第157話 奇縁
ぬあああ……きっつ……! 頭がガンガンする!
キャパシティを超える無茶の代償なのだろう、内から湧き出る痛みが俺を苦しめる。
いくら『痛覚無効』があっても、この苦痛を消すことはできないらしい。
今にも倒れてしまいたい。横になって寝てしまいたい。
そんな衝動に駆られるが、そうも言ってられん。
せめて片を付けるまでは。
(アルカナ……)
歌は聞こえない。
歌どころか、耳自体があまり聞こえない。それに目も見えん。
神経系でも負傷したのか、五感が上手く作用していないことだけは分かる。
スキルが使えることだけは救いだな。
視覚として捉えられなくても感覚が残っている。魔力の存在と流れを肌で感じることができるのだ。
そして、レギオンの代わりに蠢く何かを。
(マスター君、目が見えてないの……?)
(ああ、無茶し過ぎたみたいだ。耳も聞こえん。それより、レギオンは?)
(動きを止めた、けどこのまま放置してたら別の不死が生まれてしまう……)
(別の不死)
見えないせいで分からない。
いや、見えないおかげで分かるものもあるか。少なくとも、俺にはレギオンがいた場所に何かが起きようとしていることが分かっている。なら、対処のしようもある。
(……これでどうだ?)
(うん、大丈夫だと思う。匂いは残ってるけどね)
匂いか、残念ながら匂いまではどうにもならん。
今のレギオンは核を失ったせいか、不定形に近い状態になっている。と言っても、見えないので実際はどうか分からん。魔力の感じ方が液体っぽいので、そう判断した。
ともあれ、液体に近いならそこに穴を開ければ自重で落ちるだろ、とダンジョンを繋げたのだ。
目は見えなくともレギオンを感じる場所につなげるだけ。そう難しいことじゃない。
繋げた先は落とし穴の終着点である針地獄にした。あそこなら、レギオンから生まれようとする不死も、何もできないはずだ。
その目論見どおり、ダンジョンに流れていくレギオンの気配。そして、同時に消える蠢く何か。
これで本当に終わったってことだろうな。
……いかん。気を抜いたら倒れるな、これ。
倒れるなら、せめて帰ってからにしよう。
(アルカナ、悪いけど連れてってもらえるか?)
(うん、分かった)
アルカナは俺の申し出を受けて、ダンジョンまで手を引いてくれている。
こっちの入口はレギオンとは別のルートだ。
スロープを下ればエントランスが広がっている。そこまで行けば……。
「――!?」
(あー……すまん。耳が聞こえんから)
(マスター、また無理をしたんですか……!?)
心配気な思念が返ってきた。これはノアだな。
予想どおりとはいえ、迎えに出てくれたのがノアで助かった。ノアなら安心して任せられる。
(説明したいのは山々だけど、ちょっと疲れ過ぎた。寝かせてくれ……)
(……分かりました)
先の三人組を放り込んだ件から全く説明せずにいたままだが、本当に限界だ。
この手の負担の時に起きる疲労感は容赦が無い。ここならもう良いだろ? と思わず膝を付きそうに……ん?
(ノア?)
(マスターの部屋までボクが運びます)
前のめりによろめいた俺を、ノアが優しく受け止めてくれた。
そして、そのまま包まれる俺の体。犬の時以来か、こんなのは。
あの時も思ったけど、ノアの体はひんやりしてるのに暖かい。不思議な感覚だ。
いっそ、もう寝てしまおうか。とも思ったが、意識を失う前に責任だけは果たさないと。
(ノア、悪い。メッセージだけは残しとくから後で……)
(大丈夫です。マスターは気にせず休んでください)
ああ……頼む……。
……
…………
「チュートリアルを開始します」
「んが!?」
チュートリアル!?
俺にとって始まりの言葉を聞けば、反射的に目が覚めるというものだ。
そして、視界もあの時と同じ真っ暗なもの。
意識を失う直前のような苦痛はまるでなく、完全回復したような状態も同じ。
これ、マジでチュートリアルが始まるのか?
しかし、今聞こえてきた言葉は思念でなく声だ。しかも男の。
気のせいか、聞いたことがあるような気もするが……無い気もする。どちらにせよ奇妙な感覚には違い無いが。
「ハハハ……! 嘘だっての」
「嘘?」
「お前、すげえ寝てたからな。目覚ましにはちょうど良いセリフだろ?」
「……ああ、おかげさまで一発で起きたよ。気分は最悪だけどな。で、お前は誰だ?」
雰囲気からして核の中とも思えない。
チュートリアルの時のような核ルームも存在しない。
俺の知らない別の空間に来てしまったのか?
この男に招かれて来てしまったのか?
そんな疑問が次々と湧いて出てくる。
しかしながら、恐怖や焦りのようなものは無い。何故だか、声の主が敵ではないという確信があるのだ。
それもそのはず、この声の主は――
「俺だよ、俺」
俺って誰だよ。
「一回言ってみたかったんだよな。俺に対して俺だって」
「は?」
「言い直すと、俺はお前。未来のお前? んー……ちょっと違うか。まあ、お前よりはちょっと長く存在したお前だ」
「んん?」
「ええっと……難しいな。ああ、一番近いのはあれだ。並行世界ってやつ。あれの俺がお前……ん、合ってんのか、これ?」
説明下手くそか!
しかし、誠に遺憾ながら納得だ。声の主は俺に間違いない。
変な話だが説明できない確信がある。説明できないが故に俺だという証拠かもしれんが。
微妙な違いは平行世界の差分か……。っていうか、そんな世界あるのか? あったとして干渉できるもんなのか?
「あー……並行世界とは違うのはあれだ。俺の世界は終わってしまった」
「終わったって……滅んだのか? 世界が」
「滅んだってわけじゃない。けど、もう存在してない。何処にもな」
「何処にもって……じゃあ、お前はここで何してるんだ? そもそもここは何処だ?」
「先に言っておくと、俺がいる空間とお前がいる空間は別だぞ。俺がいるのは異次元の果て、完全に閉ざされた空間だ。お前はちゃんと核の中にいる。疲れすぎて寝てるってところだな」
俺がいるのは核の中か、それを聞いて一安心だ。
それはさておき、物騒なワードが出てきたな。
異次元の果て、完全に閉ざされた空間……そんなところにいるらしい俺。
そもそも、閉ざされた空間にいながら別の空間の俺に話し掛けてくるとか、訳が分からんにもほどがある。
目下、気になるのは……全部だな。
「全部説明してくれよ」
「んー……まあ、説明はするよ。全部になるかは知らんけど。取りあえず先に言っておくと、俺は負けた。お前が薄々感じてる敵にな。せめてもの抵抗で逃げ込んだのが異次元の果てだ。ここなら、向こうも手出しできないみたいだしな。代わりに俺も出られなくなったけど」
「俺が負けて……世界が終わるのか?」
「それが、んあー……難しいな。俺も予想外だったんだよ、こんなことになるなんて。詳しいことは言えないけど、滅んだんじゃない。滅んだんじゃないけど、なくなったのは俺の責任でもあるわけで……」
まどろっこしいな……! 難しくても良いから教えてくれても良いだろうに。
「お前がやきもきするのは分かるけど、お前は既に俺とは違う道を進んでるんだ。お前が寝てる間に、ちょーっと記憶を拝見したからな。俺の時より全然良い」
「そんなに違うのか?」
「まあ、理由は分かってるけどな。それが反って、危機感の欠如に繋がってるってのもあるか。今のままだと、まず負ける」
「ちょっと待てよ。俺の敵って、そんなやばいのか? 正体はどんなやつだ?」
「教えるか、ボケ。自分で見極めろっての。お前にこれからのことを教えたら、それに目が向いて他のことできなくなるだろ。せめてもの情けで、戦力面が足りないってことだけ教えてやる」
あー……言われてみれば確かに。
これからどうなるか分かってしまうと、それを警戒して視野が狭くなる。それに――
「――もう、違う未来になる可能性も出てるのか?」
「出てるし、なってる。だから、余計な前情報は邪魔になるだけだ。お前はお前らしく行け。どうにもならなかったら、多分、最後の面倒を見てくれるやつもいる。最悪、俺と同じように次元の果てに逃げるって手もあるぞ。おすすめはしないけど」
「お前、逃げたって言うけど他の皆は――」
「……死んだよ」
「……」
くそ、今の言葉を聞くまで、俺のことでありながら何処か他人事だった。
違う世界のこととはいえ、眷属達や森の獣人達もいたはず。まだ俺も知らない人もいるだろう。
それを全て失ったのだ。想像しただけで胸が苦しくなる。
俺がそうにも関わらず、向こうは当事者のはずなのに冷静なものだな。
こいつ、本当に俺なのか?
「色々あってな。狂うこともできないんだよ、今の俺は。戦うことに特化した業かもしれん」
「特化って、どんな風に?」
「んー……同期率は80%超え。それ以外は内緒」
同期率80%って、今の俺が45%かそれぐらいだっただろ。
えっ? 倍近く?
「単純に戦闘力には換算できないけどな。それでも分かるだろ?」
「何となくは。そんなに未来の話なのか?」
「いや、言うほどは遠い未来じゃない。同期率はお前次第でもあるしな。そこはまあ、気にすんな」
気になるっての。
同期率80%の俺がボロ負けする相手って、相当やばいやつだろ。俺って散々喧嘩売ってんだよな。多分、その相手に。これは、ちょっと考えないと……。
「余計なこと言ってしまったか?」
「すんげえ危機感が出た。今のはありがたいかもしれん。……そう言えば、次元の果てにいるはずなのに何で俺と接触できてるんだ?」
「ああ、それがまあ……うん。これはマジで言えんな」
「何も?」
「何も、だな。俺はお前の味方なのは間違いない。けど、お前だけの味方じゃないんだ。察しろ」
そんな言葉で黙れと言うのか。……まあ、それだけでも察してしまうのも俺自身の言葉だからか。
「秘密にするってことは、よっぽど大事なんだろ?」
「大事だな、自分のことよりも。それはお前も同じはずなんだ。だからこそ、俺はこの接触を別のチャンスに変えることにした。お前の家族を救うためのチャンスにな」
「そうか……ありがとうな」
「自分に礼を言われるってのも変だな」
「自分に言うのも十分変だぞ。……なあ、その異次元の果てから出られる方法って無いのか? 俺ができることなら手伝うぞ」
「申し出はありがたい、けどな。そうもいかないんだよ。ほら、聞こえるだろ?」
「ん?」
……言われてみれば、確かに何か聞こえるな。
これは……歌だ。
凛としながらも穏やかな歌声。アルカナじゃないな、誰の声だ?
「お前が目覚めるのを待ってるやつがいるんだよ、そっちにはな。だから、俺はいけない。俺はお前だけど、そっちは俺の世界じゃない。俺が行くわけにはいかないんだ。だから……」
段々と遠ざかるように声が聞こえなくなっていく。
「だから、何だ? よく聞こえんぞ。でかい声出せよ!」
「謝っておいてくれよ。それと、お前はお前の好きに生きてくれって伝えてくれ。頼む」
「お前って誰に? おい!!」
……ああ、くそ。聞こえなくなった。
もう一人の俺の声の代わりに聞こえているのは、穏やかな歌声だけ。
その歌に引かれるように、俺の意識が元の世界に戻ろうとしているのが分かる。
やれやれ、別の世界の俺か……。
自分であって自分じゃない。奇縁とも呼べる出会いだったな。
多分、誰かの意図によるものだけど。
それでも、この出会いは大きいものだ。
目が覚めたら考えよう。
俺が異次元の果てに逃げることにならないように、家族を失うことがないように、これからのことを……。