第160話 アルカナと女神様
更新遅れて申し訳ありません。
「んー……良い香りだ」
テーブルに置かれたカップから、湯気とともに漂う芳しい香り。
その香りもさることながら、漆黒に染まった見た目もまた俺の記憶にあるものと酷似している。
俺って起きてから何も口にしてないんだよな。
空きっ腹にこれを飲むのは体に悪いらしいけど、俺の体は特別製なのだ。そんなの気にせず、香りに釣られていただきます。
「どう? マスター君」
「……苦い。けど、この苦味が堪らん。コーヒーはこうでないとな」
なんて格好付けて言ってみたものの、コーヒーの良し悪しなんて分からんけどな。
しかし、分からなくても今の俺には堪らないものがあるのだ。転生前に飲み親しんだものと同じにしか思えない、コーヒーの香りと苦味には。
「いや、全然美味いな。俺が飲んでたものってインスタントばっかりだったし」
俺は自嘲気味に微笑みながら、テーブルに備え付けられたメニューを一瞥した。
書き連ねられているのは数種類の軽食とソフトドリンクの名前。喫茶店の様相に相応しいラインナップといったところだろう。その中にあった一つがコーヒーだ。
周囲のテーブルもメニューに則ったものしか置かれていない。ほとんどがコーヒー、もしくは紅茶のカップかな?
何を飲んでるにせよ、客がいかついおっさん連中というのと淹れてるのが暗殺者然とした男という、なんともシュールな光景だが、ここまでミスマッチだと逆に味があるような気がしないでもない。
まあ、そんなことはどうでも良いか。
アルカナも他の客のことを気にしてないし、周りも俺達のことを気にしてないしな。
……うん、コーヒー美味い。
ちなみにアルカナが頼んだのは紅茶だ。
年格好に似合わず、飲む仕草が優雅で大人っぽい。
ふとした時に大人びて見えるんだよな……アルカナって。
「ん?」
「あ……いや、何でも無い」
いかん……急に目が合ったせいで、俺は思わず動揺してしまった。
平静を装ったつもりだが自分でも分かる。誤魔化せてないことぐらいは。
そんな俺の様子が可笑しかったのか、アルカナはフフッと笑うとカップを置いておもむろに口を開いた。
「それじゃあ始めますか。マスター君は何から聞きたい?」
「何から? ……そうだな。やっぱり――」
「よし、女神様にしよう。それで良いでしょ?」
「……ああ」
何か釈然としないけど……仕方無いな。これがアルカナだ。抗議するより聞き入れる方が楽ってもんだろ。
そんなことよりも、アルカナの言う女神がどんなものか、しっくり聞かせてもらうとしようかね。
「女神様はあたしのお母さん。はい、次」
「は? いや、待て待て! 今、凄いこと言わなかったか!?」
一言!? しかも『お母さん』ってどういうことだ!?
何でさらりと流すんだよ、こいつは……!
「んー……あたしにとってはお母さんだよ? それ以上でも以下でもありませーん」
「でもお前、女神様って言ってるだろうが」
「マスター君に『お母さんがー』って言っても納得しないでしょ? 説得するにはネームバリューが必要なんですー」
アルカナめ、ニヤニヤしながら言ってくれやがる……。
わざと要領を得ない説明してるのは分かってるっつーの。
「フフ……意地悪はこれぐらいにしてあげる。改めて言うとね、女神様はあたしのお母さんみたいなものなんだ。姿は見えないけどね」
「姿は見えないって……もしかして、思念で話し掛けてくるような存在ってことか?」
「うん」
そう言ってアルカナは微笑んだ。
この笑顔は嘘とは思えん。アルカナにとって、女神は本当に母親みたいなものなのだろう。
しかし、姿を見せずに話し掛けるとなると……俺はあいつのことが頭を過ってしまう。
「女神様はね、あたしが物心付いた時には一緒にいたんだ」
「両親は?」
聞いて良い話題か分からんが、物怖じしても仕方が無い。思い切って聞いてみた。
当然、アルカナが断ったらそれ以上詮索するつもりなんか無いがな。
そんな俺の懸念は無用だったらしく、アルカナは笑顔のまま答えてくれた。
「大丈夫、あたしは気にしてないから。えっと……あたしの両親のことだけど、お父さんとお母さんはいるよ。元気……だと思う。理由があって会いに行けないけどね」
「そうか」
こんな世界だからな。俺の考えが及ばない事情があるのだろう。
アルカナの様子を見る限り、ネガティブな印象は受けない。俺が心配するような必要も無さそうだ。
「それで続きなんだけど、女神様はまだ小さかったあたしに色んなことを教えてくれたんだよ。魔術だったり、世界のことだったり……生きるために必要なことは全部。だからあたしにとって、女神様はお母さんなんだ」
「そうだったのか。となると、歌も女神様が?」
「うん、魔術以外の歌もね。だから、あたしは寂しくなかったんだ」
「なるほど、機会があったら聞かせてもらいたいもんだな」
アルカナの歌、上手かったからな……。
ノアと違うタイプだけど、一緒に歌ったりしたら面白そうだ。
……っと、本題から逸れてしまったな。
「話を戻すけど、今もいるのか?」
いるのか、っていうか会話できるか、だな。
思念を通じての会話なら、俺が干渉する方法もありそうだ。だったら、そっちの方が早い……と思ったんだけど。
「残念だけど、女神様はもういないよ」
あてが外れてしまった。
だが、逆にもう一つの可能性が高まってしまったとも言える。
いくら俺でも勘付きはするというものだ。アルカナの言う女神と支援者が、同一人物の可能性ぐらいは。
何と言っても、俺には『女神の加護』があるからな。支援者と女神に関係があることぐらい、最初っから分かってる。
ただ、支援者が女神そのものかと言われると……どうだろう。
感情が希薄ってのも、人間離れしてるという意味では女神っぽいかもしれない。だけど、支援者が自身を意思決定支援システムと言っていたことと、一緒にいるうちに感情が発露していく様子を見ていると、女神そのものじゃない気がしていた。
それに、聞いた伝承によると女神は四人いたのだ。
仮に支援者が女神だとしても、アルカナの言う女神と同一人物ではない可能性もある。
「マスター君」
「ん?」
「何か色々考えてると思うけど、多分違うよ」
「違うって何が?」
「マスター君の思ってる女神様と、あたしの女神様は違う。あたしの女神様がいなくなったのはずっと昔だから。もう何年になるかなー……四年ぐらいは前のことだよ」
さいですか。……って、ちょっと待て。
「俺の思ってる女神って誰のことだ?」
「マスター君にも思念で語りかけてくる人がいたよね? 確か、支援者さん。あたしの女神様と同じで、今はいないけど」
何で知ってるんだ? 支援者のことは教えてないはずなのに。
そもそも、四年前にアルカナの女神がいなくなったのが本当なら、俺のことはどうやって知ったんだ?
……辻褄が合わんぞ。
「アルカナ、俺が生まれたのがいつか知ってるのか?」
「最近だね。三か月経ったか経ってないか、それぐらい」
「そうだな、合ってる」
俺が最近までこの世界に存在してないこと、アルカナも知ってるなら――
「あたしがマスター君のことを知ったのは夢だよ」
「夢?」
「そう、夢。女神様がいなくなった時から、あたしは夢に見るんだ。ドゥマン平原の隅っこで暮らす、犬のマスター君とスライムのノアちゃんとコノアちゃん、それにマスター君が支援者って呼んでる人の夢。のんびりと……だけど一生懸命に生きようとしている皆の姿を、あたしは見ていたんだよ」
そう言ってアルカナは、遠い昔を懐かしむように語り始めた。