいことですが……マスター様はあの子に危害を加えようとしましたから」
ポーラにとって俺の何が怖いのかと首を傾げていると、その答えを公爵夫人が教えてくれた。
「危害……」
心当たりがないこともない。というか、思えば二回も攻撃を加えようとしていたんだよな。
一度目はリンクス地下で禍々しい儀式を阻止するために。二度目は襲い来るレギオンを倒すために。
言い訳みたいになるけど、どっちも悪意は無いんだけどな。
悪夢みたいな儀式からの解放と厄災への対処、攻撃する以外に方法なんて見当たらなかったのだ。
「私はマスター様のなされようとしたことについて理解しております。しかし……」
「ポーラちゃん、まだ小さいッスから。感情の方が先に来ちゃうのは当然ッスよ」
「むぅ……分かるっちゃあ分かるんだけど」
ひと目だけでも見させてもらえないだろうか? 俺が見たポーラの姿はというと、儀式の部屋で鎮座していた半透明の赤い球体、その中に浮かぶシルエットだけなのだ。
俺が言えた義理ではないが、無事な姿を確認したい。
そんな俺の考えを遮るように、ビークが口を開く。
「まあ、時間が経てば分かってもらえるかもしれないッスから。今はまだ、そっとしておいてあげて欲しいッス」
「マスター様、私からもお願い申し上げます」
「うーん……分かったよ。これ以上、嫌われたくないしな」
残念ではある。が、言っても始まらないのだ。ビークの言うように、時間が解決してくれるのを待つしかないだろう。
「ところで、ビークが俺を呼んだのは二人に会わせるためだけじゃないよな?」
ビークはキバに内緒で二人を匿っていた。
ともすれば、ずっとこの部屋に閉じ込めていたのだろう。ビークなりに気を遣って部屋を快適な空間に改装しているのは分かるが、それであってもダンジョンであり屋内なのだ。状況としては監禁に近いのかもしれない。
察するに、ビークの用件は二人に自由を与えたいといったところだろうな。だとすれば、勿論許可だ。
監禁みたいな状況は、俺だって良いと思わない。
……いや、待てよ? そもそも、二人の立場ってどうなってんだ?
自由にしてもらうってことは、リンクスに帰るという選択肢も出てくるわけだけど……二人って公式には死人とされているんだよな。しかも実際に人間じゃないわけだし、何かの拍子に『鑑定』でもされたらどんな騒ぎになるか……想像もできん。
となると、二人にはリンクスにお帰りいただくってのはちょっと難しいな。
申し訳ないけど、俺の目の届く範囲で自由にしてもらうってのが一番良いのかもしれない。
「何でもってわけにはいかないけど、ビークの裁量で自由にしてもらって良いよ。遠出は控えてもらうのが前提になるけど」
こんなところが妥当かな。
俺よりビークの方が二人と打ち解けてるみたいだし、今までビークが世話役をしていたのだ。負担としては特に無いだろ。
そして、それはビークも望んでいた答えでもあったらしい。ビークは顔に喜色を湛えている。
「流石マスター、話が分かるッス! マスターさえ首を縦に振ってくれれば、キバだって文句言えないッスから!」
「その点は問題無い。そうだろ? キバ!」
部屋の外で待機しているキバに聞こえるように、俺は声を張り上げた。
二人の経緯については説明済み。途中からこうなる気がしてたからな。ダンジョン視点経由の『思念波』を駆使して、眷属達にはリアルタイムで伝達しておいたのだ。
「承知しました! 二人に罪はありませぬ! マスターのご意向に添えるように尽力しましょう!」
「ほらな」
これで二人はこの部屋以外を自由に動き回っても大丈夫だ。ダンジョン区画の危険地帯はビークが行かせないようにでもするだろ。あと俺ができることと言えば……。
「ビークの手が回らないところは他の眷属達に手伝ってもらえよ。ノアでもキバでも必要なら何でも頼め」
「それは助かるッス。それとコボルトとトードマンの皆には説明どうするッスか?」
「ああ、後で俺から説明しとく。ちょっと今は別件があって、カラカルに向かわないといけないからな……っと」
いかんいかん、俺とビークだけで話を纏めてしまってたけど当の本人達はどうなんだ? 帰りたいと言われても困るけど。
「いえ、私どもとしても助かります。この世界に、私達に帰る場所は無いでしょうから……」
この世界にって、随分と重いな。
しかし、大袈裟に言っているわけでもないようだ。公爵夫人の顔は暗い。自分達でも人間じゃないってことを自覚してるのだろう。
「えっと……公爵夫人は、今回の件についてどこまでご存知ですか?」
「マスター様、公爵夫人ではなくアトリアとお呼びください」
それは流石に……って言いたいところだが。
「先程も言いましたが、私達に帰る場所はありません。ビーク様のおかげで人の姿を取り戻せたとはいえ、元の生活に戻れるわけではないのです。今の私はただのアトリア、子を想う一人の母。それ以上でも、以下でもありません」
人間として、貴族として生きてきた過去との決別。そして、娘であるポーラのために生きる未来への意志なのだろう。暗い表情から一転して、その目に宿る光は力強い。
その覚悟を無下にするなんて、俺にはできるわけがないのだ。
「分かりました。じゃあアトリアさん、と呼ばせてもらいます」
「ありがとうございます、マスター様」
俺も『様』付けは勘弁してもらいたいところだけど……まあ、良いか。言ったところで拒否されるのが目に見えている。貴族だった時の習慣みたいなもんなんだろうな。
それはさておき……。
「アトリアさん、さっきの話なんですが」
「私達がどの程度知っているか、でしたね。しかし、残念ながら……」
「何も知らない?」
「はい。私も事の経緯はビーク様から教えていただいた程度のことしか知りません。私が覚えていることと言えば、冷たい暗闇の中で抱きしめるポーラの存在……。今にも消え入りそうなポーラに、必死に温もりを与えていたということぐらいです」
アトリアさんの話は、俺が儀式の部屋で見た状況と一致している。温もりというのは魔力のことだな。
まあ、見た感じ視覚があったとも思えないし、聴覚があったようにも思えない。外部の情報から隔絶された状態だったということだろう。それでいて唯一の支えであるポーラが弱っていたなら、助けようと意識が集中して当然というものだ。
「あの、マスター様」
「はい?」
次は何を聞こうかな、なんて考えていると、アトリアさんの方から声を掛けられた。
「マスター様はカラカル辺境伯と面識があるとお聞きしています。先程もカラカルに向かわれると仰っていましたが、カラカル辺境伯のもとへ向かわれるということでしょうか?」
カラカル辺境伯って領主のことだよな。確かに俺はカラカル領主のところに行くつもりだけど。
「無理を承知でお願いします。どうか私も同行させていただけませんでしょうか?」
「ええっ!?」
アトリアさんが俺と一緒に領主のもとへ?
自由にして良いって言ったけど、カラカルに行きたいと言い出すとは思わなかったぞ。何か用件でもあるのか?
「アトリアさん、カラカルに行きたい理由って言うのは?」
「……私は知りたいのです。カラカルとリンクスで起きたことを。帰る場所を失ったとはいえ、私とポーラはヤパンで生まれ育った者。ヤパンで今、何が起きようとしているのかを知らずにはいられません。それに夫が……サルガスが私達のいない間に何をしていたのか、カラカル辺境伯にお聞きしたいのです」
うーむ……そういうことか。
俺達はヤパンからしたら部外者だ。アトリアさんが知りたい情報を持ってるとは限らない。
特に、ヤパンの内部事情については全くと言って良いほど何も知らないのだ。アトリアさんが知りたいところは正にそこなのだろう。
それに、アトリアさんの存在をいつまでも隠し通せるものでもないしな。こういったことは、早く報せた方が上手くいく。やましいことじゃないなら、尚のこと。
まあ、生き返ったっていうところが何とも説明しにくいところでもあるが……そこはどうにでもなるだろ。生物かどうかも怪しい俺を引き合いに出せば、大体のことは納得してもらえる気がする。というか、してもらおう!
「分かりました。今から向かうことになりますが、それでも良ければ」
「感謝致します……!」