第152話 疑惑の街リンクス 公爵夫人
俺は核を支える台座を『鑑定』した。
それは台座が人の形に似ているからであって、何となくに近いもの。台座が人であるなんて確信など無いし、俺としてはむしろ外れて欲しかった。
名称:アトリア・リンクス
種族:不死、レヴェナント
称号:特殊個体、慈母
生命力:不明
スキル:供給、吸収、悪食、危険察知、直感
ユニークスキル:自己犠牲、恐慌
……当たりかよ。くそったれ。
俺が台座と思っていた物体は公爵夫人、その人に違いない。
見た目は歪な肉塊とはいえ、『鑑定』をしてしまった今となってはもう肉塊には見えない。卵のような核を大事に抱える姿は、まるで身籠った母親のようにしか思えないのだ。
そして、夫人の顔は重なった肉の凹凸が目鼻口を象り、表情すら読み取ることができる……が、その顔があまりにも穏やかで、見ている俺の胸を締め付けていた。
(マスター君、大丈夫?)
(ああ、大丈夫。台座が夫人だったことにちょっとな……)
(……そっか)
俺の感情が伝播したのか、アルカナも胸に手を当て顔を顰めている。
当人らが望むか望まないかは知らないが、結果として人でなくされてしまった母娘。いくら生き返りを望まれたとは言え、この姿はあんまりだろう。
果たして、二人は蘇った時にこの事実を受け入れられるのだろうか?
自分達が不死となったこと、人とかけ離れた異形となっていること、この死体で構成された禍々しい部屋は自分達のために用意されたということを……。
俺の想像でしかないことは分かっている。それでも考えずにはいられないのだ。
心が狂っていれば、受け入れられるかもしれない。
だが、心が人のままであれば苦しまないわけがない。
穏やかな顔で娘を慈しむ夫人を見ていると、憐れに思えてしまう。
形は違うが、俺も人じゃないのにな。
だけど、人じゃなくなった俺が人として、二人に何をしてやれるかを考えることは自由だろう。
(アルカナ、俺をここに連れてきたのは二人を見せるためだろ?)
(うん、女神様の導きだけどね。人の手に余ることは人でない存在に任せる、そんな感じかな? 詳しいことは分からないよ、あたしはただの案内だし)
(それだけのために結構無茶したな)
(だけ、じゃないよ。あたしにはそれが全て。この世界に生きる生命は役目がある。あたしは君の標になるのが役目だから)
強い意志を感じる思念を受けて、俺はアルカナに目を向けた。
俺を見据えるその目は微かに青い。不思議と、ずっと一緒にいたような錯覚を覚える。
だからだろうか、俺はアルカナの言葉をすんなりと受け入れられるのだ。
(アルカナは、俺がこの二人に何をしてあげれると思う?)
(二人に? ……分からない。マスター君がしたいと思ったことをすれば……うん、あたしはそれに従うよ)
ニッと笑うアルカナが、俺の決意を固めてくれる。
(俺は二人に人のままでいてもらいたい。会ったことも話したこともないけど、不死なんて意味が分からんものにするのは我慢できないんだ)
独善だろうがエゴだろうが、言いたいやつは好きに言え。
公爵の願い? ……クソ喰らえ。文句があるなら、かかってこい。
俺は俺の意志で二人を解放する。二人から恨まれたら申し訳ないけど、その時はその時だ。土下座でも何でもしてやらあ!
そんな自分へ向けた発破に何かを感じ取ってしまったのか、物言わぬはずの夫人に変化が起きた。
「オ、オ、オ……」
僅かに開いた夫人の口から低い唸り声が漏れ出し、今の今まで穏やかだった表情は苦悶に歪み、目からはどす黒い血の涙が垂れている。
その光景に俺は思わず身を竦めてしまったが、何も怖いからではない。
いや、もの凄い怖い。しかし視覚以上に、スキルの影響が大きいようだ。
「オアアアアアア……!」
徐々に増していく声量、それに比例してか『恐慌』の効果も増していく。
恐怖を心に刻み込むのが『恐慌』の効果なのか、不安と焦燥に覆われる俺の思考は安定しない。
これは……やばいかも。対策をミスった……か?
んー……そうでもないか。忘れがちだけど、俺には『不屈』があるんだった。
(おらおら、しっかりしろって! 根性見せやがれ!)
俺にしか聞こえない、恐怖を上書きする叱咤激励の雨あられ。
無意識で助けてくれる存在ってのは本気でありがたい。瞬く間に『恐慌』の効果は消え失せていた。
……と、俺のことよりもアルカナは!?
(あたしは大丈夫。フードを被ってる間はスキルの干渉を防げるから!)
アルカナに目を向けた時には既に姿が消えていた。思念からも『恐慌』の影響は感じさせられないし、本当に干渉を受けてないのだろう。
ますますチート臭いな、そのローブ。
でもアルカナが無事なら良かった。問題は――
「うぐぐぐ……!」
「が……が……!」
――足元でのたうち回る神父達だ。
俺達が部屋に入る前に眠らせていた三人は、当然ながらこの部屋にいたままだ。
そして今、眠りについた状態で『恐慌』の効果をモロに受けている。
悪夢どころの騒ぎではないのだろう。三人が一様に口の端から泡を吹いてのたうち回っているのだ。これだけでも『恐慌』が『威圧』を超える効果を持っていることが分かるが、『鑑定』を使える俺には別の側面も見えてしまう。
(やばいな。三人の生命力が減っていってる)
徐々に、ではない。結構容赦無く。
放っておけば三分も待たずに絶命する勢いだ。
むう……どうする?
この三人など放っておいても良い。無関係なのだ。儀式に従事していた末の自業自得とも取れる結果である。しかし、事の発端が俺達にあるのも事実だ。
(マスター君が夫人を刺激したからじゃないの?)
俺のせいか。
なんて暢気なやり取りしてる場合じゃなかった。不死然と化した夫人を労ってる場合でもな!
(夫人には悪いが、ぶった切る!)
剣を抜き、即座に『次元操作』で刃に光を纏わせる。
手加減は無し、一刀のもとに核ごと夫人を切り伏せるつもりでいたのだが――
「アアアアアアアアアアアアア!!」
――抵抗するように、夫人は絶叫を上げている。
その叫びに『不屈』も無効化しきれないのか、じわじわと焦りが俺を蝕み始めた。
(マスター君! まずいよ!)
(げっ!)
部屋が形を変えている。
床は波打ち、徐々に迫ってくる壁。胃か腸の中に放り込まれた気分だ。
それに加えて、部屋の全周に浮かぶ顔が一斉に叫びを上げ、飛び出した手足が狂ったようにのたうっているのだ。おぞましい以外の感想が湧かん。
さらに厄介なことには、核と夫人の姿が消えていた。遺憾ながら、俺が周囲に気を取られている間に。
(マスター君! どうするの!?)
(どうするも何も、このままじゃどうにもならん! 一旦、引く!)
不死について、俺は何も知らん。『鑑定』でも生命力は不明と出ていたのだ。
具体的な対処が全く思い当たらない今、身の安全を確保することを優先しなければならない。
俺はともかく、アルカナの安全だけは何としても。
そのためにも、俺はダンジョンを繋げようと試みたが……。
(繋がらん!?)
ここに来て、頼みの綱のダンジョンが封じられるのは流石にやばい。
繋げられない理由は推測の段階で色々考えられる。
部屋の構成が肉だから、魔窟のように空間が固定されてるから、そもそも波打つ床や動く壁には繋げられないとかな。だけど、そんなものを検証してる余裕は無い。
夫人の姿は見えなくとも、『恐慌』をもたらす呪詛はいまだ続いている。
夫人の代わりに叫ぶ顔はいくらでもあるのだ。そこら中に。
俺とアルカナはまだ保つ。いや、俺も削られてる実感はある。が神父達三人はもう保たん。
三人が三人、体から出せるもの全部垂れ流して痙攣しているのだ。窒息してるのか、顔面の色も見たこと無い色になっている。
(アルカナ、逃げるぞ! 俺に掴まれるか!?)
(えっ? うん、分かった! それぐらいはできる! マスター君は!?)
(こいつら放っとけないからな! 連れてく!)
足元に転がる二人を両腕で抱きかかえ、残った一人は服を咥えて持ち上げた。
それと同時に背中へ感じる重みがある。アルカナが抱き付いたのだろう。
(よし、跳ぶぞ!!)
(跳ぶ!?)
アルカナが問い掛けてくるが、それには答えられない。
というより、もう跳んでいるのだ。
(何これ!?)
(俺のスキル! しっかり掴まってろよ!)
ここが吹き抜けで助かった。
跳躍の勢いそのままに『噴射』で一気に加速する。
目指すは最上階、元来た入口だ。
全力の『噴射』は思いの外凄まじく、四人を抱えた俺の体を最上階まで運ぶことに成功した。
だが、油断なんぞしてられん。部屋の変形は最上階にも及んでいるのだ。
扉は無事……とも言い切れんが、へしゃげてても何とか通れる。
俺は振り返ることなく、地下道へ向かって駆け出した。




